イスラム圏で独裁政権が相次いで揺らいでいる。チュニジアでは国外でオンエアされた焼身自殺の映像が端緒になった。青年の憤りに共感した若者がフェイスブックにアップし、軌を一にしてウィキリークスが権力者の腐敗を公開する。抵抗は燎原の火のように広がり、国境を越えて燃え盛っている。
ミクシィに毛が生えた程度と誤解していたが、フェイスブックは異次元のツールで、各自が数千人に向け情報や意見を発信できるようだ。旬というべき「ソーシャル・ネットワーク」(10年)を新宿で見た。
監督は「セブン」、「ファイト・クラブ」、「ベンジャミン・バトン~数奇な人生」で感銘を受けたデヴィッド・フィンチャーだ。本作ではハーバード大で2004年に産声を上げたフェイスブックの創設者、マーク・ザッカーバーグの素顔に迫っている。トレント・レズナーが担当したサントラも、本作の奥行きを深めていた。
共同創設者でありながら追放されたエドゥアルド、アイデアを盗まれたと憤慨するウィンクルボス兄弟、マークに接近して共同経営者になるショーン・パーカー……。マーク以外も本名のままで、同世代の俳優が演じている。フィクションというより、血が滴るフレッシュな真実と受け止めたのは俺だけではないだろう。
エドゥアルドが制作に協力したこともあり、マークは幼児性丸出しの天才オタクで、狡猾かつ冷淡な人間として描かれている。喧嘩を売られた格好だが、マークは静観する道を選んだ。「ファッション以外は全部デタラメ」が当人の本作に対する感想だ。
時系列を切り刻み、現在と過去をフラッシュバックして再構成しているが、演出と脚本の妙で違和感は全く覚えない。肉体が接触しない「ファイト・クラブ」というのが全体の印象だ。現在に設定されているのは示談交渉の席で、原告はエドゥアルドとウィンクルボス兄弟、被告はもちろんマークだ。回想の形で再現されるハーバードでの学生生活が興味深かった。
ウィンクルボス兄弟は富(父は大金持ち)、ルックス、明晰な頭脳を併せ持つボート部員だ。北京五輪では6位に入賞している。ナルシシズムと自信が漂う兄弟に、マークは本能的な反感を抱いていたはずだ。エドゥアルドは選ばれし者だけが集うクラブの入会を許され悦に入っていた。マークにとってエリート意識や権威は嘲笑の対象で、両者との間に亀裂が生じるのは時間の問題だったといえる。
フェイスブックは質量とも、創設者の意図を超えるモンスターに成長した。その理由は、マークがグローバルな普遍性を追求していたことだと思う。<大衆的なツール>だったからこそ5億人のユーザーを獲得し、レジスタンスの武器として成立したのだろう。
インターネット全般、ブログ、ツイッター、フェイスブック、そして来るべき何かにしても、形式やツールは人間を成長させない。革命、恋愛、時間潰し、軋轢、犯罪と、自らの器に見合った答えを用意するだけだ。日本のユーザーはどのようにフェイスブックと接しているのか興味がある。
俺も試してみようか……。写真入りに躊躇するし、プラスの宣伝文句が思い浮かばない。理想の異性という項目があったら、<万事最低の俺を許容するだけの包容力ある女性>と書くだろう。
ミクシィに毛が生えた程度と誤解していたが、フェイスブックは異次元のツールで、各自が数千人に向け情報や意見を発信できるようだ。旬というべき「ソーシャル・ネットワーク」(10年)を新宿で見た。
監督は「セブン」、「ファイト・クラブ」、「ベンジャミン・バトン~数奇な人生」で感銘を受けたデヴィッド・フィンチャーだ。本作ではハーバード大で2004年に産声を上げたフェイスブックの創設者、マーク・ザッカーバーグの素顔に迫っている。トレント・レズナーが担当したサントラも、本作の奥行きを深めていた。
共同創設者でありながら追放されたエドゥアルド、アイデアを盗まれたと憤慨するウィンクルボス兄弟、マークに接近して共同経営者になるショーン・パーカー……。マーク以外も本名のままで、同世代の俳優が演じている。フィクションというより、血が滴るフレッシュな真実と受け止めたのは俺だけではないだろう。
エドゥアルドが制作に協力したこともあり、マークは幼児性丸出しの天才オタクで、狡猾かつ冷淡な人間として描かれている。喧嘩を売られた格好だが、マークは静観する道を選んだ。「ファッション以外は全部デタラメ」が当人の本作に対する感想だ。
時系列を切り刻み、現在と過去をフラッシュバックして再構成しているが、演出と脚本の妙で違和感は全く覚えない。肉体が接触しない「ファイト・クラブ」というのが全体の印象だ。現在に設定されているのは示談交渉の席で、原告はエドゥアルドとウィンクルボス兄弟、被告はもちろんマークだ。回想の形で再現されるハーバードでの学生生活が興味深かった。
ウィンクルボス兄弟は富(父は大金持ち)、ルックス、明晰な頭脳を併せ持つボート部員だ。北京五輪では6位に入賞している。ナルシシズムと自信が漂う兄弟に、マークは本能的な反感を抱いていたはずだ。エドゥアルドは選ばれし者だけが集うクラブの入会を許され悦に入っていた。マークにとってエリート意識や権威は嘲笑の対象で、両者との間に亀裂が生じるのは時間の問題だったといえる。
フェイスブックは質量とも、創設者の意図を超えるモンスターに成長した。その理由は、マークがグローバルな普遍性を追求していたことだと思う。<大衆的なツール>だったからこそ5億人のユーザーを獲得し、レジスタンスの武器として成立したのだろう。
インターネット全般、ブログ、ツイッター、フェイスブック、そして来るべき何かにしても、形式やツールは人間を成長させない。革命、恋愛、時間潰し、軋轢、犯罪と、自らの器に見合った答えを用意するだけだ。日本のユーザーはどのようにフェイスブックと接しているのか興味がある。
俺も試してみようか……。写真入りに躊躇するし、プラスの宣伝文句が思い浮かばない。理想の異性という項目があったら、<万事最低の俺を許容するだけの包容力ある女性>と書くだろう。