酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

意志と野性とユーモア~MUSEのライブに芯から燃えて

2010-01-14 00:04:05 | 音楽
 冷たい雨に打たれながら、武道館に続く人波に連なった。MUSEの日本ツアー最終日である。スニーカーはぐっしょり水を含んで足元から凍えていた。

 整理番号が1ケタだったので、Aブロック後方右の特等席をキープする。俺のすぐ前で、学生っぽいカップルと打ち解けていたゴス姉さんは、「ロバート・スミス(キュアー)からマシューに浮気しちゃった」と話していた。彼女は俺と同じアラフィフに違いない。

 ロックが〝微分係数〟を競うジャンルである以上、煌きはいつしか褪せてセピア色のアルバムに納められる。平均年齢が31歳になったMUSEも、いずれ浮気される側に回るだろう。

 かく言う俺だが、かなりの浮気性だ。世間に先んじてMUSEを〝現役随一のライブバンド〟に認定したのは2度目の日本ツアー(01年秋)だが、〝刹那的切なさ〟が失せたらすぐにオサラバする……。そんな覚悟も、演奏が始まるや吹っ飛ばされた。

 冷え切った体は、あちこちでマッチをすられたように熱くなり、心はたちまちショートする。“HAARP”で<調和と美学>を究めたMUSEは志向を改め、骨太で荒々しい3ピースとしてステージに立っていた。異次元の天才マシューを支えるクリス(ベース)、ドム(ドラム)のリズム隊も、存在感をさらに増している。

 ラディカルさを窺わせた4th「ブラックホール&レヴァレイションズ」、ジョージ・オーウェルの「1984」をモチーフにした新作「レジスタンス」と、MUSEは2作続けてメッセージ性を前面に出した。<音と歌詞の一致>を図ったというべきか、計算ずくの不協和音、歪み、軋み、フィジカルな躍動が、ロック本来の硬質な弾力性を浮き立たせていた。

 音を加工することで<ロック以外>に消え、<ロック以下>に墜ちるバンドも少なくない。MUSEもその危険性を孕んでいたが、杞憂に終わった。マシューはストリートに溢れる叫びや怒りに繋がる音を奏でるために、あえてキーボードを封印したのではないか。マシューがピアノを弾かない“New Born”は初めてだったし、“United States Of Eurasia”ではショパンのパートをカットしていた。

 マシューがアジテーターのように拳を突き上げると、聴衆も呼応する。ストレートなプロテストソング“Knights Of Cydonia”を会場全体で歌っているのだから、言葉の壁はないはずだが、メッセージはどの程度伝わっているのだろう。MUSEが好きなら「1984」ぐらいは読んで、管理社会(日本もそう)について考えてほしいと思うのだが(ジジイの独り言)……。

 マシューは9年前、好きな女の子の気を引こうと必死にもがくナルシスティックで自己顕示欲が強い少年みたいだった。「そこまでやらなくてもいいよ」と声をかけたくなるほど痛かったが、あの時の姿勢を継続したことが、現在の評価に繋がっている。笑いを取るのはドムの役割で、アンコールでは着ぐるみ姿で登場した。ロックバンドの真骨頂というべきサービス精神を発揮するMUSEだが、残念なことに日本のファンが最も好きな曲に気付いていないようだ。

 終演後、出口に向かうまで、「やらなかったねj「大阪だけか」と“Bliss”についての会話が幾つか耳に入ってきた。マシューは10代の頃、スペインを放浪し、ロマの下でギターを修業したという〝伝説〟がある。その影響なのか、初期のMUSEには“Bliss”を筆頭に、日本人の情感を刺激するマイナーな曲調が多かった。次回(サマソニ?)ではセットリストに入るだろうか。

 武道館を出ると、雨は上がっていた。漆黒の空高く、鈍色の虹が懸かっていたはずだ。そのはるか彼方、芸術を司る女神(MUSE)たちが骨休めをしている。
コメント (2)
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