酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

思いの質量は不変?~「にごりえ」に感じたこと

2008-07-31 01:14:13 | 映画、ドラマ
 '08ベストバウトが決定した。WBAウエルター級タイトルマッチでマルガリートが無敗王者コットを11回TKOでストップする。香川照之は「10回か11回」と番狂わせを正確に見抜いていた。さすが名優と思わせる眼力である。

 さて、本題。俺も「とかく日本人は……」なんて一括りで論じたりするが、「無境界の人」(森巣博著)に自分の浅さを教えられた。自らを<非日本人>と定義する森巣氏は、凡百の日本人論を<差別と排除という道具を使用して行う集団的自慰行為>とこき下ろしていた。

 前置きと反するが、今回は「にごりえ」(今井正)をテーマにした日本人論だ。同作とは先日、30年ぶりにテレビで再会した。樋口一葉の「十三夜」、「大つごもり」、「にごりえ」をベースにした3話オムニバスで、明治中期の庶民の心情を描いている。

 「十三夜」は抒情に満ちた掌編だった。官吏の元に嫁いだおせき(丹阿弥谷津子)は、十三夜の月明かりの下、幼なじみの録之助(芥川也寸志)とほろ苦い再会を果たす。冷酷な夫に悩むおせき、おせきの結婚で心が荒み零落した録之助……。封建制が色濃い時代、秘めた思いが繋がることはなかった。

 ある商家の大みそかを描いたのが「大つごもり」だ。奉公人みね(久我美子)は叔父の苦境を救うため、ケチなご新造に借金を頼んだが、反故にされた。追い詰められたみねの行為は責められないが、結末に胸をなで下ろした。原作は覚えていないが、映画では放蕩息子の石之助(中谷昇)が機転を利かせてみねを助け、ついでに継母をギャフンといわせたと深読みできる。

 「にごりえ」のテーマは遊郭を舞台にした三角関係だ。自由恋愛が困難だった時代、遊郭は現在の風俗より遥かに大きい意味を持っていた。遊女が苦界から脱出するためには客の愛を得るしかない。売れっ子のお力(淡島千景)は朝之助(山村聡)と夫婦になることを夢見る。

 かつてお力の上客だった源七は、思いが募って身代を持ち崩し、妻子にも疎んじられている。客と遊女の情死は究極の愛の表現だったが、恋愛の原則は今も昔も<金の切れ目が縁の切れ目>だ。ルールに忠実だったお力と元祖ストーカーの源七は、現在の日本に置換可能な悲しい結末を迎える。

 原作発表は1895年前後、映画公開は1953年、そして現在は2008年……。若い世代はこの作品にいかなる感想を抱くだろうか。

 小説なら「李歐」、「萬蔵の場合」、「容疑者Xの献身」、映画なら「いつか読書する日」、「嫌われ松子の一生」……。ここ数年、琴線に触れた日本の作品を挙げてみた。共通するのは狂おしく秘めやかな愛である。心身ともに涸れた俺だが、無意識のうちに<愛の泉>を求めているのだろう。
 
 <形式は内容に先行する>という20世紀のテーゼ通り、伝達ツールの進化とともに、恋愛も装いを新たにしてきた。だが、<思い>の質量は不変のはずだ。いや、そう信じたい。



コメント (2)
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