前回のテーマは将棋だった。羽生新名人の勢いは止まらず、佐藤から棋聖を奪い4冠目を獲得する。棋神復活といったところか。
昨日(19日)はサラリーマン時代の後輩に誘われ、大銀座落語祭に足を運んだ。詳細は次回に記すことにする。
落語に登場しても不思議はないユニークな人間といえば、今日20日が誕生日の亡き父だ。ハイテンションの”歩く火薬庫”で、上司や関連官庁にも遠慮なく爆発する。父からの電話に居留守を使う者が続出したという。
12年前の父の葬儀で、公務員時代の驚くべき逸話を聞かされた。上層部の勘気に触れ、父は閑職に追いやられた。「相棒」でいえば特命係といったところか。無聊の父は工具を手に中庭に現れると、同僚の求めに応じてベビーベッドや本棚を作り始めた。間もなく元の部署に戻された父は、奇人としての雷名を古都に轟かせることになった(少しオーバーかな)。
父の志向がアンビバレンツに引き裂かれていることを、子供の頃から感じていた。教育者、官僚、法曹界に敬意を抱いていた父だが、その資質は明らかに自由人、アウトローだった。結婚前に多額の借金を背負うなど問題行動に事欠かぬ父は、俺にとって最高の反面教師でもあった。
碁敵の叔父たちによると、父の打ち筋は無手勝流だったらしい。将棋でも定跡無視でひたすら攻め、切れたら「もう一局」と駒を並べていた。人生でもゲームでも、父は型にはまることを本能で拒否していた。
<自分を超えた金や地位を手にするな>が、父の事実上の遺言だった。地価高騰からバブル崩壊に至る狂騒の数年間、司法書士として人々の浮き沈みを目の当たりにした父の言葉ゆえ、大いなる説得力があった。
母も父に劣らぬ強烈な個性の持ち主で、夫婦喧嘩はヘビー級タイトルマッチ並みの迫力だった。母に「悪妻」などと毒づいた父だが、外ではノロけていたというから不思議なものだ。母に安らかな老後をもたらすなど家族のために粉骨砕身し、休む暇なく召されたのが父の一生だった。
感情移入が激しい父は、恩情や友誼が等身大で返ってくることを求めていた。「義と情で動く人間なんていない。他人に怒ったってしょうがないよ」……。生前の父にこう直言したかったが、俺が<真理>に気付いたのは最近のことである。生命力、勘、社交性とあらゆる点で父に及ばぬ俺だが、<達観>だけは先んじることができた。
俺は不肖のボンクラ息子で期待を裏切り続けたが、父には目を掛けた”もう一人の息子”がいた。即ち俺の従兄弟である。彼の晴れ姿(参院選当選)をあの世で祝福したに違いない。
土用入りの頃に生まれたせいか、父はウナギが好物だった。馬券が的中したら、ウナギでも食おうかな。中国産だって構わないから。ちなみに父は若い頃、競馬会に気前良く寄付したらしい。博才のなさは、そのまま俺が受け継いでいる。
<追記>当稿を読んだ母から、誤解を招き兼ねない点の指摘あり。夫婦喧嘩は言葉のボクシングで、叩く殴るは一切なかった。父が卓袱台を蹴って足の指を骨折し、泣き顔で蹲ったシーンは鮮明に覚えている。
昨日(19日)はサラリーマン時代の後輩に誘われ、大銀座落語祭に足を運んだ。詳細は次回に記すことにする。
落語に登場しても不思議はないユニークな人間といえば、今日20日が誕生日の亡き父だ。ハイテンションの”歩く火薬庫”で、上司や関連官庁にも遠慮なく爆発する。父からの電話に居留守を使う者が続出したという。
12年前の父の葬儀で、公務員時代の驚くべき逸話を聞かされた。上層部の勘気に触れ、父は閑職に追いやられた。「相棒」でいえば特命係といったところか。無聊の父は工具を手に中庭に現れると、同僚の求めに応じてベビーベッドや本棚を作り始めた。間もなく元の部署に戻された父は、奇人としての雷名を古都に轟かせることになった(少しオーバーかな)。
父の志向がアンビバレンツに引き裂かれていることを、子供の頃から感じていた。教育者、官僚、法曹界に敬意を抱いていた父だが、その資質は明らかに自由人、アウトローだった。結婚前に多額の借金を背負うなど問題行動に事欠かぬ父は、俺にとって最高の反面教師でもあった。
碁敵の叔父たちによると、父の打ち筋は無手勝流だったらしい。将棋でも定跡無視でひたすら攻め、切れたら「もう一局」と駒を並べていた。人生でもゲームでも、父は型にはまることを本能で拒否していた。
<自分を超えた金や地位を手にするな>が、父の事実上の遺言だった。地価高騰からバブル崩壊に至る狂騒の数年間、司法書士として人々の浮き沈みを目の当たりにした父の言葉ゆえ、大いなる説得力があった。
母も父に劣らぬ強烈な個性の持ち主で、夫婦喧嘩はヘビー級タイトルマッチ並みの迫力だった。母に「悪妻」などと毒づいた父だが、外ではノロけていたというから不思議なものだ。母に安らかな老後をもたらすなど家族のために粉骨砕身し、休む暇なく召されたのが父の一生だった。
感情移入が激しい父は、恩情や友誼が等身大で返ってくることを求めていた。「義と情で動く人間なんていない。他人に怒ったってしょうがないよ」……。生前の父にこう直言したかったが、俺が<真理>に気付いたのは最近のことである。生命力、勘、社交性とあらゆる点で父に及ばぬ俺だが、<達観>だけは先んじることができた。
俺は不肖のボンクラ息子で期待を裏切り続けたが、父には目を掛けた”もう一人の息子”がいた。即ち俺の従兄弟である。彼の晴れ姿(参院選当選)をあの世で祝福したに違いない。
土用入りの頃に生まれたせいか、父はウナギが好物だった。馬券が的中したら、ウナギでも食おうかな。中国産だって構わないから。ちなみに父は若い頃、競馬会に気前良く寄付したらしい。博才のなさは、そのまま俺が受け継いでいる。
<追記>当稿を読んだ母から、誤解を招き兼ねない点の指摘あり。夫婦喧嘩は言葉のボクシングで、叩く殴るは一切なかった。父が卓袱台を蹴って足の指を骨折し、泣き顔で蹲ったシーンは鮮明に覚えている。