酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ジャコメッリ、辺見庸、アンゲロプロス~雨の日曜日の過ごし方

2008-05-26 01:36:53 | カルチャー
 昨日(25日)、早く目が覚め番組欄を眺めていると、<写真家ジャコメッリの生と死~作家・辺見庸が語る>の文字が飛び込んできた。慌ててテレビをつけると、「新日曜美術館」(NHK教育)は始まったばかりだった。

 モノクロ写真の数々に辺見氏の針の言葉が重なり、眠気は瞬く間に吹っ飛んだ。辺見氏は<死生観>、<異界への畏怖>、<一瞬と永遠>をキーワードに、幻想的なジャコメッリの写真を読み解いていく。権力と資本から自由だったからこそ、ジャコメッリは衝迫力の訴求力を持ちえたと語り、真逆の構造に縛られたメディアの状況を憂えていた。

 <白、それは虚無 黒、それは傷痕だ>……。ジャコメッリの言葉を受け、辺見氏は「記憶の根っ子を映像化すれば単色で、モノクロームの世界は想像への入り口になる」と繋げていた。俺がモノクロ映画に惹かれる理由を言い当ててくれたようで嬉しくなった。

 仮象の世界――内宇宙、心に抱える修羅、地獄――を追求して創作したからこそ、リアリティーを超越できたというのが、辺見氏によるジャコメッリ論の肝だった。画面を通して見た一枚に疼きを覚えた。白(雪原?)を背景に20人近くが手を繋ぎ、あるいは蹲り、あるいは寝そべっている写真である。<このシーン>をどこかで見た気がするが思い出せず、もどかしさを覚えていた。

 飯を食い、PATでオークスの馬券を買い、結果にため息をついた後、デジャヴの実像が「旅芸人の記録」(75年、アンゲロプロス)と気付く。封切り時は岩波ホールで、3年後に文芸坐で見たが、ワンシーン・ワンカットのダイナミズムに体がスイングした記憶がある。

 本作を録画しておいたDVDをセットしたが。間もなく酔生夢死状態に陥る。アンゲロプロスが描く壮大な叙事詩は、映画館で見るべきなのだろう。自らも歴史の一員であるかのような感覚を味わえるからだ。

 電話で起こされた時、<このシーン>が画面に写っていた。巡業中の芸人一座が雪原でニワトリに気付き、追いかける場面である。多少構図が似ている程度だったのでガッカリした。こじつけになるかもしれないが、ジャコメッリとアンゲロプロスは世界観、志向性、他者との距離感で通じる何かがあると思う。

 それから2時間余、まどろみながら見続けた。日付が変わる頃、ブログ更新のためパソコンを立ち上げ、「池添騎乗停止」を知る。関東U局解説者、柏木集保氏(日刊競馬)は「トールポピーはGⅠ以外なら確実に降着だった」と、パトロールフィルムを見た上で見解を述べていた。

 競馬界最大の生産者(ノ-ザンファーム=社台)、大手法人クラブ(キャロットファーム)、有力厩舎(角居)に気を使い、騎手だけアウトということか。06年エリザベス女王杯(カワカミプリンセスの降着)と矛盾する今回の対応は、競馬の公正性に一石を投じた判定だと思う。

 ジャコメッリの写真に初めて触れ、辺見氏をテレビで見て、「旅芸人の記録」と再会する。その合間に競馬予想、POGドラフトへの準備、ブログ更新と、充実した雨の日曜日だった。



コメント (5)
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