閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

2010-09-29 11:39:59 | 日々
東京近郊の新興住宅地にしばらく住んでいたことがある。
マンションの6階で、ベランダから見下ろすと、
もうひとつマンションが建つくらいの四角い空き地があり、
秋にはセイタカアワダチソウの黄色い花でいっぱいになった。

その空き地に、いつのまにか、斜めの道が一本できた。
駅へ急ぐ通勤や通学の人たちが、近道として通るらしい。
最短の対角線が、人ひとりぶんの幅に踏みしめられ、踏み固められ、
しだいに草が生えなくなって、周囲との境界がくっきりしてくる。
道というものは、このようにしてできる、ということを知った。
それは30何年か前のこと。


山に住むようになって、あたりをよく気をつけて見ていると、
斜面ややぶの中などに、ときどき訳ありげな隙間がみつかる。
道のような、道でないような、しかし、あきらかに、通路。
いわゆる「けものみち」だ。

動物はだいたい一定のテリトリー内を移動しながら餌をさがす。
基本的には最短ルートで、少しでも通りやすいところを通る。
そのほうが余分なエネルギーを消費せず、危険も少ないからだ。
一度踏んだところは、さらに通りやすくなるので、また通る。
その結果、鉛筆で何度もなぞったような道が、あちこちにできる。

上の画像は、そのひとつの、入り口。
左に置いたのは、わたしの帽子。
比べてわかるように、とても小さな道で、幅は20センチほど。
上手に撮れていないけれど、向こうはゆるいカーブの下り坂で、
秘密のトンネルみたいにやぶの中に続いている。
ワンダーランドのアリスではないが、
わたしが身長30センチくらいだったら、
きっと歩いてみたくなるような道だ。

最初に見つけたのは、たしか夏に入る前だった。
その後も草に埋もれてしまう様子がないところをみると、
定期的に「上書きされて」いるのではないかと思う。
さて、誰の道だろうか。
どう見ても、鹿には狭すぎるし、頭がつかえて窮屈だ。
猪も、大人だとちょっと狭いかな。
それに、なんとなく、猪にしては小綺麗すぎる。
タヌキやアナグマなら通れる。
もちろん猫でも通れる。

のぞきこんでいると、背後で栗の実が落ちる音がする。
「ぽさっ」というのは空っぽのイガだけ。
「ぼてっ」というのはつやつやした実が詰まっていて、
はじけ飛んだ実が草むらにころがっていく。

栗の木は何本かあるが、ここのは特に実が大きく、ころんと丸い。
身長30センチだとしたら、ひとりで持てるのは
ひとつか、ふたつがいいところ。
急いで戻って、手押し車をとってこなくては。
30センチのわたしの住むおうちは、この道の先にあるらしい。

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パピルス

2010-09-27 21:25:55 | 日々
今夏は蓮の花が咲かなかった。
(それとも、わたしが見に行かなかっただけで、
ひとつくらいは咲いてたのかな?)
かわりに、パピルスが元気。

パピルスなんとか(…忘れました)という水辺の植物で、
園芸コーナーで売れ残っていたのを見かけ、
姿かたちが涼しげでいいなと思って、1鉢買ってきた。
これがとんでもなくたくましい植物で、
ここの環境が気に入ったのか、どんどんふえる。

パピルスの茎はきれいな三角形の断面をしている。
繊維質だけれど見かけより脆いようで、
花火のような大きな頭を支えきれない。
頭が倒れると、そこから素早く新芽を出し根をおろし、
地面だろうと水面だろうとかまわず領土を拡大していく。
実をむすぶ手間もかけず、ものすごく効率が良い。

うーん、庭に植えてはまずいものだったかしらね。
各地で問題になっているウォーターレタスの例もあることだし、
外来の水生園芸植物というのは、要注意かも。
しばらく様子をみて、あんまりあつかましいようだったら、
ごっそり刈り取ってパピルス紙にでもしてしまおう。



朝、ふと外を見ると、道のわきの崖のほぼ垂直な岩の面に、
何やら黒い細長いモノがはりついている。
何だろうと思ったら、真鈴がしがみついているのだった。
近くへ行って、真鈴の視線の先を見ると、岩の上の草むらに
すももがふくれっつらでうずくまっているのを発見。
追いかけっこの勢いで駆けのぼり、双方身動きとれず、
にらみ合いのまま固まっていた模様。
「こーら真鈴っ!」と言うと、「だぁってえぇ…」と
言い訳しながらごそごそ下りてくる。
すももは、下りてこない。
ひとりで下りてらっしゃい。
ばあやは、そんなとこまでお迎えに行けませんから。



大分から、今年もカボスを箱いっぱいいただいた。
小包で届いたのがちょうど夕食どきで、それも
サンマの塩焼きを食べ終えたところだったので、
ふたりして思わず「あ~、15分遅~い~!」と、
バチアタリなことを言ってしまう。
あさりの炊き込みご飯に絞ってかけたら美味しかった。
よーし、またサンマ買ってきましょう。



頭痛がするので薬をのんで(珍しく)早くに布団に入ったら、
猫どもが喜んで、すぐさま足の上に2匹、枕の横に1匹ひっつく。
この家の人口の過半数が布団1枚の面積に集中したことになる。
涼しくなったからだ。
猫の重さに、しみじみと秋を感じつつ、
朝までこんこんと眠った。


国勢調査の用紙を見て、「猫は書いちゃだめ?」とMが言う。
だめでしょうね。
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フィギュア

2010-09-24 13:50:27 | サンゴロウ&テール
サンゴロウさんです。
わぁお、かっこいい…!

読者のankさんが趣味で作られたフィギュアだそうで、
(えええ、手作り品なの? びっくり!)
メールで画像を送ってくださいました。
どうもありがとうございます。

関節が動くようになっていて、いろんなポーズができるんですね。
こちら↓色違いの魚釣りバージョン。(クリックで拡大します)



こういうの、お店で売っていて、いろんなキャラクターがそろっていたら、
みーんな欲しくなってしまいそう。

ankさん、「次はテールです」って。
たのしみです。



(追記:カテゴリーに「サンゴロウ」を追加しました)

キララの海へ (黒ねこサンゴロウ 2)
竹下文子/作 鈴木まもる/絵
偕成社

このアイテムの詳細を見る
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「せんろはつづく」大型絵本

2010-09-23 15:20:01 | お知らせ(新刊)

おやあ? 
茶々さんが、ちっちゃくなって絵本の中に…?

ではなくて、これは絵本のほうが大きいのですね。
『せんろはつづく』(金の星社 初版2003年)が大きくなって、
読み聞かせ用の大型絵本として発売されました。

縦が約50センチ、ひらくと幅が1メートル!
おとなでも、重くてたいへん。
原本をそのまま拡大しただけなんですが、迫力ありますよ。
普通の絵本と製本が違い、このように見開きがフラットになります。
ひろげて見ていると、ほんとに線路の上を歩けそうな感じ…
だよね、お茶々?
(あ、良い子は真似しないでください)


広い場所で、おおぜいに読み聞かせるのが目的なら、
「紙芝居」にすればいいんじゃないの?…と思っていたのですが、
このところ紙芝居のおしごともいくつかさせていただいて、
絵本との違いが、すこーし、わかってきたところ。
つまり、絵本は「本」で、紙芝居は「芝居」なのね。

…って、あたりまえのことみたいですが、
紙がつながって綴じてあるか、ばらばらのを重ねてあるか、
些細な違いのようだけれど、じつはずいぶん違う、ということ。

紙芝居の場合、文章は全部「裏」に書いてあります。
演じ手は「舞台裏」にいて、ちょうど人形使いのように
登場人物にせりふをしゃべらせ、演出をする。
つまり、人形と書割の一体化したものが何枚も重ねてある
…と考えればわかりやすいのかな。
そこには、楽しませる役者と、楽しむ観客、という関係がうまれ、
両者の間の緊張感や臨場感が、絵とストーリーにプラスされて、
はじめて紙芝居の世界は完成する。
(だから、紙芝居は、演じる人が作るのが本来の姿ではないか、
とわたしは思っています)

一方、絵本の場合、世界はすでに本の中で完成されていて、
読み手も聞き手も、一緒にそれをのぞきこむ、という形で進行します。
いわば、全員がお客。同じ側で共有したり、共感したりできる。

そして、もうひとつ、絵本の特徴は、手にとれる、ということ。
読んでもらったあとで、もう一度、黙ってひとりで眺めたり、
順番にめくったり、ランダムに、あるいは逆行してめくったり、
好きな場面だけいつまでもぼーっと見ていたり。
そうしながら、子どもは、頭の中でストーリーを反復したり、
自分流に理解しなおしたり、想像をひろげたり、しているでしょう。
それは「綴じてあって、手にとれる絵本」だからこそ可能なことです。


というのは、わたしの個人的な印象にすぎないので、
そうでない面もあるかもしれないし、
作品によっても読む人によっても違うのかもしれませんが。

テレビというのは、なんでしょう。
やっぱり紙芝居の延長線上にあるものかしら。
ここでは、送り手と、受け手は、はるか遠く隔てられていて、
まじわることがありません。
3Dになったからって、それが手にとれるわけでもないし。
だから、将来、紙の絵本がなくなって、子どもの見るものは
映像ばかりになるかっていうと、そういうことはないと思う。
ないと、いいけど。

せんろはつづく
(読みきかせ大型絵本)

サイズ51 x 48.6 x 3 cm

竹下文子・文
鈴木 まもる・絵

金の星社
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せんろセット

2010-09-21 15:38:16 | お知らせ(いろいろ)
『せんろはつづく』と『せんろはつづく まだつづく』(金の星社)
2冊入りギフトセット、というのができました。

書店ではパックされていて中を見ることができませんので、
ちらっとご紹介を。
こういう緑色の紙ケースに入っています。
オリジナルハンドタオルのおまけつきです。
(わぁい、おまけつき絵本って初めてだ~)
お誕生日やクリスマスプレゼントに…いかがでしょうか?




上とは関係ない話ですが、
最近、子どもの本に関することで、
「食いつきが良い・悪い」という表現をよく見かけます。
感じはとってもわかるんだけど、その言い方はなんとかならないかな。
魚の餌じゃないんだから…(笑

小さい子どもの毎日は、線路をしきながら走る汽車みたいなもの。
次から次に新しい体験があって、世界はどんどんひろがっていく。
だから、たまたまそのときの気分にパッと合う本もあるし、
ずうっとあとになって響いてくる本もある。
走りながらでも読める本もあるけれど、駅に停まってから
静かに向き合いたい本もあるでしょう。

おとなは、「すぐ効く」「簡単に効く」「誰にでも効く」ものを
ついつい求めがち、あるいは高く評価しがちですが、
ほんとうに必要なものって、その逆、ではないかしら。

すぐには効かない(けど、忘れたころに役に立つことがある)
簡単には効かない(けど、じっくりしみこんで持続する)
誰にでも効かない(けど、その子には何よりも大切!)

最短距離を急ぐ人の目にはとまらないもの…
「まわり道」や「行き止まり」でこそ見つけられるもの…
そういうのも、たくさん、あるんじゃないかなあ、と思います。

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Farewell Summer

2010-09-20 10:05:11 | 日々
今年は2階の軒にアシナガバチの巣がある。

昨年は、ベランダの真下の1階の軒に巣を作った。
人がベランダに出ると、足音だか振動だかが気に障るらしく、
数匹が「ぶうぅん」とスクランブル発進で偵察に来る。
それでちょっぴり危険を感じ、悪いけれど撤去させてもらった。

蜂のほうも学習したのかどうか、今回は、頭の上に。
ベランダにはよく出て布団を干したりするので、
どうだろうかと思い、しばらく気をつけていた。

窓のすぐ上に張り出したひさしがあり、ハチの巣は、
さらにその上の、屋根が三角に合わさったてっぺんにある。
この距離なら心配なさそうなので、ほうっておくことに決めた。

アシナガバチは、もちろん刺す針を持ったハチではあるけれど、
こちらがマナーを守っていれば、むやみに襲ってきたりはしない。
後ろ足の長い姿はエレガントで、飛び方もゆっくりだし、
和紙でこしらえたような巣は精巧で美しい。

ときどき、ベランダから首をのばして見上げる。
場所がよかったのか、その他の条件がよかったのか、
今まで見たことがないほど大きく立派な巣になっている。
がんばってるね。
よしよし。



畑に残ったゴーヤの最後の2つを収穫。
オクラもだけれど、こんなにゴーヤを食べた夏は初めて。

なにしろ、昨年まで、ゴーヤもニガウリもツルレイシも
区別がつかなかった(別の植物かと思っていた!)ので。
食べたことがないと、レシピを見てもイメージがわかず、
他所からいただくことがあっても、苦くて持て余していた。

今年は、いろいろ調べて、
苦くない(本格的でない?)食べ方がやっとわかり、
小口切りした断面の形が可愛いと思うようになり、
ちょっと苦味の残るくらいが美味しいと思うようになり、
積極的に畑に様子を見に行くように…なったところで、
夏が終わってしまった。
緑の葉はまだ元気に茂っているけれど、もう実はつかない。
こうなると、なんだか寂しいくらい…(笑



ブラッドベリの『さよなら僕の夏』を読む。
『たんぽぽのお酒』をバイブルのように読んでいたわたしには、
(たぶん17歳くらいのとき。この本には目次がなく、
自分で書いた目次が扉の裏に貼りつけてある)
55年後に書かれた続編ということで、期待もあり、
期待を裏切られる不安もあり、結局、発売から3年たって
ようやく手に取ったのだけれど、目が文字を追うだけで、
いっこうに頭にしみこんでこない。
なにか見えない壁に阻まれているようでもどかしい。
「どうして」と「やっぱり」が半々。
出会うべきときに出会うべき本に出会えたことの幸せ。
もう手の届かない、永遠の瓶詰の、夏。



前回の写真、「中ほどの音」の葡萄は、
はるばる甲斐国からの到来物。
いつもありがとうございます!
(先日、地図をじっくり見て、「お隣の県だ」ということを
ようやく認識した超方向音痴の閑猫…)
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光る音と、言葉

2010-09-18 12:00:29 | 木苺通信

中ほどの音には、つややかにみのった果物を隠しておく。
宝石のようなざくろや、濃い紫のぶどうの粒。

 「秋のソナタ」(「木苺通信」より)

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「ねこやのみいちゃん」

2010-09-17 08:56:01 | お知らせ(新刊)
絵本の新刊です。
『ねこやのみいちゃん』(アリス館 2010年9月)
絵は『ひらけ!なんきんまめ』でおなじみの田中六大さん。

ふつう、新刊本には、宣伝文をのせた帯がつきます。
帯は、本の下のほうにくるりと巻かれるのが一般的ですが、
今回は絵柄のじゃまをしないよう、左端に、縦に巻いてあり、
しかもキャッチコピーが主人公のせりふになっている、
という面白いデザイン。
(なので、帯をつけたままの画像をUPしてみました)

この子が、みいちゃん。
手押し車に猫のせて、猫の国からやってきます。
「ねこ いらんかい かわいい こねこ」ってね。
飼えば幸せやってくる。
おあとは、見てのおたのしみ。

六大さんは漫画家でもあり、漫画に描かれた町を見たわたしが、
「この町の中で遊んでみたい!」と突発的に思いついて、
まだ出版社のあてもないのに絵をお願いしてしまった
…というところから、この絵本ができました。

一部コマ割り画面とか吹き出しのせりふもあるのですが、
そのコマの枠の模様が場面ごとに違うものだったり、
すれちがう人が「ん? どこかで会ったような…」だったり、
背景のお店にふらっと入ってお買い物してみたくなったり、
(今回、閑猫堂は何屋さんになってるでしょう?)
お嬢さんがピアノで弾いているのは何の曲か、とか、
ほんとにたっぷり「遊べる」のがうれしいなあ。

制作中に、六大さんのおうちに2匹の猫がやってきて、
そのまま住み着いてしまったそうです。
不思議な偶然。
きっと、その子たちも、みいちゃんが猫の国から
届けてくれたに違いありません。

猫が幸せなら、人も幸せ。
それがテーマ。

(例によってテーマソングもひそかに制作中…)

ねこやのみいちゃん
竹下文子・作 田中六大・絵
アリス館
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季節はこんなふうに移っていく

2010-09-16 09:29:41 | 木苺通信

夏なんか知らないような顔をして歩いていく僕は、
次の夏が来ることだって信じていない。

 「風工場」(「青い羊の丘」より)

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まぐなむ

2010-09-14 14:34:33 | 日々
な、なんですか、この物騒な画像は!?

…と心配顔なのはフランスから来た豆猫さん。
(ちっちゃいけど、クリックしたら見えますかしら?)

マグナムですよぉ、44マグナム。
ほら、そこに書いてあるでしょ。
本物。
本物の…かんしゃく玉ピストルってやつ。

お山の栗がそろそろ色づきはじめたので。
栗拾いに行くときは、これをポケットにしのばせてって、
猪に出くわしたら、ぱあん!と一発
やってやろうかな、って。
Do I feel lucky?


(「鳥獣撃退用にも使えます」というオモチャ。
出るのは音だけですので、ご心配なく。
だけど、キャラハン刑事のは「S&W」じゃなかった?
しかもこれ、サイレンサーつきなのに音が出る…笑)
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