閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

2011年のおしごと

2011-12-31 17:16:54 | 日々

○出版したもの

絵本
『ベンチがひとつ』(鈴木まもる/絵 講談社 1985年の新装版)
『みんなで!いえをたてる』(鈴木まもる/絵 偕成社)

童話
『青い羊の丘』(あづみ冬留/絵 角川書店)

紙芝居
『こねこのハンカチ』(たごもりのりこ/絵 童心社)

○これからの予定

2月に翻訳絵本が出ます。90ページ近くある力作!です。

創作では、すでに絵をお願いしてある絵本が2冊、童話が1冊。
それぞれ、違ったテイストで、とってもたのしみです。

未定のものは、少しずつでも前進できるといいな、と思っています。

 

上の画像は「ほたてあかり」。
きれいでしょう。
被災した南三陸町のほたての貝殻と、
滋賀県の大学生たちが集めた和ろうそくで作られました。
1つ1つに、作った人のメッセージが入っています。

詳しいことは → こちら とか こちら をごらんください。

ご購入は → 田の浦ファンクラブ応援ショップ

どうか多くの方にご賛同いただけますように。

偶然ですが、わたしも震災のすぐあとに、このような写真を・・。
れんちゃんたち、同じこと考えたんだなあと、
びっくりしたり、嬉しかったり、でした。

 

今年は大きな災害が起こり、心痛むニュースが多く、
わたし自身もあまり好調とはいえない1年でしたが、
閑猫堂は、ぼちぼちと、ほそぼそと、ほどほどに、
引き続き「あまり役にたたないこと」をつづっていきましょう。
みなさま、どうぞよいお年を。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おせちNG集

2011-12-31 14:09:25 | 日々

年末年始におせちの話は何度か書いていますので、
本日は過去のNG特集を。
以下、思い出すまま、順不同で。
(「焦げた」というのは、多すぎるから省略です)

こんにゃくに早く味がしみるようにと、表裏に切れ目をいれたら、
ちょっと深すぎ、鍋の中でばらばらに分解した。

同じくこんにゃくに切れ目をいれたが、
ていねいにしすぎてキャタピラーのようになり、不評。

田作りが鍋にがっちりくっついて固まり、はがれなくなった。

短冊切りのこんにゃくの中央に切り込みをいれ、
くるりと片端くぐらせる「手綱こんにゃく」。
あれが好きで、せっせとたくさん作ったのだが、
煮たらなぜか1つ残らずリセットされてしまった。
(「食べるときに各自で結んでください」)

紅白なますの大根を切るとき、何か勘違いして、
「お味噌汁に入れるように」切ってしまった。
ということに最後に気づいて、ぜーんぶやり直しに。

わたしが中学生くらいのとき。
なぜかその年に限って、きんとんを白いんげんで作ることになり、
裏ごしが予想以上に大変で、あやうく年を越しそうに。
一度も作ったことのないものをおせちに作るのは危険だと思う。

結婚してすぐの頃、はりきって昆布巻きに挑戦。
かんぴょうの帯が、なぜか途中でほどけて収拾つかなくなる。
巻いてない昆布は、当然ながら、昆布巻きには程遠かった。
(この当時は、実家でやっていないことをやってみよう!という
チャレンジ精神が旺盛だったので、そのぶん失敗も多くありました)

かなり小さい頃。
年末に、おつかいで、予約してあった「鯛の塩焼き」を
近所の店まで取りに行かされ、帰り道、経木にのった鯛が
するっとすべって落ち・・急いで拾って、何食わぬ顔で帰った。
ばれなかった、と思っていたけど、そんなはずはないですね、
いま考えれば。

お煮しめの鶏肉を買いそこない、野菜だけの精進料理に。
(たしかに買ったし、レシートにも打ってあったので、
大混雑のサッカー台で迷子になったんだと思う)

前日に豆を水に浸けるのを忘れないようにしなきゃと、
前々日までしっかり覚えていたが、前日にころっと忘れ、
黒豆なしのお正月。
(これがたぶん本年しめくくりのNG・・だといいけど)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

干し柿の謎

2011-12-30 23:02:21 | 

「干し柿とくるみのプディング」を作りました。

このごろオーブン仕事はめったにしなくなったので、
(ほとんどレンジの「あたため」機能しか使っていない気が・・)
たまにやろうとすると、うろうろもたもたと手順が悪く、
ずいぶん余計な時間がかかってしまいます。

でも、年末にお正月用のケーキを焼くというのは、
なんとか絶滅を免れて残っている貴重な「マイ伝統行事」なので、
多少おっくうでも、そして、たとえ買ったほうが美味しかったとしても、
がんばって作ることに意義がある!
冬のいちばん寒いときに甘くて高カロリーのお菓子を食べるのは
たいそう理にかなったことでもあるし(言い訳・・笑)。

さて、この謎のお菓子については、
以前にも書いたことがあるのですが(→ここです
50年以上前のお菓子の本にのっていたレシピ。
これを紹介しているのはマーガレット・ガントレットさんという方で、
じつは、それも謎のひとつだったのです。

名前をみるとイギリスかアメリカの方かな、と思うのですが、
干し柿って、どう考えても日本(中国、韓国)のものですよね。
なぜわざわざ干し柿を?

・・と、半世紀にわたって(笑)不思議に思っていたところ、
しばらく前に、知人から中東のデーツ(ナツメヤシの実)をいただき、
食べ方をいろいろ調べているうちに、
「デーツとくるみのプディング」
というものに行き当たり、そこで、はたと気がついた。

もしかして、干し柿は、デーツの代用だったのではないかしら?
どちらも甘くて、レーズンのような酸味はなく、食感もかなり近い感じ。
うん、これは「デーツとくるみ」の日本版に違いない。

ナツメヤシはエジプトや中東など暑い国の植物ですが、
イギリスにはかなり昔から輸入されていたものらしく、
デーツを使ったポピュラーなお菓子がいくつもあるようです。
(伝統的なクリスマスプディングにもたいてい入っているとか)

明治以降、宣教師や語学教師、外交官や技術者として
多くの欧米人が来日し、その奥さんたちが教えて、
日本の家庭に西洋料理が急速に広まった・・と聞いたことがあります。
異文化コミュニケーションに欠かせないのが「一緒に食べる」こと。
それがお菓子つくりなら、いっそう場が和むこと間違いなし。
事務レベルならぬ奥さんレベルのお料理外交、ですね。

でも、オーブンの普及の遅かった日本で、
欧米のお菓子を再現するのはなかなか大変だったでしょう。
クリームやカテージチーズなど、今ではどこでも売っている材料も、
都市部ならともかく、ちょっと田舎に行けば手に入らなかったり・・
レーズンは普通にあったと思うけど、デーツは難しかったかも。
そこで、代用として、干し柿。
イタリアの日本人がバーミセリを「素麺のつもりで」食すように、
イギリス人は干し柿を「デーツのつもりで」味わったのでしょう。
「材料として」使うところが、やはり外国の人ならではの発想です。


このお菓子の本には、焼き菓子を「天火なしで」作る工夫も
あちこちにみられます。
厚手の鉄のすき焼き鍋で焼くケーキ。
フライパンやせんべい焼き器で焼くクッキー。
あるいは、ラム酒がないとき何を使えばいいか、とか、
焦げたスポンジケーキ、ふくらまないシュー皮の救済法とか。
そして、ウェディングケーキもあれば「ふかし芋」もあるという、
驚異的なというか、むちゃくちゃな幅の広さにも、
都市と地方の格差の大きかった時代が感じとれます。

本の冒頭の「ご指導いたゞいた方々」の中に、
マーガレットさんは「オーエン・ガントレット氏令嬢」、
今田美奈子さんは「今田潔氏令夫人」というふうに列記されており、
それが女性の「肩書」であった時代・・
そうか、1958年の日本って、まだそんなだったんだなあ。

(「家庭で作れるケーキ300種」主婦の友社 昭和33年初版)

<追記>

上記の記事を書いてだいぶたってから、教えて下さる方があり、
マーガレットさんのことがわかりました。
お祖父さんのエドワード・ガントレット氏はウェールズ出身で、
宣教師として来日したのち英語教師となり、日本に帰化しました。
お祖母さんは恒さんといって、作曲家山田耕筰の姉にあたる人。
お父さんのオーエン氏は、英語教師で、フルート奏者。
お母さんは日本人。
なので、マーガレットさんにとっては、干柿は慣れ親しんだ
生まれ故郷の味、だったのですね。

この本が出版された翌年、マーガレットさんは、
英国のカレッジ進学を目前にして、19歳の若さで亡くなりました。
お写真を見ましたが、はにかんだ笑顔の可愛らしいお嬢さんでした。

 

<干し柿とくるみのプディング>

一見フルーツケーキ、食べるとねっとりしたお菓子。
ホイップクリームをかけて、と書いてありますが、
うちではもう、このままで。
(愛想のない写真でスミマセン。どうも料理写真は苦手なのだ・・)


さて、続けてもうひとつケーキを焼いておこう。
こちらは呼夜のお持ち帰り用にバターたっぷりフルーツパウンド。
大晦日の夜、お店を閉めてから電車に乗ってきて、
2日の初売りに間に合うように戻るって・・
なんともせわしないことですが、まあ商売繁盛が何より。
ガンバレ店長。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よこどり

2011-12-28 08:17:56 | 日々

冷たい風がびゅうびゅうと吹いている夕方。
釣り糸を垂れてのんびり待ってはいられない。
枝にひっかかったところを、素早く横からいただきました。

 

 

本日の水玉。

栗の木の植物レンズ。

(どれがup済みか、だんだんわからなくなってきた・・)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こういうもの

2011-12-27 09:20:10 | 日々

先月リリースされた電子本(これ)ですが、
ようやく(!)自分で見ることができました。
なるほど。こういうものなのね。

上の画像は、「ちっこいほう」で見たところなので、1ページ(9行)ずつ。
「おっきいほう」だったら2ページ見開きで見られる、のかな、たぶん。
六大さんが、がんばってたくさん絵を描いてくださって、
(すみません、ものすごく手間かかったと思います・・)
ちょろちょろ動く動物とか、いかにもお姫様なお姫様とか、
いろいろこまかく楽しめます。

そして、これがうつっている「ちっこいキカイ」ですが、
巷で流行りのスマートホンとやらに似ているのだけれど、
どうやら「電話」ではないらしい。
・・ということしか、わたくしはワカリマセン。

最近の多くのキカイは、一般名称でなく商品名で呼ばれ、
それが「何であるか」という基本的なことが追いついてこない。
機械と呼ぶのか、器具なのか、道具なのかさえ判断がつかない。
(「うつる」という表現自体がすでに時代遅れかもしれない。
なんて言うんでしょう。「表示される」?)

電話をしている人、手紙を書いている人、本を読んでいる人、
映画を観賞している人、買い物をしている人、ゲームをしている人、
地図を見ている人、音楽を聴いている人が、
はた目には全員ほとんど区別がつかないという不思議さ。
そして、「それ」をピッとやるだけで物が買えたり、
電車にも乗れたりするという便利さ。

(これもできますよと言われ、やってみればできるけれど、
なぜできるのかは誰も知らない。そして、「それ」がないと
何もできないんじゃないかという危うさ)

わたしが小さかったとき、近所に公衆電話ボックスができた。
まず箱だけができて、ずいぶんたってから電話機がついた。
珍しがって、みんなで(4人くらい?)ぎゅうぎゅうに入って
遊んでいたら酸欠になりそうになった。
それは、子どもにしてみればかなり「コンパクトな」体験だったけれど、
いまや電話をかける人が箱に入る必要などなくなり、
電話のほうが人のポケットにおさまっている。

3歳のときにテレビが来て、小学1年のときにステレオが来た。
それらは部屋の一角を占めるどっしりとした「家具」で、
大掃除のときくらいしか動かせなかった。
ステレオにはデモンストレーション用のレコードがついていて、
女の人の声が「わたしはいま右のスピーカーから話しています」
などと言うのに合わせ、右に行ったり左に行ったりしながら、
スピーカーに耳をくっつけて飽きずに聴いたものだ。

電話とステレオとテレビが一緒にポケットに入れば便利だなんて、
そのころは誰も考えていなかったと思う。
わたしが初めて見た「ポータブル」音楽プレーヤーは
おとなが両手で抱えるほどの「小ささ」だったし、
おなじく携帯電話は、バッテリーを含め重さが2キロくらいあった・・。

・・なあんていう話を、いまの子どもたちは
「おばあさんは川へ洗濯に」という昔話のように聞くのだろう。
長生きはするもんですね。 (・・違?)

 

本日の水玉。

水仙の葉と葉のあいだに。
こういうの、水玉じゃなくて、何ていうんだろう。
植物レンズ? 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫の額

2011-12-26 09:13:19 | 日々

ねこの「ひたい」じゃなくて、「がく」と読んでください。

クリスマスにMサンタさんがくれました。
とっても小さい、コインくらいの、切手みたいな絵です。

 

 

12月の海はきらきらです。

 

 

海辺の某所のツタを見に行ったのですが、
ちょっと遅すぎ、ほとんど散ったあとでした。

 

 



この建物、来年もまだここにあるだろうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Merry Christmas!

2011-12-24 14:01:00 | 日々

ヒイラギ、サルトリイバラの実、松ぼっくり。
台はツルウメモドキ。
ヒイラギの葉はちくちくして、なかなか思うようにいきませんが、
かえって自然な動きが出て、いいかも。

このリースはずっと壁にかけておき、
翌年、新しいのを作るときに、古いのを燃やします。

みなさま、よいクリスマスをおすごしください。

 

クリスマスのかね

こがらし さむいみち ふたりで てをつなごう

ちいさな あしあとが つづくよ おかのうえ

いつも ゆめみてた おおきな きょうかいの

とうが みえるよ まだ とおいね

クリスマスの かねが なりひびく よる

だれもが おもいだす たいせつな ひとのこと


(メロディは →
こちら

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「はしれ おてつだいねこ」韓国版

2011-12-23 16:05:30 | お知らせ(海外版)

「わたしおてつだいねこ」に続いて、こちらもハングル版ができました。

一回り大きいソフトカバーです。
裏表紙のデザインがずいぶん違いますね。
そして、ハングルは横書きなので、とじ方が左右逆。

日本語は「右から左へ」読んでいくので、
ねこさんも左向きに走っていきますが・・

ハングルは「左から右へ」読むので、
絵の向きがちょっと合わなくなってしまいます。
これは外国語の本を日本で翻訳出版するときも同じです。

絵を左右反転して使う(逆版)という手もあるけれど、
それをやると人物がみんな左利きになってしまうとか、
いろいろ不都合も生じるので、難しいところ。

 

 

こんなふうに絵に文字が入っているところも、

ちゃんとハングルになっている。
この作業は韓国のほうでやってくれているのですが、
自然に、元の絵の雰囲気を壊さないようにしてあります。
とてもじょうず。

「はしれおてつだいねこ」は、もとは「小学2年生」に連載したものです。
短編連作や読み切りでなく、話の途中で「次号につづく」という形で
雑誌に連載したのは、これと、もうひとつ、しかありません。
今考えると、よくできたわねえ、という感じ。
どうやったんだろう?
全部書いてから3つに分けた、ような気がするけれど・・。

はしれおてつだいねこ
(おてつだいねこシリーズ2)
竹下文子/作 鈴木まもる/絵
金の星社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶴首南瓜・その後

2011-12-23 10:56:53 | 日々

10月に収穫した鶴首南瓜、そのまま室内に置いていたら、
すっかりオレンジ色になり、そろそろいいかな?と。

大きいでしょう。これで2.3キログラムありました。

で、切ってみると・・

 

ほらね。種は端に入っています。

さて、それで・・これをどうやって食べよう。
スープがおすすめ、と書いてあったので、そうしますか。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

峠のわが家の謎

2011-12-22 22:30:40 | 

珍しく夕方から買い物に出かけたので、帰りはすっかり暗くなった。
車が山道にさしかかると、道路の片側に、色つき電球が長く並んで
ぴかぴかとにぎやかに点滅している。
あ、こんなところにもイルミネーション。
きれいねえ。
と、通り過ぎながら、どこか頭の片隅で「違う違う」と声がする。
工事中の区間の注意を促す電球であった。

峠を上り、トンネルを抜け、連続カーブを降りてくると、
葉の落ちた木々の枝ごしに、ぽつんとわが家の灯が見える。
おかえり、と声が聞こえるようで、心なごむ、よい光景である。
つけっぱなしで出てきて、よかった。

・・というところで、ふと出てきたのが、本日のタイトル。

「峠のわが家」って、近ごろの学校では習わないかな?
でも、最近どこかの電話の「お待たせメロディ」で聴いたくらいだから、
聴けば「ああ、あれ」ってわかる人は多いでしょう。
アメリカの歌で、いろんな歌詞がついていますが、
いずれも、望郷の歌、ということになっています。

が、わたしは子どもの頃から、このタイトルに
何かひっかかるものを感じていました。
何がどう変なのか、それがずっとわからずにいたのですが、
峠を越えて、我が家の灯を見た途端に、あ、と思ったのです。

峠のてっぺんには、ふつう人は住まないんじゃないか。

峠や尾根というのは、境界としての意味が大きい。
たとえばそれが国境(くにざかい)だったら、その周辺は、
いわば緩衝地帯として、定住は避けるような気がする。
そして、地形的にみて、峠は農耕に適していない。
そこからどちらかに下った川沿いのやや平らな場所に
畑や家ができて、人が住む、というのが一般的でしょう。
峠にあるのは「山小屋」か「峠の茶屋」か「お地蔵様」くらいで、
帰りたい「わが家」があるには不自然な場所ではないかしら。

えーと、この話、長くなるので途中少しとばしますが、
それで、アメリカの原曲をあたってみたところ、
カンザス州のBrewster Higley という人が1870年代に発表した詩に
Daniel E. Kelleyが曲をつけた「Home On The Range」という歌である、と。

♪  Oh, give me a home where the Buffalo roam
  Where the Deer and the Antelope play;
  Where seldom is heard a discouraging word,
  And the sky is not cloudy all day.

6番まである歌詞をざっと眺めて、はて?と、さらに疑問が深まる。
「峠のわが家」というタイトルは、どこから出てきたんだろう?
「range」で辞書をひくと、たしかに「山脈」の意味もありますが、
その「上」にある「ホーム」、と訳すのはどうも無理な気がするなあ。
だいたい、家のまわりをバファローや鹿がうろつくところでは
畑なんか絶対つくれませんでしょう。

この歌は、西部開拓時代にカウボーイたちが好んで歌い、
そこからアメリカ全土にひろまった、といわれています。
牛の群れを追って、大草原をつねに移動している、
いわば「流れ者」の愛唱歌、として考えてみると、
「この広い広い大草原が俺たちの心のふるさとさ」
というような雰囲気が一番ぴったりします。

しかし、これが、峠じゃないとして、どういうタイトルなら
この歌にふさわしいか、と、ちょっと考えてみたものの、
もう長年にわたり「峠のわが家」で親しんできてしまったため、
何ひとつ思い浮かばない・・のでありました。

 

追加。
このrangeって、往年の西部劇「ローン・レンジャー」の(見てませんが!)
ranger ← range ですよね?
そういえば、ジョニー・デップが出る予定の映画「ローン・レンジャー」は
その後いったいどうなったんだろう??

 

本日の水玉。

ぽよよよん、と。

(「本日の」といっても毎日撮っているわけではありません。
ストックがたくさんあるのです)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする