閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

12年

2018-06-30 11:39:12 | 日々

そういえば、このブログを始めてから、そろそろ12年になるのです。
よく飽きないなあ。
(と、他人ごとのように…笑)
いつも見てくださっているみなさま、ありがとうございます。
12年の間に、猫は減ったり増えたりし、高校生だった子は独立し、今年も変わらずあじさいが咲き、眠い目をこすりながらW杯ロシア大会を観戦中。
ふだん夜9時以降は飲食物を一切とらないんだけど、深夜にサッカー中継を見ながらついつい何かつまんでしまうのは困ったものだ。
わたしは午前3時に起きるのは苦手で、がんばって起きてもめちゃくちゃ不機嫌なので、せっかく見るんだったら眠気の吹き飛ぶような良いゲームを見せていただきたいものです。


ただいまー。

 

本日のコマちゃん特集。

あそぶ。

 

あまえる。

 

そとみる。

 

ふろみる。

 

かくれる。

 

なめる。

 

なめられる。

 

ねる。
(このお気に入りの猫じゃらし棒は、2階にあるかと思えば1階にあり、ときどき穂のほうをくわえてひきずりながら階段を駆け上がったり駆け降りたりしています)

 

本日の「いいね!」

Beyond Time

ベルリン在住の日本人アーティスト塩田千春さんのインスタレーション。
会場のヨークシャー・スカルプチャー・パークは元貴族の領地で、この建物は17世紀の教会だとか。

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猫に小判

2018-06-26 14:23:30 | 日々

いきなり晴れて暑くなったので、まぶしそうなアジサイ。
終盤とはいえ、まだまだ咲いてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日のきなこ。

コマ吉がお外で遊んでいるあいだ、トラちゃんを預かっているところ。
おなかのあたりをよーく見ると…

 

金貨が、きらりん!(笑)

昔むかし、30年以上前かな、キャットフードのメーカーの「猫に小判プレゼント」とかいうのがあって…いや、応募したのはきなこじゃなく閑猫ですが、みごと当たっちゃったんですよ。
1/10オンスのメイプルリーフ金貨。
しかし、届いたのは「金貨」というにはあまりにも薄くてちっちゃなモノだったので(なにしろ、わたしのイメージは「チョコレートの金貨」だったので!)、なんとなくガッカリして、そのままひきだしにしまいこみ、つい最近まで忘れていた。
まさしく猫に小判。

抽選というのは、ほとんど当たったためしがない。
子どものとき商店街の福引のガラガラの4等で麦茶が当たったっけ。
麦茶といってもペットボトルじゃないですよ。
夏になると、母が朝から大きなやかんでぐらぐら煮出して、さまして、冷蔵庫で冷やせば上等だけど、冷えるまで待ってられないから、いつもぬるいのを飲んでた。
その黒く炒った麦の詰まった枕の半分くらいもある徳用袋をもらってポテポテと歩いて帰った記憶がうっすらとある。
そこから、一足とびに、金貨ですよ。

あ、そうじゃない。もうひとつあったんだ。
ニンテンドーといえば、いまはゲーム機を作っているけれど、かつては花札やトランプを作っていた。
お年玉で任天堂のトランプを買ったら応募ハガキがついていて、それでトランシーバーが当たった。
携帯電話があたりまえになったいまの子は、トランシーバーって知らないと思うけど、当時としてはわりと高級な、みんなのあこがれの玩具だった。
あっちとこっちで「ナントカカントカですドーゾ」「リョーカイ」なんて言って遊ぶんだけど、狭い家の中でやっても声が筒抜けで全然面白くない。
外に持って行ったら、「貸して」「貸して」と大人気で…じきに壊れてしまった。
でも、壊れる前、いちど裏山に持って行ったら、知らない人の声が聞こえてきたことがある。
あれは港の船の無線だったのかな。
専門用語なのか、ほとんど何言ってるのかわからなかったけど、聞いちゃいけない秘密の通信を聞いてしまったような気がして、すごくどきどきした。

トランシーバーと金貨で一生分のくじ運は使い切ってしまったので、いまや懸賞も抽選も福引きも宝くじもなぁんにも興味のない閑猫です。
金貨は、きにゃにゃ銀行の腹巻口座に預けておこう。

 

本日の「いいね!」(メモ)

5分で頭痛が治るツボ

頭が痛いときに思い出せるといいけれど。

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雨だれ

2018-06-23 15:39:05 | 日々

朝からしっかり雨が降っている。
とても梅雨らしい雨だ。
雨音の中に、「ソ」の音が聴こえるような気がする。
ソ・ソ・ソ・ソ・ソ…と単調な繰り返し。
雨や川の水音などは、ときどき音階のように聴こえることがある。
ソ・ソ・ソ、と言いながらピアノのふたを開けて、ソ(G)を叩いてみたら、ぴったり同じだったのでびっくりした。
絶対音感とかあるわけではないので、偶然だと思うけど。
そうだ、ショパンの「雨だれ前奏曲」って、もしかしたら、この音で出来ているのでは?
と、古い楽譜をひっぱり出してみましたが、残念ながら違いました。
いやあ、この曲、♭が5こもついてるわ~。
聴くとそんなに難しそうな感じじゃないので、楽譜を買ってみたけど、ぜんぜん無理だった、ということを思い出した。
ショパンさんちの雨だれは、A♭。

ピアノ弾きのお友だちが亡くなって以来、なんとなく音楽への興味がさめて、ピアノを弾かなくなってしまった。
視力の問題で楽譜にピントが合わなくなったせいもある。
でも久しぶりに鳴らしてみたら、とてもきれいな音がした。
(音が、ですよ。「弾く」じゃなくて「鳴らす」ですよ)
昨年作り直した眼鏡のおかげで楽譜もはっきり見えるし。
またときどき鳴らしてみましょう。

 

雨なので、ひたすら寝てる。

 

こっちも寝てる。

 

昨夜のゲスト。

コマちゃんが連れて帰ってきたおともだちのコクワガタくん。
そういえば、クレ兄ちゃんが小さかったとき、これに鼻はさまれて泣いたっけ。
あれからもう3年だね。

 

さて、前回の「きなちゃんの暗号」ですが、解読してくれた安楽椅子探偵さんが、さらなる推理を。
古文というのは「書き間違い」や「写し間違い」がよくある。
きなこはキーボード操作に不慣れなため、ひょっとしたら「踏み間違い」があったかもしれない。
そこで、「ほへそ」の順番を入れ替えてみると、
「ほそへ」
臍(ほぞ)、つまり、おへそに隠した、という意味になるではないか!

おお、なるほど。
ということで、わたしも文字列をじいっとにらみ、最初の「かきん」の順番を入れ替えてみると、
「きんか」

金貨 臍(ほぞ)へ 秘めけれ。
や~っぱり腹巻のあたりが怪しいと思ったら、金貨!
きなちゃんのおへそに隠すとしたら、メイプルリーフの1/10オンスくらいかな(笑)

 

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ひめけれ

2018-06-21 15:40:18 | 日々

大雨で庭のアナベルが倒れてしまったので切ってきた。
大きな貝殻の形の花瓶に。
緑の葉はアップルミント。

 

今年は枝がずーっと下に垂れて、ほとんど地面につきそうだ。
たぶん摘果したほうがいいんだろうと思うけど、いつもそのまんま。
とにかく日持ちのしないプラムなので、この時期はたいそう忙しい。

 

クチナシもたくさん咲きました。

 

花弁は6枚のはずだが、7枚あるような…? 

 

あじさい祭りも終盤に。

 

本日のコマ。

うちにきて半年あまり。1.5kgだったのが、もう4kgになりました。

 

クレ兄ちゃんがお夜食すんだら遊ぼうと思って、眠いけど待ってる。
 

ところで、
前の記事で、「きなちゃんの謎の暗号文」のことを書いたら、さっそく解読をこころみて下さった方がありまして…(笑)
アルファベットをひらがなキーに読み換えて、文字の重複を整理すると、
「かきんほへそひめけれ」
これは古文で書かれたもので、「秘めけれ」とあるから、お宝の隠し場所に違いない、と。

う~む。古文だったとは。
お宝って、何でしょう。 
しかし、きなちゃんが何かを隠しそうな場所といったら…

腹巻の中! そこしかない!

 

本日の「いいね!」


猫からの「I LOVE YOU」サイン13種類

うん、やってるやってる。

 

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梅雨寒

2018-06-19 11:50:02 | 日々

雨で1日家にいると、クレのおててはきれいになる。
室内飼いの猫さんはいつもこうなのか。

 

 

それにしても、デスク前は過密地帯だなあ。

 

こっちは空いてるのに!

 

1匹移動しました。

 

 

 

 

 

ポップコーンあじさいは、こんな色。

 

小さい青い花が開く頃、白い装飾花もほんのり青みがかってきれい。

 

あじさいの真ん中の通路を歩くと、葉っぱのしずくでびしょびしょになってしまう。

 

雨やんだよ!

 

本日の「いいね!」


ProPILOT Park RYOKAN

いいなー、これ、欲しいなー。
(スリッパじゃなくて、自動で駐車する車のほうね)

 

おまけ。

tggggggggggggggggggggy-^cvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・:;

ちょっと席を立った隙に、きなながパソコン上に残していったメッセージ。
どうやって書いたかはなんとなく推測できるが、内容はいまだ解読できず。

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そらいろ

2018-06-17 15:05:40 | 日々

家の近くで工事をしている。
ユンボが地面を掘ったら、2種類の岩の層があることがわかった。
現在は海抜150メートルくらいで、見渡す限り山の中だけれど、大昔はこのあたりも海底だったらしい。
灰色の砂っぽい石は簡単に砕けて、ざらざらした粉になる。
そのうちのひとつを割ったら、思いがけず青い色があらわれた。

ラピスラズリ…というほど深い藍色ではなく、結晶らしくもないけれど、何の変哲もない石の中にこんな色が隠れているというのが不思議でどきどきする。

 


インディゴブルー、というより、ぺんてる絵の具のセットの「そらいろ」を思い出すような色だ。
鉱物図鑑を見てみたけれど、当然ながらサッパリわかりません。
もしもご存じの方がいらしたら教えてください。
(だけど、石って、実物を手に取って見ないとわからないですよね。ダイヤモンドもスワロフスキーも、写真で見ると同じに見えてしまうもの)
 
 
そらいろの…露草。
あれ? やっぱり梅雨の時期に咲く花だったっけ?
と、写真を撮ったが、そのあとひとつも見かけない。
ツユクサは花期が長いのか、気まぐれなのか、両方か。
 

どくだみの八重ちゃんズの中に、1本だけ、こんなのを発見。
これ、全部1本の茎から咲いたのです。どくだみとは思えないでしょう。
1段目の花が緑と白の混ざった「葉っぱ化け」だったので、あらま、失敗だ、と思っていたら、2段目から突然こんなふうに。
でも、来年もまた咲くかどうか、八重ちゃんズも気まぐれだからねえ。
裏庭の水道工事の影響でスペースが半減してしまったけど、またがんばって増えてちょうだい。

 

本日のスリちゃん。

たまたまNさんと話す機会があって、真相が判明した。
スリちゃんは、やっぱり「Nさんちのクロボー」とは別の猫だったのです!
昨年の春ごろに来ていた「赤い首輪の鈴猫」は、おそらくクロボー。
その後、鈴がなくなり、首輪もなくなった…とこちらでは思っていた。
しかし、Nさんに聞いたら、クロボーは、たしかに鈴はなくなったけど、首輪は今もつけているんだって。
そして、近所にクロボーそっくりの首輪のない黒猫がいて、クロボーはいつもそいつに負けてるんだって。
そいつが、つまり、スリちゃん。
…なのかなあ。(←自信ない)
光り輝く島(スリ・ランカ)のスリちゃんじゃなく、すりかわったスリちゃんだったのか。
そして、いったいどこへ「帰って」いくのか。(←判明してない!)

 

本日の「いいね!」


石ころの物語

シリアの港町ラタキアに暮らすアーティスト Nizar Ali Badr の作品。
困難な状況下にあっても、表現したいものがあり、表現する手段があるということの大切さ。

 

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壊れる話

2018-06-14 00:11:43 | 日々

公私ともに(って、「公」もあるのか?)いくつかのことが並行して進んでいるのですが、ここにのせられるものは、あじさいと猫くらいしかないわけで。

 

毎年、夏になると、決まって何かしら電化製品が壊れる。
今年は何だろうかとびくびくしていたら、いきなりTVが壊れました。
Mがリモコンを手にしてチャンネルを変えようとしたら、ぷつっと画面も音も消えて、それっきり。
「え~、また変なとこさわったんでしょう」と、ぶつぶつ言いながら、裏側の複雑配線をつついてみたり、リモコンの電池を替えてみたり、マニュアルをひっぱり出してあれこれやってみたりしたけれど、復活してくれず。
Mの記憶では「前の前の前のワールドカップの年に買った」ということなので、だとしたら12年前。
電器店で聞いたら、修理だともう部品がないかもしれないという。5年くらいでなくなっちゃうんだそうだ。
「コンセント抜いてみました? 意外とそれで直っちゃうことがあるんですよ」
それはやってなかった! と、また帰ってコンセントを抜く…けれど、やっぱり駄目で、ついに買い替えることになった。
しょっちゅうTVを見るわけではないけれど、DVDレコーダーだけ残ってもしょうがないし、まあワールドカップもちょっとぐらいは見るだろうし。
TVの寿命としては長いのか短いのかよくわからない。
これまで特に何の不具合もなかったので、もったいないような気もするけれど、いまどきの電化製品は「直し直し長く大事に使う」ものではなくなっているのだろう。
前にさんざん(わたしが!)苦労したので、今回は設置からセットアップまですべてお店に頼んだところ、新しいTVはおりこうで、チャンネル設定なんかほっといても自分でどんどんやってしまい、世話がいらないのだった。
12年前と比べて、TVは驚くほど高画質に、そして驚くほど安くなっていた。
外寸は一回り小さくなったのに画面のサイズは変わらないというのも謎です。

 

 

 


で、新しいTVにようやく目が慣れてきたと思ったら、こんどは電話が壊れた。
階下のコードレス子機が、突然ピーピー鳴り出して止まらなくなり、見たら「圏外」という表示が出て、操作も充電もできない状態。
さいわい2階の親機は無事なので、ベルが鳴ったら階段を駆け上がればすむんだけど、これが洗濯機を使っていると聞こえないし、庭に出ていたりすると全然間に合わない。
(庭が広いのではなくてね、長靴を脱ぐところでじたばたロスしているのです)
これも10年以上は使っている機種で、同じ子機はもう売っていないらしい。
親機のファクス機能もだいぶ前から壊れていたので(読むことができないのに、まだときどき送られてくるという厄介な状態)、ええい、この際、買い替えじゃ! ということになってしまった。

「黒電話」や「赤電話」の時代を知っているから、電話機というのはそこに「ある」ものであって、ほいほいと「買う」ようなものではないはず…という感覚がいまだに残っている。
そういえば、この家に引っ越してきた当時の電話は、ファクスどころか留守録機能もまだなかった。
いまはもう家族がそれぞれスマートフォンを持っていて、固定電話というものを持たないお家も増えているみたいだけれど、わが家ではまだそこまではいかない。やっぱり家の電話もないと困るのだ。
新しい電話機は、ディスプレイの文字がくっきり大きすぎるくらい大きく、ボタンも大きくて押しやすく、音声で読み上げる機能とか、知らない人からの電話を受けない設定とか、見守り機能(これは別売り)とか、あきらかに高齢者を意識したつくりになっている。
もうファクス機能は要らないので、電話機本体のボリュームは4分の1程度になり、ほとんど片手に乗るくらい、ちんまりして可愛らしい。「てるちゃん」と呼んでもいいくらいだ。
し・か・し、古い電話機に登録してあった電話帳などを移行するすべがない、ということに気づく。
手作業でいっこずつ入力し直すのか、これ。

で、それとほぼ時を同じくして、お隣の酔猫さんのパソコンが壊れ…。
恐怖の「夏に壊れる」連鎖、なんとかこのへんで終息してほしいものです。

 

おなじみバリ猫シスターズ@あじさいリゾート。

 

本日のゲスト

スリちゃん(右)にゴハンを出したら、真鈴(左)が出てきて当然のように食べ始めた。
スリちゃん、おとなしく待っております。
(「えっと…ボクのは…?」と訴えるようにこちらを見ている)

 

やっと席が空きました。

 

そして、

 

「おかわりくださいなーっ。なーーっ」

(長くのばして鳴くのがスリちゃんの癖。慣れてきたらよく鳴くようになった。声も大きい)

 

手から食べるし、食べたい一心で膝まで来るんだけど、これはなついているわけではなく、ヒトを一種の給餌器と見なしているんじゃないかと思う。
そして相変わらず「食べたら帰る」猫。
シンデレラですか、きみは。

 

本日の「いいね!」


Fore-edge painting

おもに17世紀中期から19世紀にかけて、本の小口に描かれた装飾画。
表紙でも口絵でも挿絵でもなく、わざわざここに描きたい、っていうのは、すごくわかる気がする。
扇のように少しずつずれて重なり合う紙には、魔力に近い魅力がある。

もっと見たい方はこちらもどうぞ。
40 Hidden Artworks Painted on the Edges of Books 

 

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初物

2018-06-10 22:54:21 | 日々

きゅうり。
今シーズンの夏野菜チームのトップバッター。
氷水でさっと冷やし、味噌をつけてかじる。美味し。

きゅうりは、毎年ピーク時には決まって消費が追いつかなくなり、畑にはおばけきゅうりが続出する。
これまで保存方法(生で・加工して)をさまざま試してきたが、ついにあきらめの境地に至った。
もう、おばけになりたい子は、勝手になっちゃってください。

そして、ブルーベリー。
大粒の早生種がぽつぽつと熟し始め、早めに採らないと…と思いつつ、夕方うっかり採りそびれ、まあ一晩くらいは大丈夫でしょう、と翌朝一番に行ってみたら、みごとに消え失せておりました。
(ということで、画像ありません)
鳥か、アナグマか。
アナグマさんは、高くて人の手が届かない桑の実の落ちたのを、しこたま拾い食いしている様子。

 

 

家の中から見えるあじさいの種類を数えてみたら9種類もあった。
それと、庭のカメキチ邸に2種類。
庭の外に1種類。
谷間の木陰は水仙とあじさいに最適で、ふやすのもわりと簡単だから、そればっかりになってしまう。
西洋あじさいの新品種は、このごろ人工的すぎて、もうあまり欲しくならないけど、濃い紫のが1つあってもいいかなあ。
山あじさい系の「七段花」も欲しいなあ。

アナベルのピンクもあったらいいなあ。
(きりがないよ!)

 

 

 

 

 

 

 

これはお隣のです。
花がひとつひとつ丸っこくて、咲き始めがポップコーンに似ているので、勝手にポップコーンあじさいと呼んでいたら、どうやら本当にそういう名前らしい。

 

おまけ。
このあいだのちびさんが、もうこんなに大きくなったのかと思ったら、殻の巻きが逆だった。

 

本日のにゃんこ。

なぜかこういう格好で寝てしまったクレ。

 

きなちゃんや、重くないかい。
「ええ、まあ、それなりに」

 

 

本日の「いいね!」…というかなんというか。

『ゲティ家の身代金』
映画史上類のない俳優交代を可能にしたものとは?

さすがリドリー・スコット、身代金より多い追加予算1000万ドルって。

 

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「せんろはつづく」韓国版

2018-06-10 14:56:01 | お知らせ(海外版)

ハングル版です。
英語で書くと Greatbooks という出版社。

だけど…あれ?
韓国版って、すでにあったのでは?
と探してみたら、ありました。

こちら、2005年に Hong Jin P&M というところから出たもの。
契約期間が終了し、別の出版社からあらたなオファーがあったようです。

表紙を見るとタイトルが違い、よーく見ると訳者名も違いました。
中を見ると、文字の数が、前の翻訳の半分くらいになっている。

「やまが あった どうする?」という場面。
左が以前の翻訳、右が今回の新しいもの。

もともと日本語版でも文字数は少ない絵本なので、おそらく前の訳が「多すぎる」んじゃないかと思うんですが、長すぎるから短くした、というならまだしも、いったい何を増やす必要があったのか…いまごろ気がついても遅いけど(笑)
今回は原文にそったシンプルな訳になっているのかな。そうだといいなあと思います。

 

せんろはつづく
竹下文子・文
鈴木まもる・絵
金の星社 2003年



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ぽんぽこの謎

2018-06-07 16:31:25 | 

よそ猫ジャッキー。ベランダ限定免許更新。
こっちが気づかずにいると、ドコドコと足音をたてて、それとなく存在をアピールしたり。
左前足が浮いているのは、心理的な「敷居の高さ」をあらわしている。
このあいだ、MNさんに貸してもらった猫漫画の主人公のツシマという猫によく似ている。

うちよりもっと山奥のMNさんちを訪ねた帰り、スリル満点な急カーブの急坂を下る途中で、焦げ茶色の動物が車の前をトコトコと横切るのを見た。
「え? ジャッキー??」と、よくよく見たら、猫ではなくて、狸。
ふだんは夜行性の穴熊も狸も、5月6月は子育て中だからか、昼間でも餌を探してうろつく姿を見ることがある。
後ろ姿を見送りながら、「あ。そうだ」と思いついてバッグの底からスマートフォンを探しだし、ブレーキをめいっぱい踏んだままの姿勢で助手席側の窓を開け、「えーと、カメラはどれだ?」といろいろ手間どった末、撮った写真が、

これでございます(笑)
けっこうのんびり歩いてたので、こちらの行動が素早ければ、もうちょっとましに撮れたはずなんですが。

狸といえば、化ける。化かす。それに、化かすのバリエーションとして「月夜にポンポコ腹つづみを打つ」というのは子どもでも知っている。
だけど、実物の狸を見ると、どうしたらこれが立ち上がっておなかを叩くなんて発想が出てくるのか、不思議でならない。
そもそも、笠をかぶって徳利さげて酒買いに…という信楽焼の置物からして、実物とは似ても似つかぬ姿なんだけど、あれはほんとに狸なの?
もしかしたら、日本には「動物(哺乳類イヌ科タヌキ属)の狸」と「妖怪の一種である狸」の2種類が存在するのではないだろうか。
その2つは、元々はひとつのものだったが、都市化が進むにつれて、一般の庶民が「動物の狸」を目にする機会が減り、その一方で「妖怪の狸」のイメージがどんどん勝手に増殖していったのではないか…とか…。

わたしがジャッキーと見間違えたように、夏の狸は大きめの猫くらい、あるいは小さめの犬くらい、体重の増える冬でもせいぜい10kg程度だというから、小型犬を飼っている人はちょっと後足で立たせてみれば感覚的にわかると思うんだけど、こういう動物がいくら太ったからって、絵本や漫画の狸のようになるわけがない、でしょ?
「巨大なぽんぽこおなか+マルにバッテンのおへそ」は、デフォルメの域をはるかに超えている。フィクションというより捏造に近い。

幼稚園児に「猫さんはなんて鳴く?」と聞くと、口々に「にゃーん」とか「にゃあにゃあ」とか答えてくれるだろう。
「犬さんは?」「わんわん」「ぶたさんは?」「ぶうぶう」
「じゃあ、狸さんは?」と聞くと、おそらく大半の子が両手でおなかを打つ真似をしながら「ぽんぽこぽん!」と元気よく答えるに違いない。
そのイメージは、いったいどこから来たのか。
タヌキと「ぽんぽこ」は、いつどのようにして結びついたのか…というのが、本日の謎です。
(長い前置きだなあ。このあとも長いですよ)

「月夜にぽんぽんと音を出すものがあり、その正体がわからないまま、狸と結びつけた」
というのが始まりではないかと、まず考えてみた。
夜鳴くトラツグミの声を妖怪の鵺(ぬえ)と思ったり、ケラの声をミミズが鳴いていると言ったりするのと同じで、見えない音源の主がわからなくて気になると、別のものに結びつけてしまいやすい。
人間は「言葉」に頼る生き物だから、対象に名前がつくと、とりあえず「わかった」気がして安心するのだ。
(ぬえの例は、ほんとはもうちょっと複雑なのですが、それはちょっと置いとく)
しかし、「月夜にぽんぽんいうもの」って、何だろうか。
カッコウの仲間のツツドリの声なんか、かなり鼓っぽいけれど、ツツドリは月夜に限らず昼間でも鳴くし、昼間なら見ることが可能だし、あきらかに高いところから聞こえる音を、地べたの狸と結びつけるのは無理がある気がする。
では他に何があるかと考えても、さっぱり思いつかない。
現実に「ぽんぽんの音」があって、現実に「狸」がいて、そこから「狸が鼓を打つ」姿を想像した…という仮説は、どうもいまひとつ決め手に欠ける。そうじゃないと思う。

「人すまで鐘も音せぬ古寺に たぬきのみこそ鼓うちけれ」
鎌倉時代の「夫木和歌集」にある寂蓮の和歌だそうだ。
これはまだ、和尚さんに化けた狸がまじめくさった顔つきで鼓を打っている、というふうにも読める。
古寺のイメージから連想できる音源は、庭の添水、いわゆる「ししおどし」かもしれない。
このあと「鼓」が「腹」と結びついたのがいつかは不明だが、江戸時代にはすでに「狸の腹鼓」は誰でも知っている話だったらしい。
「しょ・しょ・しょーじょーじ♪」の狸ばやしで知られる木更津の證誠寺は、江戸初期(17世紀半ば)にできたお寺だそうだが、伝説の元はおそらくもっと古いだろう。
話が先にあり、「事件現場」や「発祥の地」があとからできる、というのはよくある話で、「ここがあの有名な…」ということで集客効果が上がるのだから、「先に名乗ったモン勝ち」なのである。
童謡「証城寺の狸囃子」が発表されたのが大正14年。昭和に入ってからレコードがヒットして、證誠寺が全国的に有名になったけれど、それ以前の「腹鼓」伝説は、場所が特定されたものではなかったようだ。

明治43年に発行された『教訓新お伽話』(園部紫嬌著 石塚松雲堂)という本に、「腹鼓」という章があり、「今の狸が腹鼓叩かぬ理由」と副題がついている。「今」というのはもちろん今じゃなく明治のことなんだけど、
「ぽんぽんが痛いと嘘を月の夜に 鼓のけいこ休む小だぬき」
という歌をマクラに、こんなお話が紹介されている。
村のお稲荷さんの祭りの日。狐はごちそうが食べられると喜んでいるが、狸は面白くない。
そうだ、こっちには祭りはないが、腹鼓というものがある。狸の底力を見せてやろうじゃないか。
狸たちが祭り太鼓に対抗して腹鼓を打てば、それを聴いて人間のほうも負けじとドンドコ叩く。
しかし、いくらがんばっても狸は狸、人間にはかなわず、叩きすぎてとうとう腹の皮が破れてしまいましたとさ。
(すみません、多少脚色しました…)
これは一見「狸vs人間」の構図のようではあるけれど、じつは狐が一枚かんでいる…というところに、重要なヒントがあるんじゃないか、という気がしてきた。

うどんじゃないけど、狐と狸といえば、化ける・化かす界のツートップ。
昔話で両方出てくるとしたら「化けくらべ」の話だ。
ずる賢いキツネに対し、タヌキは愚直でどんくさい奴と、役どころもだいたい決まっている。
狐が芸者さんに化けて色っぽく三味線など弾いてみせれば、狸も鼓を…。
あ、そうか。そこで鼓が出てくるんだ!
しかし何かを鼓に見立てるというほどのセンスも技術もないので…。
「腹を鼓がわりにする」というのは、人間(または人間に化けた狐)の「正しいやりかた」がまず前提にあり、それを真似て不器用な狸がやるとしたら…という笑いを含んだ意味合いが、なんとなく感じられる。

なぜ狸が鼓なのか、なぜ笛とか琵琶とかじゃないのか…という点でも、打楽器のほうが簡単で「狸でもできそう」というイメージは確かにある。
能楽の鼓はそれなりに難しそうだと思うけど、ばちで打つ太鼓なら、幼児が打っても狸が打っても音は出る。
鼓の皮というのは、今は牛革が普通だそうだが、浄瑠璃の「狐忠信」には狐の皮を張った鼓が出てくるくらいだから、ずーっと昔(室町時代以前?)は、狸の皮なども使った…なんてことはないだろうか。
鼓に張らないまでも、狸は毛皮として利用されていたわけで、それにはぴんと張って乾かすという工程があるから、その状態から「叩けば鳴る」うちわ太鼓的なものを連想することも、まあできそうな気はするけれど。
そのあたりの考察は、ちょっと閑猫の手に余るので、どなたか詳しい方がいらしたら教えてください。

最後に、幼稚園児の話に戻るけれど、他の動物が「鳴き声」で表現されているのに対し、狸だけどうして「ぽんぽこ」なのか、気になりません?
狐は「コンコン」と鳴く。
(実際は「コン」というより「キャーン」に近いと、聞いた人が言っていた)
じゃあ狸の声は…?と聞くと、たいていの大人も知らない。
狸は鳴かないのか。
わたしは狸が鳴くのを聞いたことがある。
夜な夜な山から謎の鳴き声が聞こえるのが気になり、窓辺でずーっと見張っていたら、狸だった。
「ミー」とか「ミュー」とか…字で書くと猫のようだけど、あきらかに猫とは違う、もっと抑揚のない単調な声で、まさか狸とは思わなかったのでビックリした。
でも、「狸の鳴き声はミューだ」と言い切っていいのかどうかは自信がない。
以前うちの猫で「にゃあ」じゃなく「おわん」と鳴く子がいたけど、だからって「猫はおわんと鳴く」とは言えませんからね。
狸をつかまえた経験のある人だったら、「狸はギャーギャーと鳴く」と言うかもしれないし。
まあとにかく、狸の鳴き声がよくわからず空白になっているところへ、腹鼓という言い伝えがすっぽり入りこみ、「狐=コンコン」「狸=ぽんぽこ」のコンビとしてすっかり定着してしまった、ということではないでしょうか。

そうそう、狸だけでなく、うさぎもめったに鳴かない。
うさぎの場合は、残念ながら音の出る伝説もないので、「耳」+「ぴょんぴょん」でうさぎと認識される。
動物のプロフィールにおいて「何と鳴くか」(≒何と「言う」か)は必須事項で、その欄が空白だと落ち着かず、何かしら入れずにはいられない。
やっぱり人間って「言葉」に頼る生き物なんだなあと思う。


ついでに、おまけ。
「狸の腹鼓」と書いて、「これ何て読む?」といきなり聞くと、おそらく半数以上の人が
「たぬきのはらづつみ」
と答えるのではないでしょうか。
なぜかみんな「風呂敷包み」のように「づつみ」と読んでしまう。
狸だけでなく「舌鼓」でも同じ現象が起こる。
じつはわたしもそうで、「鼓だから、つ・づ・みだから、えーと、はらつづみだ」と頭の中でいちど考えないと声に出せない。
おかしいなあと前から思っていたのですが、上に書いた明治時代の本を見たら、なんとなんと「腹鼓」に「はらづゝみ」とルビがふってあるじゃないですか!
言葉の意味として正しいかどうかは別として、明治の頃には「はらづつみ」と読むことが普通だったんだろうと思う。

サーファーがあつまる伊豆の海岸のひとつに多々戸浜というところがある。
これが「タダト」なのか「タタド」なのか、わたしは何度覚えても忘れる。
東京の秋葉原という地名なんかも、昔はちゃんと読めていたのに、通称「アキバ」と呼ばれるようになったせいで、どっちだか自信なくなってしまった。
「秋葉原の狸が多々戸の浜で腹鼓」
…読めます?

 

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