閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

「ポテトむらのコロッケまつり」

2016-01-31 11:54:14 | お知らせ(新刊)

新刊絵本です。
『ポテトむらのコロッケまつり』(教育画劇 2016年1月刊)
絵は出口かずみさん。

上の画像は帯つきです。
でも、やっぱり、この表紙は…

こうやって開いてお見せしなくちゃ!
大きな大きな、世界一のコロッケのおはなしです。
 

そもそもの始まりは5年前のこと。
ローカルニュースで「日本一大きいコロッケを作ろう」という
イベントをみて、興味をひかれたのが発端でした。

そのときのブログがこちら→コロッケ大作戦

(このあと、「巨大目玉焼き」だの「巨大モンブラン」だの、
巨大料理にいろいろこだわっていた閑猫の不審な様子を、
もしかしたらご記憶の方もいらっしゃるかと…笑) 

「これ、絵本にしたら楽しそうです」
なぁんて、さりげなく書いておりますが、
このときすでに、絶対絵本にしよう!と思っていたので、
3か月後には原稿ができていました。

みんなで力を合わせて大きなことをする、というイベントはよくあり、
伝統的なものもありますが、思いつきだけのものもあります。
だいたい「ギネス記録に挑戦!」的なものって、必然性のうすい、
やらなくてもいいようなことが多いので、あまり好きではありません。
その中で、たまたま目にしたのがコロッケだったのですが、
いいなと思ったポイントが2つありました。

ひとつは、コロッケ作りが、まず、みんなで畑を耕し、
じゃがいもを植える、というところから始まっていたこと。
もうひとつは、子どもからおとなまで、多くの人を巻き込んで、
役割を分担し、それぞれが専門分野で真剣に取り組んでいたこと。

小学生たちがじゃがいもの収穫をする。
鉄工所で巨大なバーナーと鍋をつくる。
栄養学科の学生さんたちがレシピを考える。
お父さんたちが「せーの!」でコロッケを裏返す練習をする。
煮立った油にコロッケを下ろすクレーンの運転手さんも、
たぶん、真剣に練習したと思う。

当日あつまったお客さんたちは、コロッケを成型して
揚げるところしか見られませんでしたが、ほんとに面白いのは
そこに至るまでの過程であり、舞台裏です。
TVや新聞で取り上げられても一日限りで忘れられてしまうし、
イベント自体がローカルなものだから、県外の人は知らないまま。
これ、もったいないでしょう。
絵本にするしかないでしょう。

ということで(笑)
勝手に絵本にさせていただきました。
主催者さまに感謝。
5年がかりで企画を通してくださった編集Cさんにも大感謝。 

絵の出口かずみさんは、これが絵本デビューです。
ダイナミックで繊細。大真面目でユーモラス。
おばさんひとりの「思いつき」から始まったコロッケ作戦が、
どんどん村じゅうの人を巻き込んで盛り上がっていく様子が、
のんびりと、力強く、そしてかわいらしく描かれています。

「村じゅうの人」ということで、とてもたくさんの人を
描いていただかねばならず、とても大変だったと思うのですが、
素晴らしいのは、ただ「おおぜいいる」だけではないこと。
おじいさんおばあさんがいて、お父さんお母さんがいて、
子どもたちがいて、この子はあの子と仲良しで、
あっちのお母さんとこっちのお母さんは姉妹だったりする。
農業の人、工場づとめの人、八百屋さん、肉屋さん、先生と、
ひとりひとり、職業もいろいろ。 個性もいろいろ。
そんな「雰囲気」をていねいに描いてくださった。
そして、みんなの表情がとってもいいのです。
見ていると、だんだん幸せな気持ちになってきます。

絵の見どころはなかなか語りつくせませんが、
前後見返しやカバー袖も、ぜひお見逃しなく。
(いもねえちゃん着せ替え人形ほしいわ~)

 

揚げ物の中でも、コロッケはけっこう手間も時間もかかり、
ちゃんと作るとほんとに美味しいのですが、
失敗すると悲惨なことになっちゃうし(なったことある)、
忙しい人や小さい子どものいる人はなかなか手作りできないもの。
この絵本を見た子どもたちに「コロッケつくってー!」
とせがまれて困ったときは、冷凍を揚げるだけでもいいけど、
最近はやりのスコップコロッケなど、いかがでしょうか?

 

 

Amazonの画像は色がいまいちですが…

実物はもっと明るい色で、こんがり美味しそうに揚がってます! 

 

<追記>

絵本ナビでは「ちょっとためしよみ」と「全ページためしよみ」ができます。

 

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玉手箱の謎

2016-01-29 18:37:50 | 

「竜宮城の謎」からのつづきです。

上の画像は『教育昔話 浦島太郎』(明治32年)
近代デジタルライブラリーより拝借。 


浦島太郎の話に出てくる重要アイテム「玉手箱」は、
お正月の「福袋」と同じく、ちょっと秘密めいて、
しかも、めでたい感じがする。
発音しやすく、口にして気持ちの良い単語であります。

わたしは「玉→真珠→真珠貝」の連想からか、
螺鈿細工の宝石箱(オルゴールつき??)みたいなものを
ぼんやりと想像していた気がするのですが、
(しかも「文箱」や「硯箱」とも混同してた気がする)
この場合の「玉」は「貴重で美しい」と解釈すればいいらしく、
必ずしもジュエリー類とは限らないようです。

さて、竜宮城の謎につづき、玉手箱の謎。
(予告しておきながら間があいてしまってすみません)

どうして乙姫様はおみやげに玉手箱をくれたんだろう。
開けちゃいけないものなら、渡さなきゃいいのに。
というのが、「浦島太郎」の最大の謎であります。
亀を助けた「良い人」のはずの太郎がこんな目にあうのは変だし、
乙姫様が意地悪をしたと考えるのも変。
また御伽草子を見てみましょう。

太郎は竜宮の美女と夫婦になって三年暮らしたが、
故郷の両親のことが気になってきて、里帰りを申し出る。
ここで美女が打ち明けて言うには、
「じつはわたくし、あなたに助けられた亀でございます」

待て待て、そんな話だったっけ?

乙姫様の正体はは亀で、太郎は亀と夫婦になっていた。
と考えると、この話は「鶴女房」などと同じジャンルに入ることになり、
急にイメージが変わってまいります。

その亀嫁が「これをわたくしの形見に」と美しい箱を取り出し、
「けっしてこの箱は開けないでくださいまし」と言って渡す。
そこから、「あけてびっくり玉手箱」までの流れは、
どなたもご存じのとおりですが…

<そもそも、この浦島が年を、亀がはからひとして
箱の中にたたみ入れにけり。
さてこそ、七百年の齢(よわい)を保ちける>

つまり、玉手箱に入っていた「煙」の正体は、
スネイプ先生の調合した「老化魔法薬」などではなくて、
亀がこっそりしまっておいた太郎の「年齢」だった。
おみやげにあげたんじゃなく、本来は太郎のものだから、
返した、ということ。
開けるとどうなるか知っているので、ほんとは開けないでほしいけど…
という妻の気持ちが、この矛盾した言動になっていたわけです。 

夫が家に帰りたいと言い出した時点で、
妻(亀)は、夫がもう戻ってこないことを悟ったのです。
だからこそ「形見」を渡し、ひそかに預かっていたものを返し、
「来世ではまた一緒になりましょうね」と涙ながらに別れている。
これは、竜宮という場所が、地理的に遠いだけでなく、
人間界とは異なる世界であることをあらわしています。
異世界の出入りは簡単ではない。
おそらく、何も知らない(選ばれた)人間は入れるけれど、
そこへ行こうという意図を持って探しても絶対みつからない。
(そう、これって、「ナルニア」の入口と同じ!)

太郎のほうは、そうとは知らず、ちょっと両親の様子を見たら、
また竜宮に戻ってくればいいくらいに甘く考えていた。
しかし、童謡にもあるように、
「帰ってみれば こは如何に 元居た家も 村も無く」
故郷の様子はすっかり変わってしまっており、
親どころか、親戚も知人も誰ひとりいなくなっている。
竜宮で三年暮らす間に、こちらでは七百年が過ぎており、
草に埋もれた自分の墓まである。
がっくり、茫然とした太郎は、

<今は何かせん、あけて見ばやと思ひ>

もうどうでもいいやと、ヤケになった。
ヤケになるくらい、「故郷の喪失」は彼にとって大きな打撃だった。
こんなことになったのは、竜宮に3年間もひきとめられたからだ。
あの女に騙されたのだ。
開けるなというのは、開けると彼女に不都合があるに違いない。
よーし、それなら開けてやれ。
…と、まあ、そこまで思ったかどうかはわかりませんよ(笑)。 

太郎が亀と夫婦だった、という異類婚姻譚であれば、
この玉手箱の一件はすんなり納得できる気がするのです。
明治時代に小学校で教えるようになったものだから、
結婚というオトナの話の部分がぼかされてしまい、そのせいで、
いろいろ意味がわかりにくくなったんじゃないかな。

<あけて見るなとありしを、あけにけるこそよしなけれ>

これは、鶴の機織りをのぞくなと言われたのにのぞいて
破局になったのと同じパターン。
「開けるな」は、夫の妻への信頼度を試すテストだった…
と言ってもいいけれど、浦島くんの場合、ここで玉手箱を開けなければ
竜宮に戻れたか、っていうと、それはなかったんじゃないかなあ。
竜宮に飽きて、故郷(=人間界)が恋しくなった時点で、
すでに結婚は破綻していたと思う。
鯛やひらめの舞い踊りにぼーっと見とれている間も、
浦島の心はつねに故郷にあり、妻はそれを見抜いていたのです。
結局、人間は異世界の者にはなりきれない。逆も同じ。
という教訓を含んだお話なのかもしれません。
(「異類婚」を大雑把に「国際結婚」と置き換えて考えれば、
なんとなく、わかるような気がする)
 

さて、物語は、太郎がおじいさんになったところで
終わるのがふつうですが、
御伽草子の浦島には、続きがあります。

七百歳というスーパー老人になってしまった太郎は、
鶴になって虚空に舞い上がり、蓬莱山へと飛んでいく。
そののち、太郎は丹後の国の浦島明神となり、
そこへ亀もやってきて、鶴と亀、そろって夫婦の神となりましたとさ。
めでたしめでたし。

あ、なんだ、ハッピーエンドじゃないですか。

もともと昔話は、語り手によって内容に違いがあるのが当然で、
いろんなバージョンが同時に存在しており、
すっきり説明のつくものもあれば、割り切れないものもある。
どれが正しいということはありません。
語り伝えられたままの素朴な民話を「単衣の着物」とするなら、
御伽草子というのは、納得のいく解釈を裏地につけて仕立てた
「合わせ」や「綿入れ」のようなものかもしれません。
(閑猫的には、竜宮城は海底にあるほうが魅力的だし、
浦島明神なんて、いかにもあとからのこじつけっぽい気がする) 

もうひとつ、「乙姫様」という名前も気になるのですが、
(オトヒメのオトは、弟=年が若いほうという意味にもとれるので、
じつは姉もいたんじゃないか…とか…)
あれこれ見ていたら、さらに思いがけない本を発見。
なんとそれには、「三百年前に行方不明になった浦島某が。
今年八月、故郷に帰ってきて老死した」という怪事件が
つづられているんですけど、「今年」って、いつだ?
次回はその話をいたしましょう。再見。

 

こちらも近代デジタルライブラリーから、
『浦島太郎一代記』(明治21年)より。
おじいさんになって、がっくりしている、というより、
「いやあ、こりゃ、まいったなあ。ははは」みたいな浦島。
玉手箱はずいぶん大きく描いてある。
ちなみに、この絵本、「一代記」とはいうものの、
たった6場面で終わっちゃうという超コンパクト版。

 

 

本日の「いいね!」


休日を過ごしたい素敵なおうち10選

現代の竜宮は こんなところかもしれない。

 

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2016-01-27 17:02:43 | 日々

気温が2度上がっただけでずいぶん違う。
肩の力が抜けて、身体がらくに動く。
(冬眠体質なので、10℃を切ると動かなくなるんデス)
寒さは峠を越えたのかな…
いや、「峠」ではなく「谷」だろうか、こういう場合は。


  


 

探しているものが2つあり、めったに開けない押し入れを開けた。
あそこにあるはず…と思って20年くらい放っておいたのだが、
いざその箱をあけてみたら、そこにはないのだ。
はて、それでは、いったいどこに。

探していると、探していないものが次々と出てくる。
45年前の手紙とか、60年前の写真とか、80年前の器とか。
そのたびに手を止めて、しばし見入る。
こういうものたちに育ててもらった自分が、いまここにいる。
物持ちが良いことで有名な(?)閑猫は、「断捨離」という考えから
最も遠い場所にいるらしい。
捨てられない宝物が多すぎるのですよ。

あれこれ何でもためこむ人のことを"Pack rat"と呼ぶのだそうだ。
パックラット。ウッドラットともいう。
先日、ひょんなことから、この動物のことを知った。
アメリカ西部からメキシコにかけて20種ほどが住んでいる。
大型の草食性のねずみで、多くは森林に暮らし、
岩の割れ目や人家のすきまに小枝などを詰め込んで巣を作る。
何代にもわたって同じ場所に住みつづけ、巣を増築し続ける。
その巨大化した巣の堆積物の中から、ときには
ご先祖様が運び込んだ何万年も前の植物の種子が見つかり、
そこから気候や環境の変化がわかったりもするそうだ。 

パックラットには面白い習性がある。
ひとつは、ぴかぴか光るものを好んで持っていくこと。
もうひとつは、巣材を運んでいる途中で、もっといいものをみつけると、
くわえていたものをその場に置いて、新しいのを持っていくこと。
ある人が、10セント硬貨をうっかりそのへんに置いといたら、
いつのまにか5セント2枚になっていた…
という笑い話があるそうです。

ためこみ屋のねずみのお仲間がいるのは心強い。
捨てるか捨てないかで迷うようなときは、
とりあえず捨てずにとっておくのがいいと思う。
何年もたってから出してみると、それは記憶よりはるかにみすぼらしく、
かつての輝きはすっかり失せてしまっている…
そうなったら、悩むことはない、あっさり捨てればよい。
古くなってもまだ好きだったら、またしまっておけばいいのだ。
好きじゃなくなるまで。
まあ、収納場所にゆとりがあれば、ですが。

というわけで、きょうはだいぶごみを捨てましたが、
肝心の探し物はというと、ひとつはめでたく見つかった。
でも、もうひとつは依然として行方不明のままであります。
うーん、どこいったかなあ、あれは。 


本日のいただきもの

 

豆腐…ではありません(笑)。
うわさには聞いていたけど、実物、ほんとによくできている。
とことん豆腐になりきったデザインだけでなく、
この水が入ってないのに入ってるような感じとか、
持ったときの(まさか紙製品とは思わない)ぽてっとした重みとか。


 

もったいなくて開けられないわ~

いろんな種類あります →豆腐一丁

 

 

本日の「いいね!」…かどうか


「ブレードランナー2」

って、ほんとにやるの?(まだ疑っている)

 

 

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こおりる

2016-01-25 23:20:09 | 日々

池に薄氷がはっていた。

 

 

ぱりぱりです。

 

 

 

鯉さん解凍中…

 

 

つららキャンディ。

 

 

でもアセビはもう咲き出しているし、

 

 

白梅もちらほら。

 

 

干し柿はきれいに出来上がりました。

 

 

本日のにゃんこ。

クレちゃんに靴とられた。

 

本日の「いいね!」


Animaris Geneticus Bellus

オランダのアーティスト、テオ・ヤンセン氏の作品。
以前、大きいの→Strandbeest をご紹介したことがありますが、
こんどは3Dプリンターで作った手乗りサイズ。
1匹ほし~い!

 

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ゴジラ

2016-01-24 16:43:09 | 日々

暖冬だなんて言ったの、誰? ってぼやきたくなるくらい寒い。
晴れていても室温は10℃そこそこ。
焚き付けの小枝を拾いに行って、なぜかずーっと
ゴジラのことを考えていた。

昔の映画だけど、どこかの都市にあらわれたゴジラが、
ずんずんと歩いてきて、高層ビルに頭から突っ込み、
そのままずんずんと歩きつづけてビルを破壊するシーン。
ゴジラの圧倒的な強さと凶暴さを表現したい、という意図はわかる。
だけど、いくら怪獣でも、ああいうことはしないんじゃないか。

と、それを見たときの違和感が、その後いつまでも消えずに残り、
ふとしたはずみで頭に浮かんでくるのである。 

壊さなきゃ前進できない状況ではなく、右も左もあいてるんだから、
邪魔ならちょいとよけて通ればいいじゃないですか。

壊さなくてもいいものをわざわざ壊して自分の力を誇示する。
カラテの人が、割る必要のない瓦を重ねて割ってみせたりするのと
同じ発想だ。そんなことを思いつくのは人間しかいない。
映画のゴジラが、ゴジラという生命体ではなく、着ぐるみをかぶった
人間だということがそこでバレてしまっている。

いや、せっかくだから、もう少し考えてみよう。
カラテの瓦割りは、要するにパフォーマンスである。
他の人間に見せて、威張りたい、称賛されたいのだ。
もしかしたら、ゴジラも、他のゴジラに見てほしいのではないか。
オレ、こんなに強いんだぜ、どうだって。
ちっこい人間なんか、もともと眼中にない。
人間だって、ねずみや蟻相手にパフォーマンスしないでしょう。
ゴジラは、生命体としての本能に従って、ゴジラ流の
縄張り宣言だか求愛ディスプレイだかをやっているにすぎない。
しかし、いつまでたっても、相手はやってこない。
1匹いればじゅうぶんだという人間の勝手な思い込みのせいで、
ゴジラは地球上でひとりぼっちだ。
目的を見失い、無意味な破壊をつづけるしかない。
じつに気の毒である。 

と、まあ、怪獣にリアリティを期待してもしょうがないんですが、
(2匹いてもね、けんかばっかりしてたら、よけい迷惑だし!)
とりあえず、このへんにいるのが猪と鹿でよかった。
というのが本日のテーマです。
2メートルの柵をめぐらせておけば平和が保たれる。
ゴジラでは、そうはいかない。
写真はすべて柵の中のブロッコリーの葉。 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日の「いいね!」

 

ダースベイダーとレイア姫とヨーダがピアノを弾いたら

これは楽しそうですね。しかし、


ストームトルーパーはやっぱり弾きにくそうだよ(笑)



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三五郎

2016-01-24 11:39:23 | サンゴロウ&テール

 

ずっしり重い箱が届いたので、何かしらと思ったら、
こんど出る中国版『黑猫三五郎』シリーズの校正刷りが5巻ぶん。
もう3年くらい前にオファーが来ていたものです。

この「三五郎」という表記は、どうなのかなあと思っていました。
原作では登場人物名は(猫もヒトも)すべてカタカナにしています。
1巻の最初のほうで「時代劇みたい」とケンに言わせており、
「三五郎」っぽく思わせておいて、終盤でそうじゃないことがわかる。
これは日本語だからできる一種の叙述トリック。
中国語では、最初からすべて漢字だし、発音も違うので、
そのままやってもうまくいかない。

主人公だし、名前そのものが重要な鍵なので、その点が気になり、
(わたしが翻訳者だったら大いに悩むところだなと思って!)
原文にこだわらず中国名に変えてもらってもいいですよー、
ということを先方に伝えてもらっていました。

校正刷りを見たら、1巻の11章に脚注が入っていて、
三五郎の「三五」は日本語では「珊瑚」とおなじ発音です、
という説明があり、(読めないけどたぶんそんな感じ!)
意味はいちおう通じるようになっていました。

本文は読んでもわからないので、登場人物紹介だけ見ていくと、
イカマル、カジキ船長、ナギヒコ、クルミ、などの名前には、
中国語のイカ、カジキ、凪、胡桃に相当する字が当ててあり、
基本的に「音」でなく「意味」で訳されているのがわかります。
(これも、「うみねこ族は海系の名前をつける」という設定さえ
クリアできれば、中国語で響きのよい言葉に変えてもらっても
かまわなかったのですが、きちっと訳してくださったみたい)
ケンは健で、これは中国の男子にもありそうな名前かな。
ミリ、サラ、看護婦のナミちゃんは音訳してありました。

面白かったのは、3巻の最初にちょっとだけ出てくる
「みけねこのアサリばあさん」で、これが「花猫花蛤婆婆」。
偶然ですが、花がふたつ重なって、とっても可愛らしくなりました。

フルヤ・サンゴロウのフルヤは「古屋」じゃないんだけどな、とか、
『霧の灯台』のカイは「貝」じゃないんだけどな、とか、
まあいろいろありますが、そのへんはあちらの事情もあるのでしょう。 

国が違い、文化が違うと、言語感覚は大きく違ったものになる。
元はおなじ漢字を使いながらも、中国の書籍は欧米並みの
「横組み」にすっかり移行してしまい、一方、日本は縦組み文化が
いまだ根強く残っているという違いも、また興味深いです。 

で、ふと著者紹介のところを見ていたら、
『ドルフィン・エクスプレス』が『海豚特快号』になっておる。
う~ん、海豚;
イルカ、直訳すれば、そうだけど。
中国の人からみて、どうですか、これ。
かっこよくて速そうな名前?

 

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つららら

2016-01-20 15:09:54 | 日々

雪は降らないけど、寒い寒い。
嵐のように風が吹き荒れている。
家のすぐ裏を特急列車が通過するような音だ。

ようやくしずまってきた朝。
池に水が落ちる場所に、面白い形のつららがたくさんできた。
鯉は水底の落ち葉にもぐってじっとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネットの網目に凍り水玉。

 

 

ストーブの横でくにゃくにゃになって寝ているさんちゃんとクレ。 

 

 

本日の「いいね!」


世界の風変わりなレストラン10

行ってみたい?

 

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囲い

2016-01-19 16:25:35 | 日々

寒い朝の車のミラー。

 

 

お隣の畑の囲いのリニューアル完了!

菜園(手前)と、左手のブルーベリー畑、右奥の栗の木が、
それぞれ別の区画になっていたのも、ついでに統合し、
広いワンルームにしたので、とってもすっきり。

暮れに思いついて作業を始めたものの、資材が尽きて
しばらく中断していたのですが、ホームセンターで
ワイヤーメッシュ20枚と鉄筋10本買ってもらったので、
(こういうものは軽トラでないと運べないので、
AT限定免許の閑猫は自分で買いに行けない!)
ようやく続きができました。

「高さ1メートルの柵プラスいろいろ」のつぎはぎだったところを、
ワイヤーメッシュを縦に並べ直して「高さ2メートル」に統一。
この数年で、鹿の習性や行動パターンがだいぶわかったので、
対策に迷いや無駄がなくなりました。

地面に鉄筋を打ち込み、3か所ずつ針金でくくっていくだけなので、
そんなに骨の折れる仕事ではないけれど、古い鉄筋が抜けない!
こういうものって、何年も放っておくと根が生えるのではないかしら。
古い囲いをはずして再利用しながら新しい囲いを作っていくのですが、
はずしたままで夜になると、そこから鹿に入られてしまうから、
どこをはずして、どこをふさぐか、パズルみたいに頭も使います。
面白いわあ、こういうこと。 

 

現場監督のクレ。

 

 

15センチあれば、猫は出入りフリー。




これは別の場所。
鳥の羽がひっかかっていた。

 

本日の「いいね!」


消えゆく大丸心斎橋店

ここは行ったことがないけれど、高島屋日本橋店も
たぶん同じくらい古いですよね…。

 

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こらクレ

2016-01-17 14:38:27 | 日々

そこに座ってはいかんのだ。

「どうして?」

 

 

そーこーはー鳥さんの餌台だからッ!

餌台の「上」や「真下」で待ってても鳥はとれないということを
学習しつつあるクレ。
しかし、自分がいかに目立つ色柄かということは
まだ気づいていないらしい。 

 

 

 

 

ふだんは夕食後すぐ居間のあかりを消してしまうけれど、
昨夜は録画した番組を見たりしていて、9時半ごろになった。
さあて、と立って、ふと窓の外を見たら、庭先によそ猫の顔が見える。
色はきなちゃんより濃く、縞ははっきりせず、シッポが短い。
おとなの猫らしいが、眼がまるくてわりと可愛らしい顔立ち。
女の子かな。
ストーブ横でさんちゃんが寝ているので、入ってはこないだろうと、
そのままにして2階にあがった。

しばらくしたら、階下で猫がゴハンを食べている音がする。
カッカッとお皿を鳴らして「かっこむ」のは、さんちゃんの癖だが、
階段の上から見ると、さんちゃんは真鈴と一緒に熟睡している。
おやあ?
忍び足で降りていって、廊下をのぞいたら、見知らぬ大きな猫が、
一心不乱にお食事中であった。
どうやらさきほどのよそ猫。
さんちゃんが寝ているすぐ前を通って侵入したとすれば、
かなりの忍びの達人ではなかろうか。
「キミハダレダ?」
と言ったら、「はっ?!」とこちらを見て、びっくり仰天して、
フローリングで横滑りしながらすっとんで逃げて行った。

びっくり具合からみて、これまでにも入ったことがあるような感じ。
猫がいることは知っていたが、人がいることは知らなかった、のかな。
このあいだ、夜中に2階まであがってきたのは、コレではないか、
という気がする。
やっと起きたさんちゃんは、遅ればせに猫穴の前へ行って
暗闇にむかって低くうなっている。

よそ猫といっても宿なしとは限らないので、積極的には関わらない。
室内にマーキングされたり、さんちゃんと乱闘になったりしなければ、
たまに残りゴハンを食べにくるくらいは大目にみてもいいけれど、
過去にそれで居つくまでになった成猫はマドリしかいない。
「怪盗リッツ」の例もあることだから、台所のドアは
いつも気をつけて閉めようと思う。

 

 

 

本日の「いいね!」


知的であるかどうかは5つの態度でわかる

知的であるなしに関係なく、人はそうありたいものです。

 

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シンクロ

2016-01-14 23:40:54 | 日々

いち

 

 

さん

 

 

親方! いま、「シンクロ」したよね? ね?

 

 

 


 
アスパラ菜の花。塚本さんの器。

すっかり伸びてしまったアスパラ菜は、
もう茎は硬いのであきらめ、花の部分だけを摘んでくる。
摘みたては生でも食べられ、かすかに蜜の甘みが感じられる。
さっと茹でて、おひたしにすると美味しい。
横着をせず、鰹節でだしをとって割り醤油にすると、
しみじみと幸せな味になる。

上の画像は、べつに「生け花」ではありません。
このあと、熱いおうどんに、ぽんとのせて食べました。


 

酔猫さんにいただいた半生干し柿を、さらに干しているところ。
ようやく真冬らしい風が吹いて、干し物ができるようになった。

 

 

久しぶりに大きな失敗をしました。

暮れにこしらえた金柑のシロップ煮がうまくできたので、
庭にあるうちにもう一度作ろうと、大ざるいっぱい採ってきて、
いっこずつ切れ目をいれて、下ゆでして、種をとって…
お砂糖入れて10分ばかり煮たところで、いったんガスの火を消し、
あとでまたつづきを煮ましょうと、2階に上がった。

こういうことは、よくやるのです。
消しても余熱で煮えるし、それが冷めるあいだに味がしみて、
一気に煮るよりたいてい美味しくなるので。

しばらく机で何やかやしていたら、どこか遠くで
ピーピーピーとアラームのような音がする。
空耳かなあと思うくらいの小さい音だが、ふと胸騒ぎがして、
(こういう音がするものは台所とお風呂場にしかないので)
台所をのぞいてみたら、ガス台に赤いランプが点滅していた。

え!?と、ホーロー鍋のふたをとってみて、愕然とする。
鍋いっぱいの金柑が、完全に煮詰まって、汁気がない。
火を消したつもりで、消してなかったのです。

いつもジャムを煮るときに使うこの鍋は、大きめで寸胴なので、
とろ火にしていると、横から見ても炎が見えない。
温度が上がりすぎると自動的に消えるレンジでよかった。
そうでなかったら、黒焦げになって煙が出るまで気づかないところだ。 

あー、やっちゃったー、と、のぞきこんで、さらに愕然とする。
ガス台の上いちめんに、透明な液体がたっぷりとたまっていて、
それは全部、シロップ、なのだった。
つまり「完全に煮詰まった」のではなく「ふきこぼれた」のね。
止めたつもりでふたをしてあったから、派手にぶわーっとふきこぼれて、
水分がなくなったところでセンサーが働いてガスが止まった、というわけ。 

金柑そのものは、3つ4つ下が焦げたくらいで、
あとは下手なマーマーレードと思えばまあそんな感じだけれど、
なにしろ加熱が長すぎてもったりした味になってしまっているし、
何よりも、金柑の果汁を含んだシロップの全損失は致命的だ。

淡々と、黙々と、後片付けをする。
自分が悪いので、おこることができない。
妙にさばさばしたような気分である。
小声でピーピー言ってたレンジ君も、役目を忠実に果たしただけだ。
覆水盆に返らず、シロップ鍋に返らず。
しかし、悔しい。

 

 

お口直しに、水玉おひとつどうぞ。

 

 

本日の「いいね!」


Rolling Through The Bay

Scott Weaver氏が35年かけて爪楊枝で作った街。

 

おまけ

座高検査78年の歴史に幕

要らなくなった座高計の使いみちはないかしらね。

 

コメント
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