時鳥さんから「ウクレレ男」を拝借して、
包丁男の話をつづけます。
なるほど、持つものは凶器とは限らないか…。
お天気の日にいつも傘をさしているおじさんがいたら、
それはきっと「傘おじさん」だ。
前に住んでいた町には、野良猫に餌をやる有名なおじさんがいて、
近所ではみんな「猫おじさん」と呼んでいた。
あるていど親しみが感じられれば「○○おじさん」と呼び、
危険あるいは不気味なら「○○男」と呼び捨てにするが、
どちらも同じものだ。
共通するのは、非日常性、だろうか。
ふつう持たないようなものを持っている。
ふつうしないようなことをしている。
だから、目立つ。気になる。
ヒトは、群れ社会をつくる動物なので、
気になることを見聞きすると、仲間に伝えようとする習性がある。
それが危険なものなら警戒する必要があるし、
良いものならさっそく真似したり利用したりする必要がある。
そうした情報を、より多くの仲間とやりとりするために、
ヒトは言語という便利なものを持っている。
現場にいるなら「ほらほら、あれ!」と指させばすむが、
現場にいない人にまで伝えるには、対象を呼ぶ「名」が必要だ。
とりあえず、目立つ特徴と属性を組み合わせておくのが
てっとりばやくわかりやすいだろう。
こうして「ウクレレ男」や「傘おじさん」が誕生する。
(ご本人が先に名乗らなかったら、某有名歌手だって
「ムーンウォーク男」と呼ばれていた可能性もある…かな?)
〈例〉晴れた日にウクレレを抱えて商店街を歩いていた
某町在住の甲田乙郎さん(自営業・男性)は、
あっというまに「ウクレレ男」になってしまった。
ウクレレ自体は凶器でも怪しいものでもないと思うけれど、
何か「文脈からはずれた」要素があるのだろうか。
乙郎さんが隣の人にウクレレをぽんと手渡せば、
こんどはその人が「ウクレレ男」を引き継ぐのか。
場所はどうだろう。
そこが駅前商店街ではなくハワイの砂浜だったら、
ウクレレを持っていても絶対「ウクレレ男」にならないのか。
そういう問題ではなさそうだ。
「物」と「場所」を選ぶのは、あくまでも「人」なのだ。
つまり、「その物」と「その場所」をあえて選択した乙郎さんの
「意思」の方向が、すべてのモトなのである。
群れの中で、他と異なる方向に動く個体に、周囲は注目する。
警戒して排除すべきなのか、賞賛して真似すべきなのか、
少しでも早く見極めて判断しないと落ち着かないからだ。
そのために名をつけ、注意を喚起し、情報を交換し合う。
(「有名人」というのは、つまりそういうことですね)
唐突だが「ナルニア国物語」を思い出す。
セントール(ケンタウロス)は半分馬だが、
頭を含む上半分が人であるゆえに人間の味方だった。
しかし、頭が牛になっている人(お名前忘れました)は
残りの半分も含めて敵の魔女側なのだ。
「ウクレレ男」も頭がウクレレになっている。
乙郎さんというヒトは、ウクレレというモノを
コントロールしきれず、主従が逆転している。
もちろんそれだけで敵と決めつけるわけではないけれど、
自分の手にしたモノに支配されているようなヒトが、
群れの仲間をより良い方向に導くとは信じがたい
(と、まあ、現時点ではそう判断された)。
そういう意味では「狼男」と同じくくりでも間違っていない。
人と、物と、場所。
この3つのバランスが、ある一定の基準を超えたとき、
(あるいは「はずれた」とき)
何らかの化学反応が起こり、ウクレレ男が発生する
…のかもしれない。
すべては言葉のワンダーランドで起こる不思議な出来事。
(というわけで、「アリス・イン・ワンダーランド」を
観に行こうと思うのですが、2D字幕版の上映館というのが
とんでもなく遠いのであります。
3Dで観ると酔いそうで、帰りが心配だ…)