閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

雪玉ころがし

2010-02-28 10:31:35 | 日々
連日、冬季オリンピックのニュースを見ていて、思う。
暑い地方の国が参加していない、だけでなく、
他にも何か足りないような気がする。

スピードや技を競うものはいろいろそろっているが、
重量挙げとか砲丸投げのような「力技」がない。
柔道やレスリングなど、格闘技に属するものもない。
アイスホッケーを氷上の格闘技と呼ぶそうだが、
あれはやっぱり球技の一種だろう。
そして球技がアイスホッケーしかないのは物足りない。

冬の球技といえば、なんといっても「雪合戦」でしょう。
個人戦なら、力技も兼ねて「雪玉ころがし」とか。
ちゃんとした国際ルールを作り、洗練されたゲームになれば、
カーリングより絶対面白いと思う。

アルペン競技と呼ばれるものは、選手だけでなく、
そのコースを作る裏方の人たちがすごく大変そうだ。
いっそのこと、コースなど何もないところで
雪かきしながら進む「ラッセル種目」を作ったらどうだろう。
練習場所には事欠かない。
スポーツに興味のない人にも喜ばれるかもしれない。

雪のブロックを積み上げてイグルーを作る競争。
札幌雪祭りみたいに、チームを組んで巨大な雪像を作る競争。
そういう雪国ならではの楽しい種目がもっとあるといい。
規定とフリーがあって、技術点と芸術点があって、
それらの合計得点で優勝が決まる。
審査の基準がなかなか難しいかもしれないが、
それはフィギュアスケートだって同じこと。

ということで、きょうフィギュアのエキシビジョンを
見られれば、わたしは満足です。
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ホッチキスの謎

2010-02-27 10:03:07 | 

ものや言葉の「由来」が好きで、
聞くと「ほほう」と思うし、わからないと調べたりする。

サンドウィッチは、サンドウィッチ伯爵が
トランプをしながら食べるために発明した。

缶詰はイギリス人が発明したが、缶切りは、
その後40年もたってからアメリカ人が発明した。
(それまでは、のみとハンマーで開けていたそうだ)

ホッチキスは、機関銃を発明したホッチキスという人が
機関銃の弾から思いついて発明した。

…と、ずっと信じていたら、
ホッチキスさんの話は嘘だということがわかった。
英語ではホッチキスじゃなく「ステープラー」という。
日本に最初に輸入されたのが、ホッチキス社の製品であり、
機関銃の発明者の名前と同じだったのは単なる偶然らしい。

ホッチキスを使うことが減った。
ホッチキスどめの書類を処分するとき、
金属の針は燃えないごみだから外さねば、などと、
ついこまかいことに気をつかう。
外すのはいいが、そのちっちゃい針はどこに捨てるのか。
気分的に面倒なので、最初からあまり使いたくない。

針のいらないホッチキス、というのを買ってみた。
商品名は「マジックステープラー」。
紙の端に細長い穴をあけて綴じるパンチ方式で、
発想としてはとてもよくできている。
ところがこれ、ちょっと厚口の用紙だと
2枚くらいしか綴じられない。
3枚はなんとかなるが、4枚はもう苦しく、
めくるとはずれてしまったりする。
逆に薄すぎる紙だと、2枚でもうまくくっつかない。
まだ開発途上商品かもしれない。

折りたためるホッチキス、というのも出来たらしい。
ふつうワニが口を開けたような格好をしているが、
それをぱっちんと閉じた形で固定できるので、
バッグにいれて持ち歩いても邪魔にならない、とか。
(ホッチキスを持ち歩く必要のある人というのは
どういう職種の人なのか、ちょっと想像がつきませんが…)

で、現状はというと、
3枚までの、あまり重要でない紙は、マジックステープラー。
穴をあけたくない紙は、昔ながらのゼムクリップ。
ゼムクリップは子どもの頃から大好きで、
キャンディの空き缶にざくざく入っている。
最近いろんな変わったデザインもあって楽しい。

10枚くらいになると、ガチャックか、コクヨのクリップル。
この2つは似たような商品で、とめ具が繰り返し使え、
前者がステンレス、後者が樹脂製。
器具なしでとめられる点ではクリップルの勝ち。

10枚以上になると、ダブルクリップが安心。
いちばん大きいダブルクリップを使ってとめられないくらい
分厚い原稿というのは、いまだ書いたことがない。

明治・大正生まれの世代には
ホッチキスを「ホッチキ」と呼ぶ人がよくいた。
略すほど長い名前ではないと思う。
もしかしたら「ホッチ器」だろうか。
「ス」は複数のSという認識だろうか。
そういえば「分度器」というものもあった。
久しく見ないけど、今でもあるのかな。
ありますよね。

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親子丼

2010-02-26 15:00:23 | 日々
豆腐ともやしの炒め物を食べながら、
「豆腐ともやしって同じものだね」とMが言う。
豆腐の原料は大豆。
もやしも大豆。
うわあ、そうだったのか。

「ごはんにのせたら親子丼だ」
「どっちが親?」
「それはやっぱり…もやしでしょう」

もやしが育って、実ができれば大豆。
大豆から作るのが豆腐。
つまり、もやしは豆腐の親?
だけど、そのもやしは大豆から生えるんだから…はて?
わたしは、なんとなく、豆腐が年上に思えるんですが。

ところで、味噌も、醤油も、原料は大豆。
だから、豆腐ともやしを、味噌と醤油で味つけすれば、
さらにすごい親子丼ができるはず。
こんどやってみましょう。

(…で、もやしと醤油は、どっちが親なの?)

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ヒトデの謎

2010-02-24 22:07:45 | 

Mのアトリエにある海水魚の水槽には、
小魚のほかに、カニ、エビ、ヤドカリ、ウニ、アメフラシ
などなど、さまざまな小さい生き物がいる。

海水魚は海水でないと飼えないので、
ときどき軽トラックで海まで水汲みに行く。
ついでに海草もとってきたりする。
海草にはいろんな生き物がくっついているので、
知らないうちにメンバーがふえていることがある。

ヒトデの赤ちゃんを発見した。
最初は直径6ミリくらいだった。
ちゃんと小さな星型をしている。
水槽のガラスにはりついているとわかりやすいが、
そうでないとめったにお目にかかれない。
先日、久しぶりに見たら、10ミリくらいに成長していた。

魚には頭としっぽがある。エビにもある。
アメフラシも、輪郭があいまいではあるけれど、
いちおう頭(少なくとも眼だか触覚だか)はちゃんとある。
頭があれば、そこが前で、反対側がうしろと言える。

さて、ヒトデは、どこが「前」でしょう。

ヒトデの口は中央部の裏側にあるそうだから、
いちおう真ん中あたりを頭とみなすとして、
5本の足(だか腕だか?)はその周囲に均等に生えており、
チェスのクイーン同様、全方向に動ける、ように見える。
前もうしろもない。
上と下、表と裏の区別はあるらしい。
(裏返されるとあわてて元に戻るようだ)

そこで、疑問。
ヒトデの場合、移動するときは常に「前進」なのか。
それとも、ヒトデなりに右折や左折や後退もしているのか。
手裏剣のように回転して進んだりする可能性はないのだろうか。

さらに、疑問。
5本の足は、まったくランダムに使用されるのか、
それとも、どれかが「利き足」だったり、
動かす順番が決まっていたりするのか。
そもそも、「あっちへ行ってみよう」「ちょっとここで止まろう」
といった決定は、ヒトデのどの部分でなされるのか。
じっと見ていると、ちっとも動かない。
ちょっと目を離すと、もう姿を消している。
けっこうクセモノである。

ヒトデ族には「前向きに検討」という言い回しはないし、
「右往左往」することもない。
右に出る者もなければ、左遷される者もない。
上下関係だけはあるが、たいしたことはない。
ヒトデ会議は巨大な円卓を囲んで行われ、
あらゆる事案はコイン投げで決定される。
表か、裏か。
きわめて明快。
イカサマをする奴も、たまにはいるが、
それもたいしたことはなさそう。


英名はスターフィッシュ。
フィッシュといっても魚類ではないけれど。
ちなみにムーンフィッシュとサンフィッシュは
どちらもマンボウの別名だったりするようです。

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またのぼった

2010-02-22 16:15:31 | きなな日記
おはなみは まだかな
つぼみ ちいさい かたい やまざくら

まりんねえちゃんが きのねもとで
ばりばり つめをといでいるので おりられません

「やねよーりー たーかーい きなこーろーりん♪」
うたってないで なんとかして かあさん
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帰らずのソレント

2010-02-20 17:57:03 | 日々
ホテルのレストランで朝食をとる。
昼と夜は南欧料理を出す店らしい。
壁にそれらしい色柄の絵皿が飾ってあったりする。

定食形式では、いらないものが多すぎるから、
わたしはふつう利用しないのだが、
Mは朝からしっかり食べたい人なので、
たまにはいいかと、おつきあいで。
このホテルは坂の上にあり、ドアマンはいるし、
ちょいとコンビニまで、というのも出にくい雰囲気だし。

真っ白いテーブルクロスに朝食が運ばれてくる。
ホテルの名入りの時代がかった食器が楽しい。
しかし流れているBGMが気になる。
控えめな室内楽アレンジのカンツォーネや
コンチネンタル・タンゴが交互にかかる。
なんとなく聴き覚えのある曲が混じっている。

ああ、これこれ、なんだったかなあ。
「サンタ・ルチア」じゃなくて。
「君よ知るや南の国」でもなくて。
考え始めると、炒り卵をすくう手がうわの空になる。
(卵の量がたっぷりで、なかなか減らないのだ)

BGMというのは、背景に「流れて」いるもので、
真剣に耳を傾けるのは間違いかと思うけれど、
何かのはずみに耳がそっちを向いてしまうと駄目だ。
このまえも、スーパーでかかっていた曲から
チック・コリアの名前を思い出すまでに
ずいぶんぐるぐる歩いてしまったし…。

そういえば、音楽だけに限らない。
映画を観ているとき、主役の背後の壁紙の模様などに
知らず知らずじっと目をこらしていたりするのである。
小説でも、本筋にあまり関係のないような情景描写に
気をとられ、あとでそこばかり鮮明に記憶していたり。
意識のピントの合わせ方がずれているのだろう。
近視か、遠視か、両方かもしれない。

1コーラス終わる頃になって、歌詞の断片を思い出し、
ジグソーパズルのピースのようにぴたりとはまって、
ようやく全体像が見える。
「帰れソレントへ」だ。


音夢鈴さん情報によりますと、
あるメロディが耳について離れなくなる現象は、
「ディラン効果」と呼ばれているそうです。
こういうことにも名前がついているとは知らなかった!
そして、「帰れソレントへ」がただいま居座り中。
誰かにうつせば離れるんじゃないか?
という仮説を立てたので、実験のために書いてみました。
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マトリョーシカ

2010-02-19 10:21:26 | 

M作「5匹の猫」。

昨年、ナターリアさんの展覧会に行ったとき、
売店でマトリョーシカ(絵のついていない白木の)を買いました。
しばらくそのへんに置いてあったんだけど、見えなくなったので、
あれどうしたかな?と思っていたら、こうなっていました。

ロシア語で猫は「コーシカ」っていうそうです。

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目覚める前に聞いた声

2010-02-18 09:05:09 | 木苺通信

 

頬に触れる空気はきりりと冷えているが、
どこかにちらっと笑った気配もあって、
思わず微笑み返してしまう。

「ハッピー・バースデイ」(『木苺通信』より)

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バンクーバー

2010-02-17 10:13:26 | 日々
「あれ、カルガリー、だっけ?」とM。
「バンクーバー」
「バンクーバーってどこだっけ」
「カナダ」
「えー、その前がソルトレイク?」
「トリノ」
「荒川さんってトリノ」
「そうそう」
「トリノってどこ?」
「イタリア」
「イタリアでも雪降るの?」
「北のほうはアルプスだもん」
「あそうか」

「冬のオリンピックってよくわかんないんだよ」
というMは、オリンピック音痴、っていうか、
世界地理にもあんまり詳しくないようだ。

「そうか、暑いところの国は出てないんだ」
「やっぱりアフリカとか南米はね」

雪や氷のスポーツができる地域は限られる。
それに、いくら身体的能力が高くても、熱帯地方の人は
スキーやスケートをやりたくならない、のではないか。
わたしもあんまりやりたくならないけど。

「カーリングってぜんぜんわかんないね」
「どこが始まりで、どうなったら勝ちで、
どこで終わるんだろうね」
「本番か練習か、わかんないね」
「練習か、練習前のお掃除かも、わかんないね」

暴言すみません。
ふたりとも、カーリング音痴。
わたしはフィギュアスケートだけ見ようっと。

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プラネタリウム

2010-02-15 17:31:03 | 日々
絵本のレイアウトデザインが
デザイナーさんから送られてきた。
メールで指定されたアドレスにアクセスし、
PDFファイルをダウンロードして、パソコン画面で見る。
早い上に、プリントする紙が要らず、送料もかからない。
便利になったものです。

週末に法事があって出かけ、駅のホームで列に並んでいたら、
すぐ前の人のひらいた携帯(だよね?)が目に入った。
画面に縦組みの文字がびっしり表示されていて、
どうやらそれは「本」らしい。
本は紙のほうがいいと、わたしはまだ思っているけれど、
片手で、指1本でめくれる、という点に、ちょっと感心する。
列車が入ってきたので、その人は読むのをやめた。
待ち受け画面は娘さん(だよね?)の振袖姿であった。
写真もいまや「画面で見るもの」になり、
紙が要らないから、場所をとらず、捨ててもごみが出ない。
指1本で、あとかたもなく消え去ってしまう。

夜の8時ごろ、車で帰宅。
降りると真っ暗で、すごく寒くて、頭の上には満天の星。
どこだったか、最新式のプラネタリウムが
導入されるというニュースを見た。
見える星の数がこれまでの40倍にもなるそうだ。
もう星もプラネタリウムで見るもの、だろうか。
暖房の効いたリクライニングシートで
のんびり眺める冬の星座というのも変な気がする。

白い息を吐き、寒さに足踏みしながら、
見上げたオリオンの一瞬のきらめき。
電源を切って、眠るあいだも、消えない。


今年もバレンタインの贈り物をいただきました。
クッキーとかきな粉とか黒豆とかキャビアとか貝の燻製とか…
とっても楽しいです。
ありがとうございました。
例によって所在不明のサンゴロウと
配達に忙しいテール君にかわって御礼申し上げます。
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