閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

お花畑

2009-03-31 08:52:27 | 日々
隣町の「お花畑」が、いまちょうど見ごろ。

何種類もの花の種をミックスしてまいてあるので、
遠目には、背の高い姫金魚草のピンク系が目立ち、
近くに行くにつれて、足元にルリカラクサの青や
アフリカキンセンカの橙色があらわれてくる仕掛け。

足元を見続けるとちょっとくらくらしてくるから、
ときどき遠くを眺めたり、立ち止まって空を仰いだりして、歩きました。
(この日は見物客がずいぶんたくさん来ていましたが、
どれくらい「たくさん」かというと、こうして写真を撮っても
人がひとりも写らないくらい…)

矢車草とポピーはまだひとつも咲いていないようなので、
これから4月末くらいまで、少しずつ草丈も伸び、
色の配合も変化しながら、長く楽しめます。

5月に入ると数日間は「摘み放題」となり、
そのあとこの場所は見渡す限り田んぼになってしまうのです。
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6ミリの壁

2009-03-30 21:02:31 | 日々
某ネット書店から来る「おすすめメール」に
某翻訳SFのタイトルが入っていた。
たしかこれで2度目。
いいかげんに日本語版買いなよ、と言われた気分。
米国版を、もう1年以上かけて、ちびちび読んでは休み、
ちっとも読み終わらないのでした。
うん、残り約6ミリね…厚さが(笑)
ここまで来て翻訳を買うのは損だと思う。
うーん。あと6ミリ。

ばらばらだった3人の主役が、だんだん一か所に集まってきたので、
さあここから一気に盛り上がって終盤に向かうのか、と思うけれど、
あまりにゆっくり読んでいたため前のほうを忘れてしまった。
(個人的には、ミルグリムとブラウンの妙なコンビが、
「モナリザ」のスリックとジェントリィを思い出させてくれるけれど)
そして、この結末をどうしても知りたい、というほどでもない自分に
うすうす気づいてしまっている。



ふあふあさん。
可愛い猫の絵葉書ありがとうございました。
ほんとだ、きなこ、そっくり!
黒猫さんは珊瑚より真鈴にそっくりです。
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桃猫

2009-03-28 09:36:14 | 日々
季節の伝統行事はなるべく旧暦でやるのが良いと思う。
特に桃の節句と七夕は。
新暦だと雛祭りに桃はまだ咲かないし、
七夕もいつも梅雨の最中で寂しい。

というわけで明日が旧暦の3月3日(…でしたよね?)。
すもも嬢さん、桃の木に登って、おすましポーズ。
うちでは誰よりも「和風」の似合う猫でございます。
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葉牡丹と芭蕉

2009-03-27 09:38:12 | 日々
時鳥さんが「葉牡丹とキャベツ」のことを書かれているのを読み、
そういえば…

・子どもの頃、シュロをヤシの木だと信じていた。

・リュウゼツランとキミガヨランの区別は早くに覚えたのに、
ソテツとパイナップルの関係がいつまでもあやふやだった。

・芭蕉をバナナだと思っていた。
日本は寒いから、実がなるのはちょっと無理だろうと、
自分で勝手に考えて納得し、気の毒に思っていた。

・そして、松尾芭蕉の『奥の細道』と聞くと、
なぜか「リビングストン博士」の絵が浮かぶのだった。
ジャングルの奥の細い道をわしわしと進んでいくのである。
北原白秋の書いた南方紀行だかの本がうちにあって、
リビングストンのようなヘルメット帽をかぶった著者と、
バナナもしくは芭蕉の木などの写真を見た記憶があり、
どこかで混同したと思われる。



葉牡丹を、あらためてよく見ると、最近は品種改良が進み、
昔よりサイズはぐっと小さめに、フリルは多めに、
そして色もパステルカラーで、すっかり洋風になっている。
(というか、もともと洋野菜だったわけですが…)
花壇に並んでいるとサーティーワンアイスクリームみたいだ。
この時期、トウ立ちして段々に伸びた姿もまた可愛らしい。

昔の葉牡丹には「こんなはずではなかった」と呟いているような
一種の暗さが感じられた、ような気がするのだが、
今どきの葉牡丹にはそれがない。ひたすら明るくて、軽い。
きみたちのご先祖は野菜だったんだよ、と教えてあげても、
「え、うっそぉ! ありえなーい」とけらけら笑っていそうだ。
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ドリフト猫

2009-03-26 09:22:37 | 日々
きなこ近影。

家の中が居心地いいのか、さっぱり外に出たがらなくなり、
無理に出しても猫穴に直行してスタコラ帰ってきてしまうので、
(お外は寒くて空腹だったという記憶がまだ抜けないのかな)
と思っていましたが…

山の桜もちらほらと咲き始めた午後、
ようやく庭のひなたでくつろいでいる姿を発見しました。
ほら、けっこう美人さんでしょう。

そして、けっこう気が強い。
黒猫の頭は平気で叩くし、
(ときどき真鈴を叩いて「なにすんのよっ!」とおこられている。
もしかしたら、さんちゃんと真鈴の見分けがつかないのか…?)
すもも姉ちゃんとも、かなり互角の勝負になってきました。
雨が降るとエネルギーを持て余し、
室内でひとり運動会やってます。

椅子から飛び降り、猛ダッシュして、隣室のTVの裏に飛び込み、
(配線が危険なので、上にまとめて吊ってある…)
ダッシュで引き返し、ピアノの前で派手なドリフトターン。
椅子に飛び乗り、クッションごと向こうへ滑り落ち、
そのままの勢いでまたTVの裏へ(繰り返し)。

うーん、いろんな猫を飼ったけど、ドリフト猫は初めてだ。
床、傷だらけ。

そして、じつにしつこく台所に侵入し、
隙あらば何でも食べてしまう傾向は相変わらず。
もう叱ってもおびえたりいじけたりする心配がなくなったので、

「こーらっ! どん(台所の床を踏み鳴らす音)」
「ずだずだずだっ(逃げていく音)」

…というのを、毎日10回くらい、やっております。
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「クレーン・クレーン」韓国版

2009-03-25 09:29:44 | お知らせ(海外版)

韓国版が出ました。

日本語版(偕成社)は1991年初版。
絵をよーく見ると、当時Mが好んで聴いていた音楽の
傾向なんかもわかって面白い。

クレーン クレーン

竹下文子・作
鈴木 まもる・絵

偕成社
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白菜の花

2009-03-24 14:51:54 | 日々
冬のあいだはおとなしく畑にすわっているが、
春の訪れとともにむくむくと変身を始め、
野菜とは思えないほどのあでやかさ。
こうして真上から見ると、クリノリンレディを思わせる。
万華鏡をのぞきこんだようでもある。


最近買った本
・「ハサウェイ・ジョウンズの恋」白水社
・「愛の世界」国書刊行会
・「ネコ型社員の時代」新潮新書

ちょっとひさしぶりに新しい本をまとめて入手。
2番目のは装丁があまりに美しかったため(勝本みつるさんです)
珍しくジャケ買いである。
作者のエリザベス・ボウエンという人は知らなかったが、
キャサリン・マンスフィールドとほぼ同時代の人だろうか。
書き出しのこまやかな文体も似ているところがある。
原書でも読んでみたいと思う。

3番目のは新聞広告で見て、呼夜に「なんか面白そう」と言ったら、
「それはオレが読むんじゃなくて、オレの知り合い連中が読むべきでしょ」
とのこと。
で、わたしが読むことに?(笑


そうそう、先日「猫の記念樹」のことを書いたら、
真鈴には「コデマリはいかがでしょうか?」とメールをいただきました。
なーるほど! 「まり」で始まる木ばかり考えて、
「まり」で終わる名前を見逃していました。
白いコデマリの花の下に、黒い猫。
絵になりますね。
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祭りの合図

2009-03-23 08:53:51 | 日々
桜の開花宣言がなぜ必要か、ということを考えていて、
ふと思い当たった。
これはつまり「祭りの合図」なのではないか。

日本人の大好きな「お花見」というのは独特なもので、
スーツ姿のビジネスマンも木の下に座り込み、
飲んだり食べたり歌ったり踊ったりする。
これは桜、それもソメイヨシノの花の下でだけ見られる
奇妙な現象である。

田舎の花見は良い。
人の数と桜の数のバランスがとれている。
桜と桜の間にもじゅうぶんな空間があり、
浮かれた声も広い空に吸い込まれていく。

都会では少しの桜におおぜいが殺到して足の踏み場もなく、
ほこりの舞う道路わきだろうと、ゴミ箱の隣だろうと構わず、
「ええっ、こんなところで?」と思うような場所でやっている。
ふだんは誰もこんなことはしない。
昼間から地べたに座って酔っ払って騒いだら「ヘンな人」だろう。
ホームレスの人だってもっとずっとお行儀がいい。

ふだんしないようなことを堂々とやっても誰もとがめない。
むしろみんなそろって堂々とやるのが当然とされている。
ああそうか、これは「祭り」と同じなんだ。
年に一度、この季節にだけ、すべての桜は祭壇となり、
コノハナサクヤヒメに酒肴を供え、歌や舞いを奉納する。
そう考えれば納得がいく。

(ソメイヨシノが喜ばれることも、それでわかる。
ぱっと咲き、ぱっと散る。
あまり長いことじっくり咲いていられては、
祭る側の体力がもたない)

とすると「開花宣言」はすなわち「開会宣言」だ。
「さあここで祭りを始めてよろしいぞ」というご託宣。
これが出ないうちに個別にやると「ヘンな人」になってしまうから、
みんなかたずをのんで宣言を待つわけだ。

かつて某出版社は桜の名所の近くにあり、
花見の宴では新入社員が木に登るのが伝統になっていた。
今ではどうかしら。
温暖化で、入社式の頃には桜も散ってしまっているようだし。

ちなみに、わたしはシートの青色を見ると頭がくらくらするため、
「場所取り中」のお花見スポットには絶対に近寄れません。
これじゃない色のシートを誰か開発してください。

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開花宣言

2009-03-22 10:48:08 | 日々
気象庁の人が木の下に立ち、
慎重な口ぶりで桜の開花を宣言すると、
周りで見守っていた人々からパチパチと拍手がおこった。

日本の冬が特別厳しいというわけではないだろうが、
それでも人は桜が咲く日を待ちわび、
咲いたといってこんなに素直に喜ぶ。
花の下で宴会ができることを思ってにこにこしている。
のどかな国である。
しかし開花というのは宣言してもらわないと駄目なものだろうか。
咲いたかどうかなんて、子どもが見てもわかるのに。

梅雨が長引き、夏休みに入ってもはっきりしないお天気がつづくと、
気象庁には早く梅雨明け宣言を出せという要望が殺到するそうだ。
まるで宣言をすればカラリと晴れるとでもいうように。

科学が発達する以前、お天気は占いの分野であった。
気象庁は現代の神主さんで、天気予報のおねえさんは
さしずめ巫女さんである。
観測衛星やハイテク機器が駆使されていても、
民は予報をありがたい神託の一種だと思っている。

早ク桜ガ咲クトイイナア。
民の願望は神様に聞き届けられ、そして開花宣言が下された。
このあと急に冷えこもうと雨が降ろうと風が吹こうと、
それは神様の責任ではない。
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記念樹

2009-03-20 15:28:46 | 日々
何かの記念に木を植える、というのは素敵なことだと思います。
子どもの頃からアパート・マンション暮らしが長かったので、
ベランダで鉢植えを育てることしかできませんでした。
だから「木を植える」ことにはあこがれがありました。

いまは、家の周りに自由に使える地面があり、
その周りには「使ってもたぶん誰も文句を言わない」山もあるので、
苗木を植えようと思えば植えられますが、
あらたまって記念植樹をしたことはありません。
(だってそういう特別な木が枯れちゃったらすごく悲しいと思う…)

そうそう、うちでは猫のすももだけ「記念樹」があるのでした。
すももを拾ったとき、8歳くらいだった呼夜が、
園芸店の広告を持ってきて「どうしてもこれが欲しい!」
と言うので買ったのが、スモモの苗木だったのです。

植えて数年後には、鈴なりに赤い実がなって、
生では酸っぱいのですが、とてもいいジャムになりました。

何年か、ジャムを作り続け、しだいに実つきが悪くなり、
剪定やら肥料やら、よくわからないままに伸び放題で、
毛虫にたかられたり、ハクビシンに襲撃されたり、
ほとんど1個も収穫できない年もあり…

でも、今年はとてもきれいに咲いています。
実がなるでしょうか。
なるといいなあ。


他の猫も、名前にちなんだ記念樹を考えてみました。

茶々姫…もちろんお茶の木で決まり。

珊瑚…サンゴジュ。名前はぴったりですが、わたしには
あまり良い思い出がないもんで…かわりにサンシュユで。
「ボクは登れる木がいいなァ」とさんちゃんは言っておりますが。
(あのね、どんな木だって、登れるようになるには年月がかかるのだよ)

真鈴…「まり」のつく木が思い浮かびません。マリーゴールドは草だし。
マロニエかマルメロはいかが?

きなこ…キナの木は薬用植物ですが、成分が穏やかでないので除外。
「き」のつく木では、キンモクセイがすでに植えてあるから、
キリの木がよさそうだと思います。
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