木の実といえば栗やどんぐりのように、おもに秋に落ちるイメージだが、年を越して枝に残る木の実もある。
これはナンキンハゼの実。
長さは1センチ足らずで、豆まきの豆より小さい。
真っ白い木の実というのは珍しい気がする。
離れたところから木を見ると、葉の落ちた枝先にぽつぽつと雛あられのような白い実がついていて、とても不思議な眺め。
これをたくさん集めて煮溶かして固めればロウソクが作れるそうだ。
でも実はすべて手の届かない高い枝にあり、下を探してもひとつも落ちていない。
鳥などが食べているのかもしれないし、下は草むらだから見つかりにくいだけかもしれない。
先日の風で折れた小枝があったので、初めて手に取ってよく見ることができた。
こちらはカラスザンショウの実。
この状態で、茎ごとひとかたまりに落ちてくる。
黒いつやのあるかたい種は、落ちてもしばらく殻にくっついたままだ。
枝に残っている実はわずかになった。
しかし、さすが山椒の名がつくだけあって、見事にとげだらけです。
カラスザンショウの種は鳥によって拡散するらしい。
以前は種から芽生えた幼木がそこらじゅうにあり、このとげとげが大きくなると厄介なので、片っ端から抜き捨てていた。
しかし最近それをほとんど見かけない。
大量の種が毎年落ちるにもかかわらず、芽生えたものがないということは、やっぱり鹿さんが片っ端から召し上がっているのだろうか。
鹿はミカン科の木が好きで、この地域で最初に深刻な被害が出たのもみかん山だった。
キンカンやレモンは、けっこう痛いとげを持っているけれど、鹿から身を守るには役立っていない。
一方、同じミカン科でもカラスでない本物のサンショウの木は、ごく小さいものでも食べられずに残っている。
とげの鋭さの違いなのか、味の違いなのか、よくわからない。
ヤシャブシの実も枝にあるけれど、こまかい薄い種はとっくに風で飛んでいったあとだろう。
この木は「柴」としても非常に扱いやすくて好きだ。
木の実ではないけれど、ジャノヒゲの実も真冬に色づく。
ひっそりと葉陰に隠れた瑠璃の珠は、春先までこのまま。
ジャノヒゲは別名リュウノヒゲともいい、同じ爬虫類(?)でも蛇と竜ではだいぶ違う。
「竹取物語」で大伴大納言が「竜の首に光る五色の珠」を取りに行くくだりを読むと、竜つながりで、まずこの瑠璃色の実が頭に浮かび、あとの四色は何がいいだろうかと、つい植物系でそろえたくなってしまう。
子どものころは、かぐや姫に求婚する五人の公達がみんな馬鹿みたいに見えたが、今あらためてちゃんと読むと、ここまでひどい目にあった上に嘲笑されなくてもいいのではないかと、むしろ気の毒になる。
西洋の物語なら、ここに身分も財産もないが機転の利く若者が参入し、ディエゴ・マラドーナみたいなドリブルでライバルを抜き去ってめでたくゴールインというパターンなのだが、竹取物語ではそうならない。
昔話おきまりの「無理難題」が、相手の勇気や知恵を試すためではなく、ただただ断るための方便に使われるという婉曲さ、勝者が誰もいないラストの理不尽さは、西洋では理解しにくいのではないかと思う。
家来まかせにしておけず、みずから航海に乗り出す大伴大納言は勇ましくてよい。
少なくとも、こそこそ大金を積んで偽物を作らせたり、偽物をつかまされたり、いつまでも未練がましく泣いてたりする他の連中よりはましである。
かぐや姫を迎える気で夫人を離縁し屋敷も改装しちゃったんだから、まあ馬鹿ですけどね。
本日のコマちゃん
新聞少年。
誰かが新聞を広げると、真ん中に「ぐわしゃっ!」と飛びこむのが何よりも好き。
夜、コマ吉が何やら得意そうにくわえて階段をトコトコ上がってきた。
口の横にはみ出たものが羽っぽく見えてどきっとする。
よく見たら、階下のテーブルの上にあった折り紙の鶴だった。
鳥!と思ったのか、紙!と思ったのか、それはわからない。
足元にぽとりと置いて待っている。投げてやると大喜びで飛んでいって、またくわえて持ってくる。
噛んでくちゃくちゃになったので、封筒の紙でしっかりした大きいのを折ってやったら、えらくお気に入りだ。
紙だから投げてもあまり飛ばず、6秒から10秒で戻ってきてしまうので、こっちは忙しいったらない。
(トリック・オア・トリートならぬ「早く投げなきゃいたずらするぞ」で、何されるかわからないので…)
ときどき、偶然とは思うけど、鶴の首のつけねを正しくがっぷりくわえ、のしのしとライオンのように歩いてくるのを見ると、先が思いやられる。
本日の「いいね!」
Marbles, Magnets, and Music
チャイコフスキー「花のワルツ」
最後に思わず拍手しちゃいましたよ。
同じ人の、もうひとつ。
Line Rider
グリーグ「山の魔王の宮殿にて」