
ミツマタ(三椏)の花。顔を寄せるとほんのり香りがする。

ジンチョウゲ科…と言われれば、なるほど、あつまって咲く花の形も、枝ぶりもよく似てますね。
下は斑入りのジンチョウゲ。
下は斑入りのジンチョウゲ。

このあたりの山には、もともとミツマタ、コウゾが多く、針葉樹の植林ばかりになった今も、明るい林の縁などに残っている。
広い田畑の作れない山村では、炭焼きや養蚕のほか、和紙の原料になるこれらの植物が、かつては貴重な収入源になっていた。
これくらいに切って、何本束ねて、それを何束単位でいくら、という話を、もう30何年か前にお年寄りに聞いたような記憶がうっすらとある。書き留めておかなかったのが残念だ。
広い田畑の作れない山村では、炭焼きや養蚕のほか、和紙の原料になるこれらの植物が、かつては貴重な収入源になっていた。
これくらいに切って、何本束ねて、それを何束単位でいくら、という話を、もう30何年か前にお年寄りに聞いたような記憶がうっすらとある。書き留めておかなかったのが残念だ。
ミツマタは紙幣にも使われているけれど、現在はほとんど輸入に頼っているそうです。

ふきのとう。雄花から少し遅れて、雌花が出てきた。
黄色味のある雄花にくらべ、雌花は白くて細い糸状で、ややぱさつく感じはあるけれど、雄花より苦くない…ような気がする。
試しにふき味噌を作ってみたら、下茹でしなくても、ほどよいほろ苦さに仕上がった。
試しにふき味噌を作ってみたら、下茹でしなくても、ほどよいほろ苦さに仕上がった。
20センチも伸びてしまったふきのとうは、てっぺんの花の部分を除き、茎と葉だけ刻めばじゅうぶん使えるそうですが、うーん、そこまでしなくても、また来春のおたのしみで、いいかな。

西の川沿いの、このあたり一帯、ざっと見回して30個ほどが、すべて雌花。
雄花と雌花はあまり混在せず、別々の場所にかたまっていることが多い。一つ一つではなく、地下茎でつながっているグループ全体が、雄株か、雌株か、ということなのだろう。
雄花の咲く場所から、ここまで、わたしの足で100歩ほど。花粉は風や虫が運んでくれるから、それくらいの距離は問題でないのかもしれない。
それに、たとえ受粉しなくても、フキは地下茎でどんどん増える。川の斜面や崖地のような、柔らかく崩れやすいところを好み、土が固まって安定してくると、いつのまにか姿を消すという。
雄花の咲く場所から、ここまで、わたしの足で100歩ほど。花粉は風や虫が運んでくれるから、それくらいの距離は問題でないのかもしれない。
それに、たとえ受粉しなくても、フキは地下茎でどんどん増える。川の斜面や崖地のような、柔らかく崩れやすいところを好み、土が固まって安定してくると、いつのまにか姿を消すという。
そういうとき、新天地を求めて旅立つための、風に乗る綿毛の種子という手段も、フキはちゃんと備えている。

日一日と「お花」になってゆく銀猫ちゃんズ。

アジサイの新芽。
昨年の猛暑で、枯れたかなと心配していたいくつかの品種も、根元にしっかりした芽が出ていて、ほっとする。
昨年の猛暑で、枯れたかなと心配していたいくつかの品種も、根元にしっかりした芽が出ていて、ほっとする。

そして、バイモ(アミガサユリ)。
記録をさかのぼってみると、だいたい3月19日から23日にかけて咲いていた。今年は、まだひとつだけ。

青白く、なよなよと柔らかく、一年の半分以上を眠ってすごすという、なんとも不思議な植物だけれど、今年もお顔を見られて、嬉しい。
(地面に大きな栗のイガがいっぱい落ちているため、「下から」撮るのは超難しいのよ)
(地面に大きな栗のイガがいっぱい落ちているため、「下から」撮るのは超難しいのよ)

おさんぽ、コマ付き。
(栗のイガのところから、ずーっと乗りっぱなし)
(栗のイガのところから、ずーっと乗りっぱなし)

お? クレも来た。
本日の「いいね!」
…と、もうひとつは、「いいね」じゃないね。
設計者は「誰も見たことがない施設をつくりたい」とのことですが。
使う人の安心感や心地よさを二の次に、自分の存在が目立つ新奇なものを作りたがる、いわばファッションデザイナー感覚の「新進気鋭の建築家」と、それを考えなしに喜びもてはやす自治体の組み合わせって、何なんだろうね。
前に紹介した〈蟻鱒鳶ル〉(アリマストンビル)だって、似たようなものじゃないかと言われるかもしれないけれど、実験でも挑戦でも自己主張でも、個人の楽しみとして自力でこつこつやるのと、公共の場で不特定多数の人々を対象に(税金、のことは言わないまでも)作るのとでは、まったく次元が違う。
もともと「万博」というもの自体、みんなが「見たことのないヘンなもの」を期待してやってくる見世物小屋だと思えば、これで良い、のかもしれませんけど。