閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

春をさがす・その4

2018-02-28 17:14:14 | 日々

庭の白梅につづいて八重の紅梅が咲き始め、紫のクロッカスの花がひらくと、よし、もう春だ、もう大丈夫!という気がしてくる。
とはいえ、まだしばらくはストーブも必要だし、予報では今夜から「大荒れ」だと言っているけど、大丈夫でしょうか。

 

 

ふきのとうも花盛りに。
小さい星形の集まったこちらが雄花で、白っぽい糸状のが雌花。
どっちがどっちだったか、毎年忘れて、調べる。
そうだ、「糸子さんと星夫くん」と覚えよう。
…と去年も思ったような?

 

桜は桜でもフロックス・スブラータ。
ピンクはこれくらいの色味がよい。 

 

毎年、沈丁花が欲しいなと思いつつ、いまだ入手できずにいる。
お山の沈丁花、オニシバリの花がひっそり咲いていた。

 

西タウンに行く途中の道路沿いに、薄黄色の実を鈴なりにつけている木があって、あれは何だろうと晩秋の頃から気になっていた。
車を停めて見ればいいのだが、「あ、あれ…」と思ったときにはいつも通り過ぎてしまっている。
葉がすっかり散り、年を越しても、実は落ちない。
お隣の酔猫さんも同じように気になっていたらしく、先日一枝折ってきてくださった。
行動力の違いが歴然ですね。
さて、これは何だろう。
実のつき方や残り方がなんとなくナンキンハゼに似ていると思い、そのあたりから調べ始めたが、ハゼノキの実はもっと小さいし、第一あの場所で真っ赤な紅葉を目にした記憶がない。
図鑑を行きつ戻りつしていたら、たまたまハゼノキの図版の裏のページがセンダン科で、これはセンダンの実だとわかり、数か月にわたる疑問がとけたのでした。



すっかり枯れたように見えるが、実の皮はとても丈夫だ。
それをはがすと、白いロウのようなものに包まれた長さ1センチほどのかたい核が出てくる。
六芒星のような面白いかたちをしている。
うまく穴を開けられれば、数珠玉みたいにつないで遊べるかもしれない。
この中に数個の黒い種子が入っているのだそうだ。
さも見せびらかすように多くの実をつけていながら、この守りの固さはどうだろう。
鳥に丸呑みしてもらい、できるだけ親木から遠くへ種子を運ばせる作戦らしい。
まいたら芽が出るかなあ。
古語で「あふち」(樗=読みはオウチ)というセンダンは、花もきれいで好きな木だけれど、ゆったり大きく広がる樹形なので、植える場所を選ぶのが難しそうだ。

 

本日のコマ吉。

 

 



だいぶいっちょまえな感じになってきた。

 

お外でも、投げると持ってくる。

 

本日の「いいね!」

La Realta dipende dalla prospettiva 視の不思議

われわれが耳にするものは「ひとつの意見」であって「真実」ではない。われわれが目にするものは「ひとつの見方」であって「真実」ではない。
(ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの語録より)

 

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りらっくす

2018-02-26 11:28:18 | 日々

きななと一緒にいることが多いコマ吉ですが…

 

ときどきしつこくしすぎておこられ…

 

追い出されることもあり…

 

ウギャウギャ!とやってるかと思えば…

 

すぐまたリラックス~。

  

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春を探す・その3

2018-02-24 17:21:26 | 日々

黄色のクロッカス。
これが咲いたら、もう「春だ」といっていいかも。
ヒアシンスの芽もひっそり出ていました。

 

ローズマリー。
常緑の木にも、いつのまにか新芽が。

 

アセビ。
この木とも30年を超える付き合い。

 

ビオラ。
水玉が得意だったりこちゃんが懐かしいよう。
(ニコも三脚つければそこそこ撮れるんじゃないかと思うけど、まあそこまですることもないし)

 

相変わらず鹿は来ている。
ここは昨年まで畑だったところで、鹿除けの囲いがしてあったのを最近外した。
作物はもう何も残っていないのだが、ずっと入りたくてしょうがなかったらしく、よろこんで跳ね回っている。

山で猟犬の吠える声が聞こえる。
右に左に、波のようにうねって移動しながら、遠ざかったと思うとまた近くなる。
谷間だから声が反響するだけで、本当はそれほど近くないのかもしれないが、いまにもそのへんから猪が飛び出して来るのでは…と心配になり、落ち葉掃きをやめて家に入った。
庭ぼうきと割れかけたプラテミでは、ちょっと太刀打ちできない気がするので。
しかし、猟期はもう終わったはずでは?と思ったら、害獣被害があまりに大きいため、今年は1か月延長されたらしい。
最寄りの集落の猟師のJさんは、今シーズンすでに50頭の鹿をとったとか。
かつては「保護」しなければ絶滅してしまう存在だったものが、いまやとってもとっても減らず、どこからかわき出すように出てきて、きりがない。
山に遊びに行くのはもうしばらくやめておきましょう。

 

キミも気をつけるんだよ。

 

本日のネコヅメ。

猫は前足にだけ親指がある。
親指の肉球は小さくてかたく、他の4本の指より上のほうについていて、歩くとき地面に触れないので足跡には含まれない。
コマは、右前足の親指がない。
爪だけが、ぷらんぷらんの状態でついている。
うちに来てしばらくして気づいた。たぶん生まれつきこうなのだろう。 
指がないので、爪は動かすことも引っ込めることもできないが、特に不自由はないようで、コマは顔洗いも木登りもじょうずにできる。
指の数が多い猫というのはときどきいるそうだけれど、少ない子もいるんだね。
猫の尻尾は、身体のバランスをとるのに非常に大切なものだが、生まれつき尻尾の短い子もいる。
これまでに3匹の短尾猫と暮らしたことがあるが、たわしみたいな尻尾をいっしょうけんめいぐりんぐりんと振り回しながら、高い場所も狭い場所もうまく歩き、「ああ、この子シッポ短いから…」と思うようなことは一度もなかった。
猫の世界には「標準」という概念がない。
たとえ何らかのハンディキャップがあっても、他の能力を総動員して補い、1匹1匹がそれを「ふつう」として生きる。
生まれたときの「平均体重」から始まって「平均寿命」に至るまで、あらゆることを数値化して足して割って、いつも周囲と見比べて上か下か確かめなきゃ気がすまない人間って、何なんだろう。
みんなそれぞれ世界にひとりだけの自分で、それがふつうで、いいのに。

 

本日のいただきもの。

KとEちゃんのエジプトみやげ。
バステト(左)とホルス(右)。

 

本日の「いいね!」(季節はずれですが…)

秋林讀書

明代の画家 Xiang Shengmo(項聖謨)1623年作の山水図。
ブリティッシュ・ミュジアムよりシェア。

たとえば、「古い山水画や水墨画って、どこがいいのか全然わかんないわ」と思ってた(わたしみたいな)人に、「そうか、こういう気持ちで見れば面白いんだ!」と気づかせてくれるミュジアムって大好き。 

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222

2018-02-22 11:17:25 | 日々

毎日が猫の日。

金目のコマ吉。
いまのところあまり人見知りをしない。

 

お客さまに遊んでもらいました。

 

狸母さんの耳をかじる!

 

真鈴おばちゃんのおめめは、どうしてそんなにまぁるいの?

 

獲物がよーく見えるようにだよ!

(窓の外を真剣に凝視しているので、何かと思ったら、軒先にシジュウカラがいました)

 

地面があったかくなったね。

 

コマちゃんと反対に、クレはシャイ猫。
知らない人がいると警戒してぜんぜん家に入ってこない。
そのかわり外にお気に入りの居場所をいくつか持っている。

 

しっぽの旗を立てて歩く。

 

なんとなく見守っているような、そうでないような。

 

コドモのお守りは疲れるんだよ。

 

本日の猫舌。

シフォンケーキ、キャラメル風味。

 

本日の「いいね! 猫の日スペシャル

BURNOUT SYNDROMES 『吾輩は猫である』

 

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春を探す・その2

2018-02-21 22:26:15 | 日々

庭の白梅。

バレンタインデーは鳥たちが求愛のさえずりを始める日…というのは西洋の話だが、気候風土の違う日本でもほぼ同じなのは不思議だ。
シジュウカラ、メジロ、それにイカルの声も聞いた。

 

 

河津桜。まだちょっと寒そう。
今年は初めて3本の木ぜんぶに花が(数輪ずつだけど!)ついた。

 

 

拾った羽。
よく見かけるハト系。キジバト?

 

本日のコマ吉。

新しいおもちゃ。
キャットニップ入れてみたけど、誰も反応しないので、残りはお茶として飲むことにしましょう。

 

 

 

投げてくれなきゃイタズラするぞ。

 

本日の「いいね!」 アート系で2題。


ドル札アート

アメリカのコラージュアーティストMark Wagnerの仕業(しわざ…?笑)
芸術といたずらは紙一重。
でも日本でやると罪になるんじゃなかったっけ?


Mirages & miracles

「拡張現実型アニメーションで実世界と仮想世界の境界を体験する」んだそうです。
フランス人ユニットAdrien M & Claire Bの作品。

最近急増してきたこの種の表現方法。
いろんな可能性がある、とは思うんだけど、展覧会場で各自がモバイル機器を見ている光景は、客観的にはあまり美しくないな。

 

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ぐーぱー

2018-02-18 00:05:22 | 日々

暖かかった日、久しぶりに外でさんちゃんに会った。

 

さんちゃんはウチの子だから、家の中では毎日顔を合わせているので、久しぶりというのも変ですが。

 

 

 

いつもは3月に入ってからする確定申告を、今年はさっさと仕上げて持って行ったら、申告会場はえらい混雑で、あやうく駐車場に入れないところだった。
そうか、初日は混むのか~。
今年は遅ればせながら初めて自分でアオイロシンコクというのをやってみて(別に用紙が青いわけじゃなかった…)、今さらながら、自分がどれだけ数字が苦手かということを再認識した。
計算ができない、ということではない。会計ソフトという便利なものがあって、数字さえちゃんと入れれば計算は全部そっちでやってくださる。
問題は、その数字が「読めない」ことです。
「1=いち」とか「3=さん」とか、もちろん数字のひとつひとつは読めるんだけど、一連の数字の意味するものがサッパリわからない。
だいたい閑猫頭では、4ケタか5ケタの数を扱うのがせいいっぱいで(スーパーのレジで支払う金額くらいが上限かな)、それを超えるとただもう「数字が並んでる」ということしかわからず、ぼーっとしてしまう。感覚としては、どこかの工場の機械の製造番号みたいな感じ。
ということは、何が正しくて、どこが間違っているかの判断もできないということで、脳のその領域に暗黒のデッドゾーンがあるに違いない。
もともと「算数」は好きでなく、「数学」はさらに駄目で、中学まではどうにかついていったけど高校では完全に落ちこぼれていた。
学校では、すべての科目で100点を取る子、オールAの子が理想とされ、不得意科目は「努力で克服できる(=すべき)」と考えられている。
しかし、デッドゾーンに入っちゃってるものに関しては、努力ではどうにもならないのですよ。
学校を卒業してからわかったのは、ひとりで全科目できなくても生きていけるんじゃないか! ということだった。
計算が苦手な人は、計算が得意な人に教えてもらうなり、やってもらうなりすればいい。
得意な人は喜んでやってくれるから、その代わりにこっちは自分の得意なことをして返せばいい。
お料理の苦手な人は、買ってくるなり作ってもらうなりすればよく、そのためにお金が必要なら何か別のことで稼げばいいし、お料理の得意な人と一緒に暮らすという手もある。
そうやってみんなそれぞれ能力を持ち寄って交換し合ってうまく生きていこうというのが「社会」というものなんだから、いいのよ、数字なんか、べつにわかんなくたって。

(新聞を見ていたら、進学塾の広告にどこかの私立高校の数学の入試問題が出ていたけど、みごとに1問もわかりませんでした。因数分解って中学で習ったっけ?)

 

本日のネコヅメ。

やっぱりさんちゃんのツメはすごいのだ。

 

ぐー

 

ぱー

「ちょき」は出せなくたって、いいんだ、猫なんだから。

 

雲トラップ。本日の獲物。

 

本日の「いいね!」


Trees That Tell Stories About The World We Live In

Diane Cook と Len Jenshel による写真集"Wise Trees" より。
なるべく大きい画面でごらんください。

 

Wise Trees
Diane Cook & Len Jenshel
Harry N. Abrams (2017)


 

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春を探す

2018-02-15 21:44:31 | 日々

今日はすこし暖かかった。
小さい春みつけた。

 

水仙は白から黄色に交代。

 

ほぼ野生化した桜草。

 

こちらはフライング気味の芝桜。

 

ミツマタも咲き始め。

 

不思議な花だなあ。

 

アップにしすぎて薔薇みたいな椿。(椿?)

 

…と、椿らしい椿。

 

本日のコマ吉。

今日はストーブまだつかないの?

 

ついた。

(ついうっかり焚きすぎ、夜寝るころに室温が23℃まで上がってしまいました。このストーブ、消すということができないから困る…)

 

本日の「いいね!」


ラムセス2世 最後のお引越し

「自分で歩いたほうが早いのだが…」

 

おまけ。

全自動新聞めくり装置

ニュージーランド出身、ニューヨーク在住のJoseph Herscherの作品。
(その次のページはどうするの?ってツッコミは野暮か)

 

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Valentine

2018-02-14 17:01:05 | サンゴロウ&テール

今年もサンゴロウとテールにありがとうございました。

 

 

 

 

サンゴロウもこの日だけは帰ってくる…わけないか。

「ねえ、親分、そろそろ帰りましょうよ」
「ひとりで帰ればいいだろう」
「えー、そんなぁ…」

 

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本日のゲスト・その2

2018-02-12 11:11:56 | 日々

恐竜といえば、やっぱりこのヒトが出てこなくちゃ。

 

オナカスキマシタ。ナニカクダサイ。

…と言ってるよね?

肉食恐竜というと、図鑑でもフィギュアでも、たいてい口を開けて「鋭い歯」を見せたポーズになっている。
でもこれは「かっこつけてる」だけであって、実際の恐竜は、いつも口を開けてヨダレを垂らしているわけではないし、獲物に襲いかかる前に「がおーっ!」なんて吠えたりもしないと思う。
なにか「猛犬」のイメージが混ざっているのではないかしら。
わたしは「ジュラシック・パーク」の映画がけっこう好きだけれど、唯一、ティラノサウルスの足音が大きすぎるのと、やたら吠えすぎるのが不満だ。
あれでは恐竜ではなく怪獣映画になってしまう。
いや、実物見たことありませんが!

えーと、これは食えるかな。

 

無理か。

それにしても、ティラノサウルスの目は、どうしてこんなに小さいの?
前足は、どうしてこんなに短いの?
このお手々では顔も洗えないじゃないですか。
イグアノドンの親指同様、何か根本的に間違っているという気がしてならない。
近年、恐竜に羽毛があったという説が広まり、図鑑にもさっそくふわふわ羽のあるティラノサウルスが登場したが、あれはどう見てもちっこい前足以上に受け入れ難い感じである。
かと思えば、「やっぱり羽じゃなくウロコだった」説がまた有力になったりして、昔からの恐竜ファンはほっとしているみたいだけど、図鑑を作る出版社は大変でしょうね。

 


本日の「いいね!」

薄い黒い氷の上を滑る

ノルディック・スケーティングというそうです。
オリンピックのスピード種目など見る気がしなくなっちゃうな。

 

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本日のゲスト

2018-02-11 21:00:48 | 日々

はて?

 

えーと…誰ですか、きみは。

 

むしゃむしゃ。

 

おっと、それは草じゃないから食べられないよ。

 

どうもこの青い色には違和感がある。
ほんとはどんな色なのか、見たこともないのに、なんとなく「これじゃない」という気がするのは、最初に見た図鑑か何かで「刷り込まれて」いるに違いない。
サイやカバみたいな動物が現実に存在するんだから、大昔にこういうのがいても不思議じゃないと思うのは思うけど、それにしても奇妙な姿の生き物ですよね。

イギリスの医師ギデオン・マンテル先生は、往診の帰りに古代生物の歯と思われる化石を発見し、その生物をイグアノドンと名付けた。1820年代、日本でいえば江戸時代のことである。
当時の想像図によれば、イグアノドンは体長70メートルくらいある巨大な爬虫類で、四足歩行し、鼻の上には角が生えていた。
その後の研究で、イグアノドンはせいぜい9メートルくらいで、二足歩行し、角と思われていたのは角ではなく、親指の骨だということが判明した。

…という話を20数年前に子ども向けの本で読んだ閑猫は、それ以来、あらゆる恐竜を疑うようになってしまった。
だって、誰も見たことがないのよ?
伊藤若冲の白い象の絵は、本物の象とはかなり違っていて、おそらく実物を見ないで描いたんだろうと思うけど、それでも象という動物はちゃんと存在し、見たことのある人も、伝え聞いた人もたくさんいた。
だけど恐竜は誰ひとり見ていないんだから、若冲の象さん以上に実物からかけ離れていてもおかしくない。
いくら骨があるといっても、プラモデルじゃないから組み立て方の説明なんかついてないし、いろいろ足りないパーツがあるだろうし…逆に余分な骨がまぎれこんでる可能性だってあるでしょ?
素人目には、イグアノドンの「親指」はどう考えても不自然で、「角」のほうがまだしっくりする、ような気がする。
このトリケラトプスにしたって、「ほんとはこうじゃなかった」のかもしれない。それがわかる日がいつか来るかもしれない。
「昔の人は、これを角だと信じてたんだよ」なんてね。

 

本日の「いいね!」

Czardas

イタリアのアコーディオン奏者Romano Benetello氏の(「Benetello師」と書くほうが合いそうな)パフォーマンス。 

NHKの朝ドラ「わろてんか」に突然あらわれた川上四郎が…
なぁんて書き方をすると、いかにも毎日見てる人みたいですが、そんなことはありません。
見た(=他の用でTVをつけたら偶然これだった)のは2度目。
達者な子役はアート引越しのおねえさんに変わっていたし、「あ、この人も出るんだ」と思った人は早くも仏壇の写真となっており、どういう展開なのかまるでわからない。
で、機捜216の富田巡査長、じゃなくてェ、失業中の楽士の川上君は、大きなアコーディオンを抱えてきて、鮮やかに「チャルダシュ」のさわりを披露する。
これこれ、この曲、大好き。
このあとずっと見ていたら他のレパートリィも聴けるのかしら。それともずうっとチャルダシュ一本で行くのかしら。
と、例によって本筋とは全然関係ないところが気になる閑猫。
(気になると言いつつ、そのあと全然見てませんが) 

 

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