庭の白梅につづいて八重の紅梅が咲き始め、紫のクロッカスの花がひらくと、よし、もう春だ、もう大丈夫!という気がしてくる。
とはいえ、まだしばらくはストーブも必要だし、予報では今夜から「大荒れ」だと言っているけど、大丈夫でしょうか。
ふきのとうも花盛りに。
小さい星形の集まったこちらが雄花で、白っぽい糸状のが雌花。
どっちがどっちだったか、毎年忘れて、調べる。
そうだ、「糸子さんと星夫くん」と覚えよう。
…と去年も思ったような?
桜は桜でもフロックス・スブラータ。
ピンクはこれくらいの色味がよい。
毎年、沈丁花が欲しいなと思いつつ、いまだ入手できずにいる。
お山の沈丁花、オニシバリの花がひっそり咲いていた。
西タウンに行く途中の道路沿いに、薄黄色の実を鈴なりにつけている木があって、あれは何だろうと晩秋の頃から気になっていた。
車を停めて見ればいいのだが、「あ、あれ…」と思ったときにはいつも通り過ぎてしまっている。
葉がすっかり散り、年を越しても、実は落ちない。
お隣の酔猫さんも同じように気になっていたらしく、先日一枝折ってきてくださった。
行動力の違いが歴然ですね。
さて、これは何だろう。
実のつき方や残り方がなんとなくナンキンハゼに似ていると思い、そのあたりから調べ始めたが、ハゼノキの実はもっと小さいし、第一あの場所で真っ赤な紅葉を目にした記憶がない。
図鑑を行きつ戻りつしていたら、たまたまハゼノキの図版の裏のページがセンダン科で、これはセンダンの実だとわかり、数か月にわたる疑問がとけたのでした。
すっかり枯れたように見えるが、実の皮はとても丈夫だ。
それをはがすと、白いロウのようなものに包まれた長さ1センチほどのかたい核が出てくる。
六芒星のような面白いかたちをしている。
うまく穴を開けられれば、数珠玉みたいにつないで遊べるかもしれない。
この中に数個の黒い種子が入っているのだそうだ。
さも見せびらかすように多くの実をつけていながら、この守りの固さはどうだろう。
鳥に丸呑みしてもらい、できるだけ親木から遠くへ種子を運ばせる作戦らしい。
まいたら芽が出るかなあ。
古語で「あふち」(樗=読みはオウチ)というセンダンは、花もきれいで好きな木だけれど、ゆったり大きく広がる樹形なので、植える場所を選ぶのが難しそうだ。
本日のコマ吉。
だいぶいっちょまえな感じになってきた。
お外でも、投げると持ってくる。
本日の「いいね!」
La Realta dipende dalla prospettiva 錯視の不思議
われわれが耳にするものは「ひとつの意見」であって「真実」ではない。われわれが目にするものは「ひとつの見方」であって「真実」ではない。
(ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの語録より)