閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

「星とトランペット」「アイヴォリー」

2014-08-31 15:13:15 | お知らせ(新刊)

(後半追記ありますので、上げます)

復刊後、ふたたび品切れ状態になっていた
『星とトランペット』と『アイヴォリー』の2冊が
Amazonのオンデマンド版(ペーパーバック)で
お求めいただけるようになったそうです。

「そうです」と他人事のようになっているのは、
まだ実物を見ていないからで、そもそも、そんな話は
版元からもまったく聞いてないのですが、まあとにかく。
ペーパーバックでも、読めれば。

2冊とも、複数のバージョンがあるので、
(下記のもの以外はすべて絶版か品切れになってますが)
ご注文の際には定価をチェックして、間違えないようご注意くださいませ。 
(「復刊ドットコム」は旧「ブッキング」から社名変更しました)
 

 
星とトランペット
(オンデマンド ペーパーバック) 
竹下 文子・作
牧野鈴子・絵 
復刊ドットコム

収録作品は講談社文庫版(1984年)と同じ11篇で、解説がないだけです。
表記のこまかい点で、文庫版から多少の変更があります。 
本文は復刊ドットコムのハードカバー版とまったく同じです。

  

  

アイヴォリー
(オンデマンド ペーパーバック) 
竹下 文子・作
坂田 靖子・絵
復刊ドットコム

こちらも本文は復刊ドットコムのハードカバーと同一。
理論社版(1994年)の扉の歌詞を削除し、献辞の表記を変えたほか、
本文中のこまかい表記の変更があったかもしれません。(わすれた・・)

 

 

さてさて、実物を入手しましたので、追加。

 

ハードカバー版(下)とくらべると、こんな感じですね。
洋書のペーパーバックと同じスタイルで、
日本の文庫本のようなカバーはついていません。 

 

 

並べると、ちょっとだけ小さいです。

内容は、まるごと「複製」されているため、
版元も旧社名「ブッキング」のままになっています。
 

いくら天下のAmazonとはいえ、こういうものを、
著者の承諾もなしに作って販売して、いいの?
とすごく疑問に思うけれど、「いいですか」って聞かれれば
「いいですよ」って言うしかない(そうしないと誰も買えないし読めない)
という実情が、難しいところですよね。

オンデマンドというのは、注文するとそのつど印刷・製本してくれるシステム。
印刷データさえあればいいため、在庫管理の必要がなく、場所もとらない。
古い本でも、いつも「新品」の状態で手に取れる。
品薄だというだけの理由で値がつりあがる古書にくらべれば、
(あるいは、倉庫に置くとこがないという理由で、売れない在庫を
端から捨てねばならない出版社にくらべれば)
こういう形のほうがずっと公平でリーズナブルだとも思えます。
しかし、データというものの扱いの手軽さが逆に、この先、
また何の断りもなしにKindle版になったりするんだろうか、とか、
書籍本来の安定感や信頼感を薄めている気がするのも、事実。

とにかく、本というのは、読めなければ意味がないわけで。
趣をこらした装丁の愛蔵版というものも個人的には大好きだけれど、
よれよれのペーパーバックだろうと半世紀前の文庫本だろうと、
「なかみ」が好きなら、それだって大切な宝物になり得るわけで。
じゃあ読めさえすればテキストデータでも何でもいいか、っていうと、
手のこんだ美味しい料理も紙の皿ではガッカリなのと同じように、
それではあんまりだ、そこまでは譲れませんという部分もあったりする。
う~ん。
自著に限らず、復刊を待っている本はたくさんあるんですけども、
なかなか単純ではないこの世界。

 

<9月5日追記>

上に書いた「承諾なしに」の件はいちおう(事後承諾ながら)解決いたしました。
どうぞご心配なくお求めくださいませ。
ハードカバーのほうの重版は、残念ながら今のところ予定がないそうです。 

<2023年11月さらに追記>

現在は2冊とも電子書籍でお読みいただけるようになっています。

 

おまけ。

本日の「いいね!」

世界の素敵な書店17選

紙の本がぜんぶ電子書籍になるって、誰が言ったの。

 

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「すすめ!きゅうじょたい」

2014-08-28 15:42:16 | お知らせ(新刊)


新刊絵本、2冊目です。

『すすめ!きゅうじょたい』
竹下文子・文 鈴木まもる・絵 金の星社 2014年8月

これはまた、前のとは正反対といってもいいような絵本です。
「みんなで」「元気に」「力を合わせて」「がんばって」「人助け」。
閑猫のイメージともまったく一致しない・・(笑

いや、べつに「心にもないこと」を書いてるわけではなくてですね、
絵本ができる舞台裏には、そこに至る必然性が山積みになっており、
ごらんいただいているのは、ほんの「おもてっかわの1枚」だけなのです。

これは、もともと、「子どもたちがそれぞれ小さい工事車両に乗って
何かする絵を描きたい」という、「絵の人」の発案によるものです。
ただ、「工事の車で工事をする」のでは、それだけの話になっちゃうので、
レスキュー隊にしたら、ということを思いつきました。
(それと、どうしても「亀」を登場させたかったのも、わたしですが・・笑)
あとは、いろいろ相談を重ねてシーンを決めていきました。
『せんろはつづく』シリーズの姉妹編でもあるため、乗り物は違うのですが、
同じゲストが出てくるなど、雰囲気をそろえました。

 

以下は、いつものように、ほとんど蛇足。


そもそも、子どもはどうしてショベルカーとかクレーン車とかの
特殊車両が好きなのか。
うちの子なんか、ベビーチェアで朝ごはんを食べているとき、
仕事に出かける大型クレーン車が峠道をのぼっていくんですが、
重々しいエンジン音で瞬時に聴き分け、椅子にぱっと立ち上がって
「きゃいきゃい!」と叫ぶのが日課でした。
(ええ、つまり、「クレーンしゃだ!」が言えないくらい小さい頃ですね)
なんでそんなに好きなの、あんなものが。

・・という話はもうあちこちで書いてますので省略しますが、
とにかく、子どもは、そういうものを飽きもせず見ている。
見るだけでなく、さわりたい。乗りたい。動かしたい。しくみを知りたい。
だって、その強大なパワーを自分のものにすれば、
並みのヒトの力では絶対できないことができるわけです。
つまり、より進化した、もっとすごいヒトになりたいのだ。子どもは。
生まれて、やっとよちよち歩けるようになったと思ったら、
もうそんなところを目指している。 貪欲なほどの熱心さで。

TVのウルトラマンとか、戦うヒーロー物も、たぶん同じこと。
強い人が弱者を助けて活躍する姿を、幼児はくいいるように見ている。
見ているだけでは満足しない。自分も真似してみたい。
お母さんを怪獣に見立てて、「とぉーっ!」とか。
もう、やあねー、暴力はやめなさいって言ってるでしょっ!
と、そこで否定してはいけない。
大きくなりたい、強くなりたいという欲求は、正しい本能です。
本能の芽を摘むと、変な方向に脇芽が伸びる。
摘めば摘むほど全体のバランスが変になる。

だからって、もちろん、「暴力」を認めろってことではなく・・
大事なのは、ウルトラマンと怪獣、どこが違うのか。
つまり、ヒトが力を使うにはヒトの社会のルールがあり、
それは学ばなければ身につかない、ということ。
本能の大地の上に、理性の線路を敷いて、はじめて正しく走れる。


ええ、それで、何を言いたいのかというと、
(いつも前置きが長すぎるのだ)
わたしはテーマを決めてから書く人ではありませんが、
この絵本に何らかのテーマを探すとしたら、それはたぶん
「力の正しい使いかた」ということになるでしょう。
手に入れた力は、誰かを助けるために使える、ということ。
そうすることが、何よりも自分のよろこびになる、ということ。


「助ける」という行動も、やはり本能に組み込まれています。
パトカーや救急車のサイレンに強く反応するのはなぜかというと、
それがヒトの仲間の発する警報だと直感的にわかるから。
危険の正体を早く見定め、助けに駆けつけようとする本能が
発動するから、ではないでしょうか。
(というのは、例によって「閑猫説」ですけども・・)

まだ言葉もろくにしゃべれない幼児でも、自分がヒトであることを
知っていて、ヒトの一員として何をすべきかを知っている。
おままごとや人形遊びを見てもわかりますが、
食べさせる、お風呂に入れる、着せる、寝かせる、看病する・・
まだ自分がすべてを親に依存しなければ生きていけない身なのに、
早くも他者を気づかい、世話を焼こうとする行動が芽生えている。
これは、ちょっとすごいことじゃないかと、わたしは、思います。

・・と、まあ、こんなのが、舞台裏に積んである膨大なガラクタの一部。
これらは本来、お客様のお目にかけるものではなく、
幕が開いたら(つまり、本が世に出たら)こっそり捨てちゃっていいのですが、
自分用のメモを兼ねて、書いておきます。

 

 

 

で? この羊さんは? 

 

 

 

絵本の中で救助される子でした!

 


 

すすめ! きゅうじょたい
竹下 文子・文
鈴木 まもる・絵
金の星社 2014年

 

(写真の羊さんフィギュアは絵本の付録ではありません!!)

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チョッキリ

2014-08-27 13:57:13 | 日々


まだ青いどんぐりが小枝ごと道に落ちている。
今年もこの季節が来たんだなあと思う。
俳句をつくるわけではないけれど、一年を通して、身のまわりには
このようにさまざまな「手にとれる季語」が満ちあふれている。  

このどんぐりの謎は2年前にも書きましたが(→こちら
ハイイロチョッキリという小さい虫さんのしわざ。
8月後半から9月の初めにかけてがシーズンらしい。
これは落ちたばかりのようで、葉もまだみずみずしい。

 

 

チョッキリ母さんのていねいな仕事。
どんぐりに葉が3~4数枚つくように、枝を噛み切って落とす。

 

 

卵を産みつけた痕跡。帽子のふち近くに穴をあけてある。

 

 

またひとつ。
コナラの木の下に立っていたら、目の前に、ぽとん、と。
どの枝にも、どんぐりがひとつ。どのどんぐりにも、穴がひとつ。
そして、どの穴にも、卵がひとつ(・・だそうです)。 

 

 

うつせみに興味を示すニコ。これは柿の木。

 

 

 

こちらの木には、50センチくらいの間隔で3つあった。
アブラゼミか、ミンミンゼミか。
どっちも鳴いているので、どっちだかわからない。
声はミンミンのほうがやかましい。
これからどんどんツクツクボウシの割合がふえていく。

(抜け殻の見分け方は→こちら) 


いつだったか、町の電器店に入ったら、エアコンと扇風機の売り場で
BGMとしてセミの声を流していたので、笑ってしまった。
駐車場の真ん前の山では、クマゼミが100匹くらい鳴いているので、
お客さんは、いまが夏だってことはうんざりするほどわかっている。
ひんやりした建物内に入って、またセミを聴くのは、おおいに違和感がある。
大手チェーン店だから、都会を基準に一律になってるのかもしれない。
個人的には、真夏の電器店にはガムラン音楽がいいと思うんですが。
 

 

 

小さいのに、いっちょまえだ。
しっかり構えて、こっち見てる。

(ほんとに、びっくりするほど、カメラ目線。
あんまり拡大するとコワイので、これくらいで) 

 

 

本日のにゃんこ。

おや? 裏の倉庫の屋根に、何やらポテッとしたお姿が。

 

 

「なによォ」

 

 

「なんか文句あるの?」

(ないです。お昼寝の邪魔してすいません、すもも姐さん)



 

本日の「いいね!」

おかいこさんの繭つくり(動画)

24時間の録画が6分間に短縮されているそうです。
虫キライ姫はご用心。
(わたしは「ここまで」はなんとか。「ここから」先は遠慮します)

 

 

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「つきが いちばん ちかづく よる」

2014-08-21 10:17:23 | お知らせ(新刊)

新刊絵本です。

『つきが いちばん ちかづく よる』
竹下文子・作 植田真・絵 岩崎書店 2014年9月 

奥付は9月ですが、今週末くらいには書店に並ぶと思うので。

植田真さんとは、『雨ふりマウス』以来、ということは、
なんと14年ぶり、ですか。そして絵本では初めてご一緒しました。

猫がお月さまを見に行く話。

・・と、簡単に書いてしまえば、ただそれだけの話なんですが。
最初の原稿は6年か7年くらい前に書きました。
出版が決まり、画家さんが決まるのに、長い時間がかかりました。

静かな場所で、ゆっくり開いて、絵をみていただきたいのです。
柔らかく優しい、ほっとするような色。
多くのものが描いてあるわけではないけれど、
とても奥が深くて、すーっと絵の中に入っていけそうです。
そういう絵が好き。
どのページに入っても、心地よくて、安心して眠れそう。

ときどき、夢で、この主人公の猫のように、
何か特別なことのための「場所」をさがしています。
それが「何」のためか、わからないままに。

「どんどん くらくなっていく
はやく さがさなくちゃ まにあわない」 

たいてい夢では、そういうせっぱつまった気持ちの真ん中で
目が覚めてしまい、結末まで見られないのだけれど、
もしかしたら、それは月夜に見ている夢なのかもしれません。
月の満ち欠けと、潮の満ち干に関連があるように、
人の心も、すこしだけひっぱられる。とても遠いところから。 

この絵本は、長いあいだタイトルが決まらず、
「おつきみ」とか「つきねこ」などと仮題で呼ばれていました。
植田さんが、主人公の猫を少年のように描いてくださったことで、
一気に世界がまとまり、タイトルもできました。 

今年のスーパームーンにはちょっと間に合いませんでしたが、
9月8日は中秋の名月、 10月には皆既月食もあるそうです。
空気の澄んだ、涼しい夜に、ひとりで、あるいは誰かと、
いちばんいい場所で、お月さまを見ましょう。

「きっと いいこと ありますように
みんなに すこしずつ ありますように」

 

Amazon

つきが いちばん ちかづく よる
竹下 文子・作
植田 真・絵
岩崎書店 2014年

 

 

 

これで「猫絵本・3部作」となりました。
猫好き編集者Hさんに感謝。

 

ハコちゃんのはこ
竹下 文子・作
前田 マリ・絵
岩崎書店 2007年

  

ゆきとくろねこ
竹下 文子・作
おおの 麻里・絵
岩崎書店 2008年
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帰還

2014-08-20 11:47:10 | 日々


Mパソ七兵衛くんが宇宙の旅から帰ってきた。

行った日から数えて6日目です。早い。
しかもお盆真っ最中で、土日もはさんでいたのに。
だけど、修理といっても、あれこれ考えることなく、
ぱかっと裏を開けてハードディスク取り替えただけ・・
だったとしたら、それは早いだろうと思う。
ヒトもこのように治せればいいのに。

きれいさっぱり「新品同様」の七兵衛を、叱咤激励しつつ、
午後いっぱいかかって元のように使えるようにする。
過去1年分のメールが消滅したので、すっかり元通りとはいかない。
ダウンロードし直すものがいくつもあり、わが家は通信速度が
すごく遅い環境なので、ひとつひとつ時間がかかる。
ちょろちょろと甕に水がたまっていくのを見ているような感じ。 

画像データなどは、わたしのパソにバックアップしてあったので
助かったものも多い。
こんどはこちらもまた不安になってきて、外付けHDを買ってきて、
もう丸ごと保存しちゃえと思ったら、5時間くらいかかって、げんなりする。
「寝てる間にやったら」とMに言われた。
そうね。

 

佐川のパソコン引き取りは、専用のしっかりした箱で
目の前でていねいに梱包してくれ、とても安心だけれど、
カメラのほうは、郵便局の赤い車が取りにきて、
箱も何もなく、配達員さんが無造作に片手でつかみ、
「じゃあどうもー」と、ゆうパックの紙きれ1枚だけ残し、
「あの・・」と言ってる間に持って行かれた。
助手席にぽんと置いて、そのまま走ってったような気がする。
どこにでもあるようなちっこいデジタルカメラなんて、
ぜんぜん貴重品とは思ってもらえないらしい。
大丈夫か、りこちゃん。

(ということで、またしばらくニコが練習をいたします。
上の画像は、ローズマリーの枝に、うつせみ。
この根元の地中で育ったのだろうか。ハーブ蝉?)

 

 

本日のにゃんこ。

さんちゃん。夕陽に金色の瞳。

 

 

同じときに、Mのデジタルカメラを借りて撮ったもの。
遠景などはとてもクリアに撮れるのだが、使い慣れないので、
画面のゆがみと妙な遠近感が気になる。
さんちゃんが、さんちゃんらしくない。
プリクラみたいに「小顔・おめめぱっちり」にする修整ソフトが
標準装備になってるんだろうか。まさか。

 

本日の「いいね!」

天才の部屋はちらかっている

ははは、そうだよねー、ココちゃん。

 

アリクイにおまかせ
竹下文子・作
堀川波・絵
小峰書店 2010年

 

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単位の起源について(覚え書き)

2014-08-19 22:31:15 | 日々

ここに書いておくのが一番「なくさない」方法らしい。
あとから検索でみつけることもできて便利。

 


1インチは親指の爪の付け根の幅。
1ヤードは胸の中央から、横にのばした手の中指の先まで。
1フィートは足のかかとからつま先まで。
1マイルは2000歩の距離。
(起源は他にも諸説あるらしい)

日本の尺貫法はどうか。
1寸は約3センチ、10寸が1尺、10尺が1丈。
曲尺、鯨尺など、業種によって使うものさしが違ったり、
時代によっても変化しているのでわかりにくい。
起源は中国で、元は「親指から中指の先まで」を1尺としたらしい。
間(けん)・町(ちょう)・里(り)となると、
尺を基準にしたものと、歩数を基準にしたものが、
あっちとこっちから来てぶつかったり譲り合ったりしながら
だんだん統一されていったのではないか、と想像する。
水深を測る尋(ひろ)は両腕を広げた長さ。
綱の長さを測っておき、綱におもりをつけて沈めて水深を測る。

まとめていえば、短いものは手で測り、長いものは腕で測り、
もっと長いものは足ではかる、ということだ。
移動といえば「てくてく歩く」しかなかった時代には、
短い距離は歩数で、長距離は日数であらわしていたのだろう。

魏志倭人伝には、邪馬台国までの道のりが
「水行十日陸行一月」のように書かれている。
これを「船なら10日、陸路ならひと月」と読むのか、
「船で10日行ったあと、陸をひと月歩く」と読むかで、
邪馬台国の位置は全然違うことになる。
そもそもこの時代に書かれた「千里」や「七千里」なんて、
「かなり遠い」「すごく遠い」という程度の表現なのかもしれないし。

計測に身体を使う場合は、たぶん成人男性が基準になるのだろう。
昔からうんと大きい人もいれば小柄な人もいたはずだから、
非常にアバウトといえばアバウトな話。
しかし、考えようによっては、これが一番間違いがない。
多少大きくても小さくても、ヒトはヒトだからだ。
30センチを1単位とする人と、2メートルを1単位とする人がいて、
話が食い違うと大変なことになるが、
「俺の腕ッくれぇの魚だ」「おめぇの背よりちいっとばかし高え木だ」
などと言っている限り、まあたいして不都合はない。
家を建てる、橋を架けるなど、きっちり測らねばならないときも、
誰かひとりだけ「ものさし」の役をつとめれば、狂いは生じない。
小柄な人が自分用に建てた家は、全体に小さめで使い勝手が良いだろう。
統一規格に人のほうが無理に合わせることなんかないのだ。

「手測り」は現代でも使える。
わたしの場合は、てのひらをいっぱいにひろげて、
親指から人差し指の先まで13センチ、中指まで15センチ、
小指まで18センチ。親指の長さが約5センチ。
親指の幅は、拇印を押すように押しつけて測ると約2センチ。
ひじから手首の骨まで約25センチ。
太ったり痩せたりしても、骨はのびちぢみしないから、
自分のサイズを覚えておくと、たまに役に立つ。
そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの人体図にあるように、
両手を広げた幅と、自分の身長はだいたい同じ。

1ポンド(パウンド)は、古代メソポタミアで、ひとりぶんの
1日のパンに相当する粉の目方。つまりこれが日給。
大麦およそ7000粒にあたる。
パンに関しては、日本でも明治初期には
1ポンド=約454グラムの粉で焼くのを1斤と称したそうだ。
ただし現在のホームベーカリーの1斤は250グラム。
バターも昔はポンド売りだったが、いつのまにか
一箱きっちり200グラムに変わったようだ。
実質的値上げだろうか、これは。

1貫は1000匁(もんめ)。1匁は一文銭1枚の目方。
すなわち穴のあいた一文銭を100枚ずつひもに通し、
それを10個分の重さが1貫目=3.75キログラム。
一文銭ならずっしりだろうが、猫なら小柄なほうだ。

メートルやグラムやリットルなど、
現在実際に使われているメートル法の単位は、
もっと近代になってつくられたものなので、
ヒトの体のようにあいまいな個人差の大きいものは
当然使用されていない。

 

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カルシウムの謎

2014-08-17 16:56:24 | 

ヨーグルトのふたの裏に、
1日に必要なカルシウム700ミリグラムをとるには
何をどれだけ食べなきゃならないか・・ということが書いてあり、
気になったので集めてみた。
その結果。 

しいたけ(ゆで)なら 3333個
絹豆腐なら 5丁
こまつな 2束
オクラ 111本
トマト 52個
いちご 257個
焼紅鮭 71切
ロースハム 350グラム
しらす干し 大さじ9杯
豆乳 22カップ
みかん 42個
ゆで卵 27個
ソフトクリーム 5個
牛乳 3杯
焼さんま 23尾
かぼちゃ(ゆで) 3個
うなぎ蒲焼 5尾

まだ他にもあったかもしれないが、
このへんで飽きたので蒐集をやめた。

いずれも、人が1日に食べる量としては非現実的である。
しいたけ3333個なんて象だって食べない。
しらす干し大さじ9杯くらいなら・・うーん、やっぱりちょっと多いか。
要するに、このヨーグルトはカルシウムが豊富なので、
たったの1個(80グラム)で、必要量の半分が簡単に摂取できますよ、
ということを言っているのですね。

ざっと眺めて、素朴な疑問がわく。
その1
もしかして、わざとカルシウムの少ないものを選んでないか?
カルシウムを期待していちごやみかんを食べる人はいないだろう。
しいたけやトマトだってそうだ。
というより、そんなものにもカルシウムが含まれているとは知らなかった。

その2
カルシウム700ミリグラムって、相当努力しないと摂れないような
印象を受けるけれど、本当にそうだとしたら、 
栄養学が発達する前に人類が滅亡しなかったのが不思議だ。
「1粒でレモン1000個分のビタミンC」なんていう飴もあるけれど、
考えてみれば、レモン1000個なんて絶対食べられない人間に、
どうしてレモン1000個分のビタミンCが必要になるんだろう。

その3
「何か一種類だけで必要量をまかなう」という仮定が変だ。
人間は雑食性で、いろんなものを食べるようにできている。
肉料理に野菜をつけあわせると見た目にも美しく感じるのは、
そうすることでバランスがとれることを本能が知っているからではないか。
フレンチのコースも、幕の内弁当も、「雑食」のよい見本だ。
(いや、草ばっかり食べている牛や羊だって、あれはあれで
実際はいろんな種類の草を取りまぜて食べているはずで、
一種類だけだと飽きて食べなくなり、他の草を求めて移動する。
そうすることでバランスがとれる)

で、ふと思いついたのです。
上のリストにあるもの、全部少しずつ食べたら、どうなるかなって。
ためしに、単位をすべて「1」にしてみましょうか。

しいたけ(ゆで)1個、絹豆腐1丁、こまつな1束・・は多いから半束でいいか。
オクラ1本、トマト1個、いちご1個、焼紅鮭1切、ロースハム1グラム(笑)、
しらす干し大さじ1杯、豆乳1カップ・・以下省略。

全部合わせても、元気な大人なら1日に食べられないほどの量ではない。
かぼちゃも1個は無理だから4分の1として、焼さんまとうなぎ蒲焼があって
ご飯がないというのは苦しいけど、そのへんは目をつぶることにする。

これでカルシウムがどれだけ摂れるのか、ざっと計算してみた結果・・
もしも閑猫の計算が間違っていなければ、の話ですが、
なぁんと700ミリグラムを軽~く超えてしまったではありませんか。
(あやしいと思った人は、各自、自由研究でやってみてください)

つまり、このようにあれこれいろいろ食べていさえすれば、
必要なカルシウムは(カルシウムに限らず必要な栄養素は)
意外と摂れている可能性がある。
しかし、それを言ってしまうと、このヨーグルトの立場があやうくなる。

その4
・・ということに、もしかして、メーカーさんも気づいたのではないだろうか。
近ごろ、ふたの裏の文字、見かけなくなった気がするので。 

 

(これはだいぶ前に書いて忘れていた記事です。
ちなみに、わたしがヨーグルトを食べているのは、カルシウムというより、
胃腸に負担の少ない形で動物性タンパク質をとるのが目的です。
無理にとらなくてもいいけど・・「雑食」を心がけているので!) 

 

 

本日の「いいね!」


Crazy Circle Illusion (動画)

えええ?(・・わかんないけど不思議なのでシェア)


Amazing Rolling Illusion Toy (動画)

こちらもかなり不思議。

 

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夏に壊れる・その2

2014-08-16 15:30:33 | 日々


電子機器には厄年だろうか。
七兵衛を修理に送り出して、やれやれと思う間もなく、
水玉カメラりこちゃんが壊れた。

りこちゃんは4月にもズームレバーの故障で修理をしてもらった。
それとは別の不具合。
モニター画面の中央付近にぼやけた黒い点が出る。
写真を撮ると、この黒丸も写ってしまう。
ゴミかカビか何か、レンズの内側にあるらしく、拭いてもとれない。
うちは湿気が多いので、長く使わずにしまっておいたレンズが
こうなりやすいのは知っているけれど、ほとんど毎日手にしているので
ちょっとショックだ。 

ま、いいや、まだ5年保証の期間内だもんね。
と思ったら、これが大間違い。
保証書をよく見たら、この保証は「期間中に1度」しか使えませんと、
虫眼鏡でないと読めないくらいのちっちゃな字で書いてあるじゃないの。 
そういえば、買ったときに、そんな説明を聞いた気もする。
でも、そのときは、5年間に2度壊れるなんて想像しないから、
店員さんの話なんか聞き流していた。

ということで、今回はついに有償修理。
見積もり待ちだけれど、おそらく「直すか、買うか」の微妙なところで、
おおいに悩むような額になると思う。
これがパソコンだったら悩む必要はあまりない。
買う気になれば、ほぼ同じ(か、もっと良い)ものが確実に手に入る。
りこちゃんには、代わりがいない。
すでに製造中止になってるし、中古を買う度胸もないし。
なにしろ2年半で「やっと使い慣れてきた」ところなので。
なんとか直ってほしいです。

 


本日の「いいね!」


ラ・マンチャへの長い長い道

うわぁ、ほんとに? 今度こそ?
映画界のサグラダ・ファミリア?

(ギリアムのセンスがすごく好き、ってわけではないですが、
なぜか、ものすごく応援したくなるのですよ、ね) 

 

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一滴

2014-08-14 22:59:39 | 日々


実際に涼しいわけではないけれど、
涼しげなものにばかり目がいく。

『華麗なるギャツビー』で、デイジーが口にする
「あなたはいつでもとても涼しそうね」
というせりふを、この季節にはたびたび思い出す。
我慢ならないほど暑い日に、ひとりだけ涼しそうに見える男。
それがつまり「華麗」で「グレイト」たる所以だろうか。
物語はここからますます暑苦しくぐちゃぐちゃになっていくけれど、
(そしてフィッツジェラルド作品全般に共感できる点は決して多くないけれど)
このせりふひとつで『ギャツビー』は文句なしにAクラスに入る。
そんな人も、そんな小説も、めったにないと思う。
 

 


 

 


 

 

 

ボタンヅルも野生のクレマチスの仲間。

 

 

 

キツネノカミソリ。
今年は小ぶりで色も薄い。

 

 

本日のにゃんこ。

きなこです。蒲焼ではありません(笑

 

 

 

 

あ、また、すっごく迷惑そうな顔。

 

 

本日の「いいね!」

妖怪ウォッチ

って全然知らないけれど、流行ってるらしい。
(バードウォッチングみたいに妖怪を観察するのかと思ったら、
ウォッチって時計なのね?)
売ってなければ作ればいいじゃないか、と思う子は偉い。


妖怪ウォッチ(型紙・作り方つき)

 

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夏に壊れる

2014-08-13 00:34:27 | 日々


壊れるというのは夏の季語だろうか。

Mがアトリエで使っているノートパソ「七兵衛くん」。
去年の夏に一度壊れて、わたしががんばって再セットアップして
どうにかこうにか直した事件はまだ記憶に新しいのだが、
なんと! また!ですの。

朝、「なんかおかしいんだけど」と言われて見にいったら、
エクセルが真っ白になっていて、その後ろでワードが凍っていて、
端っこで対ウイルスソフトが「スキャンできなぁい!」と叫んでいた。
えーっと、これはオフィスをいったんアンインストールするのかなぁ・・
とか、考えているうちに、みるみるあれもこれも駄目になっていく。
スリープしたらもう目を覚まさない。
あれ? なんで? と言ってるまに「起動せず」状態に。
データの救出どころではありません。
入口に灰色のシャッターが下りて、完全に締め出された。
お~い。


「壊れたものは、しょうがないよ」と言ってるMは、
事態の深刻さをまだちゃんとわかっていない様子。
「だめなら新しいの買ったっていいよ」
いやいや、問題はそこじゃないんだってば。
しかし、買ってわずか2年で、どうしてこうなるんだろう。
わたしの「ナナちゃん」は4年過ぎたけど全然オッケーなのに。
あさってからしばらく入院の七兵衛氏です。
はあぁ(ためいき)。 

(あ、メール業務はナナちゃんが兼任しますので、
Mにご用の方はいつものアドレスで大丈夫です)

 

<追記>

買い替えるとしたら、防塵設計の現場仕様みたいなのが
いんじゃないかなあ。すごいんだもん、仕事柄、埃が。


 

本日の「いいね!」


犬を飼っている人は10歳ちかく若返る

猫を飼ってると10歳以上老け込む・・てことはない・・と思うけど。
いや、だから、もともと元気で積極的なタイプの人が
犬を飼いたくなるんじゃないですか。
どーですか、W先生?

 

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