弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

日本の大学院教育

2022-06-05 13:37:15 | 歴史・社会
日本では、学歴構成において、理系の博士の比率、文系の修士の比率が低いことが問題になっています。
これら大学院進学比率が低いことが、世界における日本の沈没の一因であるとの考え方です。

この考え方、私にはピンときません。
私が工学部の修士を修了して就職した1970年代、私の周りでは、学部卒での就職と修士卒での就職がほぼ半々、博士課程まで進学する比率はわずかでした。
現在ではほぼ全員がリタイアした年代です。クラス会でそれぞれの人たちの卒業後の履歴を比較してみると、各会社内において修士卒が学部卒よりも出世が進んだかというと、そんなことはありません。修士卒は研究職、学部卒はそれ以外の社内全般、という傾向があり、そして社内で部長や役員まで上り詰めたのは修士卒より学部卒の方が多い、という実態を見て取ることができます。
この事実を見ると、「日本の人材育成で大学院進学比率を高めることが重要」との議論については、「そうだ」と実感することができません。
私自身、修士卒で会社に就職し、同学年で2年前に入社した学部卒と一緒になって仕事をするわけですが、「同学年だが修士卒の自分の方が学部卒よりも仕事ができる」という実感を持ったことはありません。
私の場合は、大学で所属した研究室の専門分野と、就職した会社での担当分野とが異なっていた、という事情もあるでしょう。しかし、世の中の大部分の人たちにおいて、大学の研究室の専門分野と会社での担当分野がぴったりと一致している、という場合は極めてわずかであろうと推測します。

文系の修士課程はどうでしょうか。現状では、文系で修士課程に進学するのは、ほとんどが就職先として大学での研究を目指している人たちばかりであり、文系の修士を修了して一般企業の会社員になる人はわずかでしょう。会社側でも、文系の新入社員に修士修了を要求する場合は極めて希であろうと考えます。

博士課程について考えてみます。
1970年代、理系の博士課程に進学する人は、就職先として大学等の研究職が想定されていました。一部、大学院での専門性と共通する研究を行う民間企業の研究所に就職する人もいましたが。
私が就職した会社では、博士課程進学の学歴を有し、博士課程と専門性と異なった部門で仕事をしている研究者が少数いましたが、「博士課程中退」が多く、博士号を取得してその専門性を仕事に生かす、という人は見かけませんでした。

「学生の博士課程離れが深刻だ」といいます。最近の傾向を見ると、博士課程に進学する学生の比率が下がっているからです。
しかしこの現象、もうちょっと昔からの推移を観察する必要があります。
日本の文科省は、2001年頃に博士課程の定員を増員する政策を採りました。その結果、博士課程の進学人数が増大したのは当然です。しかし、博士課程を修了して博士号を取得した人の就職先の大部分は、実質的には上述のように大学等の研究職しか用意されていません。
日本の文科省は一方で、大学が自由に使える予算の枠を年々減少する政策を取りました。結果として、日本の大学は、研究者の定員を削減し、あるいは正規雇用から非正規雇用に変更する対策を取りました。
博士進学者は、博士修了人数は増えたのに就職先は減るのですから、たまったものではありません。就職先が見つからない新博士が大量に世の中にいらっしゃるのを、私も実感していました。これらの人たちは、民間企業に就職先を求めるに際しても、博士号取得を生かしたいと考えるでしょうから、企業側とはミスマッチとなり、不遇をかこつことになったと思われます。この状況を見た学生たちが、入学枠があるとは言え、博士課程への進学をためらうのは当然です。結果として博士課程修了者の数は年々減少しました。この実態を受け、2009年頃、文科省は各国立大学に博士課程定員削減を要請しました。

〈揺らぐ人材立国〉博士離れ、賃金が一因か
クボタ専務執行役員 木村一尋氏
教育岩盤 2022年5月17日 日経新聞
『大学院教育を通じた人材の高度化に産業界が期待を寄せ始めたが、日本の大学院進学率は欧米に比べて低いままだ。』

産業界は、大学院教育において、「人材の高度化」と称して何に期待しているのでしょうか。
もしも産業界が期待していることがあるのであれば、その期待している内容を産業界が明確に示すことが必要です。その上で、大学側は、産業界のその期待に添えるような大学院教育ができるのかどうか検討し、「できる/できない」を明確にすべきです。
私の持っている印象では、今の日本の大学院が、産業界が期待するであろう大学院教育を実施する能力は有していないだろうと思います。このミスマッチをどのように解消するのかを明確にしない限り、「理系の博士課程、文系の修士課程の進学率を増やすことによって日本の人材の高度化を図る」という方向は、かけ声倒れに終わることでしょう。

この点について、上記日経新聞での木村一尋氏も、明確な指針を出せずにいます。

1990年前後、私がシリコンウェーハ製造会社で働いていた当時、学会発表をかねてヨーロッパを訪問したことがあります。当時の西ドイツでの同業会社を訪問したら、そこでの技術系の社員は、課長以上であればほとんどがPhDのドクターを名乗っていました。ドイツではなぜ技術系にドクターが多いのか、理由はわかりませんが、とにかく日本とは大違いです。
アメリカの実情は知りませんが、民間を含めて研究者の中に占める博士の比率が高く、その博士たちが主役となってアメリカの科学技術を牽引しているのだとしたら、やはり日本との違いが明確です。

私は、日本の大学院教育をどのように変革すべきか、どのような変革が可能なのかわかりません。もしも欧米でうまく機能しているのであれば、まずは欧米の実態を正しく評価するところから始めるべきでしょう。
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