弁理士の日々

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検証・真珠湾の謎と真実

2008-10-12 10:35:04 | 歴史・社会
このブログの記事「ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を事前に知っていたか」()でブランクさんからコメントをいただき、下記の書籍を入手して読んでみました。
検証・真珠湾の謎と真実―ルーズベルトは知っていたか

PHP研究所

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第1章 真珠湾陰謀説の系譜・ルーズベルトの対日政策と修正主義・須藤眞志
第2章 真珠湾を「予知」した男たち・今野勉
第3章 通信情報戦から見た真珠湾攻撃・左近允尚敏
第4章 スティネット『欺瞞の日』の欺瞞・秦郁彦

第1章冒頭でいきなり、「修正主義(リビジョニズム)」が取り上げられます。「修正主義とは正統派に対して使われる用語であって、これをもって歴史の事実であると一般的に認められている、いわゆる正史だと考えられていることに対して異論を唱えて歴史を修正しようとすることである」と説明されます。

この本は、真珠湾攻撃とルーズベルト大統領との関わり合いについての論争で、「ルーズベルトは事前に知っていたのではないか」という主張を「修正主義」として糾弾しようとする姿勢です。これではイデオロギー闘争ではないですか。論敵に対して悪意を感じる書き方です。冒頭から不快感に陥りました。当方は本当のことを知りたい、ただそれだけです。冷静に歴史の事実を解き明かしていこうとするのに対し、このイデオロギー的悪意は何でしょうか。

サンフランシスコ第12海軍区情報部で特別捜査官を務めていたロバート・オグによる無線方位測定について検討します。
スティネット「真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々」の記載・・
オグによると、民間の無線通信会社から入手した無線方位測定結果(12月初め頃)は、4MHz帯の低周波帯域でした。日本海軍独特の仮名暗号を使用していたので、日本海軍の電報であると判断しました。
無線方位測定はサンフランシスコの南北2つの地点で実施されました。2本の位置の線をオグが海図に記入すると、2本の線はハワイ北方の北太平洋上で交叉しました。

上記のオグの推定が正しいことの証拠について、スティネットが初めて発見しました。ダッチハーバーにKINGと呼ばれる海軍無線方位測定局があり、ここはシアトルの管轄なので、スティネットが国立公文書館で探したところ、1985年に記録を発見したのです。「これらの記録は、傍受に関するオグの詳細な証言を、反論の余地なく確認させるものであった。」

これに対し、秦郁彦編著の上記著書「検証・真珠湾の謎と真実」では、今野勉氏が以下のように記述しています。
今野氏の調査によると、日本海軍は航行中の機動部隊に向けて情報を無線発信していました。その無線周波数のひとつが4.175MHzでした。真珠湾攻撃前の12月1日から7日にかけて、ハワイの米艦隊関連の動静を「A情報」として送信していました。今野氏は、「オグが受信し、ハワイ北西方の日本艦船から発信した無線電波と認識した電波は、実は日本の船橋から発信した電波であった」と結論づけます。
今野氏は1990年にオッグ(オグ)を訪ねます。
「私は、周波数が4メガサイクル台だったことと、機動部隊の受信記録から推して、オッグ氏が受け取った無線電波の記録は、日本の船橋送信所から発信されたものだと思われる、と説明した。
『ハワイの北西』『日付変更線の東』というオッグの割り出した位置は、船橋とサンフランシスコを結んだ直線上にあるとも言った。
オッグが発信位置をそのように特定したのは、無線会社の方向探知の精度が悪かったためか、電波の電離層への反射、海面への反射をキャッチしたためではないか、と私が推論を述べると、氏は一瞬、顔をこわばらせ、『私はもうこれ以上、何も言いたくありません。反論もしたくありません。』と言って、口を閉ざしてしまった。」


オグの電波傍受については以下のような経過をたどっています。

1982 トーランド著「真珠湾攻撃 (1982年)」ではじめて紹介される
この頃、オグは「証拠がダッチハーバーの記録の中から発見されるはずだ」と述べる
1985 スティネットがダッチハーバー無線方位測定局KING局の傍受記録を発見する
1990 今野氏がオグを訪問する
1999 スティネットの原著が刊行される
2001 秦郁彦編著の「検証・真珠湾の謎と真実」が刊行される


オグは自分でダッチハーバーの傍受記録が参考になると言っていたのですから、スティネットがダッチハーバーKING局の記録を見つけ出したとき、当然に見せてもらっていると思っていました。今野氏から質問されたとき、なぜオグはそのことを述べなかったのか。その点が不可解です。
また今野氏が「検証・真珠湾の謎と真実」を執筆したときにはスティネット著は刊行されているのですから、KING局傍受記録について何らかのコメントをすべきなのに、全く沈黙している点も気にかかります。


KING局の傍受記録については、今のところスティネット以外に目にした人はいないのでしょうか。この記録が実はどのようなものなのか、以下のような場合が考えられます。
(1) 記録は存在しない
(2) 4MHz傍受データは存在するが、方位データ測定記録ではなかった
(3) 方位は船橋方向を指していた
(4) 方位はハワイ北西方を指していた

上記(4) であれば、ダッチハーバーはアリューシャン列島に位置しますから、船橋からの送信を見誤ったものでないことが確定します。
記録を見たのがスティネットただ一人だとすると、彼は無線傍受の専門家ではありませんから、上記(2) (3) であることを見抜けなかった可能性があります。

今野氏が発見した「当時、船橋から4MHz電波が発信されていた」という情報は、オグがこの電波を見誤ったのではないか、という推論を行う上で有力な証拠になると思います。船橋と機動部隊がそれぞれ4MHz帯の発信をしたならば、オグはその両方をキャッチしているのが自然であるのに、発信源についてはオグは1種類しか言及していません。

オグ情報の真否を確認する上で、スティネットが見つけたKING局記録は決定的であると思われますが、秦郁彦編著「検証・真珠湾の謎と真実」ではこの点に全く触れていないので、疑問は疑問のままで残ってしまいました。

無線電波の伝搬特質ラーライン号の傍受記録の意味については、別の機会に。
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