前回のアリゾナ記念館に続き、戦艦ミズーリ訪問記です。
戦艦ミズーリは、太平洋戦争末期の1944年に就航し、沖縄戦などに参加し、北海道室蘭の製鉄所を艦砲射撃で破壊したそうです。最も有名なのは、日本の降伏文書調印の場所に使われたことです。1945年9月2日、東京湾に停泊するミズーリ上で降伏文書の調印が行われました。
戦後も現役を続け、朝鮮戦争、湾岸戦争に参加し、1992年に退役して、この真珠湾で一般展示されることになりました。
戦艦アリゾナからの帰路のボートからミズーリを見る
真珠湾東岸のアリゾナ記念館の直ぐ近くから、戦艦ミズーリを訪問するバスが出発します。下の写真です。
シャトルバス 現在の真珠湾
真珠湾の東岸から、湾の中央にあるフォード島に渡る橋が設けられています。バスはこの橋を渡り、フォード島を縦断します。フォード島の中央はぼうぼうとした草地であり、両岸近くに建物は見られますが、最新の軍事基地とはとてもいえません。フォード島自身は、すでに軍事基地としての意味を持っていないのでしょう。
バスは、左下写真のように戦艦ミズーリの横に到着します。ミズーリの甲板に上がるタラップを行くと、左手に先ほど訪問したアリゾナメモリアルが見えます(右下写真)。
ミズーリ正面 アリゾナメモリアルを見る
戦艦の主砲 戦艦の主要部
艦橋 幹部の食堂のようです
戦艦ミズーリというと、昭和20年の終戦後、東京湾に来航したミズーリの艦上で降伏文書の調印が行われたことで有名です。そのときの状況は、たとえばこちらの写真を昔からよく見ます。
戦艦ミズーリの前方中甲板で、「ここで降伏文書調印が行われた」という銘板を見つけました。右下の写真と調印時の写真を比べると、まさにこの場所であることが明らかです。
降伏文書調印場所
この甲板には、調印した降伏文書(の多分レプリカ)が展示してありました。日本側全権の重光葵と梅津美治郎のサインが見えます。
降伏文書
この戦艦ミズーリは、太平洋戦争中に日本の神風特攻機の襲撃を受けたことでも知られています。まさに特攻機が突っ込んだ後方の甲板上に、その説明パネルがありました。これも有名な写真です。襲撃後は小火災で済んだようなので、爆弾は不発だったのでしょうか。艦上にゼロ戦パイロットの遺体が残り、艦長の命で水葬に付した、という点が説明されているようです。右下写真は、説明パネルが設置された付近を撮したものです。
神風特攻機による攻撃
戦艦ミズーリは、太平洋戦争の最中に就航し、戦後も現役を続け、湾岸戦争にも参加し、1992年にようやく退役しました。従って、第二次大戦中のミズーリと現在のミズーリとでは装備が著しく異なります。下の写真は艦内に展示されている模型で、第二次大戦中の姿を示しているようです。上の特攻機が突っ込んでくる写真に見える高射機関砲の配置が、左下の模型で確認することができます。
第二次大戦時のミズーリ模型
下の3枚の写真は、最近装備されたミサイルやバルカン砲であろうと思われます。
左上の写真、ミサイルの胴に記された"Raytheon"はミサイルメーカの名前のようです。
右上の写真はCIWS(シウス)あるいはバルカンファランクスと呼ばれ、20㎜バルカン砲とレーダーを組み合わせた対空システムで、対鑑ミサイル迎撃を目的とします。
ハープーン対艦ミサイル発射筒 トマホーク巡航ミサイルの装甲発射器
戦艦ミズーリ見学が終わると、次は同じフォード島にある太平洋航空博物館です。こちらも次回に。
戦艦ミズーリは、太平洋戦争末期の1944年に就航し、沖縄戦などに参加し、北海道室蘭の製鉄所を艦砲射撃で破壊したそうです。最も有名なのは、日本の降伏文書調印の場所に使われたことです。1945年9月2日、東京湾に停泊するミズーリ上で降伏文書の調印が行われました。
戦後も現役を続け、朝鮮戦争、湾岸戦争に参加し、1992年に退役して、この真珠湾で一般展示されることになりました。
戦艦アリゾナからの帰路のボートからミズーリを見る
真珠湾東岸のアリゾナ記念館の直ぐ近くから、戦艦ミズーリを訪問するバスが出発します。下の写真です。
シャトルバス 現在の真珠湾
真珠湾の東岸から、湾の中央にあるフォード島に渡る橋が設けられています。バスはこの橋を渡り、フォード島を縦断します。フォード島の中央はぼうぼうとした草地であり、両岸近くに建物は見られますが、最新の軍事基地とはとてもいえません。フォード島自身は、すでに軍事基地としての意味を持っていないのでしょう。
バスは、左下写真のように戦艦ミズーリの横に到着します。ミズーリの甲板に上がるタラップを行くと、左手に先ほど訪問したアリゾナメモリアルが見えます(右下写真)。
ミズーリ正面 アリゾナメモリアルを見る
戦艦の主砲 戦艦の主要部
艦橋 幹部の食堂のようです
戦艦ミズーリというと、昭和20年の終戦後、東京湾に来航したミズーリの艦上で降伏文書の調印が行われたことで有名です。そのときの状況は、たとえばこちらの写真を昔からよく見ます。
戦艦ミズーリの前方中甲板で、「ここで降伏文書調印が行われた」という銘板を見つけました。右下の写真と調印時の写真を比べると、まさにこの場所であることが明らかです。
降伏文書調印場所
この甲板には、調印した降伏文書(の多分レプリカ)が展示してありました。日本側全権の重光葵と梅津美治郎のサインが見えます。
降伏文書
この戦艦ミズーリは、太平洋戦争中に日本の神風特攻機の襲撃を受けたことでも知られています。まさに特攻機が突っ込んだ後方の甲板上に、その説明パネルがありました。これも有名な写真です。襲撃後は小火災で済んだようなので、爆弾は不発だったのでしょうか。艦上にゼロ戦パイロットの遺体が残り、艦長の命で水葬に付した、という点が説明されているようです。右下写真は、説明パネルが設置された付近を撮したものです。
神風特攻機による攻撃
戦艦ミズーリは、太平洋戦争の最中に就航し、戦後も現役を続け、湾岸戦争にも参加し、1992年にようやく退役しました。従って、第二次大戦中のミズーリと現在のミズーリとでは装備が著しく異なります。下の写真は艦内に展示されている模型で、第二次大戦中の姿を示しているようです。上の特攻機が突っ込んでくる写真に見える高射機関砲の配置が、左下の模型で確認することができます。
第二次大戦時のミズーリ模型
下の3枚の写真は、最近装備されたミサイルやバルカン砲であろうと思われます。
左上の写真、ミサイルの胴に記された"Raytheon"はミサイルメーカの名前のようです。
右上の写真はCIWS(シウス)あるいはバルカンファランクスと呼ばれ、20㎜バルカン砲とレーダーを組み合わせた対空システムで、対鑑ミサイル迎撃を目的とします。
ハープーン対艦ミサイル発射筒 トマホーク巡航ミサイルの装甲発射器
戦艦ミズーリ見学が終わると、次は同じフォード島にある太平洋航空博物館です。こちらも次回に。
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