弁理士の日々

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ピケティ氏と日本の格差

2015-04-12 21:09:54 | 歴史・社会
トマ・ピケティ氏が日本を訪れていた期間、日本はすごいピケティ・フィーバーでしたね。
私は経済の素養はないし、ピケティ本を読んでもいないのでよくわからないのですが、日経新聞の2月11日、12日の「経済教室」に掲載された記事は理解することができました。この記事に紹介された内容が、ピケティ理論の実像ではなかろうかと感じました。
記事を読んでから2ヶ月が経過してしまいましたが、やっと書く余裕が出てきたので、ここに記録します。

《格差を考える(上)  戦後日本、富の集中度低く》
森口千晶 一橋大学教授・スタンフォード大学客員教授
2015/2/11付 日本経済新聞
『「成長と格差」の問題は経済学の重要なテーマだ。成長は貧富の差を生み出すのか。持続的な成長はやがて格差を縮小させるのか。富の蓄積は革新の推進力か。それとも富の偏在は逆に成長を阻むのか。研究上の困難は理論を検証するための長期的データがないことだった。例えば、所得の不平等を示すジニ係数の算出に必要な大規模家計調査が始まったのは、先進国でも1960年代にすぎない。
そこに新風を吹き込んだのがトマ・ピケティ氏(パリ経済学校教授)である。彼は理論家でありながら、税務統計と国民所得計算から所得占有率という格差の指標を推計する方法を編み出し、自らフランスの歴史統計を駆使して新たな事実を明らかにした。
この方法は瞬く間に世界の研究者に広がり、現在では新興国を含む30カ国について同様の指標が推計されデータベースとして公開されている。同氏の革新的な手法によって富裕層に初めて分析の光が当たり「成長と格差」の研究は各国の長期統計を基礎とする実証研究へと大きく展開した。』

記事の中では、成人人口の上位0.1%の高額所得者を「超富裕層」と呼び、彼らの所得が総個人所得の何%を占めるかを示す「上位0.1%シェア」について、日本とアメリカの1890年から2012年までの推移をグラフで示しています。
記事とグラフはこちらのサイトで見ることができます。
第2次大戦前は、日本もアメリカも、超富裕層の所得が8%前後を占めており、「超富裕層の時代」でした。ところが、大変終了とともに上位0.1%のシェアは大幅に下がり、日本もアメリカも2%程度となりました。
アメリカはその後、1980年頃から上位0.1%シェアが増大しはじめ、現在は8%に至っています。従って、アメリカについては、「現在は超富裕層の時代だ」といって間違いありません。
一方日本は、最近じわじわと増大しているとはいえ、上位0.1%シェアは3%程度であり、アメリカの現実とは大きく乖離しています。従って日本については、高度成長期、低成長期、デフレ時代を通じて、超富裕層は生まれなかったと言っていいでしょう。
従って日本では、「格差」の問題は、超富裕層とそれ以外との間の格差ではありません。

《格差を考える(下)  対立避け社会の連帯を》
阿部彩 国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部長
2015/2/12付 日本経済新聞
『日本でピケティ・ブームが巻き起こっている。1月末にはピケティ氏(パリ経済学校教授)本人の来日もあって、主要な新聞や経済週刊誌が軒並み「ピケティ特集」を組み、教授の顔写真がカバーを飾った。日ごろから格差や貧困を研究している筆者にとって、この降ってわいたようなブームには、喜ばしい半面、懸念される面も存在する。
まず喜ばしいこととしては「格差」が再度、是正しなければいけない社会問題として認識され始めたことである。かつて、日本でも格差の拡大が論争となったことがあった。1990年代後半から2000年代にかけてである。
・・・
そんななかで、ピケティ氏の著書は、消え入りそうな日本の格差論争を再び燃え上がらせる油の役割を果たしている。』
『そもそも、日本の富裕層への所得の偏りは、先進諸国の中では小さい方である。ピケティ氏自身のデータによると、日本のトップ0.1%の所得シェアは、確かに00年代以降は上昇傾向にあるものの、他国に比べると戦後ほぼ横ばいといってよいほどその上昇の度合いは小さい。
多くの論者が指摘するように、日本の所得格差の拡大は、富裕層の拡大というよりも、貧困層の拡大によるところが大きい。
所得が中央値の半分に満たない人の割合である相対的貧困率でみると、日本は1985年の12.0%から2012年の16.1%まで上昇した。』
記事とグラフはこちらのサイトで見ることができます。

日本における格差問題は、富裕層が儲けすぎているという問題ではなく、中間層から貧困層に落ち込む人たちが増えているという問題のようです。
この問題にどう取り組むのか。
阿部彩先生は記事の中で
『日本の財政の悪化や社会保障費の今後の増大を考えると、16%の貧困層への給付を拡大するには、富裕層からだけの再分配では十分ではない。富裕層や資産保有者の負担は、もちろん増加すべきであるが、ごく一部の人の負担増だけで貧困層への投資を充実させ、将来の世代への社会保障給付を維持することは不可能である。貧困の連鎖を止め、かつ社会保障制度の機能を維持するためには、中間層の人々を含めた負担増が欠かせないからである。』
と述べています。その通りでしょう。
その財源をどのように捻出するのか。「中間層による負担」とは、中間層からの税金をもっと増やす、ということに他なりません。私が思いつく唯一の方策は、「経済成長」です。成長によって余録を増やし、増えた余録を所得再配分の財源とする、それ以外には有効な方策は思いつきません。

私は3年前、『高橋洋一著「この経済政策が日本を殺す 日銀と財務省の罠」』の記事で「成長は百難隠す」の格言を挙げました。正しくは「成長は七難隠す」ですね。

また2009年11月には、相対的貧困率について相当に突っ込んで検討したことがあります(相対的貧困率データが意味するものは日本での相対的貧困率推移)。約5年前のことですが、今読み返してみると、我ながらよくこんなに突っ込んで検討したものだと感心します。次回は、この記事を再現してみようと思います。
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