弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

藤原正彦「祖国とは国語」(2)

2009-08-14 19:48:11 | 歴史・社会
藤原正彦著「祖国とは国語 (新潮文庫)」について、前回報告しました。
この本は3つの部分に分かれます。
(1) 「国語教育絶対論」
 短編を11編収録
(2) 「いじわるにも程がある」
 短編を20編収録
(3) 「満州再訪記」
 1編で構成
いずれも、2000~2003年に書かれたもののようです。

このうち、前回報告したのは「満州再訪記」についてです。

本の表題である「祖国とは国語」は、(1)「国語教育絶対論」に収録された最初の同名の短編「国語教育絶対論」の内容に由来しています。

ここでは、(1) 「国語教育絶対論」について、印象に残ったフレーズをメモしておきます。

《国語教育絶対論》
・日本再生の急所
「教育の質はそれを受けた者の質を見ればたちどころにわかる。大学生を見れば質の低下は著しい。」
「問題は我が国の劣化しきった体質を念頭に、いかに教育を根幹から改善するかである。そのため、具体的に何から手をつけたらよいのか、ということである。私には小学校における国語こそが本質中の本質と思える。国家の浮沈は小学校の国語にかかっていると思えるのである。」

・国語はすべての知的活動の基礎である。
「読書は教養の土台だが、教養は大局観の土台である。」「大局観は日常の処理判断にはさして有用ではないが、これなくして長期的視野や国家戦略は得られない。日本の危機の一因は、選挙民たる国民、そしてとりわけ国のリーダーたちが大局観を失ったことではないか。それはとりもなおさず教養の衰退であり、その底には活字文化の衰退がある。国語力を向上させ、子供たちを読書に向かわせることができるかどうかに、日本の再生はかかっていると言えよう。

・国語は論理的思考を育てる
「アメリカの大学で教えていた頃、数学の力では日本人学生にはるかに劣るむこうの学生が、論理的思考については実によく訓練されているので驚かされた。」
「これは学生に限られたことではなく、暗算のうまくできない店員でも、話してみると驚くほどしっかりした考えを持っているし、スポーツ選手、スター、政治家などのインタビューを聞いても、実に当を得たことを明快な論旨で語る。」
「当時、欧米人が『不可解な日本人』という言葉をよく口にした。不可解なのは日本人の思想でも宗教でも文学でもなく、実は論理面の未熟さなのであった。」
「現実世界の『論理』とは、普遍性のない前提から出発し、灰色の道をたどる、というきわめて頼りないものである。そこでは思考の正当性より説得力のある表現が重要である。すなわち、『論理』を育てるには、数学より筋道を立てて表現する技術の習得が大切であると言うことになる。」「これは国語を通して学ぶのがよい。」

・国語は情緒を培う
「(論理の)出発点となる前提は普遍性のないものだけに、妥当なものを選ばねばならない。この出発点の選択は通常、情緒による。」
「勇気、誠実、正義感、慈愛、忍耐、礼節、惻隠、名誉と恥、卑怯を憎む心など武士道精神に由来するかたちや情緒も、感動の物語とともに吸収するのがよい。終戦後60年近く経ち、親や教師はもはやこれらを説教により教えることができなくなっているからである。これらは道徳であり、日本人としての行動基準でもあるから、幼年期に徹底しないといけない。いじめなどは、卑怯を教えない限り、止むはずもない。
家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛も、ぜひ育てておかねばならない。これらは人間としての基本であるばかりか、国際人になるためにも不可欠である。どれか一つでもかけていては、国際社会で一人前と見なされない。地球市民などという人間は世界で通用しない。」

・祖国とは国語である
「英語では、自国の国益ばかりを追求する主義はナショナリズムといい、ここでいう祖国愛、パトリオティズムと峻別される。ナショナリズムは邪であり祖国愛は善である。邪とはいえ、政治家がある程度のナショナリズムを持つというのは必要なことと思う。世界中の政治家がそれで凝り固まっている、というのが現実であり、自国の国益は自分でしか守れないからである。
一般国民にとって、ナショナリズムは不必要であり危険でもあるが、祖国愛は絶対不可欠である。わが国語にこの二つの峻別がなかったため、戦後、極めて遺憾なことに諸共捨てられてしまった。悔やまれる軽挙であった。現在の政治・経済・外交における困難の大半は、祖国愛の欠如に帰着する、と言ってさして過言でない。」

・これからの国語
「平成14年に導入された新カリキュラムでは、小学校国語の総時間数は戦前の三分の一ほどである。これほどまでに減らされた原因は大きく二つあると思う。」
「一つは国語を情報伝達の道具としてしか考えない人が余りに多いからである。」
「二つめの理由は、教科の平等である。」「小学校における教科間の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下なのである。」
「当用漢字も常用漢字も、読める漢字と書ける漢字を一致させる、という不思議な了解の下で作られている。通常、読める漢字は書ける漢字の数倍はある。それでよい。とりわけ情報機器の発達した今日、書ける漢字より読める漢字を大量に増やすことが必要となっている。・・・難字もルビさえ打てば問題ない。」

《英語第二公用語論に》

《犯罪的な教科書》
「恐るべき学力低下は、『ゆとり教育』を受けてきた学生に接している大学教官が異口同音に言うところであり、各種の統計にもはっきり現れている。」
「算数・数学を理解し数感覚や図形感覚を育てるには、退屈な計算練習や演習問題を粘り強く考えたりすることが必要で、それには多少の忍耐が要求される。」

《まずは我慢力を》

《産学協同の果ては》
「経済界の提言を取り入れて、英語、パソコン、株式取引、起業家精神などを小学生に教えていたら、週二十数時間という窮屈の中、国語や算数の基礎力がガタガタとなる。現に2002年よりこれらは内容三割減となる。」

《ノーベル賞ダブル受賞》

《情報機関の創設を》

《アメリカ帰りが多すぎる》

《大局観と教養》

《戦略なき国家の悲劇》

《パトリオティズム》
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 藤原正彦「祖国とは国語」 | トップ | 「国家の品格」再読 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史・社会」カテゴリの最新記事