大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年08月16日 | 写詩・写歌・写俳

<2056> 余聞、余話 「食卓より」

           今日はあれあれよと言はれ納得す暑さの真っただ中の食欲

 「あれ」とか「それ」とかは、はっきりしないもの言いで、聞く方は「あれとは何か」、「それとは何か」と問い返すことになるが、互いに「あれ」や「それ」の指すものがわかっていれば、支障なく「あれ」や「それ」は通用する。所謂、「あれ」や「それ」はわかる者同士には暗号のようなもので、「あれ」や「それ」で意思疎通が出来るという次第で、「あれ」や「それ」が通用するのは仲間うちであることが言える。

  とにかく、「あれ」や「それ」という代名詞が支障なく用いられ、通用するということは、親しい間柄を言うに等しい。代名詞に曖昧な点は否めないが、これは「記憶にございません」というような逃げ口上や黙否するなどということよりははっきりした心持ちの言葉で、聞く相手を不愉快にさせることはまずないと言ってよい。それは「あれ」や「それ」という言葉によってその内容がはぐらかされているものではないからである。

           

  話は突然変わるが、家庭の主婦にとって日々の献立は大変である。ときには外食にして食事の用意から解放されたいという気分になったり、簡単料理で手抜きをしたりすることもある。それでも、一日に三度の食事全部の賄いを抜きにすることはよほどのことがない限り出来るものではないのが普通一般家庭の主婦というものであろう。

  我が家では、ときに何にしようかと声をかけて来ることがある。そういうとき、私としては食べたいものが即座に言えなくて、あれはどうかと言ってみたりする。私のあれはカレーライスかハヤシライスかだが、大体その日には所望通りにはならず、2、3日置いて先に希望の献立が登場するというのが常である。これは無理からぬことであり、私への配慮も感じられ、うれしく、ありがたいとも思う。

  逆に、こちらからときには今日は何かと切り出して訊くこともある。訊かれるのはプレッシャーに感じられるのか、妻にはあまりいい表情にならないのが常である。そういうこともあってあまりその日の献立について訊くことはしない。何を食べても美味しく、ありがたく思って食事に向かっているので、それも一因であるが、こうした私の食事に対する態度は作り甲斐がないとも受け取られがちである。

  また、いつも美味しく食べさせてもらっているので、「美味しい」「美味しい」と言って食べるのは取ってつけたようで、私の性に合わない。ということで、いつも黙々と食べる帰来がある。妻にはこれが気に入らないらしく、「何とかいったらどう」とよく私をたしなめる。だが、こちらとしては、残すことなく綺麗に食べることが美味しいという何よりの表現で、いちいち美味しいと言わなくてもよかろうと思っている。という具合で、私の日々の食生活の姿はある。

  「言葉でいわなきゃ、わからんでしょう」と妻にしてみれば、そういうことになるのだろう。けれども、こちらとしては「美味しい」「美味しい」の連発は白々しいし、たまにそれを口にすると、口に出さないときは美味しくないと受け取られかねないとも言えるから、私としては出された献立の品々を全部平らげることによって美味しく頂いているという表現が出来ていると主張したいわけである。

  家庭料理というのは、どこの家でも言えることであろうが、ある程度のパターンがあって、そのパターンで一家の主婦はその献立を回しているところがある。料理好きの主婦は手を変え、品を変えしていろんな料理に挑戦するのだろうが、それにしてもパターンはあると思える。そこで「あれ」とか「それ」とかといった言葉がついつい用いられることになる。私の「あれ」はカーライスレかハヤシライスかどちらかで、野菜サラダつきであれば言うことはない。 写真は左から我が家の朝食、昼食(ともに今日)と夕食(昨日)。


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2017年08月10日 | 植物

<2050> 大和の花 (289) オモダカ (沢瀉・面高)                                   オモダカ科 オモダカ属

       

 全国各地の湿地や水田の周りなどに生える多年草で、大和(奈良県)でもよく見られる。地中に匐枝を伸ばし先端に小さな塊茎をつくり群生することが多い。葉は根生し、成長すると長い柄を有して葉身の基部が2つに裂ける矢じり形になり、先端が鋭く尖る。この葉の形が人の顔(人面)に見えることからこの名がつけられた言われる。

 花期は8月から10月ごろで、花茎は20センチから80センチほどになり、花茎上部の節ごとに白い3弁の花を普通3個ずつ輪生する。花は単性花で、花序の上部に雄花、下部に雌花がつき、球形の花床に雄花では黄色の雄しべが多数つき、雌花では緑色の雌しべが多数球形につく。雄花も雌花も朝開いて夕方に萎む1日花で、花弁は早くに散るが、3個の萼片はいつまでも残り、花序上部の雄花がよく目につく。

 正月のおせち料理でお馴染みのクワイ(慈胡)はオモダカの変種で、中国原産。平安時代のころから栽培され、オモダカよりも全体に大きく、料理に用いられる塊茎も大きい。因みに名高いスイタグワイ(吹田慈胡)はオモダカの改良品である。なお、オモダカの葉や花はよく家紋に用いられ、有名紋のベスト20に入り、殊に武家に愛好され、毛利元就が戦勝したとき、オモダカの花に蜻蛉がとまっていたことから縁起がよいとしてオモダカを家紋に用いた話は知られるところである。 

  写真はオモダカ。一面に生えるオモダカ。白い花はほとんどが雄花(左)、稲が穂を垂れるころ咲くオモダカの花(中)、花序のアップ。雄花では黄色い雄しべがよく目につく(右)。写真はいずれも大和高原。 戦争の悪はしたたかその悪は人の底意を常としてゐる

<2051> 大和の花 (290 ) ウリカワ (瓜皮)                                     オモダカ科 オモダカ属

                            

  水田や浅い沼などに生え、地中に匍匐枝を伸ばし、先端に小さな塊茎をつくって群生する多年草で、長さが10センチから20センチの線形の葉を根生する。この葉が剥いたマクワウリの皮に似ていることによりウリカワ(瓜皮)の名がつけられた。

  花期は7月から10月ごろで、高さが10センチから30センチの花茎にオモダカの花にそっくりな白い3弁花を輪生する。花茎の上部には雄花が花柄をともない2個から6個つき、下部には無柄の雌花が1、2個つく。実は扁平な広倒卵形の痩果で、多数が集まりつく。

  本州の福島県以西、四国、九州に分布し、大和(奈良県)でも水田の傍らなどでときおり出会う。 写真は花を咲かせるウリカワ。花はオモダカに似るが、矢じり形でない細長い葉を有する。写真の花は雄花。 権力といふ魔的なる存在は巧言にして裏面を見せぬ

<2052> 大和の花 (291) ヘラオモダカ (箆面高)                            オモダカ科 サジオモダカ属

              

  浅い池沼や湿地に生える多年草で、披針形または狭長楕円形の根生葉がへらのような形に見えるのでこの名がある。葉身の基部は次第に細くなって葉柄に続く。同じオモダカ(面高)の名を持つが、オモダカとはかなり姿を異にする。

  花期は7月から10月ごろで、枝を分ける花茎は高さが50センチ前後、枝の花序にオモダカより小さい直径1センチほどの花弁の基部が黄色く、淡紅色を帯びる白色の3弁花を開く。花は1日花で次々に咲き散ってゆき、枝ごとに点々と見えるので、注意しないでは他の草に紛れて見過してしまうところがある。

  花はオモダカと異なり両性で、雄しべは6個が輪になってつき、雌しべは雄しべの内側の平らな花床に多数が一列に連なり、輪になってつく。実は痩果で、多数つき、背に深い溝が1つ入る。全国各地に分布し、大和(奈良県)でも散見されるが、圃場整備などによって減少が見られるとして絶滅危惧種にあげられている。

 写真は休耕田の湿地で群生し花を咲かせるヘラオモダカ(左)、山足の湿地で、ほかの草に紛れて花を咲かせるヘラオモダカ(中)、花のアップ(右)。いずれも奈良市東部の大和高原。 戦争もテロも等しく我々のエゴに発するものにあらずや

<2053> 大和の花 (292) ヒシ(菱) と ヒメビシ (姫菱)                             ヒシ科 ヒシ属

     

  ヒシ科はヒシ属1属で知られ、日本にはヒシ(菱)のほかにヒシより大きいオニビシ(鬼菱)とヒシより小さいヒメビシ(姫菱)とが見られる。3種とも池や沼などに生える浮葉植物の1年草で、株ごとに多数の葉が放射状につき、葉柄の中央部が紡錘状に膨らむので、これが浮き袋の役目を果たし水面に浮く。株からは茎が水底に伸び、水面を被い尽すほど群生することが多い。葉身は三角状菱形で、縁には鋭い鋸歯があり、ひしげたこの葉の形からこの名が生まれたと1説には言われる。

 花期は7月から10月ごろで、株元の葉腋に直径1センチほどのかわいらしい白い4弁の両性花を開く。萼片も雄しべも4個で、花弁はときに淡紅色を帯びるものもある。花は1日花で、萎むと水没し、結実する。実は核果で、4個の萼片のうち2個は脱落するが、残った2個が刺状に変形して核果の両端につく。

 実がひしげた形になるので、1説にはこの実の形によりこの名はあるという。菱形という形を表す言葉はこのヒシから来ているが、葉の形か、実の形かは定かでない。分布は全国に及び、国外では朝鮮半島から中国にかけて見られるという。大和(奈良県)ではそこここの溜池や濠などで水面を被い尽すほど群生するのに出会うことがある。

 ヒシは古くから実を食用薬用にし、記紀万葉の時代には歌にヒシを採る様子が詠われている。例えば、『万葉集』巻7の1249番に柿本人麻呂歌集の「君がため浮沼(うきぬ)の池の菱つむとわが染めし袖濡れにけるかも」というヒシの実を摘む歌が見える。所謂、ヒシは万葉植物で、この歌はヒシが当時から知られていたことを示している。薬用としては、本草書に詳しく、滋養、強壮、消化促進などに効くとされている。

 なお、ヒシの近縁種ヒメビシ(姫菱)は、大和(奈良県)においては自生地も個体数も極めて少なく、絶滅寸前種にあげられている。ヒメビシはヒシやオニビシより全体に小さく、葉の鋸歯が一段と大きく見え、葉柄や葉裏にほとんど毛がない特徴がある。また、萼片の棘はオニビシと同じく、4個とも残り、石果につくので、実の刺でも判別出来る写真はヒシの花が見える濠(左)とヒシの花(中)、葉の鋸歯が大きいヒメビシの花(右)。いずれも奈良盆地の平野部。 大戦の戒め負ひて来し日本平和憲法よりどころにし

<2054> 大和の花 (293) ミズオオバコ (水大葉子)                          トチカガミ科 ミズオオバコ属

             

  水田や浅い池沼、溝などに生える沈水植物の1年草で、水中に沈む柄のある葉の形が広披針形から広卵形になり、オオバコ(大葉子)の葉に似るのでこの名がある。緑色の幼葉は成長するとくすんだ紫褐色から赤褐色になって枯葉のように見えるところがある。深いところに生える個体ほど葉が大きくなる傾向が見られるという。

  花期は8月から10月ごろで、葉の間から花茎を伸ばし、水面に白色もしくは淡紅紫色を帯びた1花を開く。花は両性の3弁花で、萼片は3個。雄しべは3個から6個、雌しべは6個で両方とも黄色なのでわかりづらいところがある。実は核果で、種子は果肉の粘液によって暫く浮遊するが、粘液が劣化して来ると、種子は沈水し、実を結ぶ。

  本州、四国、九州に分布し、大和(奈良県)でも見受けられるが、自生地の消失など生育環境の激しい変化によって減少傾向が見られ、希少種にあげられている。 写真はヒシ(菱)と混生し花を咲かせるミズオオバコ(左)と水底にくすんだ紫褐色の葉を広げ、水面に1日花の1花を開くミズオオバコ(右)。 平和への願ひ切なる憲法を掲げて今日に至れる日本

<2055> 大和の花 (294) オオカナダモ (大カナダ藻)                    トチカガミ科 オオカナダモ属

     

  南米原産の沈水植物の多年草で、水底が見えるような透明感のあるきれいな淡水に群生することが多く、北米から欧州、アジア、オセアニアの温帯に広く分布し、日本には大正年間に帰化して本州、四国、九州の水路、池、湖沼などに見られるようになった。

  雌雄異株で、日本には雄株のみが帰化しているので結実による繁殖はないとされ、切れ藻(植物体の断片)によって増えているという。これは貨物船のバラスト水によって運ばれ、世界各国に広まって困りものになっている日本産のワカメ(若布)に似るところがある。オオカナダモはおそらく観賞用に持ち込まれたものと思われる。

  茎は1メートルを越えて叢生し、広線形の葉が密に輪生して水中を被い尽すこともある。花期は6月から10月ごろで、水中の葉腋から長い花柄を伸ばし、水面に直径1.5センチほどの白い3弁花を開く。日本各地で見られる花はみな雄花で、結実を見ないと言われる。写真は池一面に咲く花(左)と花のアップ(下北山村)。 どれほどの犠牲を強ひて終戦はなされしものか今も問はるる

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2017年08月09日 | 植物

<2049> 余聞、余話 「続・ナラ枯れの被害」

        何ごともなきがごとくに日常の時は過ぎゆく意識をせねば

 カシノナガキクイムシによるナラ枯れの被害が奈良県北西部の一帯でなお広がりを見せている。カシノナガキクイムシはブナ科のコナラ(ナラ)やカシ類を好む甲虫で、幹の中に入り込むとナラ菌を媒介し、ナラ菌が繁殖すると、木地が細分化され、ぼろぼろになり、その屑が菌糸をともなって幹の道管を詰まらせる。これによって水の補給が出来なくなった木は立ち枯れてゆく。枯れた被害木を放置しておくと、いよいよカシノナガキクイムシは繁殖し、次のコナラ(ナラ)等に移り、被害を拡大させてゆく。

 立枯れたコナラ(ナラ)は、葉がことごとく茶色に変色し、ほかの木々が青々と葉を繁らせる春から夏にかけて紅葉しているかのよによく目につく。立枯れた木は二、三年で枯れた葉が落ち、燻んだ枝ばかりになってそこだけ緑のない状態に陥る。枯れて茶色くなった葉をつけた木は、まさに伝染病の様相を呈し、健全でない山の姿を見せる。

                               

 このようなナラ枯れの異様な山が、昨今、奈良県北西部一帯の山々に見られ、なお拡大している観がある。大和平野のほぼ中央を東西に流れる大和川より北側の山地にナラ枯れの被害は集中しており、更に広がる傾向を見せ、南にも及びつつあるのがうかがえる。金剛山周辺ではまだ被害が出ていないようであるが、ニ上山付近ではちらほら見られるので青垣の山々一帯に広がるのは時間の問題のように思える。

                    

 コナラ(ナラ)は高さ二十メートル、幹の直径六十センチにも及ぶ、奈良の地名に関わるという説もある落葉高木で、低山や里山ではクヌギと同様、伐採しても根元から新しい芽が出て更新する樹木として昔から生活に関わって来た貴重な樹種として知られ、大いに利用され、親しまれて来た。この貴重な親しみのあるコナラ(ナラ)が奈良盆地の周辺の山で、カシノナガキクイムシの猛攻を受け、枯れる被害が続いている次第である。

 これは昔のように人が山に入り、山の手入れをすることがなくなり、放置状態に陥って、樹木の更新による若返りが少なくなって勢いのない老木がカシノナガキクイムシにつけ込まれたのではなかろうかと考えられる。ナラ枯れの個体を見ると全体に大きいコナラ(ナラ)が被害に遭っているのがわかる。被害木は放置せず、早めに伐り倒せば、その切り株から更新の芽を出し、蘇るだろうが、立枯れたままにして置くとどうなるのだろうか。

 それにしても、このナラ枯れの被害の広がりは、山仕事をしなくなった現代社会の姿を反映しているように見えるところがある。言わば、これも時代を象徴する光景であろう。この間の九州における集中豪雨による流木の様相と何か根本のところで繋がっているような気がする。 写真はナラ枯れの被害によって山肌の様相が変わった矢田丘陵の南端の雑木林(上)と生駒山系の山肌(下左)、枯れたコナラ(ナラ)の高木(下右)。  

 


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2017年08月04日 | 植物

<2044> 大和の花 (284) ゲンノショウコ (現の証拠)                          フウロソウ科 フウロソウ属

            

 古くから民間薬として名高い薬用植物の代表格で、下痢、便秘、整腸、高血圧予防、冷え症、婦人病と多くの症状に効くうえ即効性もあることによりこの名がある。別名のイシャイラズ(医者いらず)もこれによる。また、イシャコロシ(医者殺し)、セキリグサ(赤痢草)、タチマチグサ(立待草)、フウロソウ(風露草)等々、異名が多く、これらの名は有用植物としてよく知られていた証として捉えることが出来る。

  例えば、貝原益軒の『大和本草』(1708年)には「陰干しにして粉末にし、湯にて服す。能く痢を治す。赤痢に尤も可也。また煎じても或は細末にし丸薬としても皆効果がある。云々」とその薬効があげられている。タンニンやクエルセチン、コハク酸、没食子酸などの物質を含むと薬草図鑑等には説明されている。

 山野の草地で普通に見られる多年草で、北海道から九州にかけほぼ全国的に見られる。草丈は数十センチで、葉は掌状に3から5深裂し、若葉には濃紫色の斑点が入る。花期は7月から10月ごろで、盛夏のころよく見かける。花は直径1.5センチほどの5弁花で、長い花柄の先にふつう2個つく。花には白色系と紅色系の2つのタイプがあり、日本列島の東では白色系、西では紅色系の花が見られ、大和(奈良県)はその中間の混生地として紅白両方の花が見受けられる。これはタンポポの黄花と白花の分布状況に似る。

 実は蒴果で、長さは1.5センチほどに立ち、熟すと5裂し、裂片が種子を1個ずつ巻き上げて神輿の屋根の形に反るのでミコシグサ(神輿草)の名でも呼ばれる。 写真はゲンノショウコ。左の2枚は紅色と白色の花。次は花と若い実(花期が長いので花と実が同時に見られる)。右は神輿の屋根の形に巻き上がった果期の姿。   医者いらずの現の証拠は昔より言はれたるなり医者殺しとも

<2045> 大和の花 (285) イヨフウロ (伊予風露)                               フウロソウ科 フウロソウ属

                          

  フウロソウ科の植物は温帯を主に5属見え、日本にはフウロソウ属だけが自生すると言われる。フウロソウ属にはゲンノショウコ(現の証拠)のように実が蒴果で熟すと5裂し、裂片が巻き上がる特徴がある。日本には12種が自生し、山地から高山に生えるものが多く、帰化して野生状態の外来種も見られる。

  深山の草地に生えるイヨフウロは草丈が30センチから70センチほどになる多年草で、茎や葉などに粗い毛がり、葉は幅が数センチから10センチほど、掌状に5中裂もしくは深裂する。花期は7月から9月ごろで、普通淡紅紫色の5弁花を上向きに平開する。花弁には濃い紅紫色の模様が入り、先が3浅裂するものと全縁のものがある。

  本州の東海地方以西、四国、九州に分布する日本の固有種で、ほぼ襲速紀要素系植物の分布域に自生し、変異が多く、ヤマトフウロ(大和風露)の別名でも呼ばれる。大和(奈良県)では大峰山系の高所部の草地に点々と花を咲かせるのが見られ、その点在する花の姿は何ともかわいらしいが、いかにも絶滅寸前種らしいところがうかがえる。 写真はイヨフウロ。大峰山脈の花は花弁の先が裂けないタイプがほとんどで、ツボミの写真では萼片に開出毛が見える(天川村)。 山に咲く花は山もてある身なり即ち夢は山に開かれ

<2046> 大和の花 (286) コフウロ (小風露)                                   フウロソウ科 フウロソウ属

             

  フウロソウ属の仲間の多年草で、草丈が30センチほどと小振りなのでこの名がある。葉は互生し、ゲンノショウコ(現の証拠)やミツバフウロ(三つ葉風露)に似るが、葉が3全裂し、さらに裂片が2浅裂する違いがあるので見分けられる。花期は7月から9月ごろで、白地に淡紫色の条が入る5弁花を長い花柄の先に点頭する。

  本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島に見られるという。大和(奈良県)でも山地で見られるが、生育場所が限定的で、少ないためレッドデータブックには絶滅危惧種としてあげられている。大峰山脈の尾根筋に当たる大峯通りの石灰岩地で見られる。 写真はコフウロ(天川村の大峯奥駈道)。  原爆忌重ね日本の夏はある思ひの夏の七十二年

<2047> 大和の花 (287) ヒメフウロ (姫風露)                                     フウロソウ科 フウロソウ属

                                          

  石灰岩地でよく見られる1年草または越年草で、草丈は20センチから60センチほどになり、全体に開出毛があって粘る。葉が3全裂するのはコフウロ(小風露)と同じであるが、裂片が更に深裂するので細かく細分して見える。花期は5月から8月ごろで、直径1.5センチほどの淡紅色のかわいらしい5弁花を咲かせ、この名がある。

  図鑑には本州の中部地方と四国の剣山に分布を限ると見えるが、大和(奈良県)でもときに見かける。天川村の植林帯に当たる日当たりのよくない石灰岩地の草地で、今1つは宇陀市榛原の民家の裏で、やはり日当たりのよくない草地だった。こちらは植栽起源と見られ、ともに群生していた。塩を焼いたような臭気があるのが特徴を持っている。 写真はヒメフウロ(左は天川村の石灰岩地、右は宇陀市の山間地)。  終戦の夏を重ねて今にある七十二年の思ひの歴史

<2048> 大和の花 (288) アメリカフウロ (亜米利加風露)とヤワゲフウロ (柔毛風露)  フウロソウ科 フウロソウ属

                                                

  ここでは、外来の帰化植物であるアメリカフウロ(亜米利加風露)とヤワゲフウロ(柔毛風露)を見てみたいと思う。では、まず、アメリカフウロから。アメリカフウロは北米原産の越年草で、アジアなどに広く帰化している。茎は基部からよく枝分かれし、長い柄を有する葉は円形で、5深裂し、裂片は更に細分化するので、細かく見える。茎も葉も全体に軟毛が多い。

  花期は5月から6月ごろで、葉腋から花柄を出し、直径5ミリほどの淡紅色乃至は白色の5弁花を咲かせる。日本では昭和8年(1933年)に京都で発見され、今では東北地方以西に広く分布している。大和(奈良県)でも日当たりのよい道端や荒地、果樹園などで群生するのを見かける。 

  一方のヤワゲフウロは欧州原産の越年草で、世界に広く帰化し、日本では昭和51年(1976年)、北海道ではじめて見つかり、全国的に広まった。長い柄を有する葉は直径5センチ前後の円形で、5から9深裂し、更に浅く切れ込み、根生する。全体に軟毛が多く、名の由来になった。

  花期は3月から5月ごろで、淡紅紫色の5弁花を開く。花弁は先端が切れ込むため、一見すると10弁に見える。 写真はアメリカフウロ(左・広陵町)とヤワゲフウロ(右・宇陀市室生)。   思惑の交錯見ゆる日常絵あるは疲れてゐる人の背に

 

 

 

 

 

 

 


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2017年08月03日 | 写詩・写歌・写俳

<2043> 余聞、余話 「心のフレーム」

       湧き上がる雲の白さに照らされて我がフレームの中の故郷

 八月七日は私の誕生日。もう直ぐである。つまり、お盆前の暑さの盛りに私はこの世に生まれ出て来た。父母がこの日を選んだわけではないだろうが、とにかく、四季の中で一番暑いときに産声を上げた。言わば、私にとって人生の出発が盛夏の暑さの中だったわけで、人生のもっともはじめにこの身をもって八月という季節を体験したのである。八月という月が私にとって特別な月に思えるのはこのためである。

 以前このブログで七月が私にとって生理的に苦手な月であることに触れたが、それは私をお腹に抱えた臨月の母の四苦八苦の心持ちが胎児の私に以心伝心して七月が苦手な月になったのに相違ないと思えたからで、今もその思いに変わるところはない。だが、八月はそのときも触れたように気分が違う。八月は母がお産を成し遂げ、達成感と解放感に満ちた月で、私が日の目を見た月である。

                    

 私が生まれたのは瀬戸内に面した故郷の家で、産褥の母は青々たる田一枚を隔てた隣家の築地の庭の百日紅が淡い紅色の花を咲かせていたのを目にしていたはずで、百日紅の背景にはほどよい形の山が聳え、その上には夏の雲が湧き上がり、その雲の峰が白く輝き、母にはそうした絵のような真夏の風景に見守られながら私という男児をこの世に生み出したのである。

 今は田が埋められ、新興宗教の道場の敷地になり、宿泊用の建物が建てられ、その風景を遮ってしまったが、私の子供のころには見られ、その百日紅の風景は夏休みの図画の宿題に描いたこともある。その風景はお産を終えた安堵の母の目に幸せ色をもって映ったのではなかったかと今も想像される。私にはまさに心の中の風景と言ってよい。

 私にとって、夏という季節の心持ちは斯くのごとくで、盛夏の前半と後半ではイメージを異にするところがある。これは八月七日の誕生日が大いに関わり、影響していると言える。つまり、私にとってこれは人生の一等最初の体験で、必然のものに違いなく、三つ子の魂百までではないが、この思いは年齢を重ねても変わることのない一生のもののように思える。

 大和は今まさにその盛夏の真っただ中。奈良盆地を囲む青垣の山並みのそこここに夏雲が湧き上がり、その雲の峰々が白く輝き盆地の底に当たる大和平野を照らしている。その湧き上がる夏雲に心のフレームをかけてみると、夏雲は遠い、しかし、忘れ難い切ないような故郷の思いの風景に繋がる。それは幻なのであるが、私には確かなものである。父は煉瓦工場へ働きに行き、夏の暑い盛りも、冬の寒い日も、風雨の強い日も、関係なく自転車で出かけていた。思うに、七人家族の大所帯の日々は慎ましく、そして、健やかであった。 写真はイメージで、心のフレームの中に湧き上がる郷愁の夏雲。