<339> 広島の原爆の日
栴檀の緑の街路蝉の声八月六日は原爆忌なり
今日は八月六日。広島に原爆が落とされた日である。広島の祈念式典には仕事の関係で何度か訪れた。一年で一番暑い時期に当たるこの日の式典会場はじっとしていても汗が出て来るほどである。そんな暑さの中で、印象に残っているのは献花に向かう一般市民の姿であり、センダンの街路樹に鳴きしきる蝉の声が読経のように聞こえたことである。
米国は何故このような暑い時期を選んで原爆を投下したのか。被爆者にはどれほどのものであったかと思われる。健常者でさえへこたれそうになる暑さである。今日も暑くなりそうな気配の朝、激しく蝉の声がした。今日は原爆忌だということで、既に二十年も前のことであるが、祈念式典に関わったことを思い出した。
広島の原爆は昭和二十年(一九四五年)八月六日午前八時十五分、世界で初めて投下された。続いて三日後の九日には長崎に落とされ、多くの人々が犠牲になった。広島の原爆死没者名簿は、二十九万人近くの記載に及び、なお、多くの人々が原爆の後遺症に悩まされ、高齢化している。ということで、八月六日と九日を原爆の日(原爆忌)と呼ぶ。
今年で六十七回目。広島では毎年八月六日、爆心地に近い平和記念公園の原爆慰霊碑前で原爆犠牲者の慰霊と平和祈念の式典が営まれる。式典では原爆が投下された午前八時十五分から一分間の黙祷が行われ、犠牲者の霊に向かって冥福を祈るとともに、二度とこのような悲劇が起こらないよう世界に向けて平和を訴える。今年は福島第一原発の事故にともなう脱原発の世論が高まり、原爆への訴えにも加えられるところが見られた。
今日は、起き立てにゴーヤの緑のカーテンをまぶしく目にしていたら、今夏何度か使用した水枕が干してあるのに気づいた。一瞬、我が家の今夏の風景の一齣だと思いカメラを向けたのであったが、写真を撮りながら節電と福島第一原発の事故に思いが行き、今日は原爆忌だということが改めて思われたのであった。外では蝉が激しく鳴いていた。
蝉の声菩提弔ふごと聞こゆ八月六日はヒロシマの日
センダンは成長の速い木で、広島市が焼け野原になった市街に「一日も早く緑の復活を」と願う市民に応えて昭和二十八年(一九五三年)、メイン道路の一つの城南通りに植えたのが始まりで、市民悲願の街路樹として知られる。いつだったか、大きくなり過ぎて、枝打ちされたセンダンの街路樹をテレビの映像で見たが、今はどのようになっているのか。どちらにしても、緑が欲しいと願った戦後の広島市民の悲願にセンダンの街路樹はよく応えたのである。
成長した広島のセンダンの街路樹は、原爆忌のころ歩道に濃い影を落とし、葉陰からは勢いのある蝉の声が溢れるばかりに聞こえた。あのときは、会場に向かうために乗り合わせたタクシーの年かさの運転手が「広島も発展しましたよ」と、感慨深げに言っていた。犠牲になった人たちの分までみんな生き残った人たちが努力したのである。栴檀の葉陰で鳴き競う蝉の声は、死没者の霊を弔う僧侶の読経のようにも、平和の願いを汲む和讃の大合唱のようにも聞こえた。今日は何と言っても、平和を願うヒロシマの日である。
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