<1298> ハモニカ と 猫
ハモニカの ひんやりとして 春昼の 手触りにあり 懐旧の家
今日、書棚や机の抽斗などを整理していたらハモニカが出て来た。それで昔のことを思い出した。彼岸の連休、家族を置いて一人墓参のため帰郷したときのことである。久しぶりの家は少し古びて見えたが、畳や襖や長押など部屋のいたるところに少年時代の面影があり、大家族の風景が懐かしく蘇って来た。
七人家族だった私の少年時代の家は、祖母が亡くなり、姉が嫁ぎ、兄が進学し、家族は日月を追うかのごとく少なくなり、久しく父母と祖父と私の四人で過した。私も進学の夢が断ち切れず、間もなく家を出た。そのうち、祖父が亡くなり、父と母の二人切りで暮すようになった。このハモニカの話は故郷の家がこうした状況にあったときのことである。父も母も年老いていたが、仲よく元気で暮していた。二人の普段の暮らしは母屋の居間と納戸兼寝室の二間だけを主に使うといった状況で、七人家族のころのにぎわいはなく、ひっそりとした感じだった。
祖父が亡くなって、離れの隠居部屋は一部屋を客間に、もう一部屋を物置き部屋にして使うようになり、兄から譲り受けて少年時代を共にした勉強机もこの部屋に持ち込まれていた。何故かベッドも置かれてあり、帰郷時はそこで寝起きした。勉強机は懐かしさ一入の机で、小刀でつけた机上の疵がビニールシートから透けて見え、当時を思い起こさせるところがあった。
抽斗を開けると、サングラスと貝殻に混じって、臙脂のビロードに包まれたハモニカが一つ出て来た。取り出して手にすると、ひんやりとして重く感じられた。少し左寄りの上唇が当たる部分に笑窪のような小さな凹みがあり、吹くとファの音階のところで音が掠れた。確かに少年時代に吹いていたハモニカである。私は誰に教わるともなく、吹いている間にベースも入れて吹けるようになった。
ひんやりとしたハモニカの感触は春昼の部屋の趣とともに懐旧の思いを募らせるところがあった。部屋の窓越しに軒下を徐に歩く猫の姿が見られ、門庭に続く菜園の菜の花にモンシロチョウが来ていた。父と母は母屋にいて、外に出て来る気配はなかった。全くのどかなひととき、時間が緩やかに流れ、少年時代にタイムスリップしたような気分になった。
その父も母も亡くなって久しく、私もそのときの父母の年齢に差しかかっている。時は無常に過ぎて行くことを思いながら、ハモニカを唇に当ててみた。では、当時を思い出しながら今一首。 写真はイメージで、ハモニカと猫。
軒下を 猫が過れる 昼つかた 紋白蝶が 菜の花にゐる
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