大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年06月29日 | 写詩・写歌・写俳

<1029> 大和の歌碑・句碑・詩碑  (73)

              [碑文]     かすが野のいにしへさまに木を草をのこす園にて春逝かんとす                         宮 柊二

 この宮柊二の歌碑は奈良市春日野町の春日大社神苑の萬葉植物園にある。この植物園は春日大社表参道の二の鳥居に差しかかる手前、東大寺口から来る北参道と交わる地点の北の一角約三ヘクタール(九千坪)の木々に囲まれた中にあり、参道を隔てた向かいには奈良公園のシカの保護、管理に当たっているシカの角切りでお馴染みの鹿苑がある。昭和七年(一九三二年)に昭和天皇の賛同などにより、『万葉集』ゆかりのこの地に出来たもので、最も古い万葉植物園として全国的に知られている庭園である。

 現在の園内は、五穀の里、万葉の園、藤の園、椿園などが設けられ、万葉植物と目される約三百種の草木が植栽され、自由に散策して見られるようになっている。万葉の園には中央に池があり、その池を巡る展示コースが設けられ、展示用の万葉植物が万葉歌と万葉植物の説明を添えて並べられ、季節ごとに花も観察出来るようになっている。

                          

 春日大社は藤原氏の氏神として知られ、フジが紋に用いられているように境内やその周辺にはフジが多く、萬葉植物園でもフジに力を入れ、藤の園には二十種、二百本のフジが育てられている。ツバキも多く植えられ、草花では奈良県では絶滅種とされ、全国的にも珍しい染料植物のムラサキなどが見られ、四季を問わず、万葉植物の花が楽しめる。歌碑の歌は柊二がこの万葉の庭園を訪れて詠んだものであることが一読してわかる。多分、晩年の作だろう。

 宮柊二は大正元年(一九一二年)、新潟県北魚沼郡(現魚沼市)に生まれ、俳句を嗜んでいた父の血筋であろう、長岡中学在学当時から短歌を作り、浪漫派の北原白秋に師事した。だが、昭和十四年(一九三九年)に日本製鉄入社とほぼ同時に応召し中国北部山西省(現河北省)等の戦地に一兵卒として赴き、足かけ五年の間、激戦地を転戦し、かろうじて生き延び、帰国した。その後、戦地の体験を詠んだ歌集「山西省」を世に問い、注目されるに至り、現実主義的短歌の実践者として自歌の展開をし、昭和二十八年(一九五三年)、短歌結社コスモスを主宰、歌誌コスモスを創刊して歌人への道を確固たるものにした。

 以後、歌の道に励み、十三冊の歌集を出すとともに後進を育て、戦後の短歌界をリードした。また、宮中の歌会始めに選者として登用されるなどして、昭和五十二年(一九七七年)、芸術院賞を受賞した。晩年は糖尿病、関節リュウマチ、脳梗塞といった病との闘いが続き、大腿部の骨折もあって入退院を繰り返した後、急性心不全の発作によって、昭和六十一年(一九八六年)十二月に七十四歳の生涯を閉じた。

                  

  この歌碑は、碑陰に曰く、昭和六十年(一九八五年)五月六日、即ち、柊二が亡くなる一年半ほど前にコスモス短歌会によって建てられたものである。園内にはほかにも、会津八一、釈迢空(折口信夫)、前川佐美雄・緑夫妻の歌碑、それに、島崎藤村筆による万葉歌碑などが配置されているが、園を訪れて詠んだ歌はこの歌碑一つである。 

 この歌碑は椿園に置かれているが、この碑に接していると、一つの感慨に見舞われる。宮柊二の代表作は戦地の体験に基づく歌集『山西省』などの歌に見られるが、その代表作を思い浮かべながら、この歌碑に見入っていると、こんなやさしい和やかな歌を詠む心の持ち主に以下のような歌を詠ませた殺し合いの戦争というのはまことに残酷で、罪なものだということが思われて来る。

    あかつきに風白みくる丘蔭に命絶えゆく友を囲みたり  ( 『山西省』 )

   ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す  ( 『 同 』 )

 激戦の中では、敵も味方もなく、善悪などもなく、ただ殺し合う。やらなければ、互いに自分の方がやられる。つまり、戦地というのは究極のところ殺すか殺されるかである。こういう状況は歌人宮柊二のような体験者でなければわからないことかも知れないが、平和の中で暮らして来た私たちにも想像することは出来る。このような歌を思うと、今、取り沙汰されている集団的自衛権の容認による平和憲法九条を骨抜きにするような政治家の動向が思われて来るところで、気軽にやってくれるじゃあないか、いい気になるなと言いたくなる。彼は晩年次のようにも述懐して詠んでいる。

    中国に兵なりし日の五ケ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ  ( 『 純 黄 』 )

 このように詠む彼は、歌碑の歌で、今に伝えられ、育くまれる万葉植物に平和の趣を見ている。ここには人間も植物もみな同じ生命の持ち主たる存在で、遠い昔からその生命を繋いで今ここにあることへの思いが感じられる。この歌碑の歌にはその命の殺し合いである戦争を糾弾する歌と心の底では通じているようで私にはよくわかる歌である。ずっと守り続けて来た平和の精神を愚かにも放棄して戦争をやる国にする意向が悲しいかな現実になろうとしている。 写真上段は春日大社の萬葉植物園の正面入口と展示された万葉植物の列。下段は左から柊二の歌碑、藤の園のフジ、黄蝶とムラサキの花。  万葉の 花に平和な 春の風

 


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