大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年11月26日 | 写詩・写歌・写俳

<1178> 光 景

           視野にして喪服の男女席を占む 誰の不幸か幸せが見ゆ

 客の少ない真昼の喫茶店。何処に不幸があったのか。私の視野に喪服の男女が向かい合って席を占めた。二人は夫婦のようでもあり、兄妹のようでもあった。二人は席に着くなり喋り始めた。笑いはなかったが、その姿は不思議なほど和やかで幸せそうに見えた。自分に直接関わりのない人の死に触れて気持ちの一致するところがあったのか。二人の様子に何か心の奥にあるものを見るようで、喪服が印象的であった。店主らしい女性が飲み物を運んで行った後もなおしばらく二人は話を弾ませていた。

   数人の喪服の男席を占め ゴルフコンペの話を始む

 すると、しばらくして、今度は喪服の男数人が入って来た。近くにセレモニーホールがあり、告別式が終わった直後と思われる。葬儀の身内は火葬場に向かう車の中であろう。悲しみの中にあることは想像出来た。男たちは騒々しいほどのにぎやかさで、私の近くに席を取った。愁傷の気分など微塵もなく、告別の悲しみには縁遠い雰囲気にあった。飲み物が運ばれてからは、もっぱらゴルフコンペの話に終始し、会話は弾んだ。     

      人生はそれぞれなりき 焼香の黙するものの列を思へば

 告別式の会場は余程近いのであろう。また、しばらくして、やはり喪服の年寄り二人が入って来た。ともに七十歳前後に見える。店内はそれほど広くない。で、今度は私のすぐ後ろ側の席に座った。二人は告別で四十分ほど束縛されたことが気に障ったのか、座った途端、式運営の不平を漏らし始めた。「あれだけの人数やったら三列で焼香せなあかんわな」と一人が言えば、一人は「冷えたなあ」という。自治会の代表か、そんな感じがあった。で、会話にはついに故人の話題は出なかった。

                             

  人の死に関わる告別というのは、日々あるものではないが、いつかある。日ごろのあわただしさの中では、意識にも留めない人生への思いというようなものがこの告別にはある。死に際してその人の人となりや人生を思い起こし、自分のそれに重ねてみたりする。それをことさらに述べるのは障りで、心の内に留め置くことがよいのかも知れないが、店内の三者三様を何とはなし見ていると、世の中というものはこうしたものかも知れないという思いに至り、ふと、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』(郡司利男訳)を思い出した。辞典の中に、「幸福(名) 他人の哀れな境遇を静観するうちに込み上げてくる、気持のよい感覚」というのがあるが、この定義を思い出したのである。

  誰でも他人の不幸に同情しないものはない。だが、その不幸が自分に関係なければ、自分の立場に何ら変わりがないのに、同情の反面、自分の立場に気分のよいものが宿って来たりして、高揚するようなことがある。これはほとんどの人に当てはまるものであろう。アンブローズ・ビアスは逆説的言葉で真に迫っている。傍観者の利己主義は火事場の野次馬によく現れていると言える。店内の喪服客の光景は野次馬ではないが、消極的ながらも、他人の不幸に関わりながら存在するおのがじしの光景として見えたのであった。 写真はイメージで、群衆。


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