大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年09月18日 | 植物

<2453> 大和の花 (611) マツムシソウ (松虫草)              マツムシソウ科 マツムシソウ属

          

 日当たりのよい山地や高原の草地に生える2年草で、高さは40センチから90センチほどになる。葉は根生葉と茎葉からなり、ロゼット状の根生葉で冬を越す。茎葉は羽状に細裂し、裂片は線形になる。全体に細毛があり、繊細な感じを受ける。

 花期は8月から10月ごろで、長い柄の先に1つの頭花を上向きにつける。柄は丈夫で強い風にもしなやかに揺れる。頭花は紫色乃至は青紫色で、直径4センチほど。多数の小花からなり、キク科の花に似て、周りに唇形花、内側に管状(細い筒状)花を多数密につけ、平開する。実は紡錘形で刺状の剛毛がある。

 マツムシソウ(松虫草)の名は、マツムシの鳴くころ花を咲かせるからとか、花が仏具の松虫鉦に似るからとか、謡曲『松虫』に登場する松虫塚に咲く花によるとか諸説あるが、定かではない。別名はリンポウギク(輪鋒菊)。輪鋒は仏具の一種で、紋所としても知られる。元は車輪状の兵器で、5つ乃至6つ、または8つの鋒(きっさき)があり、仏敵(悪)を威圧する意を持つ。つまり、この名は花の形による。

 本州、四国、九州に分布する日本固有の植物で、各地で減少傾向にあるとされるが、大和(奈良県)では殊に厳しく、「産地、個体数ともわずかしか残っていない」という危機的状況にあり、奈良県版レッドデータブックは絶滅寸前種にあげている。殊に主要な産地である曽爾高原の現状は厳しく、このところ久しく姿を見せておらず、絶滅の可能性もあるとされるほどになっている。

  この曽爾高原のマツムシソウについては、長年見て来た印象に基づき、以下の別項で触れたいと思う。 写真はマツムシソウ(曽爾高原)。左2枚は2001年と2002年撮影の個体。右2枚は2008年撮影の花。これより以後はお目にかかっていない。

  帰るもの来るものここなる秋天下

                                                *                                     *                                    *

                                  曽爾高原のマツムシソウについて

 私が曽爾高原のマツムシソウに出会ったのは20年ほど前。そのころから見て来たが、正確な記録は1999年からである。亀山峠から俱留尊山(くろそやま)に向かって尾根筋を300メートルほど歩いた地点、高原北東の最上部に当たる辺り。登山道の傍の下側の斜面。丈の低い草地に群生し、かなりの個体が見受けられた。

  下から吹き上げて来る高原特有の強い風があるところで、種子が上方に飛ばされるからか、当時は登山道にもマツムシソウが生え出し、青紫色の花が見られた。ほかにはキキョウの群生地も近くにあり、キリンソウ、カワラナデシコ、ヒキヨモギ、スズサイコ、アレチノギク、オミナエシといった野生の草花がところどころに見られた。

  ところが、マツムシソウはキキョウと軌を一にするように徐々に減少し、キキョウと前後して3、4年後に姿を見せなくなった。それからも花の時期には自生地を訪れていたが、その花には出会えずにいた。絶滅したかも知れないと思いつつ出掛けていたのであるが、思いがけないことがきっかけで、出会うことになった。

                                             

  それは2008年9月28日のこと。花の撮影行で曽爾高原を訪ねたのであったが、その日はちょうど地元の人たちによるマツムシソウ自生地の斜面で一斉に草刈りが行われていた。春の山焼きでは火を入れない登山道に沿う幅10メートルほどのところ。草刈り機によって丈の伸びた草が刈られていた。「拙いときに来た」と思いながら、しかし、マツムシソウが気になって草刈りが行われている自生地の現場まで足を運んだ。

  そして、草刈りをしている傍らでマツムシソウの花を目視したのであったが、思いがけず岩の傍に丈の低い3花が刈り残された状態で見えた。3花とも咲き盛りの花だったが、マツムシソウなので刈り残したというよりも、岩のすぐ傍だったので、岩に守られたという風に見え、丈の低い貧弱な個体ゆえ幸いしたと思えた。

  当時は、既に普通の状態では姿が見えず、2008年の奈良県版レッドデータブック『大切にしたい奈良県の野生動植物』には「激減してこの数年確認されていない。絶滅した可能性もある」という報告がなされていたので、目撃した花は貧弱極まりない個体ではあったが、うれしくなって撮影に当たったのを覚えている。

  多分、草刈りが行われていなかったら見つけることが出来なかったろう。その個体の命脈と出会いの縁の不思議を思いながらその花の姿を写真に収めたことではあった。その撮影はまことに感動的であったが、そのとき以来、曽爾高原においてマツムシソウにはお目にかかっていない。そして、それ以後、なぜマツムシソウは消滅するほど減少してしまったのか、考えを巡らせるようになった。

  激減要因は幾つか考えられるが、私の撮影記録と偶然に出くわした草刈りによって一つの要因が考えられた。もちろん、これは推察にほかならないが、以下にその考えを説明してみたいと思う。それはマツムシソウが2年草であることが大きく関わっていること。そして、地球温暖化の状況が高原にも及んでいるということが複合しているということ。これに自生地の草刈りが加わっている。この3つの要素が絡み合って影響し、マツムシソウの減少に拍車をかけ、消滅状態にまで及んだと考えるわけである。

  いま少し詳しく言えば、1999年からの3年間は9月17日と18日の撮影で、上段の左2枚の写真がそのときのマツムシソウである。それ以前にも撮影しているが、正確な記録がない。そして、2003年からは姿が見えず、2008年9月28日の草刈りによって遭遇し、撮影に至ったわけである。18日と28日では10日の差がある。花期のこの差は大きく、写真を見れば、前者の左2枚の写真では花が終わり、実になっているものもうかがえる。これに比べ、わずか3花ではあるが、後者の右2枚の写真の花は盛りを迎えた状態で、実になっている様子はない。

  これはどういうことを意味するのか。それは前者と後者で開花時期が異なるということである。つまり、前者では開花時期が早く、年月が進むに及んで開花時期が遅れるようになったことを示していると言える。この開花が遅くなったことは、温暖化が高原の環境に及び、マツムシソウにも影響したということが考えられる。このマツムシソウの開花の遅れという自生地の変化にもかかわらず、草刈りはその変化に対処することなく、予定に従って行われていたのではないか。

  つまり、以前はマツムシソウの花が実になり、種子を散布した後に草刈りが行われていた。ところが、温暖化によって花期がずれて遅くなり、花の時期と草刈りが重なるようになった。言わば、後者の場合、花がまだ実にならない間に草刈りが行われ、種子が散布されることなく刈られてしまったと考える次第である。

  そして、悪いことにマツムシソウは2年草で、多年草と違い、花が咲くと花も実も一回切りで、本体は枯死してしまう。それも散布された種子は2年と持たない真正2年草で、子孫継続には極めて厳しい宿命的条件が課せられ、頑張って来た。つまり、曽爾高原のマツムシソウはその命脈において一年一年が極めて厳しい条件下、激減を余儀なくされたと考える。

  もちろん、シカの食害やマツムシソウの生育を阻害する植生の侵入とかも考えられる。また、『大切にしたい奈良県の野生動植物』2016改定版がその要因にあげている「愛好家による採取」も想像に難くないが、これについては少々気になるところ、またの機会に触れたいと思う。以上、これは私見であるが、衰えが甚だしいススキにも言えることで、そこには温暖化と現地の人為的影響があるように思える。この項の写真は1900年代後半に撮影した曽爾高原のマツムシソウ(左)と現在の同じ場所(右・9月17日撮影)。

 


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