大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年03月27日 | 写詩・写歌・写俳

<936> 大和の歌碑・句碑・詩碑  (66)

        [碑文]       うらうらに照れる春日にひばりあがり情(こころ)悲しもひとりしおもへば                               大伴家持

 この歌は『万葉集』巻十九の4292番に「二十五日、作る歌一首」の詞書をもって見える歌で、天平勝宝五年(七五三年)二月二十五日の作である。六年間に及んだ赴任地の越(富山県)より帰京し、少納言の任にあった三十二歳ころのもので、家持の代表作として知られる。この歌は巻十九の最後を飾る歌であるが、日付によって日記風に載せられ、私家集的趣のある中の一首である。二十三日の日付が見えるが、この歌の前に置かれている二首も有名な歌で、家持の作風がよく示されている万葉後期の歌であるのがわかる。

      春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鴬鳴くも                        (4290)                              

   わが屋戸のいささ群竹(むらたけ)吹く風の音のかそけきこの夕(ゆふべ)かも       (4291)

 これがその二首であるが、ここに言われる日付はすべて旧暦であるから現在で言えば三月に詠まれたことになる。家持はうららかな春日にヒバリが空高く揚がり、頻りに鳴くのを聞いた。なお、この歌群に続く巻二十のはじめの方にホトトギスを詠んだ歌があり、これも家持の歌であるが、これらの歌を見ていると、鳥に対する万葉人の捉え方に一つの特徴があるのに気づく。

   木(こ)の暗(くれ)の繁き尾の上(へ)を霍公鳥鳴きて越ゆなり今し来らしも         (4305)

 これが巻二十に見られる家持のホトトギスの歌で、ヒバリにしてもウグイスにしてもこのホトトギスにしてもみな鳴き声によって季節の到来を告げる鳥であるのがわかる。いわゆる、その鳴き声に季節を感じて歌にしているわけである。この碑文の4292番のひばりの歌は、うららかな春日の中、空高く揚がって盛んに鳴くヒバリをひとり見ている家持の心模様がよく伝わって来る。「悲し」というのはひとりに和している心境であろう。「ひとり」は一人か独りか。原文では「比登里」と万葉仮名表記になっている。空高く揚がって鳴く一羽のヒバリに通う「ひとり」の心持ちは麗らかな春日のゆえにかえって深くなる。

                                                                       

 三月中旬のよく晴れた暖かな日、ヒバリの写真を撮るために奈良市の平城宮跡に出かけたら、広々とした大空のそこここにヒバリが高く揚がって鳴いているのが見られた。見られたとは言うもののよほど目を凝らして見ないとわからないほど小さく、「声はすれども」といった具合で、写真撮影には難儀したことではあった。

  で、ヒバリの撮影に当たりながら、家持もこれと同じヒバリの声を聞いて心を動かされたのだと思えて来た。そして、ヒバリもその鳴き声に心を通わせた人間も生き継いで今にあり、今もその昔と同じようにその鳴き声を聞いているのだということが思われた。

 家持の私邸は平城宮とは目と鼻の先の佐保にあったから、平城宮跡の空高くに揚がって鳴いているヒバリは家持が聞いたヒバリの子孫かも知れない。そんなことは千分の一もなかろうとは思われるが、その昔から生き継いで来たことに間違いはないところで、そんなことにも思いが行った。

  ヒバリはスズメ目ヒバリ科の里の鳥で、田畑や草原でよく見かける。繁殖期の春になると雄が縄張りを主張して、よく空高く舞い揚がり、声高に鳴くので、これを揚げひばりと呼ぶ。このヒバリの姿を家持の4292番の歌は詠んでいるわけである。ヒバリの名は一説に、晴の日に空高くで鳴くので「日晴」から来ていると言われる。漢字の雲雀も空高くに揚がる習性によって生まれたものだろう。

 ところで、万葉歌碑を訪ね歩いていると、『万葉集』のお膝元である大和に家持の歌碑が少ないことに気づく。家持の歌は集中に四百七十三首、全体の一割を超える歌数に上る。にもかかわらず、歌碑になっているものがほんのわずかで、不思議なほどである。柿本人麻呂の歌碑と見比べてみると、その差の大きいことがうかがえる。

 これにはいくつかの理由があるだろう。その最大の理由は越中や因幡など地方への赴任期間が多く、長かったこと。特に越(富山県)赴任時の六年間に二百二十三首に及ぶ歌を作るなど、大和以外での作が多く、その中によく知られる歌が見られることがあげられる。また、人麻呂など万葉前期の歌人に比べ、家持の歌には地名を特定出来る歌が少ない点もあげられる。言わば、これは『万葉集』における時代的特徴の現われを示すものと言ってよかろう。

 この4292番のヒバリを詠んだ歌碑は、奈良市春日野町の氷室神社正面石段横に建てられている。平成十四年、奈良市に万葉歌碑を建てる会が建てたもので、碑としては新しい部類に入る。なお、歌碑の直ぐ傍にはよく知られるシダレザクラの古木があり、奈良では一番早くに花を見せるサクラで、ちょうど今が見ごろである。 写真は左から家持のヒバリを詠んだ歌碑(氷室神社境内で)。青空の中でさえずるヒバリ(平城宮跡で)。満開に近い氷室神社のシダレザクラ。    雲雀あがる 平城宮跡 縄張りに

  


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