大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年02月28日 | 写詩・写歌・写俳

<1887> 余聞・余話 「 二 月 尽 」

        晴れてよし 大和国中 二月尽

 月が終わることを二月尽という。歳時記には初春の季語としてあり、概ね俳句に用いられる言葉として見える。ほかにも、1月から12月の間で言えば、私が愛用している講談社版『日本大歳時記』には次のようにある。2月の終わりの二月尽、3月の終わりの三月尽、4月の終わりの四月尽(弥生尽)、五月の終わりの五月尽、6月の終わりの六月尽、七月の終わりの七月尽(水無月尽)、8月の終わりの八月尽(葉月尽)、9月の終わりの九月尽といった具合である。1月と10月以降は見えないが、句作の用例が見当たらないため敢えて省いていることが思われる。一月尽も十月尽も十一月尽もあるわけで、十二月にあっては大晦日という言葉があるので、尽は使わないことが想像される。

                                  

 睦月尽、弥生尽、水無月尽、葉月尽は陰暦(旧暦)に沿っているわけで、陰暦(旧暦)では1、2、3月が春、4、5、6月が夏、7、8、9月が秋、10、11、12月が冬で、陽暦(新暦)の現在よりも約1ヶ月早いことになる。四月尽が3月の弥生尽、七月尽が6月の水無月尽となり、一月尽と八月尽は睦月尽と葉月尽に等しいことになっている。陰暦(旧暦)で呼ばれないほかの尽日においても陰暦(旧暦)を意識に置いて作られている句があれば、陽暦(新暦)に合せて作られている句もあるので、季語に縛られている俳句の世界のややこしさがそこにはうかがえることになる。

 これについては『日本大歳時記』に説明がなされている。九月尽の解説の中で次のように言っている。「正しくは陰暦九月末日を指すというから、陽暦にすると、十一月のはじめごろに当たるだろう。しかし、今日の作句例としては、陽暦九月晦日を詠った場合の方が多いようである。ことに、尽という文字に、惜しむ気持が含まれることになると、作の新古によって、いちいち区別しなければ誤った解釈を生むことになる。これも季題・季語の約束の厄介な問題のひとつかもしれない」(飯田龍太)と。これはまさに陰暦(旧暦)と陽暦(新暦)に因があるわけで、俳句の難しさがそこには横たわっており、俳句鑑賞における一つの注意点として見ることが出来る。

 そこで、二月尽であるが、2月という月は平年と閏年では尽日が異なり、平年では28日、閏年では29日となる。2月の初旬に二十四節気の第一番である立春(陰暦では1年の初め)があり、その後、雨水、啓蟄、春分(3月21日)と続き、二月尽は立春と春分のちょうど中間点で、冬眠している虫が這い出して来る啓蟄よりも少し前に当たり、立春が名のみであるのに対し、二月尽は冬が収まり、本格的な春への気分的転換を意味していることが言える。ここに季節感十分な言葉の響きをもってある二月尽という言葉は、短詩形の俳句には便利な言葉として利用されるわけである。では、二月尽で今一句。 時は往く 東西南北 二月尽   写真は晴れ渡った二月尽の大和青垣の山並。

 


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