大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年11月05日 | 創作

<2858> 作歌ノート 感と知の来歴  自転車とダリアの花

    自転車の父とダリアの花の母わが来歴のはじめに故郷

 私の故郷は瀬戸内海の湾処に面した片田舎で、私が子供のころ(戦後の一時期)の我が家は祖父母と父母と子供三人の七人家族だった。兼業農家で、父は一家を支える稼ぎ頭だった。田舎ではあるが、海上の便がよい工場立地に敵い、耐火煉瓦や二硫化炭素の工場があった。

 という次第で、この工場で働く者が多く、片田舎にもかかわらず、当時は羽振りがよく、活気があった。父はその煉瓦工場の一つに勤め、母は家にいて家事から田畑の仕事一切を切り盛りした。祖父と祖母は隠居屋と称していた母屋の隣の離れに寝起きし、食事や風呂などは母屋で一緒にしていた。今でいう二世帯住宅の営みだった。

      

 祖父は造り酒屋の次男で、結婚と同時に分かれ家と田畑をもらって独立し、子は女の子二人、長女が私の母で、父を婿養子に迎えた。妹は母の結婚後、肺炎によって未婚のまま亡くなった。今なら死ぬことはなかったろうが、当時は十分な薬がなかった。本家は祖父の兄の時代になって酒から醤油に転向したが、事業が思わしく運ばず、廃業した。

 祖父は独立と同時に手に職を持つために石炭を燃料にして焚く耐火煉瓦の丸窯を造る技術を習得し、父とは別の耐火煉瓦の工場で働き、定年後もときおり出向いた。耐火煉瓦は日本の基幹産業だった鉄鋼を作る溶鉱炉になくてはならないもので、製鉄会社からの安定した需要があり、ほとんど景気に左右されることなく、地元は潤い、我が家の家計も生計を別にし、十分やっていけた。

 父は四人兄弟で、一人は戦死、一人は復員、長男は家を継ぎ、父は養子になり、戦争には行っていない。戦争が長引いていたら召集されていたろうが、その前に終戦を迎えた。というわけで、父はこのような経緯にあって、戦前、戦中、戦後を生きた明治生まれの時代人だった。

 私は三人兄弟の末っ子で、父母については戦後の印象しかないが、父は寡黙な働き者で、年がら年中働いていた。大工仕事が好きで、道具箱を持っていたが、その中は几帳面そのものだった。几帳面と言えば、通勤に使っていた自転車がいつもきれいに磨かれていたことが思われる。

 酒はいつも晩酌をし、日本酒だったと思う。晩飯の前、茶碗に一杯、それ以上は決して飲まないストイックな酒だった。煎茶が趣味で、道具一式持っていた。帰郷すると後年はよく茶を立ててくれた。父が亡くなったとき、私は備前の人間国宝山本陶秀の宝瓶を形見にもらい、今も私の手許にある。また、父は浪曲が好きで、ラジオでよく聞いていた。新聞をよく読む人で、三面記事より政治向きの記事に関心があったように見受けられた。

 タバコは煙管で吸っていた。後年は塵肺という職業病を発症し、苦しんで、亡くなる直前には弱気が出たが、それまで愚痴を聞くことはなかった。労災認定を受け、老後は病院のお世話になったが。ほとんど入院することなく頑張った。息子である私などは煉瓦工場で働き続け、戦後日本の基幹産業を支えて来た一人だと思っている。

 母は箱入り娘で、生まれた田舎から一度も出ることなく、父母の懐の地で一生を送った。そういう意味で言えば、何不自由なく暮らせた幸せな人だったと言える。そうした環境にあったからか、裏表のない気さくな人柄だった気がする。母は花が好きで、よく大和農園やタキヰ種苗などで。カタログを取り寄せ、通信販売を利用し、種や球根などを購入していた。母が好んで育てたのは大型の花を咲かせるユリとダリアだった。岡の上の菜園の一角に花専用の区域を設け、それらの花を育てていた。気前のよいところがあって、通りがかりの人に心やすく譲っていたのを覚えている。

 父と母は大変仲がよく、喧嘩をしたことは一度もなかった。口喧嘩もなかった。私はこうした環境の下で育てられ、近所の竹馬の友と少年時代を過ごした。言わば、私の人生における「感と知の来歴」はこうして始まったということが出来るように思われる。それは父母の自転車とダリアの花に象徴されていると言ってもよい。 写真はイメージで、ダリアの花と自転車。

   一生が戦前戦中戦後なる父の天保水滸伝かな

   白南風が渡る早苗の水無月を父の麦藁帽子が一つ

   潔癖と律儀と禁欲 生涯を父は痩身貫きにけり 

   梅桃掌に採り貯めし夏の朝母に繋がる思ひ出の岸            掌(て)

   百日紅ほのかに咲いて母の笑み遠き日のあり故郷の家

   大いなるこころに比して思ふべし炎暑の父の腕の汗            腕(ただむき)

   皓々と刈田の上の冬の月寡黙にありし父の尊厳

   針山と煙管と湯桶と剃刀と父母の夕べのひとときの景

   夏帽に父のにほひす思ひ出は肥前伊万里の旅の夕暮

   逞しき時代とともにありし父その痩身の腕の力                              腕(かひな)

   激動の時代にありて生きしこと父の戦前戦中戦後

   水上の空に湧きゐる雨の雲父の美徳は水田を潤す            水田(みた)

   露しとどなる暁の葉月の田見回る父の面影宿る

   何ゆゑかペットを飼はぬ父がゐてその思ひ出の一端の庭

   母と見し夕景以心伝心の我に茜の空への抒情                 抒情(おもひ)

   僧帽筋痛む梅雨寒胸中に齢等しき父母の面影                   齢(よはひ)

   自転車とダリアの花に父と母ゐませり我に遠き日のあり

   自転車は父の思ひ出風を切りダリアの花は母の面影

   父がゐて母がゐて我がこの身あり五体のゆゑも心のゆゑも

   父母に父母 父母に父母ある我が由来穂麦畑に風渡る見ゆ

   斯くはあり仲睦まじき父と母 壁に二つの麦藁帽子

   にはたづみ跳び越しざまに八月が匂ひ立つなり父母の国 

   戦後間もなきころなるかモノクロの父のゲートル姿の写真

   労働が輝きをもてありし日の父の自転車麦藁帽子

   ダリア咲き少年われに母の笑みそをはじめとし来歴の記