<2664> 余聞、余話 「平成最後の桜花」
さまざまのこと思ひ出す桜花思へば平成最後の桜
五月一日をもって平成から令和に元号が変わり、新しい時代に入る。「平成最後の○○」というように元号の変わり目にあっては、ことあるごとに「平成最後の」という言葉が冠せられ、今にあるが、その五月も迫っていよいよの感がある。こうした状況にあることにもよって、この世は移ろい行くことを必定としてあることが、例年以上に思われるという次第である。
思えば、大和地方における桜にも「平成最後の」を冠して言えるように思える。「さまざまの事思ひ出す桜かな」は松尾芭蕉の桜の花に対する感慨であり、人生来し方への思いにほかならないが、これは移ろい行く時の定めによるもので、移ろい行くこと自体が人生であることをも示している。その移り行く刻々の時における物と心の関りが思い出となり、人生を深くすることになる。
私たちはどこまで人生の旅を続けて行くことが出来るのか、定かでないが、余命幾ばくもない御仁にも、芭蕉の桜の花に寄せた句の感慨は認められよう。逆に解釈して言えば、芭蕉は移ろい行く時の間に身を置く人生の感慨を桜の花に寄せて詠んだとも言える。今年の桜に個別の特別な事情があったこの身ではあるが、平成から令和へと元号が変わり、新時代を迎えるという節目に咲く桜の花は何にか例年とは異なる眺めに思え、このブログにも記すことになった次第である。
それにしても、新時代令和の幕開けは憲法記念日が定められている新緑の五月である。果たして令和は如何に展開してゆくのだろうか。 写真は今年の桜のしんがりの花。つまり、平成最後の花(ソメイヨシノであるが、散り終えた中の最後の花で、新葉の開出が見られる)。