大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年04月02日 | 写詩・写歌・写俳

<2644> 余聞、余話 「新元号の令和に寄せて」

      新元号「令和」と発表されし日の大和国中虹が立つかも

 年度が改まった四月一日、次の新しい元号が「令和」に決まり、菅義偉官房長官から発表された。続いて、日本最古の歌集である『万葉集』の巻五「梅花の歌三十二首」の漢文で書かれた序文における「于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から「令月」の「令」と「風和」の「和」を採って「令和」とした旨の説明がなされた。

 「時に、初春の令月にして、氣淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫ず」と読みなされ、「令月」はよい(素晴らしい)月をいうもので、その意は「初春のよい月になって、快く風は和らぎ、梅の花は鏡の前の白粉を開き、袋のお香のように香る」というほどの意になる。つまり、「令和」は「よく和らぐ」というほどの意で、そういう時代を願う心持ちが込められているという。

  しかし、現代人にとって「令」はよいという意より、命令して行なわせるという例えば辞令の令のような意に解することが多く、こちらの方に馴染みがある。一方の「和」については和らぐとか和むという意に用いられるが、仲よくするという和する意に用いられる。ということで、「令和」の印象は「よく和らぐ」というよりも、むしろ「和たらしむ」、即ち、「令を以って仲よくさせる」という意の方に解釈が傾く。

  もちろん、採った『万葉集』の文言からすれば、前者の意になる。だが、「令」にしても「和」にしても後者の意が強く、殊に「和を以て貴しとなす」教えの地、聖徳太子のお膝元に居を得て暮らしている大和人には、この「令和」の解釈には悩ましさが纏う。また「和」には大和という言葉に見られる通り、日本国自体をいうものであり、日本文化、あるいは、日本の精神をいうもので、「令和」にはこの意も強く纏っていることが言える。

         

  この新元号が発表された日の午後、大和の国中では三輪山付近に虹が立った。何かさきがけのよいように見られたが、安倍晋三首相の記者会見における談話が気になった。さりげなく語った言葉であるが、新元号における違和感が生じた。それは『万葉集』に登場する防人に触れ、防人の歌をして『万葉集』が庶民の歌まで採り入れていることをあげ、称賛し、「令和」における和する国家に防人の必要性を、大伴家持の企図した防人の歌を称揚することによって全うしたいという新時代への気持ちが表れたと見て取れたからである。

  敢て防人の歌を庶民の代表的歌とするごとく談話の中に持ち出す意図は、「海行かば」の家持が同情しながら防人を遠い国家防衛の最前線に送り出したのに等しいということが言えるからで、何故ここでという気がした。これは防人の歌における心情に照らし、これを美徳として、防人の任を負っている現在の沖縄に対するメッセージかも知れないと思われた。

  「令和」を後者に解釈すると、憲法改正の意図もその防人の言葉のニュアンスにはあるのかも知れない。つまり、あのさりげない防人の言葉には安倍首相の本音のようなものがうかがえ、気になったのである。で、それは昭和の戦前へと回帰を目指す一言とも言えるように思えて来た。「令和」自体に何の違和感もなく、よい元号だと思えるが、あの首相のさりげない防人という言葉をもって『万葉集』を称賛した談話に違和感を感じ、新元号の「令和」に思いを馳せるに至った次第である。

  因みに、防人というのは九州において国の守りに配置された防衛が任務の派遣隊員で、主に東国から選出され、送られた青壮年期の男子である。『万葉集』における防人の歌というのはそういう任務を負って遠い九州に送られた人たちの歌である。だから庶民の歌と見なせるわけであるが、その内実を考えると、はたしてそうなのだろうかと疑義が生じて来るところがある。

  今少し説明を加えると、『万葉集』に登場する防人の歌は防人を管轄していた部署の長の兵部少輔であった『万葉集』の編纂者大伴家持が職権をもって作らせたもので、その歌は家持の企図、意向の反映にほかならず、当時の文字事情などからして、防人の歌を純然たる庶民の歌とするにはいささか短絡的考察によるものと言わざるを得ないところがある。防人の歌が家持の私歌集的存在の巻二十に組み入れられていることも考察されなくてはならないところである。