大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年08月01日 | 写詩・写歌・写俳

<2406> 余聞、余話 「火星最接近の夜」

        平成のゆく夏火星を見上げたり火星の存在赤々とあり

 昨夜は火星が十五年ぶり地球に最接近するというので撮影に当たった。大和国中は晴天で、まずまず。午後九時前、自宅のベランダより撮影。四〇〇ミリレンズを使用して撮った。空には明るく大きい星が二つあった。一つは西に少し傾いた位置にあり、金星と見た。今一つは南東の方角。金星とほぼ同じ大きさの輝く星。こちらの方は随分赤っぽく見えた。その色が示す通り火星である。少し欠けた月が東の低い位置にあった。

 確かに火星はいつもより大きく輝いているように見えた。この最接近の状況は火星が太陽の周りを楕円軌道によって回っているのが主因らしい。果たして地球への影響はあるのだろうか。接近といっても五千万キロ以上も離れた宇宙的規模の話だから心配するほどのことはないのだろう。それにしても、宇宙の大きさは計り知れない。そして、この身の小ささが思われて来たりする。

  ところで、私は宇宙人というニックネームでときにからかわれることがある。このニックネームには理解が及ばなくはないが、反論もある。地球人の排他的ものの考え方、自己中心によるものの見方からは到底思いもつかない自分たちも同じ宇宙人だという認識、その認識に多少の自負をもってニックネームの我が宇宙人はあると見なす。以って、宇宙人よしと納得してみたりしている。この我がニックネームのことは天動説と地動説の話に通じるところがある。

                               

 同じ太陽の惑星である地球と火星は太陽の影響下にあり、同じ位相の宇宙的バランスにおいて互いに成り立っている。そして、地球生命もこの環境下にあって立ち至っている。言わば、地球人も宇宙人もみな同じ宇宙人なのである。それを地球人がまともで宇宙人がまともでないとする地球人の常識は宇宙からして見れば、むしろ偏波として捉えられるに違いない。現代人の中には地動説が分かっていながら天動説に沿って気持ちを左右させているものが結構多い。地球人に宇宙人とあだ名する根本にはあだ名する者の胆の小ささ故と受け止められる。

 最接近の火星の輝きを見上げながらふと以上のようなことを思った。私的な話であるが、世の中に通じる話だと思われるのでここに記した。天動説も地動説もこれは宇宙規模の話であり、現実に遠いように思われがちであるが、これは地球規模でも言え、国単位でも言えることで、日本にも当てはめられる。だが、どんなに言っても、つまるところ、私たちは宇宙人の端くれであり、一欠片にほかならず存在していることに違いはない。過誤は間々あろだろう。だが、多少は客観視出来る眼球の持主たる自負が宇宙人たる存在にあるとするならば、これは望まれるところである。

  私たちは自分あっての他者であるが、他者がなくては自分たり得ないところの存在でもある。そうした相互の関係性でこの世の中が成り立っているからは、客観視できる眼球はよいとされなければならない。だが、自己にこだわる心はそれを許さないという仕儀に及ぶ。世の中には、まず、そうした動きが甚だしく働いている。そうした現実にあっては、ときに昨夜の火星のように、宇宙に目を向け、現実と対比してみるのもよかろうと思ったりする次第である。 写真は七月三十一日午後九時過ぎの火星。