マルキュー藤田の釣日記

熱い釣りの記録や思いをお伝えします

昔行った思い出の釣場-5 丸田沢(釣りはしなかったが)

2009-01-30 21:03:52 | 想い出

仙台の大学ではで水産学(趣味の延長)を学んでいた。研究室には、大きな池があり、井戸水がふんだんに使えた。いたずらで色々な魚の種苗生産をこっそりやっていた。モツゴ、タモロコ、錦鯉、金魚、マブナそしてへら鮒。錦鯉は新潟県の水産試験場から日本一になった錦鯉の受精卵を送ってもらったこともあった。また、色々な魚を飼っていた。ヤマメ、ニジマス、草魚、青魚、そして、へらとコイの合いの子等々。へら鮒の種苗は、1t程のパンライト水槽に地下水を掛け流して飼っていた。生まれた時から数日おきに解剖し、腸の発達状況を金魚と比較観察してスケッチしていた。へら鮒は、生まれたては、金魚やマブナの腸と変わりないが、成長に伴い腸が伸び、腹腔内で複雑に折れ曲がっていく。最終的には、金魚やマブナの3倍ほどの長さになるが、これは、食性によるもので植物性の物を消化するために動物食・雑食性の魚類よりも腸が長くなるのだ。

 へらの子は1年間世話したが、結局、人間には慣れなかった。マブナや金魚、鯉は、人の姿を見ると「餌をくれ」と、一斉に水面に顔を出すが、へらは、全くこのような行動をとらない。配合飼料を与えても、全く無視し、しばらくして忘れた頃に、水槽の底で溶けかかった餌を少しずつついばむという感じだ。だから、飼っていてもちっとも可愛くないのだ。

 それでも1年飼育すると少し大きくなり、どこか、へらのまだ入っていない池に放流したくなった。結局、仙台市郊外の丸田沢溜池に放流することにした。数個のビニール袋に魚と酸素を詰めて運搬、放流し、放流の記念写真を撮った。当時、丸田沢では、釣台を構え、へらの格好で釣りをしている釣師を見かけることがあったが、へらは生息していなかった。何故それが分かったかというと、春先のハタキの最中に地引き網を引いたことがあるからだ(勝手に網を引いてはいけません!!)。網に入ったのは、見事に全てマブナだった。

 現在、丸田沢がどうなっているか分からないが、へらが生息しているとすれば、私が放流したへらの末裔かもしれない。あれから、30年近く経った。丸田沢にへらがいるかどうか誰か教えて欲しい!


昔行った思い出の釣場-4 樽水ダム

2009-01-24 19:15:31 | 想い出

  大学は仙台だった。仙台では、へらの釣れる場所があるか心配していた。大学に入学した4月に原付免許を取り、行動範囲が一気に広がった。原付を購入して初めて行ったのが名取市の樽水ダムだった。昭和54年であるが、樽水ダムの竣工が昭和51年なので、ダムができてまだ、3年目の事である。当時、ダムにはモクズガニが生息していた。ダムができる前に海から遡上してきて、ダムに陸封されたのだろう。

初めて行ったのは、4月下旬か5月上旬だったと思う。朝まで大雨が降り、お昼から雨が上がった蒸し暑い午後だった。ダム上流の流れ込みに着くとハタキの水音が聞こえた。大あわてで小さな沢の流れ込みで始める。大量のゴミが寄せられ、そのゴミの下ではたいていた。10尺でゴミの脇を狙うがなかなかアタリがでない。タナを浅くしていき、カッツケになったところで、小さな押さえ込むようなアタリで入れパクになった。ダブルの連発である。短時間で80枚ほど釣ったが、当時は全く実績の無い釣場でのこと、後日仙台の釣師に話しても誰にも信じてもらえなかった。

その後も毎年のように春にはハタキに遭遇して良い釣りを経験した。何時もハリスカッツケに近いタナで落ち込み釣りをしていたのだが、当時仙台での釣りはほとんどが底釣りで、私のような攻撃的な釣りをする人は居なかった。釣りをしていると、周りの釣師が寄ってきて、私の釣りを感心して眺めていた。自分で釣りをするより、私の釣りを見ていた方が面白いとよく言われたものだ。サイカチ沼では、「いいものを見させてくれた」と1万円を渡されたことがあり、びっくりしたことがあった。

当時の樽水ダムはまだ出来て日が浅かったため、ダム上流の流れ込みは、木など生えておらず、車で水辺まで降りて行けたが、就職後に職場の旅行でたまたま通りかかった時に見たところ、木が生い茂り、昔の面影は全くなくなってしまっていた。まるで、浦島太郎になったようで、月日の流れを感じた。


我慢大会-2

2009-01-20 20:50:23 | 釣行記

  お昼を過ぎて、21尺底に変更。18尺と大差無いと思いつつも、最善を尽くさないと悔いが残る。すると18尺では1回もウキが動かなかったのに、たまーに単発でアタリが出て、2枚掛けたがスレ。3枚目は、水面まで上がったところでバレたので、スレかと思ったら、何故かハリスが切れていた。その後は全くアタリが出ず、段底に変更してみる。宙の甘い大バラケを打っていくが、全く反応がないばかりか、流されてしまう。残り40分。既に菅野さんは諦めてしまったが、私は最後まで諦めない。十二分にバラケを打ってしまったので、最後の40分は両ウドンの底に変更。今までこの作戦でいい思いを何度もしてきたのだ。魚がいれば絶対釣れるはずだ。両ウドンの底ではやはり右に流されてしまうが、流れ切ったらエサを打ちなおすというテンポ良い釣りをしていると、終了20分前に、流されながらも、小さく抑え込んだ。すかさず合わせると、旧べらだったが、1枚目がようやく釣れた。普通ならオデコを危機一髪で免れたのだから喜ぶところだが、私は、1枚では満足しない。「あと何枚釣るか」しか頭になかった。次の1投もアタリが出たが空振り。次の1投も痛恨の空振り。釣り始めて8時間経って、ようやく魚が回ってきた。が、その後は再び沈黙で、納竿のアナウンスの最中に、いきなりアタリが出て、ガツンと乗った。が、引きがおかしい!とりあえず水面まで上げてみると大鯉だ。2本ともハリスを切られて終了。

痛恨の1枚。しょっぱなから例会で大穴を開けてしまったが、最後まで横綱相撲を通した(横綱はつらい!)。結果は最悪だったが、晴れ晴れした気分だ。あと10か月でマッチャンを倒せばよいのだから、まだまだ余裕がある。とは言っても2月は白水湖だ。釣りとしては、今回と非常に似通っている。昨年は幸運にも白水湖で優勝できたが、何が起こっても不思議のない場所なのだ。心してかかろう!

マツ!待ってろよ!


我慢大会本番-1 1月18日 流源湖

2009-01-19 20:23:18 | 釣行記

  我慢大会本番は、試釣の感触から、長竿バランスの底と決めていた。21尺を出そうと決めていたが、なんとなく18尺を出してしまった。ウキは、この日のために作成した7mm径ボディー長12cm、細トップの長竿底釣り専用ウキである。バラケの打ち過ぎに注意しながら、小さなダンゴとウドンのセットでスローテンポなエサ打ちで開始した。どうせエサを打っても魚が寄らないので、魚を寄せにかからず、回ってきたへらを拾う作戦だ。

 開始早々、あちこちで竿が立ち出す。特に、一番端に入った真ちゃんが連チャンである。私の方は、ウキの馴染みからすると、タナ取りは完璧なのだが全くウキが動かない。

 真ちゃんの所に様子を見に行くと、両隣が空いている。しかし、釣座間隔が狭く、私が移動したら優勝の可能性のある真ちゃんに迷惑をかけてしまう。また、真ちゃんの奥は1つ空いているものの、桟橋の1番端で、渡り桟橋のすぐ下というか、桟橋のすぐ脇を釣ることとなり、いかにも桟橋の下に隠れている魚が釣れそうなのであるが、年間チャンプとしては、1番端(恥)には入れない!!プライドが許さないし、万が一そんなポイントで他人より釣ってしまったら、陰で(うちの会員のことだから、面と向かって言うだろう)何を言われるか分からない。「あそこまでして釣りたいのか!?」「そこまでして年間チャンプになりたいのか!?」魚が居る場所に移動したかったが、結局移動せず、天命を全うすることとした。

 9時過ぎまで底で様子を見たが、全く気配がないので16尺深宙に変更。ウキの位置は18尺の底と変わらない位置として、バラケを18尺の底の位置に落とす。30分1回位弱い触りが出るが、全く落とさず、1ボール終了。1ボール分のバラケで魚が寄ったかもしれないとの甘い考えで、18尺底に戻すも、全く気配なし。全く触らない底より、30分に1回でもウキが動く宙がまし、と考えて再び宙をやるが、全く落とさず、今度は1ボールは辛抱できずに3たび底に変更するも1度もウキが動かない。芳春君は、真一さんと拙雄さんの間に移動して、いきなり釣りだした。やはり魚が固まっているようだ。

 お昼になったが、1度も合わせず状態。マッチャンもオデコで死んでいた。と、ここで、マッチャンがまさかの一番恥に移動!まだまだ若いのか?それともそんなに私を負かして年間優勝がしたいのか?釣っても誰も褒めてくれない桟橋の1番恥のポイントで、いきなり連ちゃんを決め出した。やはり、桟橋の下に魚が隠れていたようで、すごいペースだ。

 感動の後編に続く。


筑波流源湖 1月11日 試釣

2009-01-11 19:24:48 | 釣行記

 例会を翌週に控え、筑波流源湖に試釣に出かけた。流源湖は、何と20年ぶりである。以前は舟に乗って釣ったが、今は全て桟橋になっている。例会で使用する桟橋は、指定されているので、ポイントを悩む必要はない。風向きだけを考慮して入るだけだ。

 18尺底から入るが、タナを取る前に、根掛かり。バッキをつないでいるロープがあるようで釣りにならない。しかたなく、12尺バランスの底に変更。全くウキが動かない。日中になり底を諦め、8尺チョウチンセットをやるが、これも全く駄目。再び底、宙と試みるも、1回もウキが動かない。3度目の底にして、残り時間10分、使わない竿を片付けながら釣りをしていると、2回続けて当たり、型の良い003新べらが2枚釣れた。あわやオデコを喰らうところだった。

 例会は、オデコにおびえながら、何時にオデコ脱出できるかがポイントになりそうだ。釣り方云々ではなく、魚が回ってこないと話にならない感じだ。下手をすると1日かかっても魚が回ってこない可能性がある。恐らく、相当の割合のアデコが出るのではないかと思っている。

 それにしても、全く釣れない!我慢大会の本番は来週だ!


ディスカウント シバタⅡ

2009-01-08 21:13:00 | ウンチク

大晦日に、浦和の実家に帰った際、以前このブログの「想い出」に書いた、「ディスカウントシバタ」(現在は、シバタ釣具:北浦和平和通り)に行ってきた。半年前、夏休みに行った際は、水曜日の定休日に当たっていたせいで、買物は出来なかった。今回も水曜日、しかも、大晦日ということで、心配したが、開店していた(店主曰く、「今日は閉められないでしょうー!」)。以前あった場所から通りの対面に移転していたが、店構え002は、30年前と変わらず、一見すると釣道具屋とは思えないひっそりした店構えだった。店に入ると、へら専門店で、万力、玉網、竿掛け、ウキ、竹竿など、いいものばかりを揃えていた。しかも、30年前と同様、格安だ。ひっきりなしに電話がかかってきて、竿の注文が入ってくる。客も次から次へとやってくる。さすがにへらぶな釣りの盛んな浦和だ。椎の木湖の近くに羽生支店があるらしい。ほしいものばかりだったが、ウキのトップだけをしこたま仕込んで帰ってきた(安かった!)。こんな店が近くにあったら・・。


湯崎湖初釣り大会 1月3日 参加245人

2009-01-03 18:53:07 | 湯崎湖情報(釣行記)

  002 例年参加しているが、何時も成績が振るわない大会である。得意の短竿が効かないせいかもしれない。今までに10位以内が3回ほどあるだけだ。今回の入釣順位は90番。111日から前売り券を売り出し、私は8日の朝に購入したのに90番なのだ。これでは、本命のポイントは狙えない。色々考えた挙句、5号桟橋で一発勝負することにした。

5号入って6番目を確保したが、三角テントに入ることになってしまったので、18尺を振るのは難しい。つい弱気が出て、16尺を継いでしまった。朝は全くアタリなし。9時過ぎから少しずつ触りだすが、落とさない。つい、弱いアタリに手を出してしまうと、ことごとくスレだ。弱い触りだけでアタリが出ないまま、時間だけが過ぎて行ってしまった。やはり18尺を出すべきだったのかもしれない。74.8kgで今年も沈没。ちなみに、うちの会員は全員が入賞の40位以内に入れなかった。昨年3位の志賀長老は、何時ものポイントに入れず、昨年私が沈没したポイントで5枚だったらしい。長老の予約席にどんな野郎が入っていたのか聞いてみたら、何と万年青年だったとのこと。これで、人間関係にヒビが入らないわけがない!長老は万年青年とは縁を切ったらしい。その万年青年の釣果であるが、本人は秘密にしたがっているようだが、志賀長老の件もあるので世界に公開してしまおう!1枚!魚がいなかったのか?下手なのか・・?想像にお任せします。

来年こそは、抽選で現ナマを当てるぞ!


大きなウキ作ったド!

2009-01-02 09:45:15 | ウキ作り

平成20年末現在で、注文を受けているウキの本数が30本。うち、13本がボディー径7mm、ボディー長10cm以上の大きなウキだ。自分では、このような大きなウキは、全く使わないのであるが(ウキケースに納まりません!)、頼まれれば作るしかない。「大きなウキでも小さなウキでも作る手間は同じではないか」と言われればその通りではあるのだが、大きなウキの方が作るのに、はるかにエネルギーが必要だ。小さなウキでは、センターを合わせる際、ある程度ごまかしが効くのであるが、大きなウキでは、微妙な狂いが命取りになってしまう(センターが取れていなくても使用上何ら問題はないのだが、見栄004えが悪くなってしまう)。プロの作家はどんな真似してセンターを取るのかと思っているが、そんな私でも、以前よりは格段に上手くなった。幸い、今回頼まれた大きなウキは、ほぼ満足のいく出来になったが、その作業は、正に苦行だった。

ここのところ、作ったウキは、自分のウキケースに入ることはなく、全て、仲間のウキケースの中に入ってしまった。自分のウキケースを点検したところ、1年ほど前に作ったウキばかりであるが、「よくもこんな不出来のウキを使っている」と感心させられるような稚拙なウキばかりだ。以前作ったウキを見ると、自分のウキが1年間で相当バージョンアップしたのが良く分かる。注文のウキ作りが一段落したら、自分で使うウキをじっくり作り、ウキケースの中身を全て更新するつもりだ。何時のことになることか・・?。(写真の左の小さなウキは3.5号、右の大きなウキが14号、写真はクリックすると拡大します)


謹賀新年

2009-01-01 09:16:32 | 想い出

明けましておめでとうございます。

当ブログも開設2年になります。今後もよろしくお願いいたします。

さて、初釣りといえば、色々想い出す。東京湾のカレイ、越谷の用水路でのマブナ、河口湖でのワカサギ・・。そして、高校時代には、手賀沼のオダ釣り(手賀沼と言えば、長年日本で1番汚い湖沼に君臨していたが、最近は少しはましになったようだ)。当時、真冬に釣れる釣場は手賀沼のオダくらいしかなかったので、大変な賑わいだった。手賀沼は南と北に分かれているが、高校時代は、鉄道で容易に行ける釣場として北部手賀沼に通っていた。浦和から初電の京浜東北に乗り、日暮里で常磐線に乗り換え、安孫子で降りると船宿までは歩いてすぐである。船宿にはまだ暗い6時頃に到着し、引き舟でオダに向かうのだ。釣宿ごとにオダがあり、そのオダも色々特色があった。へらの数は、出なかったが、出れば大型で、外道として、コイッコのアタリが多かったので、飽きることはなかった。高校時代に1人で通っていたのだから大したものだ。高校時代には、釣友を集めて、初釣り大会を催したことがあった。結果は忘れてしまったが、外道を含め、そこそこ釣れたように記憶している。

ある日、一人で釣行した時に50cm程のコイが釣れた。船宿に持ち込むと、持って帰って食べてみろと言われたので、言われるままに、濡れ新聞に包み、へらバックの中に入れて持ち帰り、水に戻すと、元気に生き返った(2時間も水から上げても生きているのだから、コイの生命力は大したものだ)。祖母は食べたいと言ったが、さすがにかわいそうになり、兄に車を出してもらい、わざわざ、荒川まで放しに行った。

あれから30年以上が経つ。当時のオダは、朽ち果ててしまっているに違いない。それでも、冬になると手賀沼のオダのニュースを聞くことがある。機会があればまた行ってみたい釣場の1つだ。