水戸市内を流れる那珂川は型の良いへらが釣れたが、外道も多かった。ある休日、水府橋下流でへら釣りをしていた。傍らには当時の彼女(現在の古女房)が私の釣った魚の種類を自分で持参した淡水魚類図鑑で検索していた。検索などせずに、私に聞けば分かるものを・・。そこへ、私と同年代の若者が現れた(水勝会所属、水勝とは、水戸と勝田の略、現在も存続しているか不明)。どうも、そのポイントは彼の家のすぐ前だったらしい。彼は、最近毎晩のように家の前にバイクが止まっているのを不審に思っていたらしい。私は毎晩のように1人でナイターをしていたのだ。そのバイクが日中、また止まっていたので、何をやっているのか様子を探りに来たところ、私がへら釣りをしていたのだ(私はライダーでもあった)。彼は偶然へら師だった。私と言葉を交わし、私が、フラシの中のへらを見ると家からすぐに道具を運んできて、並んで釣りをすることになった。那珂川は流れ川なので、当然ドボンだ。彼は、ハリスに板オモリを巻いた、ハリスドボンだ。ハリスドボンでは、那珂川の半端でない流れでは、止まらなかったが、私の中通しよりも遙かに触りが多く、へららしい釣りになる。私は初めてこのような釣り方もあることを知ったのだ。その後は、現在に至るまで、流れでどうしょうも無い時には、ハリスドボンで対処している。
彼とは、その場で話が盛り上がり、水戸近郊の釣場を車で案内してくれる事になった。彼は、私の彼女に気遣い「連れをほっといて良いのか」とさかんに気にしてくれたが、私は、「全く構わない」と、彼女を歩いて帰宅させ、自分のバイクを置いたまま、彼の車で出かけてしまった。
ここで「私と釣りとどっちがいいの?!」などと愚問中の愚問をのたまうような女では、私の伴侶は務められない。そんな愚問を問いかけられれば、私は間髪入れず「釣りに決まっているだろう!」と答えるに決まっているのだ。今の妻と付き合うまでは、そんな愚問をする愚かな女もいたが、そんな女は全て縁を切ってきた(切られたという話もある・・が)。今の古女房は、今まで一度もそんな愚問はしていない。さすが頭が良い。
結婚して、自由に釣りに行けなくなった知り合いが私の周りにはたくさんいる。恐らく、彼らは、土下座でもして、頼んで結婚してもらったのだろう。同じ職場のs君なんかは、結婚後釣りに行かせてもらえず、今では、ただ活かされているだけだ。廃人同様である。
話を元に戻そう。溜池を幾つも回って最後に着いたのが大宮の溜池であった。大宮といっても埼玉の大宮ではなく、大宮町だ(正確には大宮町でもなく、玉川村のようだ)。その池は、こじんまりした池で、池を囲む形で個人桟橋が設置されていた。その池で彼と並んで竿を出すことになった。型は大きくなかったが、極めて魚が濃く、非常に面白い釣りの出来る池で、一発で気に入ってしまった。下手な管理釣場より、よっぽど魚が濃く、釣れるのだ。この池で、彼から最新のエサ使いについていろいろ話を聞くと、まさにカルチャーショックだった。仙台に5年居る間にいつの間にか、時代の流れに取り残されてしまっていたのだ。この間にグルテンなるエサが登場したのだ。彼との出会いが私の釣りを大きく変える1つの節目になったことは間違いない。私のへら修業が本格的に始まった。
その後、このため池には足繁く通うことになった。水戸を離れてからもしばらく通ったが、高萩に越してからは1度も行っていないので、もう20年以上行っていないことになる。今、あの池がどうなっているかは知るよしもない。