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マルキュー藤田の釣日記

熱い釣りの記録や思いをお伝えします

カーボン疲労

2007-02-27 20:55:42 | ウンチク

 金属疲労という言葉は最近よく耳にするが、はたしてカーボンは疲労するのだろうか?私は、疲労するような気がする。というのは、私の経験上、使用頻度の高い竿ほど穂先が折れやすいように感じるからである。今まで、アワセの瞬間に穂先を折ったことは10回やそこらではきかない。平均すると、年に2~3回は穂先を折っている。芳春君からすると何であんなに頻繁に穂先を折るのか不思議のようだが、それだけたくさん釣り込んでいるからだと思う。経験上、おろしたての竿は折れたことがない。5年くらい使い込むと折れるようになる。しかも、魚が掛かってテンションがかかった状態で折れるのではなく、アワセの瞬間に折れてしまう。「二段合わせだから折れるのだ」と言う方もいると思うが、最近の私は派手な二段合わせはしなくなった。また、新しい竿では、二段合わせをしたくらいでは折れないのである。最近では、穂先が折れるようになったら竿の寿命だと考えて、竿を更新するようになった。

 話は変わるが、私の合わせは、浜田優氏の影響が強い。今から20年以上前に浜田氏の合わせを見て、感動した。真似して自然に身に付いてしまった。

私も何時でも二段合わせをしているわけではないことは、隣で釣りをしたことのある方ならおわかりだろう。浅ダナでやる時だけ二段合わせとなるが、これは理にかなった合わせ方だと思う。浅ダナで普通に合わせていたのでは、仕掛けが空中で絡みやすいのは、皆さん経験済みのはずである。

 しかし、世の中には、チョウチンでも竿を叩く人、当たってもいないのに竿を叩く人がいる。そんな人を見るとこの私でさえ閉口してしまう。

「カーボンは疲労するが、私はいくら釣っても疲れを知らない!!」


酔釣会 2月例会

2007-02-25 21:02:23 | 釣行記

先月に引き続き湯崎湖の例会。朝のモジリは、春の釣りを予感させたが、朝から冷たい風が吹き、日中も氷が融けないほど寒い1日だった。風を警戒し、4号桟橋に3号向きは満席。飛び入り参加の真一さんは、あぶれて5号向きに入らざるを得なかった。_045

私は、来週の白水湖の練習ということで、10尺の浅ダナから入ったが、流れが強く釣りづらい。1時間ほどで反応が出てきたが、続かない。やっとこ2枚釣ったが、全く釣れる気がしない。反対側で真一さんが天々で当たり出したとのことなので、我慢できず8尺天々に変更。始めは当たりが続かなかったが、やがて入れパクになる。やはり深宙が一番釣りやすい感じだった。

日中になると風も収まってきたので、8尺の浅ダナに再び挑戦。ポツポツも終盤寒くなると全く落さなくなった。32枚で納竿。他は、飛び入り参加の大井川さんが、前半浅ダナ、後半天々でツ抜けした以外全員一桁だった。他の例会組みも12枚が多く見られた。湯崎湖愛好会の例会では、優勝釣果がフラシ込みで8kg台とのことで全体には全く出ていなかった。

来週の白水湖の大会では、朝からカッツケで1発勝負に出る予定。

 


大釣り記録

2007-02-24 12:50:51 | 想い出

 高校2年(昭和51年)の時だったと思うが、月刊へら鮒誌(当時150円)で利根川本流の中流域が記事になった。記事の中身は「未開の釣場」。当時一番の釣友のI君から「開拓しないか?」と誘われた。私も関心があったので、すぐに実行することにした。4時27分浦和発の京浜東北で日暮里まで行き、そこから常磐線で我孫子へ、成田線に乗り換えて布佐で下車すると利根川までは歩いてすぐである。当時、早朝の成田線は、下りは、ほとんどがヘラバックを抱えたへら師、上りは、大きな荷物を背負った行商のおばさん達で占領されていた。ヘら師の行き先は、湖北駅(古利根沼)や小林駅(将監川)、安食駅(甚平沼、長門川)なので、釣り場の無い布佐駅で下車する私達は変な目で見られた。

その日は、朝から生憎の大雨。ポイントは分からないので、とりあえず栄橋付近で竿を出したが、流れと根掛かりで釣りにならない。意気消沈して、橋の下で雨宿りをしていた。私は寒くてもう帰りたかったのだが、I君が諦めきれず、遙か上流に煙って見える土手の水門を指さして、あそこまで行ってみよう!というので、気を取り直して、水門まで土手を歩くことにした。幸い、雨が上がり、暖かくなってきた。水門の近くに着くとやはり流れが早い。18尺に重り2.5号の中通しで始めると1発目からヘらが乗ってくる。餌は、バラケにオカユである。流れが強いため、2.5号の重りは、ころころ転がり、流れてしまうが、その中でもはっきりとアタリが出て、ヘらが釣れてくる。11連チャンで釣り、次のアタリで12連チャンかと思ったらオイカワでがっかりした。1時間で36枚というのは、おそらく未だに私の記録だと思う。

その後、父に頼んで、同じポイントに車で連れて行ってもらったことがあるが、その時にも良型のヘラがよく釣れた。当時通っていた荒川とは比べ物にならない川幅と魚影の濃さに、板東太郎の偉大さを感じずにはいられなかった。


釣り同好会 精進湖合宿

2007-02-22 19:48:44 | 想い出

 2年の合宿は、山上湖釣り発祥の地の精進湖だった。湖畔荘のバンガローに泊まり込み、ボートで釣りをした。メンバーは、浦高校生だけでなく、釣り仲間の埼玉県内や都内の高校に通う2年生だった。この中には、既に日研に加入している者もいて、くわえタバコに竹竿姿の大人顔負けの友達もいた。

 1日目は、大割れに舟付けした。16尺を出したが、当然底は取れない。深いタナでやるがどうもおかしい。ウキが全くなじまないのである。それまで私は、そんな深いタナで釣りをする機会がなかったので、普段使う餌ではタナまで全く餌が持たなかったのである。それに気が付くのに1時間もかかってしまった。餌は、マッシュに進歩印の緑色の麩の餌(なんていう餌だったかどうしても思い出せない)を混ぜた物が良いと言われたが、本当にその餌はよく釣れた。

 2日目はコタツに入り40枚ほど釣った。3日目は、関ベラの例会と重なった。当時関ベラといえば180人の大所帯である。俺もいつかは、こんな釣会に入ってやってみたいな、と思ったものだった。

 写真は、湖畔荘での記念写真。さて、私は、何処に写っているでしょうか?_041


釣り同好会 田貫湖合宿

2007-02-20 20:24:30 | 想い出

 _042 浦和高校1年時の夏合宿は、静岡県の田貫湖だった。キャンプ場のバンガローに泊まり込み、寝ても覚めてもへら釣り三昧である。男所帯なので夕飯も味気ないインスタントラーメンで済ませたのだが、オイカワでも釣って焼いて食べよう!となった。早速、短竿に玉ウキを付け、餌には魚肉ソーセージの切れ端を付け、炊事場の排水が流れ込む深さ1尺ほどの浅場に立ち込み、友達がたすきを振るが、アタリはあってもなかなか乗らない。脇で見ていて、はがゆくなり、「どれ!俺に貸してみろ!」となった。たすきで振り込むとすぐに玉ウキが消し込んだ。鋭く合わすと乗ってきた。「こうやんだよ!」と得意げに自慢すると、魚が上がってこない。何と見事なへらだった。更に自慢すると、友達から鋭い一言が「食えない魚釣ってどうすんだ?!」ごもっともで・・。

夜は一晩中ナイターで過ごすはずだったが、丁度田貫湖ではナイター禁止になったばかりだと知らされた。仕方なく、夜中から星明かりを頼りに餌を打ちながら、夜明けを待っていた。8月13日、丁度ペルテウス座流星群に当たっていた(当時、全くそのことは知らなかった)。富士山(登山道には、転々と登山者の明かりが見えていた)のシルエットが澄んだ空にくっきり浮かび、満天の星空の中を流星がたくさん降ってきた。大きなものは、月明かりより明るいものもあった。生まれて初めて見る流星パノラマに15歳の私は、痛く感動した。富士山からの日の出も素晴らしかった。写真は、田貫湖の日の出、モデルはI君


いわきへら研2月例会 白水湖

2007-02-19 20:02:54 | 白水湖

 予報では、北の風、天気の回復は遅れそうで、3時ごろまで降りそうだった。北の風なら桟橋のどちらを向いても同じなので、東桟橋の先端より、西向きに入ることとした。

 1週間前の試釣では、底、深宙、浅ダナとも良く釣れた。11尺段底から入って、深宙、浅ダナに持ち込む作戦だったが、いずれ宙をやるのなら、朝からやってしまえ!という事で、8尺を継いでしまった。

釣り始めるとすぐに9尺チョウチンの大越君が絞り始めた。こちらもそのうち当たるだろうとエサ打ちを続けるが、無反応である。反対側の芳春君も当たらないらしい。やがて芳春君の方は、ポツポツ当たりだしたようだが、私のほうは相変わらず無反応である。そのうち、対面桟橋でポツポツ浅ダナで釣っているのが目に入り、さすがに痺れを切らして、浅ダナに変更。2投目で受けるが、たまたまだったようだ。レットゾーンの回転数で、甘いバラケを打ち続けると、やっと反応するようになった。が、落さない!!流れがきつく、地合いに成らない。手をこまねいていると触りが飛んでしまう。10時までに2枚。対面の志賀釣老はオデコ。人の不幸を喜んでいる場合ではないのだが・・。釣老はその後、何時ものドボンでやっとポツポしぼり出したが、回し振りで隣のご婦人をスレで掛けてしまったのは、笑ってしまった。

チョウチンでは1回も触らなかったので、浅ダナ方がまだましだと思って続けるが、芳春君のペースにならない。11時過ぎになると、風が強まり、さすがに浅ダナをこれ以上やっても地合いにならないと判断し、チョウチンに変更。やっぱり反応がない。だめもとで鬼待ちすると、初当たりで乗った。その後も全く触りが出ないが、下バリ50cmで鬼待ちしていると最後に落す感じでポツポツ拾う。しかし、こんな釣りではやはり地合いに成らない。残り50分となったところで諦めて11尺の段底に変更。2投目で新ベラが釣れてくる。魚がいる感じだったので。50×60cmのハリスで両ウドン(タピオカ)に変更。アタリが出るまで鬼待ちすると空振り無しの7連チャンで時間切れとなった。24枚。最後の両ウドン底釣りで、何とか釣果的には格好はつけたが、芳春君にはやられてしまった。


浦和高校釣り同好会

2007-02-17 13:09:27 | 想い出

昭和50年、高校に入ると、釣り同好会なるものがある事を知り、即座に入会した。入会者は私以外に3人。その中にI君がいた。私は中学時代に彼が書いた釣行記や随筆をへらの月刊誌でいくつも読んでいた。大宮に私と同い年のへら少年がいることを知り、ぜひ1度会ってみたかったその人がI君だったのだ。彼の釣行記や随筆は、荒川やその周辺の沼での体験記で、痛く感動したものだ。荒川での「出れば尺上、オデコなし」や丸堀での「アンパンとサイダー」などは、今でもよく覚えている。

同好会は、3年生が1人いるだけで、1年生だけで自由にやって良いと言われた。まず、会長を決める必要があった。話はすぐ決まり、ビン沼で例会を開き、優勝者が会長になることとなった。自宅からビン沼までチャリで1時間はかかったと思う。4月の日曜日、全員がチャリにへらバックをくくりつけて集合した。私の愛車はドロップハンドルのロードマンだったが、自作の木製釣台とへらバックを小さな荷台にくくりつけると、いかにも野暮ったく見えた。

ビン沼は、河川改修される前のビン沼で、今のビン沼とは全く違う環境だった。全体的に浅 く、葦に被われていた。例会の会場となった、砂塚橋上流の墓場前は唯一深場を有する名ポイントだった。深場と言っても1本程度であるが。ビン沼をホームグランドとしていた私は、黒ベラ両ダンゴのカッツケでブッチギリ優勝をしてしまい、会長職を仰せつかることとなってしまった。


ディスカウント シバタ

2007-02-15 21:04:35 | 想い出

中学、高校と北浦和駅近くに通っていた。駅東口の平和通りにシバタという小さなディスカウントショップがあった。(現在もへら専門店として健在!!http://www.kitaurawa.jp/shops/h076.html)貴金属雑貨に混じって、へらPhoto_1 釣道具が置かれていて、結構な品揃えで、店の半分ぐらいがへらの釣道具で占められていた。学校帰りには釣友とよく立ち寄っていた。店番のおばちゃんとも顔見知りだった。

餌は各種揃っており、釣り道具屋で購入するより遙かに安かった。そこに某有名餌メーカーから圧力がかかり、ある時から店頭での値引率が制限され、安く売れなくなってしまった。しかし、おばちゃんは、何時もそろばんをそっと私に見せて、以前の値引率で売ってくれていた。たしか、黒ベラが1袋65円だったと記憶している。竿も釣道具屋よりずっと安く買うことが出来たので、当時釣道具屋には行ったことがなかった。話は変わるが、当時、竿はO社が1流で、D社は3流という評価だった。D社の竿は4割から6割引が普通だった。それがカーボンが出てからというもO社のダンピング問題等があり、形勢が逆転し、現在に至っている。今でも私の中にはD社製の釣具は3流品との固定観念があり、竿は主にS社のものを愛用している。

また、「関東グラスロット」という会社(現在は無くなったらしい)の小政という細身の竿を愛用していた。現在手元に1本だけ当時の小政16尺があるが、これは、私が父に譲った物で、父の遺品の中にあった物である。当時使っていた竿は度重なる引っ越しの末、いつの間にか全て手元から消えてしまった。


へらとの出会い

2007-02-14 19:11:47 | 想い出

 物心付く前から父に連れられて、越谷周辺のマブナ釣りを中心に、高麗川でのヤマベ釣り、霞ヶ浦周辺でのタナゴ釣り、浦安でのハゼ釣り、富津でのカレイ、キス釣りなどをやってきたが、へら釣りは父がやっていなかったので、縁がなかった。「練り餌を使う難しい釣り、アタリは喰い上げ」程度の知識だった。中学に入ると、へら吉のS君と知り合った。彼はへら好きのおじさんにみっちり仕込まれ、大人顔負けのへら師だった。S君の部屋に遊びに行くと、月間へら鮒のバックナンバーが何十冊も揃っていて、私はそれを読みあさった。

初めて彼に連れて行かれたのは、与野にあった桃源郷だった。雨の日だったが、8尺カッツケ両ダンゴで半日で10kg程釣った。カルチャーショックだった。「こんなに面白い釣りがあったのか!!??今まで経験してきた釣りは、釣りのうちに入らない!!」

 その日から、へら一筋の人生が始まった。怖いもの知らずの中学1年生は、全日本へら鮒釣り選手権に挑戦したのだった。浦和の根岸園、120人中27位で惜しくも予選通過できなかった。S君は、一番端入り、予選通過したが、川越FCでの準決勝で敗退した。


別所沼 5 弁天様

2007-02-13 19:58:05 | 想い出

別所沼の真ん中には小さな島があり、そこに赤いアーチ橋が掛かっており、島には小さな弁天様が奉ってあります。小学校高学年の頃だったでしょうか、その島で友達と釣りをしていました。10尺ほどのグラスの振り出し竿で何を狙っていたかは覚えていません。当時はクチボソやダボハゼ、テナガエビが外道としてうるさく、たまにマブや尺級のコイが釣れましたが、へらは釣れませんでした。

 私が、タナを変えるために道糸を引っ張って竿先を曲げた状態でウキの位置を変えていると、後から「そんなやり方では竿先が折れちゃうぞ」と声が掛かりました。声の主は、島に家族で暮らしている中年の男でした(今で言うところのホームレス家族)。夫婦と小学生くらいの子供が3人くらいいたと記憶しています。その男は多少釣りの心得があったらしく、飽きずに私たちの釣りを見ていて相手が子供だと思って色々アドバイスしてくれました。釣った魚がほしいと言われ、相手が怖かったせいもあり、魚を提供しました。釣りを終わって帰る頃には薄暗くなり、煮炊きするためのたき火から煙が上がっていました。

 あの家族はその後どうなったのかナーと今でも時々思い出すことがあります。当時そんな人達(当時で言う浮浪者)はたくさんいましたが、みんな優しい人達でした。

 私は今でもタナを変えるときに横着して竿先を引っ張って曲げることはしません。子供の時に教わったことは不思議と身に付いているものです。隣で芳春君が竿を大きく曲げてウキの位置を変えているのを見るたびに、「今に穂先を折るぞ!基本を知らないな!」と心の中で叫んでいますが、残念ながら今のカーボンはなかなか折れません。


別所沼 4 ナイター

2007-02-12 08:47:37 | 想い出

 中学生の時、家から離れた英語教室にチャリンコで通っていた。一緒に通っていた友達の家が別所沼の近くだったので、行き帰りに沼によってへら釣りを眺めていた。夜になると、別所沼のポイント周辺には、ずらりとナイターのへら師が並んだ。当時は、車用のバッテリーを使い、サーチライトでウキを照らし出して釣る方法が主流であった。真暗な水面にウキだけが映し出され、すごく幻想的だった。自分もすごくやってみたかったが、まだ中学生だったので、高校に入ったらやろうと思っていた。

 そして、高校に入学し、4月下旬からナイターをやるようになった。バッテリーは買えなかったので、単一電池が6個も入る大型サーチライトを使って釣りをした。アタリは多かったが、マブナばかりだった。夜は昼間と違って全くジャミが当たらず、釣りやすかったばかりでなく、ウキも日中より見やすかった。私はナイター釣りの虜になった。

 その後、荒川本流、ビン沼、丸堀などでナイターをやるようになった。


白水湖試釣

2007-02-10 20:10:55 | 白水湖

真一さんと大井川さんと3人で白水湖に行ってきました。1日中穏やかで暖かな日でした。真一さんは、ポプラ桟橋、大井川さんと私は東桟橋の突端に入りました。3人とも手堅く底から入り、大井川さんは、1日中段底で通し、50枚近く釣り、真一さんは、底と深宙を交互にやり30枚程度、私は、3回竿を代え、釣り方もめまぐるしく代えながら59枚でした。底はかなりの割合(50%程度?)で新ベラが混じりますが、深宙はガリばかりでした。深宙だと30枚釣っても8kg程度にしかならないと思われます。さて、例会ですが、感触からすると短竿天天が一番釣れそうだったので、_001_3 _002_3 朝から8尺の深宙でやります。とブログには書いておこう。


別所沼 3 へら

2007-02-09 19:48:37 | 想い出

 別所沼は、市街地の公園だけあって、釣人は非常に多かった。竹の延竿でモツゴや手長エビを狙う人も多かったが、へらを狙う人も大変多かった。しかし、当時へらは全くと言って良いほど釣れなかった。何しろ、何時行ってもずらりとへら師が並んでいるのだが、へらが釣れたのを見たことがなかった。当時、ボートハウスの壁や天井には尺上べらやレン魚、草魚の魚拓がいっぱい張ってあったが、どれも黄ばんでいて、古い物ばかりだった。私が別所沼に通った中学から高校時代(昭和40年代後半から昭和50年)には恐らくへらの数は非常に少なかったのだと思われる。

 私は、当時散々通って、手にしたへらは、たった1枚だけだった。マッシュポテトの素練りを使い、ジャミアタリの嵐でなじまない中を、超高速回転でエサ打ちし、1枚だけ釣ったのが、生涯別所沼での最初で最後の1枚となった。マブナや鯉は釣れたのだが・・・。今思うに、あんなに釣れない釣り場に何であんなたくさんの釣師が通っていたのか不思議である。釣り人口が多かったのと、他に釣れる釣り場も近くにはなかったせいだろうか?

 白幡沼にも通ったが、ここでもマブナしか釣れなかった。


別所沼 2 レン魚

2007-02-08 20:45:24 | 想い出

 中学校1年生の時からヘら釣り一筋になったのだが、ヘらを初めたばかりの時に、初めて別所沼にへら釣りに行ったときのことだ。日曜日の早朝、15尺の竿で買ったばかりのへらウキを使って常連に混じって、浅ダナでポンポンエサ打ちしていると良いアタリで乗った。強い引きで魚がなかなか寄らなかったが、ようやく寄った魚は大きなレン魚だった。興奮状態で心臓はバクバクである。釣り堀でしかへらをやったことがなかったのでタモを持っていなかった。(当時、釣堀ではタモや竿掛けは備えてあった)隣の常連さんにタモを貸していただいた。釣った連魚は、真新しいフラシに収容した。

 午後からは、親父を誘って別所沼に釣りに行った。へら狙いというより、レン魚狙いである。その後さんざん別所沼に通ったが、レン魚を釣ったのはその時1回だけだった。


別所沼 1

2007-02-07 19:44:25 | 想い出

 私が育った浦和には、別所沼公園という日本一小さな県立公園があった。別所沼は、周囲1km程の小さな沼である。昭和30年代までは、透明度も高く、沼一面に水草が繁茂していて、ボート遊びの時にオールに藻が絡んでしょうがない程だった。恐らく当時は、湧き水が豊富にあったのだろう。昭和40年代にはいると、沼の水は濁り、水草も姿を消してしまった。上水道にするために盛んに地下水を汲み上げた時代だった。その影響だろうか?

別所沼には、手長エビが生息していた(HPで確認したら今でも別所沼の手長エビは有名らしい)。普通手長エビは汽水域に生息しているものと思われるが、陸封化したしたものと思われる。あるいは、少し塩分が含まれていたのかもしれない。

手長エビ釣りは誰にでもできる簡単な釣りであるが、これが難しいのである。小さなハリにキジの餌を付けて釣るのだが、ハリは餌を付けるためのもので、エビを釣り上げるためのものではない。エビは餌を抱えるが、口の中のハリが入るわけではないので、簡単に釣り上げられないのである。ではどうするのか?エビが餌を抱えたら、エビに感づかれないようにゆっくり水面近くまで引き上げ、タモで素早くすくい上げるのである。エビは少しでも違和感を覚えると餌を放して逃げてしまう。竿は、柔らかいものが適しており、当時、孔雀の羽根を使う人が多かった。私も初めは孔雀の羽根や竹ぼうきの竹枝などを使っていたが、上達すると、ただの木の棒(長さ25cm程度の短いもの)を使って釣るようになった。(なお、沼は、木の杭で垂直の護岸がしてあったので、手元から深かった。)コツは、竿の持ち方と根気である。竿は握ってはいけない。親指と人差し指で写真のように支える。エビが餌を抱えて逃げようと、コツン、コツンと尾を使ってすごい瞬発力で後ろに逃げようとするが、その瞬間、エビの引きに合わせて、竿先が大きくお辞儀をしないと逃げられてしまう。そのためには、指2本で軽く支えて、竿がお辞儀できるようにするのである。これが1番のコツである。

もう1つのコツは、エビにストレスを与えないようにゆっくり、決して無理をしないで引き上げることである。水深80cm程度のところを1分ぐらい掛けてゆっくり引き上げる。あせって上げて、途中で逃げられては、また1からやり直しである。_002_2 水面近くまでエビが上がってきたら、背後からそっとタモを近づけ、すくうときには、素早くすくう。当時私は、小さなタモを自作し、エビ釣りに使っていた。

小学生の時は、1人で真暗になるまで熱中した。持ち帰ったエビは塩茹でにして食べたが、茹でると悲しくなるくらい小さくなってしまうのである。

もう、40年近く手長エビを釣っていない。