皆様にご心配をおかけしました。家族を含め、無事でした。ありがとうございました。
地震当時は、福島県庁6階におりました。とても生きた心地がしませんでした。とりあえず県庁内にも危険で入る事が出来ず、帰宅し、車で自宅を目指しましたが、途中の6号線は津波で通行止めのようなので、仕方なく山の方を大周りをして帰宅しました。
自宅には春休みで帰省している大学生の娘1人でいたようでしたが、近所の人と一緒に山の方に逃げて無事だと確認できました。しかし、自宅は、海岸から200mほどの0m地帯なので、津波の情報から、自宅は諦めなければならないと覚悟していました。いつもは2時間弱で帰宅できるところを、6時間ほどでようやく夜中に高萩に到着すると、自宅のある海の方は通行止めで行くことができませんでした。仕方なく、暗闇の中、徒歩で自宅に向かうと、奇跡的に自宅は無事でした。自宅の前には、水が流れた跡があったので、危機一髪というところだったと思います。
息子は、水戸の高校で無事が確認できましたが、妻とはどうしても連絡がつかず、心配しましたが、東京出張だったようで、帰宅難民の1人だったようです。
自宅は、電気、水道は復旧していませんが、生活はできる状態です。私は、公務員なので職場放棄はできず、日曜日の夜に1人で車で福島に戻り、県庁で仕事を始めました。車のガソリンは、空っぽになってしまったので、当分は自宅に帰れそうにありません。
私の仕事の担当の水産増殖施設(栽培漁業センター等)は、津波で跡かたもなくなってしまいました。対応には、数年間はかかりそうです。まだ、行方不明の職員の方も何人かいらっしゃいます。
当面、釣りには行けそうにありませんが、頑張ります!


