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マルキュー藤田の釣日記

熱い釣りの記録や思いをお伝えします

水沼その後

2007-03-31 12:36:11 | 釣行記

1週間で劇的に変わりました。先週は全湖で藍色だった水色がグリーンに変化しました。透明度も5m程あったものが1m未満になりました。これは、ブルーミング(春の植物プランクトンの大発生)によるものです。モジリも橋周辺だけでなく、杉山前、看板下まで広がり、杉山周辺でも釣れだしました。高圧からジャカゴも水色は濁って釣れそうですがモジリは見られません。橋上は透明度が著しく低下し、エサ打ち地点は魚が浮いて真っ黒です。タナ1mで入れパクでした。

とっておきの情報です。高圧からジャカゴまでガサヤブでしたが、ダム管理事務所でお金が余ったのか、綺麗に取り払われました。邪魔な潅木も切られて、何処でも楽に入釣できるようになりました。本湖で釣れ出せば、ミラー下で短竿の深宙で面白い釣りが出来そうです。


I 君との釣り

2007-03-29 20:15:26 | 想い出

 高校時代よく釣り同好会のI君と並んで釣りをしたが、私はI君の釣りのセンス、観察力、繊細さには全くかなわないと、いつも劣等感を持っていた。彼はミリ単位でタナを探り、餌もこまめに調整するが、私はいたって大雑把、釣れれば良いという感じだった。並んで釣りをすれば、いつも彼には全くかなわなかった。

 I君は脳みそも優秀で、高校1年の時に当時流行っていた「試験に出でる英単語」なる本を私に譲ってくれた。I君「買ってみたけど、知らない単語なかったからあげる」 私「・・・」彼は、苦労もせずにストレートで東大に入ってしまった。大学進学後、彼はアイスホッケー部で活躍し、その後はサーファーになってしまい、へら釣りはやめてしまったようだ。就職後1度だけ大宮武蔵へら鮒センター(現在の武蔵の池の前身)で並んで竿を振った事がある(昭和6012月末)。彼は何年もへらをやっていなかったので、「グルテン餌」の存在を知らなかった。彼に、グルテンを使わして底釣りをさせると、浮子の動きからその餌の特性を瞬時に全て理解してしまったようだ。「この餌は、使い始めは良い感じでマッシュが抜け魚が寄り、早いアタリで喰ってくるけど、上ずりやすい。少し時間が経つと変化して粘りが出ちゃうナ」「変化すると浮子の戻りが遅くなって、食いアタリが出るのも遅くなってしまうから、30分に1回は作り替えないと続かないと思うよ」8年ぶりにへら竿を握った彼は、軽く11kg、私は4kgだった。彼には、学業、センス、運動、何をとっても全くかなわなかった。釣りも私とはレベルが違いすぎた。今、彼は横浜にいるらしい。一度へらに誘ってみたいと思っている。


落水

2007-03-26 20:18:50 | 想い出

落水と言えば思い出すのが、故猪狩前会長が坂下例会時に「沈」した時のことだ。私からは遠く離れていたので、思いっきり笑うことが出来た。そばで釣っていた会員は、釣りを邪魔されただけでなく、笑いたくても笑えなかったので可哀想だった。何がそんなにおかしかったか忘れたが、とにかく例会中に思い出し笑いで釣りにならなかった。涙でトップがにじんじゃうのだ。例会後猪狩さんは拙雄さんのアユタイツをはかされていた。その姿が志茂田景樹みたいで格好悪くてまた笑えた。天国の猪狩さんゴメンナサイ。

 私は、1度だけ落水したことがある。中学卒業した春に桃源郷で足を滑らして落ちた。まだ3月だったので冷たかったと思うが覚えていない。格好悪くて、誰かに見られなかったか、そればかり心配でキョロキョロしながらも一瞬で這い上がった。桃源郷の親父は親切で、家まで送ってくれると言ったが、自転車で来ていたのでお断りし、ストーブで服を乾かして帰った。

私が小学生の時、真冬に父と釣りをしていて、父が落ちたことがあった。岸は約30度のコンクリート護岸であったが、這い上がろうとしても護岸のノロで足が滑ってなかなか上がれず、だんだん深いところまではまっていった。隣で釣りをしていた私は、手を差しのべようかと思ったが、私まで引きずり込まれたら大変だと思い、可哀想だが、上がるまでただ見ていた。1日中氷が解けないほど寒い日であったが、父はその後着替えることもなく、何事もなかったようにそのまま釣りを続けた。さすが、私の父である。


水沼ダム視察

2007-03-24 18:50:15 | 釣行記

 本日の朝、水沼を覗いてきました。水色は、本湖も川筋も深い藍色で黒潮状態。まだ、真冬の水色です。水位は、満水に近づき、あと50cmで満水です。橋の下の柳の脇に知り合いの常連がいたので状況を聞くと、1日やって、アタリを見られれば良い方とのこと。先週もノーアタリだったとのこと。橋の上流は水位的には十分ですが、水色が良過ぎて底は丸見え状態。、魚も丸見えで、それなりに釣れていました。あまりに水色が良過ぎて、とても竿を出す気になれない状態でしたので、竿は出さずに帰ってきました。

例年通り、本格化するのは4月になってからでしょう。全湖で本格化しての例会だと面白いのですが、橋周辺だけの釣りでは面白くありません。例年だと、4月第2週に最初のハタキに入るので、例会はドンピシャになるかもしれません。期待しましょう!


肥溜め事件

2007-03-23 19:53:43 | 想い出

 高校2年(昭和51年)の時、高校の釣友の長田君と千葉県の将監川に行く約束をした。4時27分の京浜東北に乗ると、どこにも彼の姿はなかった(寝坊したらしい)。日暮里で常磐線に乗り換え、我孫子で成田線に乗り換え、小林駅で下車するとすぐに将監川だ。

 雨模様の中、釣りをしたが全く釣れなかった。疲れたので帰ろうと、畦道を歩いていた時、稲刈りの終わった田んぼをショートカットして近道を通ろうとした。田んぼの脇の、もみ殻が積まれたところを通りかかったところ、片足が突然もみ殻を踏み抜いて落とし穴に落っこちてしまった。ビックリして、足を引き抜くと、落ちた先は肥溜めだった。臭いなんていう生やさしいものではない!!川で靴やズボンを洗ったが、臭いは落ちるものではない。帰りの電車の中では、寝たふりをして通したが、私の両脇には誰も座らなかった。

 小学生の頃は、田舎に釣りに行くとどこでも見られた肥溜めは、今では日本中から姿を消し、あれ以来見ていない。


荒川本流 3

2007-03-21 20:18:38 | 想い出

当時荒川では、なかなかへらは釣れなかったが、へらに体型の良く似たマブナが良く釣れた。私たちはそれを「ヒマンブ」と呼んでいた。肥満のマブナという意味だ。非常に体高が高く太っていたのでそう呼んでいた。一見するとへらに見える。当時、他のへら師は、それをへらと見なしていた。何しろそれしか釣れないのであるから仕方がない。しかし、たまーに本物のへらが釣れると、やはりヒマンブはへらでなくマブナなのが分かった。当時から水産学を志していた私は、へらとマブの合いの子の「半ベラ」は存在し得ないことを知っていた。マブナの染色体が三倍体である秘密を研究したくて大学に進んだが、研究ではフナの道を逸れてしまった。

未だにへら釣りの研究の道だけは逸れずに続けている。


日研いわき支部3月例会

2007-03-18 19:58:47 | 釣行記

会場は湯崎湖。昨年は、春めいた陽気で魚が動き、朝から爆釣だったが、今年は、今になってから本格的に冷え込み、激渋の中での例会となってしまった。前日の状況では、短竿天々は難しく、浅ダナは反応はあるものの根競べの釣りと予想された。当日の水温は前日より更に0.5℃低下し、モジリもほとんど見られなかった。

10尺浅ダナで始めると、程なく反応しだすが、落さない!1日中タナを変え、エサのタッチを変えてみるが、やはり正解は見出せず、1日が終わってしまった。底釣り組は全員即死、悲惨な1日になってしまった。

2ヶ月連続で芳春君が優勝した、4月からは野釣りとなる。今まで以上に試釣が重要になる。とりあえず、4月の水沼で出し抜くしかあるまい。


3月10日の答え

2007-03-17 20:31:46 | 釣行記

答え(正解者はいませんでした)

へら竿は、18尺までは5本継ぎ、19尺から6本継ぎになります。早川名人は、遠くから松の竿が立っているのを見て、6本継ぎと気が付いたそうです。やはり、ただ者ではありません。

本日、湯崎に最終チェックに行ってきました。先週より水温が下がり、更に厳しくなりました。どんな釣りでも簡単には釣れません。明日は10m以上の風が吹く予想が出ています。どんな展開になるのか楽しみです。


荒川本流 2

2007-03-16 19:44:16 | 想い出

 高校時代の釣り仲間では、釣りをしている友達の後ろからそっと近づいて驚かすのが流行っていた。荒川本流の名ポイント、「ビン沼吐き出し」で、一人でナイターをしていると、遠くから太鼓を叩く音が近づいてきた。気持ち悪くてビビリまくっていると、何とI君だった。私を驚かそうとしたわけでなく、木製の釣り台の可倒式の足が釣り台に当たって太鼓のような音がしていただけだったのだ。その後、I君とナイターをやっていたが、余り釣れず、I君が持ち込んだ大量の梅酒の梅を二人で喰っているうちに、釣りなんかどうでも良い気分になってしまった。

荒川の河川敷はゴルフ場になっており、そこで遊ぶことにした。まずは、グリーンのピンでやり投げをした。ピンがグリーンを直撃し、グリーンは無惨にもえぐれてしまった。当時二人は、常日頃から電車内などでゴルフの素振りの真似をしているサラリーマンなどを見る度に目の敵のように「カッコ付けやがって・・、俺は一生ゴルフなんかやらねーぞー!」と言い合い、ゴルフ野郎を目の敵のようにしていた。やり投げに飽きたら、今度はバンカーにレイキで大きく「ウンコ」と書いて遊んだ。幾つのバンカーに書いただろうか、笑いすぎてお腹が痛くなるほど笑った。もうとっくに時効なのでここに告白します。やったのは私です。若気の至りで・・。

またある時、やはりナイター中に猛烈な雷雨に遭ってしまった。河川敷のゴルフ場内では何も高いものがなく、「やばい!雷に打たれて死ぬ!!」とマジで怖くなり、2時間地面にひれ伏して祈りました。「神様!もう悪いことはしませんので、助けて!!」今までの人生の中で一番ビビッた体験だったと思う。


荒川本流 1

2007-03-14 20:43:38 | 想い出

 高校時代にはよく荒川に通った。ポイントは秋ケ瀬の堰の上流で、常に上流から下流に強い流れがあった。ポイントは羽根倉橋及びその少し上流のテトラとビン沼吐き出しだった。秋ケ瀬の堰の下流にもポイントがあったが、干満による水位の差が激しく水も汚かったのであまり行かなかった。釣りに行ったうち、半分はナイターだったと思う。

テトラの穴を見つけて釣る釣り方で、六脚ブロック上に釣台を設置し、18尺天々の中通し、錘は1.52.5号くらいだったが、それでも流れが強い時には釣りにならなかった。とにかく毎回のように根掛かりし、閉口したが、アタリも多かった。へらはなかなか釣れず、マブ、ニゴイ(セイタンボと地元では呼んでいた)、レンギョ、ウグイに巨大な金魚やウナギまで釣れた。

当時の中通し仕掛けの常識は極端に短いハリスを使うことだった。特に荒川では、「マッチ箱」と言われ、マッチ箱の縦×横のサイズのハリスを使うのが常識だった。ハリスが長いとアタリが出にくいだろうとの極常識的な考えに基づくものだった。

ある時ナイターをしている時、2.5号のドボンで落ち込みの途中で浮子が立つ前に持って行かれたことがあった。何とウグイがハリを飲み込んでいたのだが、真っ暗でもウグイはドボンの落ち込みの餌を追えるものなのかと感心した(シンジラレナーイ!)。

 またある時、羽根倉橋で1人でナイターをやっていた時、型の良いへらが釣れたのだが、すくった時にタモの中で暴れ、水を被ってしまった。そのおかげで、ナイターでは生命線の蚊取り線香の火が消えてしまい、ヤブ蚊の猛攻に遭ってしまった。とても冷静ではいられず、道具を片づけるのももどかしく、早々に退散した。


小さい時 4 初野グ・

2007-03-12 20:43:01 | 想い出

小さい頃は、高麗川(こまがわ)にヤマベ釣りに毎年通った。高麗川は、浦和の自宅からかなり遠く、車でかなり時間がかかったと記憶している。丘陵地帯から山地に変わるところにお気に入りのポイントがあり、何時もそこに通った。高麗川が大きく馬蹄形に蛇行いるところで、対岸は山で、切り立っていた(現在の入間郡毛呂山町の埼玉医科大学のそば)。非常に幽玄な環境で、そこは何時も別世界のようだった。何時もコジュケイの鳴き声が山に木霊し、夏はヒグラシの大合唱が聞けた。都会では見たことのないトンボがたくさんいた。桑畑にはスズメバチモドキ(カミキリムシ)が見られ、山にはカブトがいた。対岸の山の上には八高線が走っており、当時は蒸気機関車が走っていて、釣りをしていてもちらりと見えた。

半ズボンで、股までギリギリ立ち込み、サシを餌にして釣った。ヤマベ釣りは数が釣れる釣りである。100位は何時も釣ったと思う。川虫を餌にすると時たま大きなニジマスが釣れることもあったが、どこからか逃げてきたものだろう。

当時、「アンマ釣り」というのを教えられた。10尺ほどの竹竿に毛針仕掛け、水深の浅い玉砂利の瀬に立ち込み、足で玉砂利を荒らしながら、下流に向かって竿を全部水中にいれ、竿尻を持って竿を大きく前後に誘うと、足元から流れた川虫と下流に流した毛針がシンクロして面白いように良く釣れた。しかし、いくら釣れても浮子を見ながら合わせる釣りではなく、向こう合わせなので面白くなかった。

ある時、釣りの最中に、父に「帰ろう」と持ちかけたことがある。釣りに来て、私の方から帰りたいと言い出したことはそれまで1度もなかったので、父はすぐに察したようだった。ちり紙を差し出し、山でやって来いと言われた。それが私の初めての野グ・だった。


湯崎湖愛好者月例会

2007-03-10 19:06:59 | 釣行記

松、イエローカード2枚で退場

 1枚目は、何と試合開始前に出てしまった。試合開始のアナウンス前にエサを打ち始めてしまったのだ。すぐに審判の笛がなり、1枚目のカード。

 2枚目は、午後に出た。松が、巨大新べらをしとめて騒いでいると、離れた所で竿を振っていた早川浩雄審判長が竿を置き、おもむろに近づいてきたかと思ったらいきなり松に言い放ったのだ「その竿19尺だろ!」 松「そうです」 審判長「大会規定は、18尺までだぞ!」 松「・・・」この2枚目で松は残念ながら退場処分となりました。

 退場処分になったものの、審判長の判断により、釣果は有効とされ、松は65人中見事2位に入りました。私は、8尺で浅ダナとチョウチンを交互にやりましたが、決まらず、9位に終わりました。大井川さんは1フラシ「ドン」で終わりました。優勝は21kg台でした。

 当日の状況は非常に厳しく、簡単には釣れません。底の方が宙よりも出ている感じですが、あと1週間で状況がどう変るかがポイントになると思います。優勝ラインは20kg台になると予想しています。

問題:早川氏は遠くから見ただけで、どうして松が19尺を使っていると分かったのでしょうか?離れているので話し声は聞こえません。遠くから見ただけで分かったそうです。答えの分かった人はコメントください。最初の正解者には、リポD3本を進呈します。


小さい時 3 寒ブナ

2007-03-08 21:59:07 | 想い出

小さい頃は1月1日には、必ず父に連れられて初釣りに行った。富津でカレイの船釣りだったり、越谷の溜まりや土浦のドックでマブナ釣りだった。

越谷周辺には、用水路がたくさんあり、田んぼの時期には、利根大堰から水を引くため、満々と水を湛えていたが、稲刈りの時期から翌春までは、水が全くなくなり、限られた深場以外は干上がってしまった。魚は全てその深場の「溜まり」に集まるので、冬場はその溜まりで釣りをするのである。溜まりは釣人がそれこそ鈴なりに集まり非常に賑わっていた。8尺ほどの竿に非常に軽いシモリ仕掛け、餌はオカユ。わずかな水中ウキの揺れでアタリをとる非常に繊細な釣りだった。釣れるのは柿の種ほどの小鮒、これぞ寒ブナ釣りである。時たま大きなへらが掛かったが、今からすれば検量対象外の小ベラにすぎなかったかもしれない。


小さい時2 庭の池

2007-03-06 20:19:14 | 想い出

小さい頃は、釣った魚を家に持って帰るのが常だった。大きなマブナは昆布巻きにしたり、タナゴは白焼きにしてから調理していた。ヤマベやウグイも小さなものは唐揚げにして食べていた。しかし、ほとんどは食べずに庭の池に放して飼っていた。マブナは1日で多い日には200尾も300尾も釣れるので、それらを放す池もそれ相応に大きくなければならなかった。父は庭に、コンクリート製の池を2つ手作りした。そのほかに、睡蓮の鉢やら火鉢やらをいくつも並べて千尾以上の魚(ほとんどはマブナ)を飼っていたのである。私は、小学校から帰ると、毎日のように庭の池で釣りをしていた。飢えた魚は、入れ掛かりで子供にも面白くなかったので、釣りの前には、配合飼料を給餌した。こうすると、極端に食いが渋くなった。竿は竹ぼうきの先を使い、小さなマブナでも満月に曲がるようにした。取り込みは、自作のミニ玉網を使い、浮子は全長15cmのへら浮子だった。

 雨の日には、家の中から長い竿を出して釣りをし、夜になると懐中電灯をつけて浮子を照らしたり、家の中から竿を出したりしていた。何匹釣ったかは、当時からカウンターで記録し、毎日記録していた。多い日には1日で300尾以上の魚が釣れたことがあった。

池の魚が死ぬと必ず解剖していた。マブナには、雌しかいないことを小学校低学年の時には気が付いていた。子供心にも非常に不思議だと思っていた。


日研地区部懇親釣会

2007-03-05 20:08:27 | 釣行記

 全国から精鋭が集まる本大会、今まで、優勝を目指して毎年頑張ってきたが、どうしても優勝だけは未だ成し遂げられず、2位と3位が最高の順位で、悔しい思いをしてきた。今回は、白水湖ということで、タナ規程がなく、例年より暖かい。浅ダナを得意としている私にとっては優勝の最大のチャンスと思えたので、非常に気合いが入った。もし、ブッチギルとすれば、釣り方は8尺カッツケしかあり得ない。これで駄目なら諦めるしかない!!

今回は全国から200名を超える参加者があった。今年は、全桟橋を使っての大会となった。私は、湖のど真ん中にあたる、中央桟橋の中央付近を狙った。

朝一から8尺浅ダナで打ち続けるが1時間打っても無反応。その後単発的に当たって、1ボウル終了時に2枚となり、全く出ていない周りからすると、まずまずのペースと思われた。日中は、尻上がりに調子が出ると思って打ち続けるが、全く駄目。南中央桟橋突端で浅ダナをやっている松チャンと顔を見合わせるが、お互い首を捻るばかり。やがて底釣り組が釣れ始めるが、宙は全くの不発。お弁当の時間には、完全に諦め状態で、散歩後、幕の内弁当を食う始末。結局、宙は全く好転ぜずに、終了。12枚で終わってしまった。期待が大きかっただけに、落胆も大きかった。また、来年頑張りたい!!