日記

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ジャー先生

2015-06-02 14:30:08 | 日記

 

 もうそろそろ梅雨に入るそうな。このところ晴天続きで畑はカラカラである。今夜から雨になるようなので、豌豆や菜花など春野菜が終わった後に次の種を蒔いた。高い気温と水分で発芽は早いだろう。取り急ぎ、バジルとエンサイ(空芯菜ともいう)を蒔いた。あと余ったスペースにサツマイモを植えようかと考えている。梅雨の時期にやっておかないといけない。

 先日取れた第一号ズッキーニと胡瓜。私はズッキーニが好きなので、これまで3度ほどつくったことがあった。いずれも失敗、葉っぱが繁って花が咲いてかわいい実ができるのだけど、なぜか、大きくならないうちに先から腐ってくる。今年のは私としては最高、腐ってこないうちにさっさと切り取った。

 一昨日、二胡奏者ジャーパンファン先生のコンサートが宇多津であった。作曲家でありピアニストの美野春樹さんとのデュオであった。演奏曲目にめずらしく中国の曲が入ってなく、ジャー先生や美野春樹さん作曲の曲だったり、映画音楽が演奏され、心の琴線にふれるような美しい曲もいくつか演奏され、感動で涙がジワーッとなった観客も多かったのではなかろうか。私たち二胡教室の生徒は、前列齧り付きで、先生の一挙手一投足を食い入るように見つめている。先生の弓捌き、ビブラートをかける音かけない音の奏法、ビブラートのかけ方、等々、僅かでも技を盗みたいけれどまだまだ遠く足元にも及ばない。家に帰って音を出してみて、ガクッ、「こりゃあ、別物だぁー」

 ジャー先生は、ハルピンの北、黒竜江省の出身である。8歳で二胡を始め、18歳でプロを目指して北京へ。当時、北京へは汽車で38時間かかったそうである。黒竜江省といえばソビエトとの国境近い、すごく遠い田舎だった。大きな覚悟で北京に出てきたのだろうが、中国最高峰の中国中央民族楽団に合格したのがスゴイ! 一度目は落ちて、2度目で合格したとおっしゃっている。先生ご自身作曲の「睡蓮」という曲を弾くとき、いつもこれを書いたときのことを話される。朝、北京の北海公園を散歩していて、湖に咲く睡蓮を見てうかんだ曲であると。故郷の懐かしい家族や友人との思い出、プロとしての苦労、そんな先生の思いが詰まっている美しくもの悲しい曲である。

 先生は日本に来て27年になる。中国最高の楽団で10年間勤めて、日本に来られた。どうして?とおもわざるを得ない。が、今や先生は日本で独自の音楽を築かれている。様々な二胡の音色が流れてくるけれど、先生の音はすぐわかる。中国古来の二胡から一歩飛び出た、別の二胡の世界である。

 6月のレッスンはジャー先生がみてくださる。教室にはほかに二人の先生がいらっしゃるが、ジャー先生のレッスンが一番緊張する。怖いのである。欠点を即座に指摘する。できないと何度も弾かされる。レッスンのあと落ち込むときもあるけれど、これが進歩のミナモトである。あぁ、たのしみだなあ、目を皿のようにして、耳を研ぎ澄ませて、ジャー先生の演奏を見てこよう。

 コンサートの前に、友人とカフェでランチする。もとは料亭だったが、隣にカフェもやり始めたという。建物は古い。中は感じよく、今流行りの古民家カフェだ。お料理も手間がかかっていて、大変美味しかった。はしっこのテーブル席に座って、川向こうの大きなお屋敷を眺める。どこかの社長さんのお屋敷だろうか、車4台はいる車庫と、広い敷地に蔵やら屋敷が何棟か建っている。何人住んでいるんだろう、お掃除大変だろうなあ、なんて要らぬことを話している。

 


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