日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

肌寒いくらいに涼しい

2007-09-30 20:53:14 | インポート

 昨日から望んでいた雨が降り、一気に気温が下がり、寒いくらい。畑仕事がはかどるなあと、嬉しくなる。このところ、母やペットの面倒を見に、毎日実家に一往復二往復する。ボーっとしているのももったいないので、土をいじりはじめた。去年はちよっとやってみるかで、いいかげんなことをしたので、失敗ばかりだった。肥料不足で育たなかったり、虫に食われたり。今年は・・・、少し期待している。

 母の家の庭は、日本庭園である。母屋と庭の間に芝生を植えてあって、私の子供が小さい頃はその上にプールを置いて毎日水遊びをさせた。母はいつも、眼鏡をかけて一生懸命芝生の中の雑草をとっていた。屋敷が広いので、草取りに明け暮れる。ムキになってやっていた。今はもうそのようなことは全く記憶にないらしい。芝生は草ぼうぼう、けれども、芝に絡まった根っこは抜けないから、しかたなく鎌で刈る。私は大きな落葉樹を植えたい。ケヤキとか、街路樹で見るような大きな楓が好きだ。たぶん家にあわないだろうなあ。庭を私の好きなように変えたくて、図書館でその手の本を何冊も借りてきた。どうしたものか、知り合いの造園業に方に相談してみよう。

 先日、日記に書いた、某うどん屋さんのお接待のこと、何度となく前を通るのに、お腹がすいていなかったり、やはり少し気がおもかったりで、お詫びがのびのびになっていた。今日は丁度通りかかった時にお腹がすいていたし、時間帯もお昼のいそがしさを過ぎていたので、うどんを食べに寄った。釜揚げうどんを食べ終わって、さあ奥さんとお話ししなくっちゃ。奥さんもちょうどお昼を食べ終えたようだ。「こんにちわ」と近づいていくと、何事かと驚いたふう。お話すると、思ったとおりとても感じのよい人で、胸の痞えが一挙におりたきがした、このお店がハヤっているのも道理だ。この奥さんと明るい妹さんでもっているんだ。ひとつ気になっていたことが解決してホッとした。


笹ヶ峰縦走路

2007-09-25 23:00:48 | インポート

 気力と体力確認の為、かねてより想っていた一の谷橋から笹ヶ峰、寒風山、桑瀬峠のルートをあるいてみた。天気予報はマルのはずだったのに、桑瀬峠の登山口では曇りだった。先客さん3人組は寒風へいくそうな。私はここにマウンティンバイクを置いて、林道大田尾線に向かう。

 7キロ走って、一の谷橋手前300メートルくらいのところに車を停めた。さて登山口は?橋の傍から登るときいている。どこ、どこ?橋を通り越してキョロキョロ、おかしい。引き返してキョロキョロ。ようやく道路のしたに山道を見つけた。道路から登るとばかり思い込んでいたから、山側ばかり探していた。少しロスしてしまった。日が暮れるのが早くなっている。途中、順調にいかなかったら、笹ヶ峰まで行って、林道に下ろう。

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 尾根に出るまでの道は、自然林で沢もあり、変化に富んでいる。このコースで、一番好きだ道だと思った。増水時は渡渉が難しかろうが。途中、椎茸を採った。ちょうどおちごろの、山芍薬の種をみつけたので、もらって帰った。うまく芽がでますようにと、鉢に植えた。

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 雨は降らなかったが、ガスで視界は悪い。尾根は風がきつい。空を見ると、雲がビュンビュン飛んでいく。笹の露で下半身ずぶ濡れ、スニーカーの中に水が入って歩くたびグチユグチユいってる。紅葉谷分岐までのながかったこと。乳山の別れから、縦走路は斜面をトラバースする。笹が濡れていてツルツル滑ってたいへん歩きにくい。何度転んだことだろう。ツルッと滑って、落とし穴みたいなところに足をとられる。片手で斜面の笹を掴みながら、ゆっくり歩くしかない。

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 笹ヶ峰はもうすぐそこだ。空はすこしづつ晴れて来た。笹ヶ峰で11時15分だったので降りるのはやめて、縦走を続行することにした。弁当を食べて寒風に向かう。ここでやっと男性一人に出会う。ビデオカメラをまわしていた。そのあと2人組の女性に遇う。寒風でカメラマンの男性一人、桑瀬峠で3人組、平日だけどこれだけの登山客に遇った。でも駐車場に降りたとき車が何台もあったので驚いた。みんな何処いたのだろう。

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縦走路での、紅葉いちばんのり

笹ヶ峰、寒風の縦走路は抜群によかった。乳山の別れ、笹ヶ峰までの道は再び歩こうという気持ちにはならないなあ。

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右端が冠山、その左横鞍部から左の方にずっと歩いてきた。いつも振り返ると、あんなところからよく歩いてきたものだと、我ながら感心してしまう。

 桑瀬峠から下って、自転車までたどりついて、おしまいと言うわけにはいかない。7キロ先の車に行きつくまで、小1時間かかった。ゴトゴト道と太いタイヤで結構抵抗がある。下り坂とフラットなところは乗れたけれど、少しの上り坂もこげない。押してあるくしかない。午後からの強い日差しに閉口した。真夏並みだ。押したり乗ったりしながらやっと最後の長い上り坂。下りはもうないから、自転車を押して行くことはない。道路わきにおいてとぼとぼ登っていく。

 やっと車に辿り着いて、おつかれさま。目的達成、よかった。自転車を回収して帰路についた。5.5時間の行程だった。

 


久しぶりに岡田さん宅へ行く

2007-09-22 20:12:28 | インポート

 昨日、久しぶりに、観音寺のお魚を少し持って岡田さんを訪問した。というのは、4,5人のお客様から、「おとうさんは、お顔を出されなかった」と聞いていたからだ。ノートに、入院されたようなことが書かれてあった、とも聞いた。

 丁度お昼時で失礼と思いながら、「こんにちわー」と声をかけると、仕事を中断して若奥様が二階から降りてこられた。いつもながら、快活で感じのよい方だ。これから岡田さんの顔となられるだろう。

 さっそく、お父さんのことを尋ねた。1ヶ月前から入院していたけれども、もうよくなって、来週退院なさるそうだ。脊髄の病気だったらしい。腰が痛いと言って入院され、点滴など受けて治療していたのだそうだ。2年くらい前だったか、やはり入院されたことがあるので、なにか持病でも?と心配したが、仕事に復帰したくてうずうずしておいでの様子、本当によかった。これからもあの笑顔でお客様を迎えてあげてください。

 気になっていたことも聞いてみた。岡田さんに置かせていただいている、観音寺までの地図だ。某うどんやさんが、おあいその時、歩き遍路さんに100円バックしているのを見て、その地図に書き込んだのだった。バックされるのが当然みたいに。この間からその部分を白く塗りつぶしてある地図をお客さんが持っている。あ、まずかったかな、思った。岡田の若奥様に伺うと、やはり、「お店のほうから電話があって、あれはお接待でしていることで、状況によってはできないこともあるので、書かないで欲しいと言われた」そうだ。

 私は、なんと軽はずみなことをしてしまったんだろう。お接待の気持ちは、自然に生まれるべきなのに、ありがたいお接待が義務になってしまう。何かトラブルが起こったかもしれないが、あの店を切り盛りされている奥さんは落ち着いた感じの頭のいい方なので、きっとうまく対処してくださったろう。お店の方、お遍路さん、岡田さん、不快なお気持ちにさせてしまったかもしれません。ごめんなさい。考えの浅はかさから、時々とんでもない失敗をする。とてもおちこんでしまった。お店にお詫びにいかなくては。


オーストラリア、5

2007-09-21 18:37:03 | インポート

 デクラン宅のパーティでは、ゲイの人が3人はいたのだが、みんな気配り抜群で、明るく気さく、いい人たちだなあと思った。特にデクランは、娘がとても頼りにしている、お姉さん?みたいな人だそうな。温かい人たちにめぐまれて幸せものだ。

 2年近く前、ワーキングホリディーに行くと聞いたときはびっくりした。仕事を辞めてアルバイトに専念して、持っていた貯金とあわせて資金をつくった。誰も知り合いのない国にたった一人でいくという。本より勉強嫌いの娘に英語がしゃべれるはずもない。最初のホームステイのとき、あまりに英語ができなくてステイ先のおかあさんがびっくりしたのだそうだ。しゃべれない子は、自然と日本人グループの中で過ごすことが多くなり、おかあさんに、終に、「何をしにきたの?」と叱られたそうだ。で、一念発起、つとめて日本人がいない場所に身をおくことにし、英語を猛勉強、学校に入れる語学力をつけることができた。末っ子で泣き虫の子のどこにそんな度胸と自立心があったのか、驚かされる。渡って行った当初は「事件に巻き込まれて行方不明になったとしても、誰もあんたのことをしらないでは困る。友達をこしらえて、何人かの人には住所を知っといてもらうように」といっておいたが、今はほとんど心配していない。オーストラリア行きは、おおきな意味があったと思う。

 今、少しずつメイクの仕事が入ってきて、お金をもらえているらしい。自立にすこしでも近づいて、私も嬉しい。何より、目標を少しずつ達成しつつある娘のがんばりが嬉しい。たくさんの国の若者が、この国で稼ぎ、暮らしたいと頑張っている。

 帰りの飛行機はシドニー乗り継ぎ、1時間半しか余裕がなかった。とても不安だったので切符を買った日本の旅行会社に電話して「また乗り遅れたらどうするの?」と聞いてみた。基本的に、1時間あれば乗り継ぎ可能とされていて、切符は売られるのだそうだ。

 メルボルン発8時30分、タクシーで駅まで行きシャトルバスに乗り換えて空港まで行くことにした。タクシーの運転手が交渉してくる。二人でシャトルバスに乗って50何ドルかかかる、このまま空港まで50ドルで行ってやる、ということだった。私はもちろん話の内容はチンプンカンプン、娘のおかげで楽に空港まで行けた。運転手、空港少し手前だったが、50ドルのところで料金メーターをパタッとおろしてくれた。良心的な人だった。

 搭乗手続きも彼女におまかせ。タクシーだったから予定より随分はやく着いてしまった。飛行機は遅れるだろうからと、1便早いのを勧められ、これなら乗り継ぎも安全、そうすることにした。預けるバッグもシドニーで受け取るのでなく、直接関空にはこんでくれる。これは助かる。荷物の持ち出しについても信じられないくらい緩い。何の検査もなかった。

 ここからは緊張、搭乗口で待つあいだも、いつも掲示板を見る。どうやら遅れているようだ。やっと飛行機は飛び立ってシドニーへ。インターナショナルポートへ迷わないようにいかなくっちゃ。標識を注意して見ながら広いロビーを歩いていくとバス乗り場に着いた。これが国際線乗り場行バスだった。バスは道路ではなく、飛行場内を走った。今度はスムーズに乗り換えできそうだ。関空行の搭乗口では日本人ばかり、それも大阪のオバチャン。ここまでくればもう安心。

 飛行機がゆっくりと滑走路に向かう。窓から大陸の風景を眺める。アッチャン(むすめ)もデクランもコージ君も美容師のさっちゃんもみんな元気で頑張ってね。夢のために!

若者達の心を惹きつけるこの大陸、彼らにエールをおくりながら涙が滲む。

 隣の席のアジア人、フィッシングの英語のカタログをみている。日本人と分かって話をすると、リタイアしてオーストラリアの海の上でヨットに住んでいるとか。滞在の期限が近づいたので日本に手続きに帰るのだそうだ。なんだかみんなスケールが違うなあ。

 楽しみの機内食に缶ビールも注文して、一眠り・・・。眠りからさめたらもうすぐ日本だった。


オーストラリア、4

2007-09-18 22:42:24 | インポート

100_0148 サウス・ヤラを散策

写真はジャム・ファクトリー、昔ジャム工場だった?

中はファッションのお店が入っている。

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娘が通う学校、日本で言う、アート系の専門学校のようなところだろうか。彼女はメイクを勉強している。例えばCimg5071

こんな顔をつくる。この写真を孫のこうちゃんに見せたら、「ブタさん、こわい~」といって泣き出す。それで、「これはシメタ」と、お母さんは、きかん坊のこうちゃんに、いうことをきかせる切り札として、プリントアウトして持って帰った。

 いよいよ最後の夜。娘のタイ人の友達、デクランのうちのディナーに呼ばれている。路面電車トラムを乗り継いで、ずいぶん郊外へ行ったような気がする。トラムストップまで彼が車で迎えにきてくれた。静かな住宅街の1軒やに4人で住んでいる。皆ゲイなのだそうだ。オーナーはかなり年配の男性で、奥さんも子供もいるらしいが、みたところ、どうも男性がお好みのような気がする。

 キッチンでは、デクランと友達が、賑やかに料理をしている。そのうちタイ人の女の子、ネパール人の男性、オージーなど次々とやってきて、総勢11人となった。100_0195

100_0196 パパイヤをけずるのは娘のシゴト

ソムタムというサラダをつくる

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 内臓肉を茹でて、細かく切ってサラダに。

出来上がった料理がテーブルに並ぶ。

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奥はトム・ヤム・キチン、とても美味しかった。

皆おなかがすいていたのか、料理が並ぶと、待ち構えていたかのように食べ始めた。さすが青唐辛子のソースは激辛で、タイ人以外は食べていなかった。娘が通訳してくれる以外、しゃべっていることはほとんど解らなかったが、皆明るく陽気で、全くかたが張らず、久しぶりのタイ料理はとても美味しいし、リラックスできたパーティだった。もっとも、娘がそばにいたから楽しめたんだけど。100_0199

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年配の人がこの家のオーナー

後ろがデクラン