デクラン宅のパーティでは、ゲイの人が3人はいたのだが、みんな気配り抜群で、明るく気さく、いい人たちだなあと思った。特にデクランは、娘がとても頼りにしている、お姉さん?みたいな人だそうな。温かい人たちにめぐまれて幸せものだ。
2年近く前、ワーキングホリディーに行くと聞いたときはびっくりした。仕事を辞めてアルバイトに専念して、持っていた貯金とあわせて資金をつくった。誰も知り合いのない国にたった一人でいくという。本より勉強嫌いの娘に英語がしゃべれるはずもない。最初のホームステイのとき、あまりに英語ができなくてステイ先のおかあさんがびっくりしたのだそうだ。しゃべれない子は、自然と日本人グループの中で過ごすことが多くなり、おかあさんに、終に、「何をしにきたの?」と叱られたそうだ。で、一念発起、つとめて日本人がいない場所に身をおくことにし、英語を猛勉強、学校に入れる語学力をつけることができた。末っ子で泣き虫の子のどこにそんな度胸と自立心があったのか、驚かされる。渡って行った当初は「事件に巻き込まれて行方不明になったとしても、誰もあんたのことをしらないでは困る。友達をこしらえて、何人かの人には住所を知っといてもらうように」といっておいたが、今はほとんど心配していない。オーストラリア行きは、おおきな意味があったと思う。
今、少しずつメイクの仕事が入ってきて、お金をもらえているらしい。自立にすこしでも近づいて、私も嬉しい。何より、目標を少しずつ達成しつつある娘のがんばりが嬉しい。たくさんの国の若者が、この国で稼ぎ、暮らしたいと頑張っている。
帰りの飛行機はシドニー乗り継ぎ、1時間半しか余裕がなかった。とても不安だったので切符を買った日本の旅行会社に電話して「また乗り遅れたらどうするの?」と聞いてみた。基本的に、1時間あれば乗り継ぎ可能とされていて、切符は売られるのだそうだ。
メルボルン発8時30分、タクシーで駅まで行きシャトルバスに乗り換えて空港まで行くことにした。タクシーの運転手が交渉してくる。二人でシャトルバスに乗って50何ドルかかかる、このまま空港まで50ドルで行ってやる、ということだった。私はもちろん話の内容はチンプンカンプン、娘のおかげで楽に空港まで行けた。運転手、空港少し手前だったが、50ドルのところで料金メーターをパタッとおろしてくれた。良心的な人だった。
搭乗手続きも彼女におまかせ。タクシーだったから予定より随分はやく着いてしまった。飛行機は遅れるだろうからと、1便早いのを勧められ、これなら乗り継ぎも安全、そうすることにした。預けるバッグもシドニーで受け取るのでなく、直接関空にはこんでくれる。これは助かる。荷物の持ち出しについても信じられないくらい緩い。何の検査もなかった。
ここからは緊張、搭乗口で待つあいだも、いつも掲示板を見る。どうやら遅れているようだ。やっと飛行機は飛び立ってシドニーへ。インターナショナルポートへ迷わないようにいかなくっちゃ。標識を注意して見ながら広いロビーを歩いていくとバス乗り場に着いた。これが国際線乗り場行バスだった。バスは道路ではなく、飛行場内を走った。今度はスムーズに乗り換えできそうだ。関空行の搭乗口では日本人ばかり、それも大阪のオバチャン。ここまでくればもう安心。
飛行機がゆっくりと滑走路に向かう。窓から大陸の風景を眺める。アッチャン(むすめ)もデクランもコージ君も美容師のさっちゃんもみんな元気で頑張ってね。夢のために!
若者達の心を惹きつけるこの大陸、彼らにエールをおくりながら涙が滲む。
隣の席のアジア人、フィッシングの英語のカタログをみている。日本人と分かって話をすると、リタイアしてオーストラリアの海の上でヨットに住んでいるとか。滞在の期限が近づいたので日本に手続きに帰るのだそうだ。なんだかみんなスケールが違うなあ。
楽しみの機内食に缶ビールも注文して、一眠り・・・。眠りからさめたらもうすぐ日本だった。