日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

山、再開

2017-09-26 23:11:27 | 日記

 

 3年前に見つけたオオモミジタケの群生スポットへ行ってみると・・・、ありました、ありました。去年、一昨年は時期は遅れたのと、誰か他に採る人がいたのか、残念ながら、ほとんど手に入らなかった。今年は、あるかな?どうかな?と心配しつつ山を登って行くと、登山道ど真ん中にたくさん! 踏んづけた跡もないし、採られた形跡もない。ラッキー、独り占めだ。欲張って、背中のデイパックと、両手にレジ袋いっぱいに詰め込んだキノコを提げて下った。重すぎて指が痺れた。このキノコはとても大きい。携帯を乗せている画像でわかるように、大きいものは40センチくらいあった。キノコが好きな友人におすそ分けしてもまだまだ沢山ある。洗って鍋にいれ、火を通し、冷凍した。

 この間の日曜日、久しぶりに山に登った。剣山系、小桧曾山である。かなり上まで車でいけるので楽な山だ。樹林帯を抜けると、なだらかな笹原が広がり、暑くも寒くもなく、初秋の爽やかな風が吹き渡る。これを体感するために、この景色を見るために、汗かいて登ってくるんだね。

  

 

 倒木や立ち枯れた木がたくさんあったけれど、目ぼしいキノコはない。ブナの巨木の森で、ブナハリタケが見つかるかなと期待したけれどなかった。ムキタケも見つからない。怪しげなキノコを数種持って帰って、キノコの本と照らし合わせる。同定するのは難く、毒キノコでないと言い切れない。詳しい人と一緒に採集して、教えてもらうと覚えるとおもうのだが。

 2か月近く山に行かなかったのは、左膝を痛めていたからだ。たぶん15年くらい前に捻ったところが何かのひょうしに具合悪くなったと思う。医者も行かず勝手に診断している。行かなくちゃと思ってはいたけれど、このあたりの、主に年寄が行く整形外科へ行っても、期待できないかなと判断して、見てもらうならスポーツ選手が行くようなところがいいなあと思っていた。と言いつつ、ずるずる2か月経ち、少しずつ改善しているのでこのまま様子をみている。年のせいだろうか、あまりに治りが遅い。しびれをきらして、試しに軽めの山に登ったわけだ。サポーター巻いて、ストックを持って。これからは下りで決して走ってはいけない、ゆっくり膝と会話しながら降りよう。

 

 


プレゼント

2017-09-18 21:47:29 | 日記

 台風一過、今日は空気が澄み切ったいい天気だった。大気中の埃や微粒子を吹き払ってくれたようだ。今は北海道で猛威をふるっているらしい。昨日、観音寺の隣の三豊市で土砂崩れがあり、お年寄りが一人埋もれてなくなったらしい。山の麓の家、河や海の傍の家は怖いな。避難勧告が何度も携帯に入ってきたのに、動かなかったんだね。

 畑の草取りをしていたら、アゲハ蝶がすぐ傍で、ひらひら飛んでは三つ葉にとまって、お尻を丸めて葉っぱにくっつけている。ははー、卵を産み付けているんだ。蝶が離れた後を見ると、1ミリくらいの白いまるいのが一個、三つ葉の上に乗っている。アゲハは、私から1メートルくらいのところで、飛んでは止まり、止まっては隣に移り、忙し気に何個も産み付けて行った。すぐそばで、私ががさごそ草ぬきをしているにもかかわらずだ。自分の命の危険をも顧みず、子孫を残すために頑張っている。「あんたなんかにかかわっている暇ないよ。今は出産に大忙しなんだから!」昨日の嵐ではどこに避難していたのだろう。たぶん一日遅れた分、慌てて産んでるんだろうなあ。これから寒くなっていく。早く大きくなって蛹にならないと。庭には、そこかしこに三つ葉が生えている。よく見ると、アゲハの3,4センチくらいの幼虫がたくさんいる。食料は足りるだろうか、心配になる。

 年金を振り込んでいる銀行から、お誕生祝といっていただいた直径25センチくらいの深めの器、わざわざ女性行員が自宅まで持ってきてくれた。「ありがとう」と箱を受け取ったとき、その重量から、お醤油か何か調味料かな、なんて推測したら、このような桂由美デザインの器だった。ガックリ・・・、頂いておいて文句をいうのもなんだが、どこの家の押し入れにも、頂き物の器類が箱にはいったまま放り込まれていて、処分を待っている。何年も使われず、終活の一つとして、この間思い切って食器をたくさん捨てた。どうせ頂けるなら、食べ物か、消耗品でお願いしたいなあ。中身が分かっていたら、多分遠慮したと思う。私がモノを増やしたくない。器というのは、好みもあって、プレゼントするのは難しい。

 景気のいい、大量に作っては捨てていたころ、やたらと客にプレゼントし、もらってもほとんど不必要なもので、大半は押し入れに山積みされている。あの時代を少しは反省しているはずなのに、まだこの銀行では昔の習慣がのこっているのかな。器の好きな方がいるのか、以前から陶器類をいただくことが多い。来年の誕生日には、中身の確認をして、ありがたく頂こう。


台風被害

2017-09-17 21:35:04 | 日記

 久々に、台風にひやひやさせられた。横殴りの雨がくると、どこからか雨が家の中に入ってくる。50年も前の、鉄のサッシの隙間からシミ出てくるのだ。今日は長時間暴風雨に見舞われた。しみ出るどころか、もうボタボタと落ちてくる。今漸く風も雨も治まり、一安心、落ち着いて眠れる。明日は台風の片付けで忙しくなるだろう。電気系統が故障したので、その手配もしなくてはいけない。

 ふと思った。古い旅館が次々と廃業していくのはこういうことだな。老朽化した建物を修理していく元気も、だんだんなくなっていく。自分の健康や建物に不具合が生じると、いつも落ち込んでしまう。

 今回の台風では、観音寺でも一部の地域で避難勧告が出た。河の水量が危険水位まで上がったけれど、多分被害はでていないだろう。テレビが、アンテナの故障か映らないので、情報が入らない。久しぶりの恐ろしいくらいの暴風雨だったが、そんな中、カラスが強風に吹き飛ばされながらも、空中を何処かへ飛んで行ったので、おどろいてしまった。不要不急でなく、彼らの大事な用事があるのだろう。まだ暗い早朝と夕方、うちの傍はカラスの集会場になる。不気味なほど沢山集まって、電線や建物にとまっている。路上に落とされたフンは迷惑だけど、毎日見ていたら情もわいて、あまり毛嫌いするのはかわいそうに思う。

 昨日は、香港からお出でた男性2人組が泊った。岡山空港に降りて、一週間、折り畳み自転車で瀬戸内をぐるっと回るらしい。気になるのは台風だ。台風は、ゆっくりやってきたので、朝少し観音寺を観光して、11時ごろJRで今治に向かった。きっと風がきつくなる前に宿泊所に着いたと思う。あしたからはきっといい天気、サイクリングを楽しめる。自転車のハンドルにスマホを取りつけて、イヤホンで聞く。腕にはアップルウォッチをしている。文明の器機を駆使して、知らない土地でも全く問題なく旅行している。私など未だに重たいガイド本を片手にウロウロしている。


初物、栗ごはん

2017-09-08 10:01:15 | 日記

 昨日、香川県に竜巻注意報が出たそのあと、急に土砂降りの雨と雷に見舞われた。1時間くらいで小降りになり、畑に丁度良い加減の雨だった。ここでは少し雨不足だったのだ。しかし、高知の早明浦ダムでは依然貯水率が下がったまま、依存している高松では水の使用を制限しているらしい。

 今朝は夜明けとともに青空が広がり、日差しはまだつよいものの、爽やかである。庭からツクツクボウシの声が名残惜しそうに聞こえてきたが直ぐ鳴き止んだ。まだ蝉がいるんだ、と驚いた。一生を終えるのももう間近と思うと、哀れだ。

 

 産直市に栗が並び始め、秋を実感していたところ、一昨日、雲辺寺登山口、奥谷のSさんが持ってきてくださった。初物である。早速その日のお遍路さん、おひとりのお客さまだったが、栗ご飯をこしらえた。栗やきのこの季節だねえ。採りに行きたいなあ。

 昨日の新聞を読んでいたら、宮崎県のことだったか、記者などを集めてマダニの説明をしていたら逃走されたということだった。可笑しくて笑ってしまった。ウィルスを持っているのはほんの数パーセントのダニなので、心配はいらないだろう。殺虫剤を撒いたり、床を拭いたりしたそうだ。私も自分に取り付いていたダニを生け捕りにして、フイルムケースに保管したことがある。体調が悪くなったら病院にもっていって調べてもらおうと思ったのだ。ダニは1週間くらいで死んでしまった。ウィルスにも感染していない、と思う。軽い症状でやり過ごしてしまう、ということもあるのだろうか。薬を開発してほしいものだ。


11回目のトライアスロン大会

2017-09-04 09:03:39 | 日記

 小笠原諸島に台風が来たあたりから、ここ観音寺でも急に涼しくなった。夜は冷房より掛布団が必要だ。昼間の日差しはまだきついけれど、空の色は青く澄み渡っているし、部屋に入ってくる風も湿気が少なく爽やかだ。暑い夏は過ぎ去ったようである。

 昨日は、観音寺で11回目のトライアスロン大会が開催された。気候が涼しかったので、選手も応援もたすかった。毎年泊ってくれている国士館大学は、観音寺でやり始めて以来、11年間のお馴染みさんなのだ。始めの頃、複数の大学の選手達が泊まっていたが、ここ数年は国士館の選手と応援団で満員している。10年前のことを思い出す。あの頃は2食付きだったので、ご飯の支度にへとへとで、応援など行く暇も元気もなかった。そのうち、素泊まりで、夜は外食、朝昼はコンビニやスーパーで食料を買ってきて食べるようになった。もちろん、うどんは一日一食は欠かせない。近辺の、ファミレスなど外食産業もとても混んでいたはずである。選手200人に加え、応援の学生や家族がそれ以上集まったと思う。通りはロードレーサーに乗った若者が走り回り、年寄りの町が活気づく。この大会は観音寺の一大イベントとなっている。うちでも、忙しくて緊張するのは、トライアスロンとゴールデンウイークで、これは二大イベントなのだ。

 ランのコース内に自宅がある叔父は、数年前から、家の前に飲み物やお菓子を準備して、応援に参加するのを楽しみにしている。選手が走ってくるたびに、バケツをガンガン叩いて「にいちゃん、頑張れよー」「○○大学、負けるなよー」と声援を送る。うちの選手たちは、レースが終わって帰ってくると、「応援ありがとうございました」と丁寧に挨拶してくれる。苦しい走りの途中で、大学名やナンバーをいれた声援を聞くときっと元気が出るはずだ。先ず走ってくる選手のユニフォームを見て国士館を確認、プログラムを見てナンバーから名前を確認、叔父さんに告げて「○○、頑張れよー」と叫んでもらう。しかし、この作業、間に合わず、走り過ぎた背中に声をかける。国士館では4人の選手が予選に勝ち抜いてきていたが、一人はバイクで失格、3人が走っていた。このくらいならば、走ってくる選手からなんとか見つけることができる。スイムやバイクでは無理、個別の応援はランがし易い。でも、もう少し応援の観衆が欲しいなあ。という自分も、いつも海辺まで行って見るスイム、用事をしていたら、見逃すことになった。