日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

うどん

2019-03-31 16:30:11 | 日記

    

 5年前、新しく建てた建物の横に、運び込まれた土に混じっていたのか、築後1年経って先ずスギナが現れ、今では毎日ツクシが取れる。お客様の天婦羅の一品になる。煮つけにするほどは、ない。この間も、「これツクシですね!」と、天婦羅をつまみ上げて、懐かしそうにおっしゃっていた。私たちの年代は、子供の頃、よくツクシを採って食べたのだ。

 

 善通寺で、茶道の勉強会や茶会が時々催されるので、年に数回、行く機会がある。お寺の裏手の駐車場の近くに昔から「大師うどん」といううどん屋があった。今その場所に、2回入れ替わって、「たんたかたーん」とかいううどん屋さんになっている。道路を挟んで向かいには、昔はなかったセルフうどんの店もできている。こちらは店の外に列ができている。

 「たんたかたーん」とはどんなうどん屋かというと、写真のような、必要以上に大きな器にうどんが入っている。店に入って「かけうどん、ください」というと「かけうどんはありません」といわれた。4,5種類のうどんメニューがあったろうか。そのうち一番安い、5百いくらだったかな、上のようなうどんを注文。大きなどんぶりに麺と薬味が入っていて、客の前で汁をかける。ちくわともう一品の揚げたて天婦羅がついてくる。品がくるまで普通のうどん屋よりは待たされる。その日は混んでいたせいか、長く待った気がする。という具合で、この店は客の回転が悪い。けれど、ゆっくり、家族や友人、親類と食事をするにはいいかもしれない。少し毛色の違ったうどん屋である。この頃、うどん屋も個性を出していかないとやっていけないのかな。それにしても、この鉢を洗うの重くてたいへんだろうな、とか、置き場所に困らないのだろうか、なんて心配してしまう。

 私は、小腹が、空いたとき、よくセルフうどんに行く。この間隣の席に、外国人男性二人が座った。チラチラ観察すると、やはり麺はすすらない。行儀よく、音をたてず、少しずつゆっくり食べていた。日本人の勢いよくうどんを吸い上げる食べ方は、あちらではうけ入れられない。けれど、これが日本の文化である。食器は手で持つ、スープ類は音を立てて飲んでよい、麺もズルズルッと啜ってよい、など。それと、ゲップは多少許されるけれど、オナラは人前でやってはいけない。これは欧米と反対のような気がする。

 うどんは安くてあっさりして好きだけど、たまにラーメンを食べようかなんて気になる。うどんの倍の値段はするけれど、こってりして腹持ちがいい。どちらにしても、私はスープもほとんどいただく。スープを残すなんてもったいない。


利休忌

2019-03-28 20:37:49 | 日記

  

 善通寺の涅槃桜は、もうほとんど終わっていた。けれども、まだ、甘い香りが少し漂っている。

 今年の利休忌は、24日に善通寺で行われた。香川県に5つある支部が当番で主催する。今年は観音寺が当たっていた。

 

 8時過ぎのお寺は、まだとても静か。お天気もいいし、きっと大勢の人がお参りに来るだろう。

 いろは会館3階、拝服席の掛け軸。「福禄寿」七福神の一人のことらしい。3つの漢字の傍に違った花押が書かれている。3人が一字ずつ書かれたらしい。

 私は22歳のころから3年間くらい茶道を習っていたが、結婚出産などでお稽古に通う余裕がなくなり、縁が切れていた。ところが、10年前のこと、機会あって、再度茶道を勉強することとなった。

 昔は先生も生徒も若くて活気があった。お茶やお華を習うことは、花嫁修業だった。時代は変わって、今は若い人の入門はとても少ない。先生方は、亡くなられたり、ご高齢になられた。次の世代は育っているのだろうかと心配になる。私ごときが憂うることではないけれど。

 茶道の教室をもったり、茶会を開いたりするには、高価な茶道具が必要だ。やはり先代から受け継ぐのが普通だ。私の先生のところでは、娘さんが跡を継がれるようだ。先生の、亡くなったお母さんも、茶道を教えていた。娘さんが継いでくれるという安泰な社中もほかに2,3あるようだ。細々とではあるけれど、しっかりと繋げていけたらいいのかな。「利休忌も、いつまで続けて行けるかわかりません。香川ではまだやれるけれど、ほかの地域ではやめたところもある。」と先生。この日、私たちが関わった茶席で550人くらいのお客さまを受け入れている。このような大きな式典を催すには、仕事をする人、立派な茶道具、運営する能力のある人、が必要。

 式の当日は8時集合だった。前日土曜日から、お席や茶わんは、ちゃんと準備できている。私は専ら水屋の仕事だ。殆どの人が着物を着てテキパキと仕事をしている。袂が邪魔になったり、裾裁きが悪くて動きにくいはずだが、皆さん慣れているなと感心しきり。私はいつものように洋服にエプロン、主にお茶を点てる役割である。炭を入れたり、煙草盆を整えたりなんて仕事は、まだまだできそうにない。少しずつ、難しい仕事を教えてもらえたらなあと思う。水屋一人前には遥か遠い。勉強すべきことは尽きない。


石鎚山は若者ばかり

2019-03-18 18:42:20 | 日記

 今年、桜の開花が早かろうなと思っていたら、冬に少し逆戻りしたような寒波がやってきた。

 先週末、雲辺寺が白く雪を被っていた。今シーズン最後の雪山かなと思い、昨日日曜日、4年ぶりに石鎚に行った。高速を西条に向かって走っていると、雨がポツポツ落ちてくるではないか。今日は晴れるはずなのに。引き返そうか、いや、行ってみないと分からない、きっと晴れてくる。

 思いを巡らせながら、ロープウエイ乗り場に到着。駐車場では登山の準備をしている人を見かける。良かった、お仲間だ。少しテンションあがる。帰りは夜明峠から西之川登山口に下ろうと思って、パーキングを通り越して西之川登山口に車を停めた。駐車料金無料。準備をして乗り場へ行くと、先ほど見かけた人たちは先の便で上がったのか、ゴンドラには私ひとりぼっち。またテンション下がり、意気消沈。

 ゴンドラがどんどん上に行くにつれて、ガスで何も見えなくなった。

 

 成就社の、鳥居の向こうの神社の建物も見えない。登山道は新雪が積もったと言っても、少ない。尾根歩きだから、時折ゴーッと強い風に吹き飛ばされそうになる。向こうからきた年配の男性が、「真っ白で何も見えないよ。今日は夜にならないと天気が良くならないからやめた!」と言った。次に若い男性が下ってきた。諦めて帰るそうだ。私も、行けるところまで行って帰ろう、なんて気になった。時々心が折れそうになる。

 高知から来た3人組の若い女性が、後ろから追いついた。彼女らの出現は私に元気をくれた。おしゃべりしながら歩いた。どうも初心者らしく、頂上まで行く気はなかった。二の鎖の避難小屋でランチして帰るようだった。

 

 夜明峠では晴れ間も見えて、一気に声も弾む。若い女性の明るい声は、人を元気にさせてくれる。瓶ヶ森も一瞬姿を見せた。

 

 頂上と二の鎖の避難小屋。小屋には、男女7,8人の登山者がいた。内、5人が香川から来ていた。香川には高い山がないから、皆、今日がチャンスと思って頑張ってきたんだ。

 下ってくる二人の熟年男性を見たけれど、今日は全員若者だ。こんな日は、年寄は出てこないのかもしれない。

 

 頂上までに、二か所凍ったところがある。4年前の2月末に来た時も、凍っていて怖い思いをした。今回はもっと怖かった。年とったせいだろうか? 下りの堅い雪面、下は崖だ。滑ったら何百メートル落ちるのだろう。命はない。けれど驚いたことに、チェーンアイゼンとストックでここを登った若者が二人いた。「怖い、怖い」と叫んではいたけれど、本当に怖いならやめるだろう。楽しんでいたのかもしれない。若い子たちの無鉄砲さというか、怖いもの知らずというか、目の当たりにして、驚き、また、懐かしいものを思い出したような気がした。無鉄砲は若者が持つ特権と能力かな。

 私は天狗岳へは行かなかった。時折突風が吹いていたので無理をしてはいけないと思った。もしかして、気持ちがもう行けなくなったのかもしれない。

 下りは、夜明峠から西之川に10分ほど下って、登ってくる二人の若者に出遭った。誰も歩いた形跡がなく不安を感じていたが、彼らがトレースをつけてくれたと安心した。が、お兄さんの話だと、「行かない方がいい。登りはなんとか登れたけれど、下りは危ない箇所がある」彼らはトレランを趣味とする山を走る達人、冬山なのにスニーカー、手ぶらである。「山を甘く見てました。頂上は諦めて、今日は峠から帰ります。ロープウエイでおります」というわけで、私もひとりで下るのは不安を感じ、ロープウエイに切り替えた。彼らは、翌日は東赤石、西赤石を縦走するのだそうだ。走る、のである。「ちゃんと装備は持って行ってね」と言っておいた。彼ら、福岡からと京都から来ていた。石鎚に行ってもらえなかったのは残念かな。彼らの山の目的は、「走ること」で、「頂上を極めること」ではないのかもしれない。で、下りのゴンドラは、トレランの二人、香川からの三人組、お参りの二人、賑やかな旅となった。

 近年、登山をする若者が増えているんだろうか。いっとき、山へいけば熟年と年寄ばかりだった。若い人の道具の揃え方は、ネットで中古を買うことである。年よりは高価な道具を買って、揃えることに満足を感じている。若い人たちが、仲間を誘って気軽に山登りを楽しんだらいいと思う。

 


楽しそうなネコに癒される

2019-03-01 21:13:36 | 日記

   

 庭のミモザが満開。もう雪が降るほどの冬に戻ることはないのだろうか。山の雪はすっかり融けただろうなあ。グズグズしてると、蕗の薹を取り損ねてしまう。なんという暖冬だろう。

  

 母の家で飼っているネコたちは、戸を開けるとすぐに外に飛び出す。木登りしたり、畑を掘り返したり、楽しそうに遊ぶネコをみていると、しばらく眺めては癒される。この3匹は兄妹である。去年9月に、痩せて汚い黒い子2匹を保護した。マダラの女の子は、12月に風邪で弱っていたのを保護した。よくもまあ、こんな汚いガラのネコができたね、と笑ってしまうほど、全く規則性のない変な模様なのだ。放っておいたら多分死んでいただろうこの子たち、元気にたくましく育って幸せに暮らしている。でも、私の腰が調子悪くて、充分動けなかったときは、年とってネコのお世話ができなくなる現実を実感した。もうネコは拾って来られないぞ、と思ったのである。願わくば、この春、捨て猫に会いませんように。