5年前、新しく建てた建物の横に、運び込まれた土に混じっていたのか、築後1年経って先ずスギナが現れ、今では毎日ツクシが取れる。お客様の天婦羅の一品になる。煮つけにするほどは、ない。この間も、「これツクシですね!」と、天婦羅をつまみ上げて、懐かしそうにおっしゃっていた。私たちの年代は、子供の頃、よくツクシを採って食べたのだ。
善通寺で、茶道の勉強会や茶会が時々催されるので、年に数回、行く機会がある。お寺の裏手の駐車場の近くに昔から「大師うどん」といううどん屋があった。今その場所に、2回入れ替わって、「たんたかたーん」とかいううどん屋さんになっている。道路を挟んで向かいには、昔はなかったセルフうどんの店もできている。こちらは店の外に列ができている。
「たんたかたーん」とはどんなうどん屋かというと、写真のような、必要以上に大きな器にうどんが入っている。店に入って「かけうどん、ください」というと「かけうどんはありません」といわれた。4,5種類のうどんメニューがあったろうか。そのうち一番安い、5百いくらだったかな、上のようなうどんを注文。大きなどんぶりに麺と薬味が入っていて、客の前で汁をかける。ちくわともう一品の揚げたて天婦羅がついてくる。品がくるまで普通のうどん屋よりは待たされる。その日は混んでいたせいか、長く待った気がする。という具合で、この店は客の回転が悪い。けれど、ゆっくり、家族や友人、親類と食事をするにはいいかもしれない。少し毛色の違ったうどん屋である。この頃、うどん屋も個性を出していかないとやっていけないのかな。それにしても、この鉢を洗うの重くてたいへんだろうな、とか、置き場所に困らないのだろうか、なんて心配してしまう。
私は、小腹が、空いたとき、よくセルフうどんに行く。この間隣の席に、外国人男性二人が座った。チラチラ観察すると、やはり麺はすすらない。行儀よく、音をたてず、少しずつゆっくり食べていた。日本人の勢いよくうどんを吸い上げる食べ方は、あちらではうけ入れられない。けれど、これが日本の文化である。食器は手で持つ、スープ類は音を立てて飲んでよい、麺もズルズルッと啜ってよい、など。それと、ゲップは多少許されるけれど、オナラは人前でやってはいけない。これは欧米と反対のような気がする。
うどんは安くてあっさりして好きだけど、たまにラーメンを食べようかなんて気になる。うどんの倍の値段はするけれど、こってりして腹持ちがいい。どちらにしても、私はスープもほとんどいただく。スープを残すなんてもったいない。