今年は本当に寒い。今日も、少しだけど雪が舞っていた。雲辺寺に白いベールがかかっていたから、又積もったろう。雲辺寺で充分雪山トレーニングができそうだ。
玉緒の死はもうそこに迫っている。随分痩せてしまったし、体も冷たい。最後の蝋燭のようにすーっと消えるのだろうか。
この10日、玉緒が唯一口にする食べ物はコーヒー用ミルクだったが、もう半分しか舐めなくなった。ヨロヨロしながらも、水を飲みにコタツから出てくる。時折出てくるのは、人好きの玉緒が私の顔を見たいからかもしれない。頭や鼻づらを撫でてやると、ゴロゴロとはもういわないけれど、気持ちよさそうな顔をする。水だけでも、何日も生きられるんだなあ。人ならば「ああ、苦しい。早く楽にしてくれ」と訴えるだろうなあ。とっくに透析している筈だ。
人も動物もなかなか死ねないものだ。心とは別に、細胞が生きようとする生理的な力ってすごい。誰しも苦しまずにポックリ死にたいと願っている。
このあいだ、行きつけの医院に母を連れて行った。いつもは私がクスリだけ貰いに行くのだが、2ヶ月に1度くらいは診察をうけなければいけない。血液検査と、認知症の検査をしてもらった。認知症は、看護婦さんと別の部屋でテストを受ける。記憶力、引き算、ものの名前をあげるなどのテストだ。それが終わって、出てきた母の足取りと口の達者なこと!
「子供の小遣いのことで相談にのってもらってたんですよ」
と看護婦さんがにこやかに言う。母が
「貯金ばこは中が見えるようなものにしてあげること、これ常識よ」
なんて、しっかりとしゃべっている。まったくボケていない。いつもぼーっとした雰囲気なのに、このときはしゃきっとしていた。見違えるようだった。10年前の母の姿だ。
ウーン、なるほど、これは驚いた。母の教師魂は、しっかり心身に染み付いているんだ。デイサービスから帰った時も「勤めに行ってた」とか「学校へ行ってた」とかいう。母が教師に戻れる場があったなら、きっと脳は活性化されるに違いない。最近、母に適したグループホームを捜している。もうそろそろ限界かと思う。母が先生をして、生徒さん役のお年寄りが居てくれるようなホームがあったら最適なんだけど。