日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

2017年、大晦日

2017-12-31 21:03:38 | 日記

 ついに大晦日と相成りました。

 今日したこと。先ず、足らずの年賀状を買いに行って、写真をプリントして、数枚書いて郵便局へもって行った。客室の掃除をした。午後から母の家のネコのお世話に行き、私が時々使う浴室の掃除を、少し念入りにした。夕方、二胡の練習を小一時間してお茶を濁す。こんなことで上手くなれるはずがない。とまあ、主な行動はこんなところで、合間にテレビを見たり、ネコをからかったりして、大晦日が終わりつつある。

 今年もいろいろありました。

 5月の連休に夫が倒れて、あわや大惨事になるかと思った。予約満員の前日のことだった。娘たちが帰省して手伝ってくれたので、何とか乗り切れた。家族の有難さが身に沁みた。以来、夫は心臓にステントを入れている。生活習慣病は、年取って、至る所に現れてくるんだと納得した。

 娘はようやく家を完成させて10月に入居した。去年8月終わりに古い家を解体して1年あまり、次々と起こるトラブルを解決しながら出来上がったのである。私は彼らの家については終始傍観者であった。3年前に旅館を一部建て替えたけれど、それは営業用のもの、娘を見ていて、自宅を建設するのってすごくたいへんなことだと思った。お金は勿論、時間も気力も要る。私たち夫婦は、全てのことに優先して、家を建てることに集中する気力がなかった。だから、終の棲家はこの古い家である。

 娘がどのように独立するかは、いくつか選択肢があった。安い中古物件を買う。母の家に住む。どこか、別の土地に建てる、など。考えた末、元の家を壊して新築すると決心した。勿論ローンを組んで払っていく。私たちには、このような決断力もなかった。すべて成り行きのままに。

 そして私の身辺の変化は、膝の痛みの始まりである。5か月である。まいったなあ。どうして急に悪くなったのか分からない。いつもの運動をしただけ、のつもりなのに。

 それと、看板ネコのウェイが家出した。2月から帰ってこないのだ。うちに来た時のように、誰かが拾って面倒を見てくれていたらいいが。たまに、「おかあさん、帰ったよ」と突然現れる夢を見る。


久しぶりの快晴

2017-12-30 22:49:20 | 日記

 きょうは晦日、久々の小春日和だった。外回りの掃除をした人が多かったかな? 私も庭の片付けなどしなくてはいけなかったが、年賀状がまだ終わっていない。

 印刷したものが足りなくなって、プリンターで山の写真でも印刷して年賀にしようと思ったら、インクがきれていて、先ずはケーズデンキにはしることとなった。持ち帰って入れようとしたら合わない。よく見ると種類が違う。プリンターの機種を間違えた。交換してもらうため、再度ケーズデンキへ行った。2個買ったうちの1個は開封している。捨てて買いなおすしかないと思っていた。すると、なんと、2個とも返品でき、差額を返してくれた。私のミスなのに、である。ケーズデンキってすごいなと思った次第である。そして正しいインクを入れて、写真を取り込んだ葉書を作ろうとすると、プリンターが作動しない。しばらくあれやこれややってみて、なんとか作れた。しかし、無地の葉書も不足している。明日買いに行かなくてはいけない。今日一日私は何をしたのだろう。葉書作りに半日費やした。万事がとろくさい。

 天気がいいので墓参りも気持ちがいい。今日は花を換えに行けたので、ひとつ仕事がこなせた。よかった。


何処も混む年末

2017-12-29 20:44:23 | 日記

 もうあと二日で年が変わる。なんだか気持ちだけ焦っていやな季節だ。いつもなら、来月やろうとか明日やろうで済ませるのに、年を跨ぐ年末年始は、物事を次の年に持ち越してはいけないみたいな強迫観念にかられるので、嫌いだ。やろうとしたこと、やらなくてはいけないこと、半分もできていないけれど、毎年のように、「ま、正月に掃除してもいいか」なんて思う。誰に文句を言われるでもなし。

 道路は混むし、スーパーもレジで随分待たされる。いつも寄る農家さんの産直で、野菜を買おうと思ったら、開店から30分くらいしか経っていないのにもうほとんど野菜はなかった。かごに山盛りキャベツを積んだ奥さんがいる。シイタケ、ヒャッカナ、花など、かごいっぱいに買い占めている。スーパーでは野菜がとても高い。寒くて野菜が大きくならないのだ。産直では少し安いので皆が群がる。私もキャベツを買いたかったけれど当たらなかった。買い占めた奥さんたち、きっとお正月は、里帰りの家族で食事の支度が大変なのだろう。少し不愉快だっただ、そう思えば大目に見てあげられる。うちは、今年はお遍路さんの予約もなく、娘たちも帰ってこないので夫婦の食事のみ。キャベツなんてなくてもいい。ふたりだけとなると、なんにもお正月の料理をしないし、買い物もしない。かと言ってのんびりする時間があるかというと、そうでもない。いつもより手間が省けたぶん、あの時間はどこに消えていったのだろうと不思議で仕方ない。つまり、取り掛かりが遅い、動作がのろくなった、ということだろう。

 母の家で飼っているネコさん、また小鳥の死体をベッドに置いてくれていた。食べてはいないので、羽毛がちらばって大変ということはなかった。母の家には若い雌猫が二匹いるので、このどちらかが狩上手みたいだ。ネズミもしょっちゅう捕ってくる。我が家の肥満の雄猫たちにはとても無理だろうなあ。ライオンなんかと同様、雌は本能的に狩りがうまいのだろう。


師走の一日

2017-12-17 15:43:30 | 日記

 今年は冬が来るのが早い。昨日冬タイヤに換えてもらったので、何時でも、思い立った時に山へ行ける。寒い日が続いたので、山は結構積もっているだろうなあ。屋上から、伊予の山々、豊受、赤星、二ツ岳、赤石の頂きが白く見える。

 10個余り、遅ればせながら渋柿を干した。去年は失敗した。カビが生えた。今、気候は乾燥してとても寒いので、多分うまくできるんじゃないかな。子供の頃、干し柿にあたった。腹痛と下痢で辛い思いをした。カビが生えていたのだろう。それから何年かの間、干し柿が食べられなかった。食中毒したとき、原因となった食べ物は、長期間体が受け付けないようだ。やはり小学生の頃、旅行中にアイスクリームを食べて気持ちが悪くなって吐いたことがあり、以来何年もアイスクリームを見ると吐き気を覚えた。あの時は、乗り物酔いなんかではなく、大きな病気を抱えていたのだ。風邪が充分治らないまま家族旅行に行き、帰り、とうとう体が悲鳴を上げた。それから急性腎炎で高松の国鉄病院に2か月入院。夜、汽笛が寂しく悲しかったこと、いつまでも忘れることはない。療養中は塩分、タンパク質をかなり減らした、というより初めは入ってなかったように思えるが、味気ない食事を我慢したおかげで、食事も運動も、今は普通にできることを感謝している。アイスクリームも今は大好きである。特に身体にあまりよくない、乳脂肪分の多いやつ。

  

 スズメが群れている。食べ物が少なくなったのかなあ。うちの畑の野菜をつつかないでほしい。ネコさんにしっかり見張りをお願いしたいのだけど。

 ここのところの北風で、母の家の庭の木々も全て落葉した。拾ってもまた落ちるよねー、なんて言い訳はもうできない。草の勢いも休止のこの季節、小春日和には庭掃除をしなくては。

 庭木で一番おおきな葉っぱはモクレンだ。直径20センチもありそうだ。紫の花も特大サイズだ。確か母の退職の記念樹である。同僚の方々から頂いたと聞いている。母の家にはいくつか記念樹がある。うちの娘たちの誕生の記念にと、そのときどきに咲く花の木を植えてくれた。長女誕生は11月なので山茶花、次女は4月なので辛夷、三女は9月で萩、という具合である。孫であるうちの娘たち、たくさん面倒みてもらったなあ。

 12月もあっという間に半分過ぎた。今年一年間のお客様の数を調べると、また一段と減っている。世の中の動向であるが、外国人観光客はうちでも増えている。年々お遍路さんが減っているのはどういうわけだろう。ブームが去りつつあるのだろうか。外国人遍路がこれからも増えてくるのは確かだ。お遍路さん自体が変わってきているのかもしれない。

 気になっている年賀状作成、はやく書いて印刷しなくては。


信州のリンゴ

2017-12-06 19:42:32 | 日記

 

 今年も信州からリンゴが届いた。産地直送は、やはり新鮮で美味しい。お返しは、観音寺のお隣、仁尾町曽保のミカンだ。友人の実家がこの町なので、いつもミカンを分けてもらっている。

 リンゴの友人は松本に住んでいる。2009年に初めて穂高に登った時、知り合った。涸沢の小屋に泊まった際、単独女性部屋の5人のうち、4人が翌日、北穂の小屋で偶然一緒になり、「天気悪いけど奥穂まで縦走しない?」「せっかくここまで来たんだから行こう」てなことに話がまとまり、俄かパーティができあがった。このとき、名前、住所、連絡先を交換した。大抵は、それまでで終わるだろう。知り合って一年後くらいだったろうか、ひとりがくも膜下出血で急死した。この方は岡山に住んでいたので、私が告別式に参列するのは難しくなかった。あとのふたりは松本と神奈川から岡山までお葬式に来た。それで、再び会うこととなり、交流が始まったのである。神奈川在住のSさんは、しばしば上高地から穂高方面に登るらしい。その時はいつもKさんのお宅でとまるそうだ。私も一度泊めていただいた。彼女、一人暮らしなので気兼ねがない。山で出遭った人とここまで交流できるとは、思いもしなかった。

 昨日は午後から霰のようなものが降ったりして、冬空だったが、今日は、空気は冷たいけれど太陽が出ていて、マラソン日和だった。小学校のマラソン大会に応援に行った。孫は4年の男子と6年の男子、ふたりとも揃って13位。お母さんはだんだん落ちていく順位にご不満だが、「普通でいいんじゃない」と、この頃はそう思う。私もその昔は、「頑張れ!うちの子はもっとやれるはずだ!」なんて、気負ったり、焦ったりしたのもだ。年をとるとこうなるんだね。やはり、若い人は若い人の気持ち、年寄は年寄の気持ちをもっていなくてはいけないな。若いうちから年寄のような考え方をしてはいけない。年を取ってから年寄の気持ちがわかった、でいいんだ。みんな失敗しながら人生を終えていくんだね。