日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

給付金

2020-05-31 14:49:13 | 日記

 

 昨日、漸く、アベノマスクが届いた。あの悪評高きマスクはこれか。ひと昔前、マスクはこんな風な、ガーゼを何枚かかさねたようなものだった。この頃は、このマスクをあまり見ない。使い捨てが主流だ。私の手製マスクの方が、使い勝手いいんじゃない?

 同じくして、旅館組合から、使い捨てマスク3箱給付された。これだけあれば、何年ももちそう。私は、マスクを着ける機会が少ないし、中にペーパーを当てて、何度も使う。

 明日から、学校、フィットネスクラブ、商業施設、公共施設、感染防止対策を講じながら再開する。私の新しい生活様式、マスクはよく忘れる。が、着用、不着用にかかわらず、人との距離はとる。スーパーに出かける回数は減った。冷蔵庫にあるもので間に合わせる。ただし、お客様の食事を作る場合は、買い出しに行かなくてはいけない。

 皆、多少不自由な生活に慣れて、コロナの利点もあったんじゃないかな。飛行機も電車も動かない、人類の活動がストップしている。二酸化酸素排出量は激減。コロナが終息しても元の社会には戻らない。新たな方向に進んでいかなくてはいけない。環境にいいものであってほしいものだ。

 10万円の給付金もようやくいただけそうだ。大臣達には小遣いの足しにもならないだろうが、今か今かと待っていた人も多いはず。母の申請は私がしなければいけないのだが、続き柄を証明する戸籍が必要だろうかと思ったが、それは必要なく、わりと簡単に書類をつくれた。

 数年前から、母の年金を振り込んでいる香川銀行から、お誕生日プレゼントがこなくなり、数か月前のこと、足を運んで、訳を尋ねに行ったら、「多分、転居先不明で葉書がもどってきたから、以後抹消されたのでしょう」ということで、再度いただけるように手続きをした。その時、代理で手続きする私と、母の関係を証明する戸籍謄本までもらってこいといわれ、ムッとして、どうしようかと思った。たかが、小さな誕生日プレゼントである。が、意地でもやる!と思ったのだった。振り込み銀行を換えたい気分。

 香川県では、ホテル旅館は感染防止対策の協力金はもらえない。営業自粛要請がなかったからだ。ビジネスホテルは、少しは客が居たかもしれない。観光のためのホテルや旅館は皆無だ。交通機関はない、お寺も閉鎖、店を開けていたところで、お遍路さんが泊まりに来るわけがない。協力金はもらえなくても、持続化給付金は申請できるという。申請手続きが大変ときいて、しようとは思わなかった。私のような年齢では、持続しようという断固たる決心はつかない。持続できなければ廃業するだけだ。心身ともに疲れ果てるゴールデンウイークに休めてよかった、と思っているお年寄りである。もっと元気な経営者が、給付金を貰って頑張ったらいい、と思っていた。しかし今は、申請しようかなと言う気になった。うちのような、虫の息の小さな宿でも、少しは社会貢献している。ゴールデンウイークや、トライアスロンがあるときは、大勢この街にやってきて、宿が不足する。何年か後、国内外からお遍路さんが来て、春と秋は賑わうことになるだろう。そんな時はお役に立てると思う。恥を忍んで、わからないことは人に訊き、申請してみよう。


一か月ぶりのお仕事

2020-05-28 16:55:17 | 日記

 コロナのおかげで、皆、新しい生活様式に変わっていく。私は、外出して人の中に入るとき、いつもマスクを忘れる。車に置いてあるので、急いで取りに戻る。私は、この生活様式がなかなか身に付かない。

 マスクして自転車を漕いでいる人をみると、「暑いだろうに、この広い空気の中で必要あるのかな」と思う。真面目だなあ。

 田舎への移住を考える人が増えたらしい。これを機会に、大都市密集型が緩和されるといいね。地震が何より怖い。

 自粛が少しずつ解け、お遍路さんも動き出したかなと思われる。一昨日は、4月においでる予定だった東京のSさんが、7月のお泊りの再予約をくださった。毎年来てくださる方なので、ウズウズしておいでだったんじゃないかな。

  

 昨日は、一か月ぶりの、お遍路のお客様だった。長い間のんびりと休ませてもらったので、仕事に復帰できるのかしらんと、少し不安だった。段取りが少し悪かったところもあったが、お客様が、時々でも来てくだされば、慣れるだろう。手前からの、掃除、片付けにも時間がかかって、久しぶりのお仕事はとても疲れた。

 上は、朝食のお膳。蕗の佃煮、ワラビのマリネ、黒豆など、ストックしていた品を付けてお出しした。

 

 お仕事がお休みの間、殆ど毎日、草取りしていた。例年より、少しはさっぱりしたかな。取っても取っても、草は次々と生えてくる。エンドレス。

 

 最近、昔のプレーヤーでレコードを聞こうという人が、ぼちぼちいるらしい。私も、40年も前に買ったステレオを、まだ捨てずに持っている。6年前、家を建て替えたとき、荷物を母の家に引っ越しさせた。バラバラにして放ったままだったが、コロナ休暇のうちに、頑張って繋いでみようと、先日、大きなコンポを物置から運び出した。説明書を見ながら繋いで、取れてたレコード針を購入し、スイッチオン。レコードは、たまにプチッという小さな雑音が入るけれど、ばっちり聴けた。しかし、CDデッキは酷い雑音がする。詳しい人に尋ねる必要あり。

 

 テイクアウトが流行った。ある日娘が買ってくれた、とあるカフェの弁当。割と高いんだよね。メインは豚三枚肉のから揚げ。ウスイ・・。それと、卵焼きと野菜のおかず。中学生の男の孫には、ちょっと向かないかな。テレビなんかで、飲食店が共同で、お弁当をドライブスルーで販売する映像が流れていた。大盛況らしい。まあ、たまにならいいけど、そうしょっちゅうは買えないね。

 お店の雰囲気と、器に美味しそうに盛られた料理を目でも楽しむ、そんなささやかな幸せも、あと少しで取り戻せる?


やっぱり、西赤石のアケボノ、変?

2020-05-25 09:34:14 | 日記

 週末はいいお天気だった。昨日日曜日、アケボノツツジの様子を見ること、ヒュッテ付近に落としたストック回収、それとヒュッテの奥様に会いに西赤石へ。

 

 東平の駐車場は、15,6台停まっていた。皆、山への想いが堰を切ったように溢れ、山に繰り出したんだ。岡山、広島、香川、県外からも来ている。

   

 兜岩から眺める串が峰と上兜、アケボノツツジが斜面に僅かに2本見られる西赤石。見事に新緑。時期が遅いといえば遅いが、地面に、はながらもそう多くない。裏年という人もいる。

頂上には次々と登山者が到着。蜜を避ける。

 笹はずっと枯れたまま。3年くらい前花が咲いて枯れたけれど、いつ緑が現れるのだろうか。僅かに、今咲こうとしている笹があった。

 

 尾根から小屋までの間で落としたはずのストック、見つかるはずとかなり確信していたのに、なかった。デジカメ、ストック、時々山で置き忘れたり、落としたりしてきたが、ほとんどすべて回収できている。笹倉湿原から筒上山のあいだで、ストックを1本落としたまま以外。これは、アプローチが遠くて、なんだな億劫で、10年前から回収に行けていないのだ。記憶の場所に再度登りに行くと、必ずある。人が頻繁に通るところでないので、見つかって当然なのだが。ストック、誰かが拾ったとしたら、多分よく見えるところに置いてくれる、と思う。登山道で、しばしば、手袋とかタオルが目線のところにかけられていることがある。

 どんなモノでも、無くすって気分が悪いな。この間は、ヤブ漕ぎの途中、挿していたボールペンを無くした。自然に還らないゴミを置いてきてしまった、ということだ。あるときは、頭や首に巻いた手ぬぐいをブッシュに引っ掛けてしまった。手ぬぐいは土に還るかな。薮に入る手前に身の回りチェックをしなくてはいけない。服装、ザック周りにぶらさげたものやポケットの中など。普通の登山道を歩くときも、ザックのポケットに色々入れたり、ポーチをぶら下げたりするのは少し気にかかる。不便だけど、物はザックにしまって、外回りはシンプルがいい。引っ掛けて、無くす場合があるから。

 小屋玄関の戸は開いていて、簾が掛かっていた。外には誰もいなかったので、玄関で声をかけてみた。お留守ではないだろう、奥の方に居られるのか、何度か声をかけてお会いできた。私を思い出すのに少し時間がかかったが、前回の話もして「何か飲み物でも置いていますか」と代金を払うつもりで注文したが、抹茶をご馳走になってしまい、なんだかお茶を催促したみたいになった。どうやら、ここではカフェのような商売はしていないようだ。確かにそうだ。僅かのお客の為に、飲み物をストックすることが大変だ。ある程度売れる確信があればいいけど。

 「口は災いの元」とお説教され、私、失礼なこと言ったかなと、しきり反省。口から発する言葉で、人間関係が壊れた苦い経験は何度かあった。相手の感情を壊さないように自分の気持ちを伝える難しさをいつも感じる。けれども言葉で伝えるしかない。いつも、沈黙は金、というわけでもない。

 また寄ってみようと思っている。ご迷惑かな?「私はそれはせん!それは好かん!それはできん!」とはっきりスパッとおっしゃる気性をお持ちだ。だから、近寄りがたいと感じる人もいるのかな。「いつか泊めていただけますか?」と聞くと「それはいいが、お金はもらわん」とおっしゃる。私としては、あらゆる小さなお商売について、それを存続させていただきたくて、お金を落としたいと思っている。利用してあげないとつぶれてしまう。私の住む町も、嫁いできたときは通りの両側皆お店で、日常の品物は徒歩で買い物ができた。やがて郊外に大型のショッピングモールができ、車でまとめて購入するようになり、ちいさな小売店は廃業していった。今になって、もっと買ってあげたらよかったと思う。時代の流れだね。

 お金の取ってくれないとすると、どうしたものか、傍でテントする?


銅山峰ヒュッテ

2020-05-09 17:53:33 | 日記

 いただいた手作りマスクを真似て、私も作ってみた。晒は、以前はどこの家庭でもストックしていた。私の時代はこれでオムツを作った。パンパースは滅多に使わなかった。晒はたくさんあるが、ゴムがあるだろうか。ごそごそ捜してみると、30年くらい前のが残っていた。とりあえず、4つ作って、娘に送った。

 ゴールデンウイークが終わって、皆さん手綱を解かれたように家から飛び出した。髪が伸びて恰好が悪いので美容院へ行くと、車がいっぱい。誰しも思いは同じか。コロナ感染者がせっかく減ってきたのに、気のゆるみから、またぶり返すことのないように祈りたい。

 今日から天気下り坂ということで、アケボノツツジを見に、昨日西赤石へ。29日の西赤石周回から1週間以上経っている。見頃かなと思った。8時半という遅い時刻に家を出発、日浦の小さなパーキングは、県外県内の車で満車、路上駐車した。銅山峰手前で、すでに下山してきた単独3人に遇う。うちひとりの女性は、三野町から来た、私同様、「山と元気の会」の会員さんだった。花の咲き具合を尋ねると、「途中の道では咲いているけれど、頂上は、咲いていない」という。この日、出遭った登山者は11人、ご夫婦一組以外皆単独だ。コロナ自粛と言われているけれど、皆さんアケボノお目当てに来たんだね。

  

縦走路、カラ松の新緑と、アケボノツツジの可愛らしいピンクがとてもきれい。

  

 エントツ山からの尾根コースは、斜面満開、しかし兜岩はピンクのかけらもない。アケボノ満開まで、あと1週間かかるだろうか。

 

 頂上で、どなたかお昼の支度をしている。

 私の登山はいつも急ぎ足だ。ランチは15分ほどで済ませ、下りにかかる。まだ1時半、時間があるのでヒュッテに寄ってみようかな。何か飲み物でもいただいて、奥様とお話し出来たらいいなあ。いつもは一円も持ってこないけれど、この日1000円札を入れてきた。

 

 静かだなあ、中に居られるのかなあと、歩いていくと、女性が薪割りをしていた。どうしよう、コーヒーなんか注文したら迷惑だろうなあ。傍にたって、暫く見ていたら気が付かれて、私は

 「何かお手伝いしましょうか?」

とっさに言った。ちょっと後悔した。私に薪割りができるだろうかと。ここで長年やってきたお婆さん以上にできるだろうか。直径20センチ長さ30センチくらいの丸太、これに横から鉄の楔を打ち込んで割ろうとしている。節があって、スパッと割れない。お婆さんより私の方が力はある。楔を3本打って、斧も使って、漸く割れた。男の人なら、いとも簡単にできたはずだ。

 「男性が来たら頼めばいいのに」

と私が言うと、

「男の人には頼めない」

と言った。そうか、なんとなくわかる。

 それから、

「トタン屋根が風でパタパタいうから、釘で打ちたいので脚立押さえといて」

といわれ、

「ならば、私がやりましょう」

この仕事は、まだ私の方がマシだった。脚立に上がるの平気だし、釘を打つ力もある。テキパキとやったのである。

 お婆さんに感謝されたのは言うまでもない。

「奥さん、いい人ね。お大師様が助けて下さった」

この山奥でお大師様が出るとは思わなかった。四国にはどこにでもお大師様がいるんだなあ。私は、これからこのお婆さんと、かかわりを持つような気がする。お大師様のご縁かな。

 コロナがなければ、アケボノツツジを見に来ることはなかった。花より団子、山菜取りに時間を遣っていたはずだ。春の繁忙期、ゆっくり山に登ることはなかった。

「薪割りで、怪我しないように。また来ます」

お別れして、銅山峰に向かう坂道を歩きながら、なぜか涙が出そうになった。

「今からストーブの薪の準備をしとかないといけない。電気もないし、大変なんよ。でもこの家は主人が退職金で建ててくれた家、私の家だからずっと住み続ける。」

 山の暮らしは私の憧れだ。憧れだけで、現実には私にはできないと思っている。80歳ものお婆さんがひとりで一生懸命生きている。小屋裏の満開のヒカゲツツジや沢のカッコウソウ、そう大したことではない。

 又、時を空けずにここに来なくてはいけない。ストックをどこかに落としてしまった。捜しに行かねば。アケボノ満開の景色も見てみたい。何より、奥様に会いたいと思っている。何を持って行ってあげたら喜んでくれるかな。エントツ山さんの掲示板、過去をさかのぼって見ていたら、奥様のことが書かれていた。伊藤みどりさんと言うお名前。お抹茶が好きらしい。とするとお土産は和菓子がいいかな。次回はもう少し仕事をする時間を持ちたい。

 

 

 


西赤石、上兜、串が峰を周回する

2020-05-01 11:01:03 | 日記

  

 名物アケボノツツジは、2日前の時点で、標高1100メートルくらいで咲いていた。ヒカゲツツジは満開、タムシバ咲き残り。

 至る所、大木が根っこから倒れていた。あの大雪のときの被害か。

  

 沢沿いコース、第二造林小屋の五右衛門ぶろ。ここから尾根に這い上がるところが、少しヤブ漕ぎになる。

 

 頂上は、まだ一面枯れ木色。遠くに石鎚が見える。左手前、笹ヶ峰や寒風には雪がある。4月に大雪が降った。まだあんなに残雪がある。最後の雪山チャンスを逃したわけだ。皆で悔しがった。

 一昨日のメンバーは3人、いずれもヤブ漕ぎを厭わない。3蜜を避けるため、土居のハローズで待ち合わせ、各自マイカーで登山口まで行く。山岳スポーツ関係も、登山自粛としているので、我慢して家で過ごす人も多いだろうが、私たちはこそっとやってきた。きっとウィルスを跳ね返す免疫が増したはずだ。

 縦走路で若い男性ひとりに遇い、下山すると、パーキングに、車が2台、バイクが1台増えていた。魔戸の滝に、マイナスイオンを浴びに来たかな?

  

 縦走路からの景色、西赤石と兜岩、前赤石、上兜と遠くに下兜。

 10日後には、尾根筋で見事にピンクになるだろうな。例年なら人が密集する山だけど、今年はどうだろう。