日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

寒い日が続きます

2008-01-28 23:54:24 | インポート

 昨日の快晴と打って変わって、今日は又霙交じりの雨が降っている。明日は雪化粧かな。

 昨日、日曜日、暖かくて絶好の山登り日。行き先は二つ岳だ。南から登った。登山口から雪が積もっているけれど、さあ、どんな具合かな。雪は次第に深さを増してくる。足が、ズボッ、ズボッと、膝下まで雪にめりこむ。「今日はワカンのほうがよかったかな、読みを誤ったかな」とリーダーが言った。峨蔵越えまで3時間近くかかった。たぶん頂上は無理だろう。

100_0637 峨蔵越えで休憩。

北側からも残念ながら誰も登って来てない。トレースがあれば楽なのに。

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頂上はこの向こう

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鯛の頭。

「頂上までたっぷり1時間はかかるでしょう」

ということで、今日はここまで。ゆっくり昼食して、午後1時、下る。ずっと2番手を歩いていたけれど、疲れた。私はここで充分。3時に登山口、帰途に着く。

 午後からずっと雨が降っている。二つ岳はまた一段と雪深くなっただろうなあ。

 今日、ガス屋さんがメーターを取替えに来て、ガス器具の点検もしてくれた。厨房のガス釜はひとつは20年前、もうひとつは15年前のものだ。よく使ってると感心する。こういった釜は、つくりが単純だから壊れにくいんだそうな。私が嫁入りの時持ってきたガスオーブン、30年つかっている。「こういうのがまだある家は少ない」と感心される。「え?どうして?持ってる人多いでしょう」 そうなんだ、この頃はシステムキッチン備えるからオーブンは組み込まれているのだ。それと新築の家は電化してる。古いものは捨てられタンだろうな。

 「まだこんなもの使ってるのー」なんていわれると、褒められた気分になる。私が見ているテレビ、赤い色してて、スイッチとボリュームがいっしょになったやつ、もうかなり壊れかけている。ボリュームがうまく調節できないし、画面が暗くて人物の顔もよく見えない。そろそろ捨てごろかなあ。我が家の器具、道具類は人が笑うほど古い。先代、姑が言ってた。「お客さんが、古い電気製品使うとるなあというから、やっとる人も古いよー、言うたら笑ろうとった、ハハハ・・・」 私も同じことしてる。まだ使えるものをすてるわけにはいかない。従って、家中物置だ。

 


北八ヶ岳、続き

2008-01-25 12:18:09 | インポート

 3人が小屋まで戻ってきて、全員揃ったところで下山。中山、高見石小屋を経て渋の湯に下る。今夜は、ワン・ダイム・ハウスというペンションにとまる。私は、ペンションと名の付く宿泊所に泊まったことがない。洋風の素敵な家だろうなあ、食事はどんなかなあ、ワクワク・・・。

 天気がいいせいか、たくさんの登山客に出会った。すれ違う人の顔を注意して見る。天狗岳に登ったときに、目出帽で顔を覆って、白内障予防の為にサングラスをつけたかったが、どうにもメガネがくもって調子が悪い。サングラスは役にたたなかった。皆どんなにしてこのことを解決しているのだろう。Mさんは、帽子の鼻、口のあたりをナイフで切った。よその人は、スキーヤーが使うとんがり鼻のマスクみたいなのを被っていたり、口のところに小さな穴があいているようなマスクを被ったりして、サングラスもちゃんとつけていた。みんな快適に登れるように、よく考えてるなあ。私も、何か便利でいいもの捜してこなくっちゃね。

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 高見石小屋から白駒池を展望

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賽の河原を下る

 たっぷり休憩して、さあ渋の湯へ。というところで、Gさんが不調。「指が凍傷にかかったので、小屋で湯をもらって暖めるから先に下りて」と言った。1人が付き添いで残って、6人で出発。Gさん、カメラのフィルムが巻き取れず、手袋をはずしてカメラをいじっていたという。そのときはどうもなかったのに、何時間か経って、指先が黒く変色して、「これは大変、すぐ暖めなければ」と小屋で応急処置をした。付き添いのSさんも鼻の頭が青黒い。本人さん「エッ、そうですか?変ですか?」なんてケロッとしている。凍傷って苦痛がないのだろうか。とすると怖いなあと、初めて身近でみて教訓をうけた。

 あとでネットで調べると、凍傷にかかった人の報告がいくつも出てくる。やはりすぐには気がつかないそうだ。手足の感覚が麻痺していないか、いつもきをつけること、靴の中で指を動かすのもよい、薄い手袋でピッケルを長時間持たない、等等の注意を書いてある。

 Gさんの指先は、その夜は白く腫れていた。「アルコールで血の循環をよくして、手袋はめて暖かくして寝れは治る」、と笑っておいでたので軽症だったんだと安心した。でも、それからのち、2本の指に水ぶくれができたので、早めに病院で診てもらった方がよかろうと、翌朝、諏訪中央病院へ行った。痛み止めを処方してもらっただけだった。自然に治るのだろう。大事なくてよかった。

 これも後に新聞で知ったことだが、諏訪中央病院はあの有名な鎌田實が名誉医院長をしている病院だったんだ。茅野市には、お遍路さんできてくださった方も何人か住んでおられる。懐かしいような気がした。

 Sさんお勧めの馬刺しも買いに行く。小さな赤身の塊り肉が2千円くらいだった。結構なお値段だ。私も、過去に一口くらいは食べたことあったかもしれない。肉食獣にでもなったような気分で、おそるおそる口に入れる。ウン、臭みはまったくないし、柔らかくて、いける。付属のタレも美味しい。

100_0627 14日の朝、ペンションのオーナーの勧めで、車山スキー場に、富士山とご来光を見に行く。

100_0626 八ヶ岳の峰みね。右端、遠くに富士山が。お日さんは西天狗の右から顔を出すところ。

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太陽はもう昇った。雲海のしたに茅野市の街が。

ペンションの献立 

 夕食 : サラダ、ペンネのトマトソース、白身魚のムニエル(ナマズと言ってた、そういえば高山でなまずの刺身をたべたことがあった、中部地方ではナマズをよくたべるのかな)、ビーフステーキ、ライス、紅イモのアイスクリーム

 朝食 : ロールパン2個、スクランブルエッグ、ソーセージ、サラダ、ミルク、ヨーグルト、コーヒー

 男性には少し物足りなかったかも。大食漢Sさんの巨体を維持するには、やや不足かな。ペンションは女性好みの宿だね。

 奥様はキッチンから顔をださない。すこしお腹の出たご主人が給仕する。新潟出身で、スキーのインストラクター、審判もするそうだ。料金は8800円、まあ安いと思う。初めてのペンション、とても楽しかった。


天狗岳、登頂

2008-01-23 22:20:24 | インポート

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翌朝は、吹雪きどころか、風もなく、穏やかに晴れていた。カメラマン3人組は、日の出をねらって、6時の朝食もそこそこに、先に小屋を出て行った。後発5人組はゆっくり身支度、たっぷり時間はある。

 樹林帯を抜けると、目の前は急斜面だ。風もきつい。崖ではないけれど、バランスをくずすと随分下におちるなあ。こんなに息があがっているのに、落ちながらピッケルを雪面に突き立てる体力と気力、あるかしらん。なんて考えながら歩いている。

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100_0610_2 天狗岳頂上はさらに強風。吹き飛ばされないように足を踏ん張る。硫黄岳、赤岳の展望が素晴らしい。手前の赤いヤッケが私。寒くて寒くて、写真撮影も眺望も一刻も早くきりあげて、ここを降りたかった。そもそも、私のいでたちは、昨日と同じ衣服、カッパがヤッケに変わっただけ、寒いのは当たり前だ。昨日は雨、今朝、ヒュッテの戸口に備えてある温度計は、マイナス18度を指していたが、「この温度計こわれてるんじゃないのー」なんて誰かさんは笑っていたけれど、ほんとは正解だったのでは? もう1枚着てくれば、一生に一度きりのこの素晴らしい景色をたっぷりゆっくり楽しめたのに・・・。

 下りの途中、写真斑の3人組の登りとすれ違った。彼らは、先に、天狗岳とは反対の中山方面で写真を撮っていたらしい。「天狗岳でゆっくり写真撮ってきてください。小屋で待ってます」といって別れた。しかし、彼らが頂上に到達する頃には、もうガスっていた。山は早朝が勝負なんだなあ。

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ヒュッテまで戻ると、続々と渋の湯から登ってきて、とても賑やかだった。昨日は雨で、麓の温泉で泊まっていた登山客も、今日は気持ちよく歩けたろう。

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熱心に滑落停止訓練をしている2人組がいた。

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スリバチ池の方に散策。斜面を登ると東天狗と西天狗が展望できた。左のピーク、東天狗に登った。西は体力と技術不足で惜しくも断念。

 

 別行動の3人が帰ってくるまで、小屋のストーブで暖をとる。同じくストーブを囲む中高年、2組のご夫婦のうちの奥様が、

 「もしかして、香川からおいでたの?」

 「そうです、観音寺です」

 「私、伊吹出身ですよ」

 「エエッー!!」

伊吹というのは、観音寺の沖にポコッとうかんでいる小さな島である。奥様、私達の観音寺弁を聞いて声をかけてくださった。世の中狭いなあと驚く。奥様は千葉に住んでおられる。もう近しい人たちは伊吹にはいないので、観音寺に帰っても泊まるところがないとおっしゃっていた。するとMさんがすかさず

 「宿はありますよ」

と私を紹介する。気さくで明るい奥様にとてもいい印象をもてたので、名乗って、ホームページをみてくださいとお願いした。ご縁があって、家にきてくださるようなことになれば、大歓迎だ。


観音寺も雪景色

2008-01-21 23:06:45 | インポート

 昨日から冷たい雨が降り続いていた。

 今日は、仕事で川之江まで行く。家をでたとたん、七宝山が斑に雪を被っているのが見えた。雲辺寺はまだ降っているのか、白いベールの中だ。手前の里山はきれいに雪化粧している。我が家は海辺だから滅多に雪は降らない。車で10分ほど内地へ行くと雨は雪に変わる。昨日は結構降ったようだ。庭の雪をかき集めて一輪車で外に運び出す奥さんがいた。普段はやらない作業で大変だろう。

 国道11号線にはいってからが酷い渋滞だった。仕事場に着くまで、いつもの3倍の時間がかかった。国道は隙間なく車が連なっている。ここで私は渋滞時の運転の仕方を習得した。前の車との車間距離が開いていようと、セコで走らせるのだ。ブレーキもアクセルもなるべく踏まないようにする。間を詰めて、停車して発進する、をくりかえすとたぶんガソリンをくって不経済だ。すぐ後ろのトラックが、私との距離をあけて、常に一定のスピードでノロノロ運転していた。このトラックに教えてもらったというわけだ。

 風もなく、寒くもなく、雪景色をたのしみながら仕事ができた。年をとっても雪を見るとワクワクする。


すんでのところで、また警察騒ぎに

2008-01-20 23:36:40 | インポート

 先週、金曜日のこと、あまりに快晴なので、ちょっと七宝山へ歩きに行こうと、昼前から登り始めた。小1時間歩いて塔のところに着いたので、軽くおやつを食べて引き返した。素直に来た道を下りればいいものを、「ちょっとこっちの道を行ってみるかな、そう離れたところに下りはしまい」なんて、いつもの好奇心がしゃしゃりでてきたのがいけなかった。尾根筋のテープに従ってどんどん歩いていった。ゆっくり山歩きしてる暇はないので、ちょっとヤバイかなと思ったが、引き返すのが面倒なくらい歩いてきてしまった。ええい、所詮里山、車まで、又延々歩くことになるかもしれないけれど、なるようになるさ!

 歩きながら思った。

 「なんて母と同じことをやってるんだろう。お天気がいいと、家でじっとしておれない、同じ道を歩きたくない、母にそっくり!」

娘が言う。

 「お母さん、おばあちゃんみたいになりそうや」

私もこの頃そう思う。認めたくはないが。ボケないためにはどうすればいいのか、皆かんがえている。けれど、誰しも自分がボケるなんて思いもしない。

 気がかりは、3時からのヘルパーだ。2時頃、やっと里まで下りてきて、母に電話してみると、案の定お留守。十ちゅう八九、いや、ほぼ100パーセントに近く、母は家を出ていると思っていた。毎日、何度も散歩に出掛けるけれど、この頃はお利口さんで、ちゃんと家に帰れている。それで、ちょっと油断してしまった。母のキッズ携帯の充電を、気になりつつも、怠っていたのである。あーあ、こんなときに限って電池がきれる。捜しようがないんだから、どうか自分で帰ってきてねと祈るしかない。

 3時に母の家に着いたけれど、やはり居ない。ヘルパーさんが来てくれたけれど、本人お留守だから当然キャンセル。こういうこと、もう何度もあった。

 じっとここで待っていてもしかたないので、いつもの母の散歩コースを車ではしる。母の実家、財田(地名)の叔父の家に向かう。母を見つけられないまま、叔父の所に着いたので、又心配かけて申し訳なくおもいながらも事情をはなして、家に戻って待つことにする。

 日がだんだん落ちて行く。寒くなっていく。どこかのお宅に助けを求めて、タクシーで叔父のところにでも行ってくれたら・・・。7月の騒ぎがあるので、もう警察には言えない。丈夫だから、一晩くらい野宿しても死にはしない、少し辛い目するのもいいかも、なんて冷たいことも考える。でもそれが肝に入らないのが痴呆だ。幸せなことに、すべて忘れてケロッとしてる。

 あたりはすっかり暗くなった。いったい何処を歩いているのか・・・。

 6時過ぎ、近くのガソリンスタンドのKさんが母を送り届けてくれた。財田方面で見つけたらしい。初めから財田に行くつもりならとっくに着いているはず。たぶん農道をウロウロしていて、うす暗くなってから財田に向かったのだろう。ズボンには草の種がビッシリ付いていた。本人ケロッとして、

 「財田に行くとこだったんじゃ」

とにかく無事でよかった。胸を撫で下ろした。夜道で車に撥ねられでもしたら、相手方に申し訳ない。

 翌土曜日からは2泊3日のショートステイだ。これがあると本当にたすかる。この土曜日は二胡のレッスンをうけに行くので。朝、荷物の用意などして見送ろうと思い、8時半頃母の所に行くと、もう散歩の格好をしている。

 「何処行くン?」

 「ちょっと、神さん参りに・・・」

昨日は一日中歩いていた筈、足はいたくないのかしらん。よく歩き、よく食べる、まともな頃より今の方がずっと健康だ。100歳まで生きるだろう。