山を歩いていたら頭上に美味しそうなキノコが・・・、ムキタケ? うわ~い、たっくさんあるよ。嬉々として持ち帰る。
確認のため、割ってみると・・・、 どれも黒いシミが!
一応現場でも、軽く裂いてはみた。軽すぎて、根元まで割って確認できていなかった。がっかり。ツキヨタケではなく、ムキタケであってほしいという潜在的願望がやらせた行為であった。毒キノコではゴミ箱に捨てるよりほかない。数年前にも、大きくておいしそうなキノコを何キロかもってかえって悔しい思いですてたことがあったっけ。あのときもツキヨタケだった。
こんな群生もあった。あまりに大きくてたくさん生えていたので、「これはツキヨタケに違いない」とすぐに決めてしまった。採って裂いてみると、根元にうっすら色がついているような気がしたので、あっさりその場をあとにしたのだった。勝手なものだ。ひょっとして、こっちはツキヨタケでなかったかも。
少し涼しくなったので畑仕事に励んでいる。夏の間、元気のなかったピーマン、ナス、ゴーヤ、シシトウ、オクラが盛り返して、今になってやっと収穫できている。秋に種をつける雑草の退治もたいへんである。特にイノコズチとセンダン草だ。草むらに入ろうものなら、ズボンにいっぱい種がくっついて、除るのに一苦労なのだ。子供のころ、飼い猫が外遊びからかえってくると、体についたイノコズチをひとつひとつとってやったことを思い出す。
3年くらい前、スダチの木を買ってきて庭の隅に植えた。ところが、きれいさっぱり葉を食べられた。蛾の幼虫に違いないと思っている。スダチは、健気にも、小さな若芽をふきだした。よしよし、頑張れよ、とエールを送る。するとまた葉っぱはなくなって、かわいそうに枝だけの姿である。何か幼虫を発見できてもいいはずなのに、私には見えないのだ。いったい何の仕業だろう。蜘蛛が枝に巣をかけているから、きっと蛾に違いないと思う。裸にされては芽吹く、何度もくりかえしながらもスダチは生きている。このあいだ、堪忍袋の緒が切れて、私は木を掘り起こして植木鉢に植え替えて、別の場所、目の届くところに置いた。小さな葉っぱも出ている。このまま順調にそだってくれよ。しかし、である。今日見てみると、大きくなっているはずの葉が、ない。思案の末、家の中に鉢を移した。しっかり監視して犯人を見つけださねば。葉が繁ったら外に出してやりたい。