6月初め、別子銅山越から西赤石方面(頂上は行っていない)に向かい、小足谷に下るコースを調査しにいく。結論、ふみ跡はしっかりしているし、テープの目印も要所にある。今度からこの道をつかおう。30分時間をかせげる。やはり一般の登山道のようなわけにはいかないので、迷わないように気をつけて歩かないといけない。少しコースを外した。おかしいと思ったら、すぐ引き返す。たいてい正しい道がみつかる。面倒がって、あてにならない勘に頼らないことだ。エライ目にあう。
峠そばの草原で咲いていた。キンランかな、と思ったが、違うみたい。
写真が苦手である。ピンボケだ。ギンランのようである。登山道のはしに咲いていた。ふまれそうだ。
皆の休憩場所、ダイヤモンド水。キレンゲショウマが移植されていた。8月半ばに満開になって登山客を楽しませてくれるだろう。
アカモノ、と呼んでいるが、コケモモのことだと思う。花が終わると赤い絨毯のように小さな実をつける。ジャムにできるそうだ。
大切に保護されている高山植物、ツガザクラ、白がとんでうまく撮れない。
この標識のところで下る。
放置されたワイヤーなど残骸
山の中いたるところに別子銅山の遺跡がある。日本一の銅の産出量だった。
昭和40年代に閉山されるまで、別子の山奥にすごい都会があったらしい。いまでは夢の跡。東洋のマチュピチュだそうだ。教員をしていた母がしゃべっていた。母の若いころ、この村?町?の教育設備のレベルがとても高かったので、遠くからこぞって見学にきたこということである。今でこそ2時間で来られるが、当時はここまでやってくるのに、一日がかりだったろう。日帰りで出張できたのだろうか。
この山に来るたび、かつて、こんな山奥にたくさんの人は住んでいて、立派な町があったなんてしんじられない思いがする。