日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

季節はかけあしで・・・

2007-11-30 10:45:18 | インポート

100_0478 観音寺の街路樹、花水木。遍路道になっている通りなので、お遍路さんの目を楽しませてくれたはずだ。

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100_0485 これも、街路樹のモミジバフウ。名札をぶら下げているのでたすかる。

図書館の脇に植えてあるのもこの木だと思うが、私はあの場所の、あの木の葉の色が毎日変わっていくのがとてもきれい、とおもった。しばふの緑と近代的な建築物と樹木がマッチしていると思う。なになにの木が好きだからといって、やたら屋敷に植えても、まわりとの調和を考えなければ後悔することになる。最近、ヤマボウシやらハナミズキやらアメリカハナノキやら、母の家の庭に植えまくった。10年20年後に、娘や孫から、「こんなところにこんなもの植えて!」とおこられそうだ。

 このような暗赤色の美しい紅葉を、自分の家でお茶でも飲みながら眺められたら最高と思って、ホームセンターで衝動買いをして、アメリカハナノキというのを植えてしまった。インターネットで調べると、樹高24メートルだって! 大きな木を植えたいという願望はあったけど、ちょっと・・・。鍬で掘ったとき、地面がとても堅かったから、たぶんそれほど大きくならないだろうと思う。

 今、木も草も一斉に冬支度している。皆、個性的に紅葉して、お蔭で私はよそ見運転ばかりしている。桜並木のやさしいオレンジ色は、最高にきれいだ。こころが落ち着く気がする。欅の大木の黄褐色もなかなかみごとだ。お掃除する人が忙しそうだけど、落ち葉のじゅうたんのままでもいいのに。本当は、私の好きな欅も庭に植えたいのだ。でも勇気がない。

 季節はかけあしで・・・、母の痴呆にも拍車がかかる。この間、私もとうとうキレて、「お母さん、ボケとる!」「もう家にこないで!」と、このような言葉が口からとびだしてしまった。「はいはい」と落ち着いて帰って行った。何分か後には頭は白紙になっているから、何といっても気にしなくていいし、何を言っても無駄なのだ。

 ここ10日くらい前から、夕暮れから宵にかけて、「犬が吠える、誰か入ってくる」とか、「門のところで誰か立っていて、ライトを自分の方に照らしている」といってひどく怖がる。夕方の忙しい時間帯だと迎えにもいけなくて、タクシーをまわす。この間もタクシーに迎えに行ってもらって家に泊めるつもりだった。ところが、家にきてからも落ち着かず、「家の鍵を閉め忘れたから帰る」としつこくいうので、又タクシーで帰らせた。このとき、頭にきて「もう来るな」と発したのである。

 家に着いてから、「今帰りました」とケロッと電話してくる。さっきの被害妄想など何処吹く風。「あっ、そう」 ガチャッと電話を切る私。

 先日日曜日、夕方5時20分ごろ、家にいるかどうか、持たせてあるキッズ携帯を検索してみた。天気のいい日曜が一番危ないのだ。「お天気がいいから、近所の人もうちの家族も(一人暮らしなんだから家族なんていやしない、ときどきボケて勘違いする)みんな遊びに行ってる。さびしいから、私も行こう。」と思うらしい。母は2キロくらい離れたところにいる。いつものように自分の実家の財田に行くらしい。私は仕事中で出られない。もうあたりは暗い。どうか交通事故に遭わないように散歩していて、といのるばかりだった。そのうち、夫がゴルフが終わって捜しにいってくれた。GPSはとても役にたっている。ただ、農道など細道を歩かれると捜しようがない。2年の契約でドコモでかったけれど、それまでに不要になるかもしれない。

 こんなことがあったり、近所に住む自治会長さんにもしつこく電話して迷惑をかけたりすると、「もはやこれまで!」と思ってしまう。「入所させよう、明日はケアマネさんにおねがいして手続きをしよう」 一夜明けて冷静になると「もう少し・・・」と思い留まってしまう。一旦入ってしまうと、もう二度とここで一人暮らしはできなくなる。母がいなくなった後も、犬や猫、畑、草木の世話があるから、結局ここに通わなくてはいけない。

 このような介護をするはめになるとは思いもよらなかった。ボケたら丈夫になると誰かが言ってたけど、本当だなあ。頭がまともな時は、しょっちゅう医者に行ってクスリ漬けだった。「私は体が弱い。毎日こんなにクスリをのんでいる」 自慢しているのかしらとおもうほど、会う人ごとに訴えるのだ。ボケ始めてクスリの管理がおぼつかなくなり、のまなくなると、見違えるほど元気になった。自分の体調についてあれこれかんがえる頭がなくなったのだ。一日に何度も血圧を測定しては、自分の体調を気遣っていたのがうそみたいだ。今は血圧もよし、血液検査もよし、食もよし、健康そのものだ。

 若い頃から外に出たがる性格が災いして、徘徊という結果に繋がっている。徘徊するときはいつも「山に行く、山へ行きたかった」といって歩いている。私はまさに母のDNAを引き継いでいるようだ。ということは、30年後、同じ運命かな。


曼陀峠を通る遍路道

2007-11-17 21:47:40 | インポート

 先日かかってきた予約の電話、

 「明日、二人泊まれますか?」 年配の男性の声。

 「はい。どうぞ、いらしてください」

 「私、OO山といいます。ほら、石鎚で遭って、西条駅まで送ってくれた・・・、忘れた?」 

 「???」 う~ん、ちょっと思い出せない。山で素性を明かすことは滅多にないんだけどなあ。まてよ、そういえば・・・、絵を描くのが趣味の男性と、歩きのお遍路さんをしたことのある男性のペアに山で出遭ったことがあったなあ。すこしずつ記憶がよみがえってきた。去年5月、東稜から登ったときのこと、夜明峠あたりで、関東から登りにきたという、70代くらいの男性二人に会った。おしゃべりしながらずっと一緒に下りて来た。その日は休みと決めていたので、早く帰らなければいけない理由もない。バスで西条駅まで行く予定にしていたお二人を、車でお送りすることにした。

 お二人のうち、歩き遍路の経験のある方が、OO山さんとおっしゃる。今回は奥様と車遍路をされているのだった。よくぞ思い出してくださいました。名を明かすことも、ときに大事だな。いいご縁ができたと思った。

 それはさておき、数年前に調べたことのある、曼陀越えの遍路道の最近の具合を見てきとかなくっちゃと思って、秋の山を楽しむがてら、歩いてみることにした。感想から述べると、人通りの少ない道であるはずなのにきれいに草が刈られてあって、大変驚いた。前回は道に草が溢れていたからだ。この頃は、歩き遍路さんが増えると同時に、遍路道を整備するボランティアも増えているのではないだろうか。祖谷寺から海岸寺への山越えの道も、予想に反してきれいだったので、なおさらそう感じる。

 境目トンネル手前で、こないだうちに泊まられた、Sさんという若い女性の遍路さんが言っていた、廃車のバスを利用した善根宿を見つけた。

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100_0448 七田のバス停の傍、国道の左手にちいさな食堂があって、道をはさんで向いがわにこの宿がある。私は善根宿というのは無料でお遍路さんを泊めるのかと思っていた。Sさんは主に善根宿に泊まっていて、そのリストも持っていた。初めてそういうものを見た。お遍路さんの間では、ニーズに合った情報網が整っているのだ

しかし、こういった宿、それなりに料金も取って、善根宿というより一般の宿泊所ではないか。宿ならしかるべきところに申し出て許可が必要だ。なんだかうまくやってるようにも見える。まあ、善根宿という呼び名が間違っている、と思う。

 昔は無料で宿を提供するところもあったらしい。椿堂も以前はお堂を無料で貸していたが、最近そのようなお接待はしていない。そんな場所があれば誰か住み着きそうなきがする。悪意のあるほんの一部のお遍路さんのせいで、本当のお遍路さんが困っている。お接待にも用心が必要とは、なんと世知辛い世の中か。

100_0450 七田のバス停から左のはいってもよいが、もうすこし先の例の食堂からはいったほうがわかりやすいかも。ずっと上のほうまで民家があるので生活道をあるく。標識はこのようにとてもしっかりしている。

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道端で見つけた食べ応えありそうな巨大キノコ。ボールペンを傘の上に置いてみた。勿論、もってかえって、調べて、たべたかった。本を見ても確信が持てぬまま、残念なことに冷蔵庫でベトベトになってしまった。

100_0455 路傍の趣きのある石仏。小首を傾げて笑っている。何百年も前からずっーと、お遍路さんを見守ってこられたんだ。遍路協会の地図には、1番のこの道がもともとの遍路道とかいてある。きょうは、前回と同じ、1番の道を尾根の林道まで行って、3番を下って車まで帰るつもりだ。

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車道(四国中央市が遊歩道として管理している)から山道にはいる。

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愛媛、徳島との県境、ゴミが散乱している。マナーが悪いのはお遍路さんだろうか。

100_0462 数年前、草が道に迫り出していた箇所。きれいに刈ってくれてある。

100_0461 ほどなく尾根の林道に出る。

すぐに3番のコースにはいろうと、道のようなところを歩いていくと荒地で行き止まり。あれ、道はどこだったっけ? 引き返してキョロキョロ、となりにもう1本道らしきものが奥に続いている。ああこれだった。草は生え放題、ズボンは種だらけ、おまけにくもの巣パックで閉口する。10分くらいあるいたところでガーン!通行不能! 広い範囲にわたって倒木、2003年の台風の仕業か。少々の崩壊くらいなら行ってしまう私だが、これは上にも下にも巻けそうにない。強引に、倒れた木を潜ったり跨いだりすれば行けない事もなさそうだが、きょうは気力がない。やむなく引き返して、尾根の林道まできた。それから来た道を緩やかに下り、車道にでた。まるっきり同じ道を帰るのも面白くない。遊歩道の案内には境目に行き着くと書いてある。遊歩道というくらいだから、ブラブラ歩いていけば一周して元の地点にもどれそうだ。時間はなんとかなりそうなので、来たときと違う方向に行くことにした。さきほどの3番コースに合流するはずだ。

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いちょう畑とタラの木畑。

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集落に近づくと農作物の栽培地があちこちに。ハウスにまだあおいトマトがいっぱい。そうだった、この前も、池田のような山地でトマトを栽培するのかと、不思議に思ったのをおもいだした。収穫していたら、すこしわけてもらおうと期待したけれど、誰もいなかった。

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境目峠付近に立て札が・・・。3番は通行不能とかいてある。

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民家の庭先にマユミがうえられている。うちの庭にもほしいなあ。

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でてきたところは七田の反対側のバス停。

 3番の遍路道は通行不能と書き加えられている、あの立て札をみおとさなければ、峠手前で立ち往生することもないだろう。でももう少しシツコク知らせたほうがいい。引き返すにはあまりに遠い。あの道は整備されないだろうなあ。かなりの労力が要る。人が通らなくなれば道はなくなる、それが残念だ。


弥谷寺から海岸寺への山越え

2007-11-04 22:51:39 | インポート

 連休とあって、昨日は大忙しだった。お客様はお遍路さんばかり7人だった。ひとりでやっていくのは、このくらいが限界と思った。あまりに忙しいと何か失敗をしでかす。夕方の、死ぬほどの忙しさが終わって、「エーと、携帯は・・・?」 別の部屋にほったらかしになっていた携帯は転送のままになっていた。しまった、転送は解除したつもりでいた。見ると、着信の表示がでている。5時15分から34分まで、5回も公衆電話からかけてくれている。ウワー、なんとも、申し訳ないことをしてしまった。この方、是非うちに泊まりたいと思ってくださったんだろうなあ。ふつうなら「電源がはいっていないか、電波の・・・」なんてメッセージがきこえたら、即切って、次の候補をあたるだろう。15分も電話の前にいて、5回もかてけくださったのだ。本当にごめんなさい。昨日は、おそらく何処の宿泊所もこんでいたと思うが、どうぞ、いい旅館がみつかって快適な一夜が過ごせたことを祈りたい。私、時たま、このようにミスって落ち込むのである。

 さて、本題にはいろう。

 山の中の番外のお寺は、近辺のいくつかについては道をしらべている。そして番外をやってる方には、「道は大丈夫だからどうぞ行ってください」とお勧めしている。この間、海岸寺へ行きたいというお遍路さんがおいでたので、地図をさしあげた。とても喜ばれて、意気揚々と出発なさったのだが、午後になって電話がかかってきた。「あの道は荒れている、あまりよくない。勧めない方がいい」とおっしゃる。そんなはずはない。2、3年くらい前に調べたときは、台風で道に倒木が被さっていたけれど、除けてとおることはできる、と思った。それとも、又なにかの拍子で崩れたかな。これは早く調べてこなくてはいけない。

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下の駐車場の傍に無人の料金所がある。足の悪い人、歩くのがいやな人は上まで車でいける。この頃は至れり尽くせりだ。

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山門をくぐって石段を登ると観音様?が立っておられる。

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本堂のところを右の方へ歩いていく。天霧城跡のむかって山道をのぼる。広くできれいな道を20分ほど歩くと海岸寺への分岐点がある。さあ、この下りがどんな具合か・・・、道しるべはあるし、倒木もない、私などに言わせると、これほど上等の道はない。これ以上何を望むのか。道の良し悪しも主観なんだなあ。あのかたは悪路と感じたのだ。

 砂防ダムまで、祖谷寺本堂から40分かかった。このあたりは夏草が道を覆い隠す箇所だが、きれいに刈ってあった。ボランティアが整備してくれたのだ。ありがたいことだ。

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ダムの上に立つと海岸寺、多度津方面の海がきれいに見える。

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ダムからまた登り返して車で海岸寺へ行った。歩いていく時間はない。

行楽シーズンだ。海岸寺も人が多い。山越えの遍路道を勧めてくれる、納経所のこの方に、「道はシッカリしていて問題ありません。これからもお勧めしてください」と報告した。


取り締まりで、つかまる

2007-11-02 22:59:39 | インポート

 秋もだんだん深まってきて、「早くクサギの実を採りにいかなくちゃ手遅れになってしまう」と、去年目をつけていた場所へ急ぎ、出掛けた。収穫は、まあまあだった。間に合った。帰ってから群青色の実をはずすのがたいへん。鮮度が落ちる前に冷凍しなくてはいけない。おかげで指先がアクで真っ黒だ。

 帰り、大野原の十三塚付近の高速道路との交差点で待ち構えていた警官に、違反をみつかってしまった。シートベルトをしていなかった!慌てて、手を伸ばしてベルトを引っ張り出そうとしたが、もう遅い。おまけに、その数秒前にお客様から電話がかかっていて、携帯を耳に当てていた。前方の警官が停まれの合図をし、私は道路左に車を寄せる。なんと、彼は、7月に、母が行方不明騒ぎでたいそうお世話になった若いおまわりさんだった。当然私の顔はおぼえているだろうなあ。バツの悪いこと。お客様からの電話ゆえ、きるわけにいいかず、車を停めてまだ話を続ける。あつかましいことに・・・。

 違反行為は、シートベルト不着用と運転中の携帯電話使用であるが、罰の重いほうをとられたのだろう、携帯使用の反則金として6000円支払うことになった。あーあー、久々に捕まったなあ。以後きちんとベルトを締めよう、と肝に命じた。携帯は大事な商売道具、かかってきても、なかなかすぐには車を停められない。娘が、この間、イヤホーンを100っ均で買ってきてくれたのに、まだ使っていない。面倒がらずにやってみよう。

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9月に、フランス人のカップルが二組やってきた。それぞれ二人乗りの自転車に乗っている。ハネムーンだそうだ。

 ヨーロッパには面白い自転車があるようだ。先日、オランダの自転車が新聞に載っていた。いろいろなタイプの自転車があるらしい。運転手の前の部分の箱に子供が2人乗っている写真が出ていて、「ヘェー、こんなのがあるの」って思った。

 陽気な彼らは高松へと向かった。フェリーで小豆島へ渡るんだそうな。


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 天華二胡学院香川教室が開講されて2年、9月15日に第1回目の発表会がおこなわれた。その1ヵ月後、レッスンが終わって、同じビルにあるイタリアンレストランで、私達のグループ8人で打ち上げをした。コース料理だった。皆、お腹がすいていたので、前菜などはじめのうちはどんどん消化していったけれど、後に運ばれてきたスパゲッティはなかなか減らなかった。やはりイタリアンは量がすごい。私以外、皆さん若くて小食だ。初めに注文してしまったデザートのケーキ、ベツバラとはいえ、おさめるのに時間がかかった。

 ひと月に1回、レッスンでしか会わないし、おわると、「さようならー」といってすぐお別れする、あっさりした関係だが、ときにおしゃべりすると視野がひろがるし情報交換もできる。本当は月1回、レッスンの後で、きょうの復習という意味で、皆で自主練習すればもっともっとうまくなるだろうなあ。

 発表会は・・・、反省することしきり。私達のグループは9人で演奏した。2曲目で、ピアノの間奏8小節を待たず、4小節終わったところで誰かがとびだした。「あ、どうしよう。このままいくのかな。やめるのかな。」 これはいくしかない。少し間をおいて私も加わった。この場合は素早く飛び出した人に合わせなくてはいけなかった。場数を踏んだ人なら、プロなら、臨機応変、うまく対処できるだろう。ステージにあがっただけで心臓バクバクなんだから仕方ないよなあ。当日初めて、ピアノや楊琴の伴奏とあわせたからちょっと不安なところはあった。しっかり休みの小節の数をかぞえて、はいるところを間違えないようにしなくてはいけない。そして、なにより、楽しく弾くことだ。DVDを見て、余裕のないのがよくわかる。笑顔で楽しそうに弾けたら見てる方も安心して気持ちよく聞ける。まあ、練習と自信と慣れだろうか。

 何ヶ月も練習したけれど、このような結果に終わって、皆しょげかえっていた。でも、二胡の腕をあげるだけでなく、仲間をより知ることができて、発表会はいい行事だったと思う。

 

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リハーサル風景。

私達は出番がトップだったので、ゆったり練習できたが、リハーサルに時間がかかりすぎ、最後のほうの人たちは、とばし飛ばしだった。ジャー先生が丁寧にみてくださったからだ。先生はスターのような存在だが、椅子を出したり並べたりして、手伝ってくださったり、気軽に声をかけてくださったり、とても気さくでお人柄がいい。容姿端麗も加わって、皆の憧れのまとである。打ち上げは隣のビル29階にある眺め抜群の中華レストランだったが、先生は紹興酒を片手に、生徒さんたちの席をにこやかに回っておいでた。100_0347

打ち上げパーティのご挨拶をされる、周先生とジャーせんせい。

本当はカメラは禁止だった。オバサンはあつかましい。

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 香川教室だけでは、生徒が少なくて会の間がもたないので、大阪教室の有志の方や高知の音楽グループと合同での、発表会アンド二胡フェスティバルという催しであった。写真は高知の手作り楽器のグループと、前列は大阪教室のオペレッタを演じた人たち。高知のグループの代表者は泉谷貴彦さんとおっしゃる。控え室で彼らが演奏するいくつかの弦楽器をみて、「これは何?」と驚いてしまった。写真を撮ってないのが非常に残念。パソコンで、お名前で検索するとすぐ出てきた。すごい人だったんだ。

 何はともあれ、検定試験やら発表会やら、時々刺激を受けることはとてもプラスになる。