日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

2008年最終の日

2008-12-31 23:52:51 | インポート

 2008年もあと少し。来年も、遊びも仕事も一生懸命やろう。

 今日、母の近所の方のお葬式に行った。斎場にはもう一件お葬式があった。行くところを間違えないようにしなくっちゃ。帰り、別の斎場で告別式が行われていた。そして、昨日は、知り合いの方も親戚の告別式があったという。まるで申し合わせたように、なんてことがあるわけないが、暮れも押し迫ってお葬式が集中している。お正月のお葬式も大変だけど、年末に危篤状態になると正月の準備をしていいものかどうか、落ち着かないだろうなあ。

 年末年始は寒波が押し寄せるらしい。明日は、恒例の雲辺寺初詣だけど、雪が積もっているだろうか。風がなく、ほどよい積雪だったらいいなあ。

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28日、母が暮らす施設で餅つきがあった。25人ほどのお年寄りが集まってきた。過去の記憶が蘇るのかな、皆楽しそうである。母は、ちょっと気が乗らないようだった。つきたてのお餅は最高に美味しかった。


クレームは言った方がいい

2008-12-29 00:50:07 | インポート

 時々、集団食中毒について報道されるが、小さい事件については公にならないだけであって、実際は頻繁に起きていると思う。

 ある友人が、

 「昨日、嘔吐下痢でえらい目にあった。今日もまだ気持ちが悪い。」

と言った。

 「食中毒みたいやなあ。何食べたン?」

と聞いても、思い当たらないという。

 「前の前の日までさかのぼって、胸に手を当てて、思い出さないといけないよ。牡蠣食べなかった?」

 「あーっ、そういえば、食べた食べた。」

 私は牡蠣に4回もあたっている。よほど口卑しいのかと笑われそうだ。1回目は仕方ない。初体験である。ちょっといたんでいたかな、で終わった。2回目は、今度はきっと新鮮だろう、で食べた。前回に同じ、苦しんだ。3回目、今度こそ、海で採ってきたばかりの牡蠣だから心配あるまいと、食べたけれどあたった。貝類がもっているノロウィルス、新鮮だから大丈夫というわけではないそうだ。ノロウィルスに感染しても、症状のでない人もいる。3度あたって、金輪際ナマ牡蠣は食べるまいと決めて、頂き物の殻つき牡蠣をレンジでチンして食べたら、不幸にも火のとおりが悪かったらしく、またあたった。もう絶対、死んでもたべないぞー。ノロウィルスのワルサは、死ぬかと思うほどきつい。

 友人、某料理店で忘年会をしたそうである。一緒に行った仲間に聞いてみると、やはり同じ症状だったそうな。

 時を同じくして、別の友人も、嘔吐下痢に苦しんでいた。こちらは家族でだ。某料理旅館の食事だろうかと、おおよその見当はついている。

 という具合で、巷では結構食中毒が多いのに驚いた。私は、ナマ牡蠣はこわくてお客様には出せない。友人にお店に報告するかどうか尋ねると、2人とも言わない雰囲気だった。穏便に、言ってあげたほうがいいと思うのだが。牡蠣で苦しむ人をこれ以上増やさないために。お店の信用の為にも。

 スーパーで果物を買い、さあ食べましょうと切った時、いたんでいることが何度かあった。わざわざ持っていくのが面倒なときは、腹を立てながらも、そのままにしておくが、間をおかず、その店に出向く機会があれば、これは不良品であるといいに行く。お店側は快く取り替えてくれる。今後品質管理もきちんとやってくれるだろう。

 反対の立場であるが、私もお客様には思っていることを言ってほしいのだ。例えば、魚が生焼けだったら、だまって残されるより、焼き直してといってほしい。翌朝、部屋の片付けに入って、枕カバーをつけ忘れていたことに気がついて、慌てることがあるが、お客様がカバーがついてないよと声をかけてくださったら、と思ったりする。こちらのミスには違いない。ミスに気がつかないこともあるので、言ってくださるとありがたい。


来年はもっと厳しい

2008-12-28 00:16:50 | インポート

年賀状もほぼ出し終えた。宿帳を繰ってみて、数年前は、仕事で長期滞在するお客様が多かったんだとあらためて驚いた。景気も良く、工事関係の仕事が結構あったのだ。うちの子供たちも、手は離れたとはいえ、塾の送り迎えやら、学校の行事やらで、私はとても忙しかったはずだ。それと、あのころは水泳に熱中していたので、プールにも一生懸命通った。合間で山登りも・・・。仕事、子供のこと、遊び、今思えばよくやってたなあと我ながら関心する。若かったからか。今はほんとにのんびりしている。習い事したり、旅行したり・・・、年とるってこういうことかな。

 今年は長期のお泊りがあった。しかし、来年は、まず、ないだろう。お客はお遍路さんのみ、きびしいけれど出費を抑えて暮らすしかない。いっそう野宿のお遍路さんが増えそうな気がする。

 テレビ、ラジオでは、連日、失業者の話題である。若い男性が、財布をひっくり返して、チャラチャラッと小銭をばらまいて、「持ち金はこれだけです」といってる。なんとオーバーな。私には、「やらせ」みたいに見える。ちゃんとした部屋にすんでいて、普通の身なりしているのに、いざという時に備えて、蓄えのひとつもないのだろうか。私の友人で、今時、驚くほどきりつめた生活をしている人がいる。一昔前はみんながそうしていた、そのような暮らし方を続けているだけだ。信念を持って自分の生き方を貫いているから、悲壮感などは全くない。彼女からみれば、「貯金もせず、欲するままに贅沢をして、困ったら生活保護を申し出る、”アリとキリギリス”のキリギリスのような、許せない人たちなのだ。皆が皆そうとは限らない、気の毒な事情をかかえている人もいるとは思うが。

 生活が苦しいといいながらも、まだまだ暮らし向きを質素にできるはず、といいたいのである。


伯耆大山で冬山トレーニング

2008-12-23 00:00:41 | インポート

 この頃のニュースの暗いこと。もうすぐお正月というのに、失業者が溢れている。ひとむかし前なら、年末には、雇い主は餅代を従業員に配った。今は約束の雇用期間を守らず、首を切る。経営者は、従業員の暮らしが成り立つように心を配るべきではないのか。首を切る前に、打つ手はなかったのか。どこの家庭でも、いざというときの為に貯蓄するのだが、企業には貯金はないのかしらん。社長は私財を投げ打って、というようなことはしないのだろうか。経営者、正社員、パート従業員、皆で仕事、給料をシェアすればいいのにと、単純に考える。

 13日14日、山の会のメンバー3人で、鳥取の大山へ行った。天気予報では雨ということになっていた。上天気の、13日土曜の午後1時に観音寺を出発。天気がもう一日ずれてくれればいいのに。雨の山行か、それとも吹雪か・・・。憂鬱。

 夕方、大山麓の駐車場に着いた。キャンプ場はあるが、トイレが閉鎖されている。それで、私達はトイレのある駐車場の隅でテントすることした。テント場でないので、あまりおおっぴらにはできない。

 夕食メニューはキムチ鍋。私がリーダーに当たっていたので、手間のかからないように材料はすべて家で切ってきた。年をとると小食になる。アルコールも減る。私も350ミリリットルのビールで充分て感じ。余った鍋は、翌朝ご飯をいれて雑炊にする。

 寒くて眠れないのはつらいと思って、たくさん着込んで寝た。シュラフのそとには、シュラフカバーじゃなくて、ホームセンターで買ってきた防災用のあの銀色のシート、あれをかぶった。どんな具合か試したかったのだ。着すぎたせいか、このシートのせいかわからないが、暑くて夜中に3度も目が覚めた。朝シュラフがビッショリ濡れていてびっくりした。私の体から出た水蒸気が結露したのだ。

 コンパクトで安価、いつもザックにいれておけば便利だと思う。遭難した時のことを考えて、私はシュラフカバーを持っていくときがある。このシートの方が小さくて、防水だし、いいと思う。丁寧にたたむと、元のようにはいかないが、一倍半くらいには収まった。

 夜中、ポツポツと雨がテントを叩く。そのうちザァーザァー降りになった。4時起床、外は霙だ。3センチくらい、シャーベット状に積もっている。カッパを着て歩き始める。雪がちらちらふっている。中腹くらいではお日さんも顔をだした。前日に降ったのか雪もたくさんあったし、風はなく上等の天気だった。行ってみないとわからない、実感した。

101_0362 6合目の小屋

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70代のご夫婦が上りに来ていた。ご主人は大山のヌシのような方、あっという間に追い越していって、頂上を制覇して下ってきた。私も、あのお年まで山に登りたい、と思った。

101_0375 ぞっとするような急斜面、これを登る人がいるそうな。

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こわーい縦走路、でもいつか行ってみたい

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頂上の小屋。去年は団体さんがいたりして、小屋は満タンだったが、今年は天気予報のせいか、客は少ない。

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小春日和

2008-12-21 00:20:05 | インポート

 12月20日、今日は素晴らしいお天気だった。

 母を連れて食事をし、久々、善通寺に御参りした。ついでに、名物の堅パンやさんに寄ってみると、まだ昼過ぎというのに、「売り切れました」の張り紙が・・・。今時、スーパーには美味しいお菓子は溢れかえっているけれども、昔ながらの素朴な味の堅パンを懐かしむ人も多いんだ。このお店、まだまだ安泰だ。

 母については、最近、グループホームの方から、ケアについてのお話があった。勝手に散歩に出て行って困る、ということである。一日に何度も。外に出て行くのがわかったら、職員が跡を付いていって、母が満足したかな、と思われるころあいで、「帰りましょう」と声をかけてくれる。母の一番好きなこと、散歩を自由にさせてくれるのだ。私は、ありがたいことと感謝している。しかし、それが一日に数回となると、母にかかりっきりで、他の人のお世話ができなくて困っているといわれた。対処できなくなると、鍵のかかる施設に移ってもらわなくてはいけない、と言われている。それはちょっと可哀想。「私としても、週一回の外出を2回に増やすように努力しますから、どうかこの施設で居させてください」とお願いした。いくら丈夫な母でも、必ずや足は衰えてくるはずで、歩けなくなれば手を煩わせることもない。それを望んでいるわけではないのだが。

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広い境内にはいくつも建物がある。またひとつ建設中だ。

101_0387 年末の大掃除をしている。今日は最適の天気だ。

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本堂は薬師如来である。きのう、海外にいる娘から体の不調を訴える電話がありとても心配、病気平癒を祈った。

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雲辺寺の五百羅漢さんといい、善通寺の羅漢さんといい、もっといいお金の遣いかたはないのだろうか。

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母、です。